第2話:側近の不審死
御薬所の朝は、昨日の匂いの記憶とともに始まった。鍋の湯気を吹き飛ばす風が、まだ冷たい廊下を駆け抜ける。私は薬缶の蒸気の中に、微かな異常を感じ取った。
――昨日の側近の様子が、気になっている。
宮廷では、ある高位の側近が“自然死”として報告されていた。しかし匂いは、それを自然だとは告げていない。微かに薬草の焦げた香り、鉄分の混じった血の匂い、そして何よりも体温の落ち方に不自然な痕跡がある。
「朝霧さん、少し手伝ってもらえますか」
声の主は漣。彼の手元には、側近の枕元に置かれていた薬瓶の一部がある。私が香りを確かめると、微かな苦味の残り香が指先に残った。これは……天然の薬草ではない。誰かが意図的に加えた“何か”だ。
「これは……毒。天然のものとは反応が違います」
私は慎重に言葉を選び、漣に小さく頷いた。彼は静かに眼を細め、控えめな声で答える。
「私もそう思いました。ただ、報告は自然死です。公に言えば、宮中全体を揺るがしかねない」
「でも、真実を知らずに終わらせるわけにはいかない」
私は鍋の湯気に手をかざしながら、内心で薬の反応を確認する。側近の体内に残る成分は、煎じ薬に微量混ぜた毒の痕跡を示していた。匂いだけで、誰が何をしたかまで予測することはできない。しかし、この薬の組み合わせは、御薬所に限られた技法に酷似している。
「……御薬所の誰かが?」
漣が言葉を詰まらせる。私もまた、頭の中で可能性を整理する。犯人の意図は、単なる殺意か、それとも宮廷内の権力争いか。匂いは教えてくれる。だが、その意図まではまだ静かに潜んでいる。
私たちはそっと薬瓶の残り香を手に取り、再現実験を始めた。細かく砕いた薬草を湯で煮立て、側近の体調に残された痕跡と匂いを比べる。微妙な焦げ香や苦味の差異が、誰の手によるものかを示す重要な手掛かりになる。
「やはり……これは外部から意図的に混ぜられたものです」
漣が静かに息を吐く。私は鍋の中の薬湯を見つめ、次の行動を決めた。宮廷内の高位者の影が動き出す前に、私たちは小さな証拠の網を紡ぐ必要がある。今日、この一杯の薬湯が、宮中の不自然な“自然死”を解き明かす鍵になる――そう、直感した。
昼下がり、御薬所の窓から差し込む光の中で、私は薬缶に手を添えたまま、静かに考えた。匂いは嘘をつかない。そして人の心も、少しずつではあるが、薬の香りに正直になる。
「漣、行きましょう。まずは御薬所の記録を洗い直して、どの薬方が関わったかを確かめるのです」
漣は頷き、私たちは静かに宮廷の陰謀の糸に触れ始めた。その動きは小さくとも確実で、やがて御薬所全体の均衡を揺るがすことになる。
今日の一歩が、次の事件の連鎖を呼ぶ――そんな予感を、薬湯の蒸気の向こうに感じながら、私は火加減を調整した。