第3話:毒の匂い
御薬所の廊下は、静かだった。昼の光が差し込み、薬瓶の影が床に伸びる。私は湯気の中で、側近の死の匂いをもう一度確認していた。微かに残る薬草の焦げと、鉄分の混じった血の匂い。匂いは、誰も語らぬ真実を教えてくれる。
「朝霧さん、香りの反応は?」
漣が近づく。彼の顔には少し緊張が見えるが、声はいつも通り穏やかだ。私は指先で湯気を撫でながら答えた。
「天然の薬草ではない。焦げと苦味のバランス、加えられた量……これは計算されたものです」
漣は黙って頷く。宮廷内での“自然死”の連鎖は偶然ではない。匂いが、それを教えている。
「誰が……」
問いかけは、まだ早い。匂いだけでは人物までは特定できない。だが、薬方の組み合わせには特徴がある。それは、御薬所に伝わる古い書物の技法――私の師匠が教えてくれた技法――に酷似していた。
「まずはこの薬の痕跡を分析しましょう」
私は鍋の薬湯に手を添え、微細な温度変化を確かめながら匂いを再確認する。焦げ香と苦味の差異が、誰の手によるかを示す手掛かりになる。
「……やはり、御薬所に伝わる技法ですね」
漣の声に少し安心が混じる。つまり、事件は外部の者による仕業ではなく、宮廷内部の誰かが関与している可能性が高い。匂いは嘘をつかない。匂いの正確さが、私たちの唯一の武器だ。
昼下がり、御薬所の資料室で私は薬草帳を広げた。記録の端に書かれた微細な注記――焦げのタイミング、湯温、煎じ方の順序――すべてが今回の事件と一致する。匂いだけでなく、薬方の痕跡も証拠になりうる。
「漣、この香りと記録を組み合わせれば、犯行時の条件が推測できます」
彼は驚いた顔で私を見た。宮廷の侍従でありながら、薬の専門家ではない漣にとって、匂いと記録を結びつける思考は奇異だろう。しかし、それが私のやり方だ。
夕暮れが近づき、御薬所に差す光が柔らかくなる。鍋の湯気は薄れ、香りは私の記憶に残った。匂いは嘘をつかない。焦げ香も、鉄の匂いも、微かな残留薬草も、すべてが真実を語る。
「朝霧さん……」
漣が小さく声をかける。私は振り返り、彼に微笑む。今日見つけた痕跡は、まだ序章に過ぎない。宮廷の陰謀はこれからだ。そして、私は匂いで、次の糸口を探す。
「明日には、御薬所の記録と照らし合わせて、犯人の行動パターンを推測します」
漣は頷いた。その瞳には、私と同じ覚悟が宿っている。今日見つけた痕跡が、宮廷の闇を少しずつ照らす光になる――そんな予感と共に、私は鍋の火を静かに消した。