第1話:御薬所の朝
私は薬の匂いを頼りに、人の嘘と本心を並べる癖がある。朝の御薬所はまだ冷え、薬缶の蒸気が天井へ真っ直ぐ昇っていった。誰かが口にする薬には、その人の体と過去が溶けている。匂いは、嘘をつかない。
「茉莉、これを煮ておけ」
御薬頭の短い声に、私はただ頷き、鍋の火を見つめる。煮え立つ薬湯の色が変わる様子を追うと、もう一つの世界が耳を澄ますように開くのだ。今日は穏やかでない匂いが混ざっている──血とも汗とも違う、きれいに消されようとした痕跡の香り。
御薬所に来てまだ日も浅い私だが、薬の匂いだけで不整合を感じ取ることは珍しくない。昨日までの煎じ薬の香りとは違う。思わず鼻先に手をやり、息を静かに吸い込むと、微かな薬の焦げと混ざった体調の痕跡が、誰かの隠した秘密を語りかけてくる。
「これは……血糖と熱の反応が微妙にずれている。毒の残り香……いや、自然死に偽装されている」
私は心の中でそう呟いた。小さな異変は、些細な薬草の組み合わせで、確実に見つけられる。御薬所の台所の棚に並ぶ薬瓶一つ一つが、事件の断片を教えてくれる。
そのとき、廊下の方から硬い足音が近づいた。漣、若き侍従だ。彼は律儀で無骨だが、宮中の複雑な空気の中で茉莉の才に惹かれ、控えめながらも協力を申し出る。
「朝霧さん、少し話があります」
「……はい」
漣の声に緊張はない。だが、匂いは彼の心の動きを語っていた。彼もまた、この宮中に潜む不自然な“死”の匂いを感じ取っている。
私は鍋に手を添えながら頷く。今日、ここから何かが動き出す──そんな予感が、薬湯の蒸気と共に立ち上った。