八 真実
七
蝶野刑事、ユースケ、私たちは、食堂に集まった。今まで得てきた情報を一度整理することになった。ユースケは蝶野刑事と死体検案の結果を分析した。またユースケは蝶野刑事に、日本警察のデータベースにアクセスをして、ヨコスカプリズン出所後の受刑者の行方を調べるよう依頼していた。日本や米国の当局が、人間回復運動の実態をどこまで握っていたのか、事件の全体を把握することはとても膨大な作業に思えた。
二時間くらい作業して、休憩のためのコーヒーを私が注文口に頼みに行こうとした時だった。
フーコーが突然現れ話しかけてきた。
「皆様、ラルフ刑事が事件を解決したとのことで、監視局本部に報告を行うそうです。ご同席されますか」
「おい、なんだって」蝶野刑事は驚きのあまり、勢いよく立ち上がった。その際に胴体が机に触れて、危うく私の飲んでいたお水が零れそうになった。私はコップを必死に掴む。
「今、なんて。本当に彼は解決したのか」蝶野刑事は前のめりだ。
「ですから、ラルフ刑事が事件の全貌に関する調査報告書をまとめあげたそうです。その簡単な報告を米国へ通信にて発表し―」
「それは聞いた。今すぐラルフのところに案内しろ」
蝶野刑事の勢いに圧倒され、フーコーは「こちらです」と直ぐに案内を始めた。
私たち三人は、フーコーに導かれるまま、応接室まで小走りに向かった。
応接室には、ラルフ、ドクター・タカマツ、ロボットのベンジャミンがいた。ベンジャミンは内蔵されている通信機で、監査局本部と繋がっているようだった。
応接室に急いで入ってきた私たちに向かって、ラルフが揚々と話しかけてきた。
「これは、これは皆さん、ちょうどよいところにいらっしゃいました。これから本事件の調査報告をいたします。よければ、ぜひご聴講を」
蝶野刑事が焦りを隠さず、問い詰める。
「事件を解決したのは、本当か」
「本当だとも。以前にもそう伝えましたでしょう。まぁ急ぐ旅でもないので、そちらに腰掛けてお聞きください。お茶はいりますか。それともコーヒー?」
「いらん!」と蝶野刑事。
「私も結構」とユースケ。私も反射的に「あ、なら私も大丈夫です」と調子を合わせた。二人が椅子に腰掛ける様子もないので、私は立ったままラルフが話し出すのを待った。
「かしこまりました。ならば手短にお話しましょう。まず刑務所での犯罪というのは珍しくないです、例えば一九三二年―」
「ラルフ、先行事例は割愛して」ドクター・タカマツが話を遮る。このコマンドの言い回しは、アレクサやSiriに話しかける口調と同じであった。ラルフが人工AIであることを改めて実感させられる。
「失礼しました。今回の事件では、被害者獅子戸の遺体が発見され、腹部にはサバイバルナイフが刺さっていました。独房の中で、なぜ、どのようにして、殺されたのか。証言と物証を集めていくなかで、私達は重要な参考人を得ました。彼です」
ラルフがそう言うと、警備ロボットに連れられた道玄坂が応接室に入って来た。私は息をのんだ。「彼が」
道玄坂は相変わらず下を向き、この世のことなんてどうでもいい、というような厭世的な顔をしている。緊張しているのか、道玄坂は右手の親指と人差し指をしきりに擦り合わせていた。
ラルフは続ける。
「事件の解決は至ってシンプル。ここにいる道玄坂容疑者が自ら自白しました」
「自白した? お前に直接か」蝶野刑事の声が少し上ずっている。
「はい、彼は貴方たちが面談する前に私たちと面談しました。その際には、ご自身が所有していたサバイバルナイフで彼を刺殺したこと。動機は、獅子戸被害者から従事作業への指南があり、それにむしゃくしゃしていたとのことです。サバイバルナイフは、横須賀元米軍基地での清掃作業でたまたま発見し、手に持っていた工具で解体。そしてそれらを飲み込み、プリズンに運んだ。彼の口元には切り傷があるでしょう。痛々しい話です。そして道玄坂は、溶接作業に従事するふりをしてナイフを再構築し、靴の底に隠して持っていたとお話してくれました」
ラルフは、一気に話し終えると一息ついた(実際に呼吸はしていないが)。それは自分のためではなく、こちらがラルフの話を咀嚼する時間を待っているようであった。
「お疑いであれば、供述の録画データもございます。また彼が溶接作業をしている姿も監視カメラに収められ、手元が暗くて見えませんが何やら光る金属製のものを扱っている様子が伺えます。自白は犯罪の強固な証拠です。道玄坂容疑者の身柄は米国が拘束します。彼を本国へ送致する手筈もすでに整っています」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。日本の警察をないがしろにする気か。身柄拘束と裁判権については、協定上、自治州日本の権利が優先されるはずだ。日本で起こった事件は日本が裁く。道玄坂が自白したというならば、尚更、彼の供述をこちらが聞かなければならない」
「本ケースは、アメリカの民間企業が事業展開している、監視局本部も力を入れているヨコスカプリズンで起きました。協定の原則では準州日本の司法権が優先されますが、米国の中央管理が必要と認めた場合は、米国の判断が最優先されます。すでに本国の法務省には連絡を入れており、本件は米監視局の直轄事件として扱われるよう、三十分前に認可が出ました。上官から指示は来ていませんか、ミスター蝶野」
蝶野刑事は素早く自身の携帯を確認したが、警視庁からの連絡は来ていなさそうであった。その顔は悔しさで歪んでいる。
「あ、あの、事件の管轄がどうってことも、大事なのかもしれないんですけど。道玄坂、容疑者が自白したって本当ですか。道玄坂さんが獅子戸さんを殺したって本当ですか。その理由が知りたいです」
私はどうしても口を挟まずにはいられなかった。真実が知りたいのに、大人は管轄がどうこうの話しかしておらず、うんざりした。高校生ごときが声をあげるのは勇気が必要だったが、ここで何か言わないと後悔すると思った。またアメリカの学生なら、自分の意見をきちんと表明できてこそ存在を認められるのだから、私だって話す権利があるのだと自らを奮い立たせた。
そんな私の発話に答えたのはユースケだった。
「ワカコの言う通りだ。俺たちがここにいる目的を忘れるな。犯人が道玄坂で、それが明白ならば、道玄坂さん、今ここでそれを表明してくれ」
ユースケの一言は、事件の管轄争いをしていたラルフと蝶野を黙らせた。また私は、発言して良かったと思うとともに、自分が他人にどう思われるのかという外聞しか気にしていなかったことを急速に恥じた。そうだ。私たちは真実を知りたく、また真実を暴くんだ。そのためにここに来た。
皆が道玄坂の方に向き直った。道玄坂は、チラッとフーコーの方を一瞥した。何か言いかけたが、やはり下を向き、口を閉ざしてしまった。
沈黙が続く。次に口を開いたのは、ユースケだった。
「物証と証言が弱い中、あくまで仮説にしか過ぎないかもしれないが反証を試みたい。容疑者が米国に送還される前に、一石を投じたいと思う」
ユースケも一息ついた。それはこれから語ることへの覚悟を再確認するかのようであった。
「獅子戸は自殺の可能性が高い」
また一息ついて、ユースケが続ける。
「まず凶器のサバイバルナイフについて。これは獅子戸が自身で用意したものだろう。獅子戸は刑務所において、どのようにナイフを入手したか。それはヨコスカ元米海軍基地での奉仕作業中に偶然に見つけたのだ。作業の真っ歳中、恐らく潜水艦かどこかの中で米兵の置き土産であるサバイバルナイフを見つけたのであろう。獅子戸はナイフを見つけて、すぐにそれをいくつかのパーツに分解した。刃の部分はたたき割ったと表現したほうがいいかもしれない。獅子戸はナイフの刃の部分を飲み込めるサイズにして、自身の体に取り込み、刑務所に持ち帰った。喉口内の切り傷の理由は飲み込む際にナイフで傷つけてしまったものであろう」
ユースケは続ける。
「獅子戸も溶接免許を持っていた。溶接の奉仕作業時に分解したナイフを溶接したのであろう。金属どうしのつなぎ目が凶器のナイフをみるとわかる。復元したナイフを獅子戸は靴の底か何かに入れ込み、自身の収容部屋に戻った。そして先日、割腹自殺を図ったんだ」
蝶野刑事が確認するかのように尋ねた。
「ならばオマエはこの事件を自殺と断定するわけだ」
「そうだ。獅子戸の両手にも切り込みが入っていたのは、彼がナイフを逆手にもって割腹自殺を図ったからだ。ではなぜ道玄坂の口元にも切り傷があるか。それは道玄坂が死体を発見したときにナイフの欠片を一部奪い、自分で飲み込んだからだ。恐らく今、道玄坂の腹をレントゲン撮影すれば、ナイフの欠片の影が見えると思う。死体発見後に凶器が腹部から見つかることは時系列としておかしい。まあ米側がレントゲン撮影までしてくれるとは思わないが」
私は疑問を投じずにはいられない。
「でもどうして、獅子戸さんは自殺をしたの」
「彼はオアシスルームの真実に気づいたからさ。そして自身の人間としての尊厳を守るために死んだ」
フーコーが口を挟まずにはいられないというように割って入ってきた。
「彼の死とオアシスルームのプログラムにどんな関係があるというのですか」
「獅子戸はオアシスルームの正体に気づいたのさ。あれは模範的な囚人の娯楽部屋などではない。緻密に設計された無菌室だ。そうだろう。無菌状態によって囚人の免疫を著しく低下させ、ウイルス系の感染症や持病を悪化の促進を早めるよう設計されている」
フーコーは理解できない様子で反発した。
「何をおっしゃっているのですか。そのような記録はどこにも存在していません」
「米当局のデータベースにも存在していないぞ」
ラルフが口を挟んできた。
「それはそうだろう。ここは民間企業の経営で、情報のすべてを日本当局や米当局と共有しているわけではない」
ユースケが答える。
「なぜオアシスルームが無菌室で囚人の死を早める可能性が高いと分かるか。それは、そこにロボットにしか入れないからだ。濃度の高い消毒液で無菌状態になれるものしか入室できない。濃度の高い消毒液には耐えられない人間の俺たちは入れないが、ロボットならできる。だからラルフ探偵だけが入室を許可されたのだ。雑菌だらけの人間がオアシスルームに入室してしまったら、無菌室は維持できないしな」
「どうしてそんな部屋があるの」私は聞かずにはいられなかった。
「囚人の自然死を早めるためさ。ヨコスカプリズンの受刑者の出所後の行方を調べさせてもらった。約半数が三年以内に病死している。なかには、放射線の被ばくによる甲状腺がんも多く見られた。獅子戸も出所した受刑者の足取りを手紙でおっていたから、謎の不審死が多いことには気づいていたんだ。受刑者は横須賀の元米海軍基地の解体作業に従事していた。防護服の措置は最近施されたものらしい。以前の受刑者は生身の状態で汚染作業に当たった。米軍が汚染状況を把握もせず、報告を前もって行っていなかったからだ。これが世間に知られるとヨコスカプリズンや経営母体のピースフォーにも批判が及ぶ。そこで基地汚染による健康被害と囚人の死に因果関係が悟られないような措置を取ろうとなった。それでオアシスルームの完成と実施につながった。健康被害を訴えそうな囚人の数をできるだけ減らす、自然死に見えるように殺す。出所した受刑者の自然死が多いという指摘が万が一あっても、因果関係の証明さえできなければ非難から逃れることができるとお偉いさん方は考えた」
フーコーが叫ぶように言う。
「そんな記録どこにも―」
「そんな不都合な真実を案内ロボットごときに共有するわけないだろう。君の記憶は全て監視局によって捜査されている。もしどこかで無菌室の状態を知ったとしても、情報の書き換えは容易い」
「しかし、それがなぜ獅子戸の死に繋がるのか。そしてなぜ道玄坂は自分が殺したと言っているのか」
「獅子戸はオアシスルームに複数回、数カ月間入れられ、免疫が異常に下がった状態になった。そして自身の持病である肺疾患が悪化したことに気づいた。それは彼の濁色の喀血からも分かる。死体検案の結果は、免疫の異常な低下があったとの報告が上がっている。また獅子戸は人間回復運動のリーダーとして先に出所した受刑者の多くと手紙でやり取りをしていた。しかしそのなかの何人かは亡くなったという連絡が届いていた。普通に生きている人は、普通に暮らすなかで知人の死に直面する頻度はそこまで無いと言っていいはずだ。しかし、獅子戸の多くの友人が死んでいく。そこで獅子戸はオアシスルームの謎に気づいたというわけだ。自身の生さえAI管理されているのに、死すらもコントロールされるのか。そこに至って獅子戸は横須賀元米海軍基地でナイフを見つけた。そして自死に至ったわけだ。獅子戸が深夜から朝方にかけて立っていた理由は、恐らく本人の最後の抗議の意味合いだろう。彼の姿は他の囚人に勇気を与えていた。人間らしさの回復のため、尊厳のため、立つという行為を通して意思表示をしたものと考えられる」
ユースケはいったん語りを辞めた。今質問をぶつけるものは誰もいない。
「ではなぜ道玄坂はやってもいない獅子戸殺しを“自供”したのか。しかも日本の警察には黙秘権を貫き、刑務所の監視局にのみ行ったのか。それは、恐らく、自供をすると刑期を短くするという司法取引にあるのではないか。道玄坂。獅子戸の死体を見つけた時にナイフを飲み込んだ理由はその時から司法取引のことを考えていたのではないか。先ほどからやけに指をこすっているが、それは拇印の朱肉あとを消すためでは? 何かの書類にサインした後のように見えるが」
道玄坂は相変わらず沈黙を貫いたままだ。
「米監視局本部にとって、獅子戸の自死ほどやっかいなものはないだろう。AIによる無人の管理体制に世間からメスが入りかねない。オアシスルームという無菌室の存在も世間に知られる危険性を伴う。そこで犯人をでっちあげた。過去に罪を犯したことのある人物であれば、殺人の罪を着せやすい。特に日本の世間は容疑者に厳しい風潮だからな。道玄坂の自供をでっち上げたヨコスカプリズンの監視局本部は、それを米国側のラルフに伝えることで担保を取った形だ。どうかな、道玄坂」
道玄坂はなおも顔を下に向けるだけだった。
ラルフが噛みつくように言った。
「それは、ミスター笹川。貴方の方こそでっちあげでしょう」
「ミスターラルフ。貴殿が導きだした答えが、誰かに操作されたものでないとどのように証明できるのか。ミスターラルフAI探偵殿」
「ラルフは自立型AIだ。ただ操作されるだけのロボットではない」
ドクター・タカマツが吠えるように言った。前髪で隠されていたが彼の顔が紅潮していくのが感じ取れる。
ユースケは年下にも容赦がなかった。
「たとえラルフが自立していたとしても、犯人の自白第一主義の立件方法はプログラミングされているところだろう。ユーザーで、かつパトロンの当局に都合が良いシナリオも、AIの行動原理からして好都合だ。ラルフのシナリオは、彼が自発的に導き出したものにせよ、そうでないにせよ、あまりにも体制に有利だ。獅子戸の遺体の状況からも説明不十分な部分が残る」
ラルフは何も言い返せないようだった。ラルフとユースケは睨み合った。部屋の中には、言い表せない緊張感が漂う。
口を開いたのは、フーコーだった。
「すでに米側は、道玄坂の取り調べの準備を進めています。彼の送致は決定事項です。秩序の維持回復の流れに波風をたたせないでいただきたい。笹川様、確かに貴方の推測には一理あるかもしれない。確かに、獅子戸は自殺をしたかもしれないです。ですが、オアシスルームが現代の殺人ガス室とでも言いたいようなその口ぶり。しかし貴方の推理は証明不可能です。なぜならオアシスルームに入った囚人の死と、オアシスルームの入室の事実の因果関係は、貴方が言った通り証明できないからです。科学的な根拠のない主張は、風評被害を生み出します。今回の事件の捜査は、ラルフ名探偵によって解決されました。早くこの場をお引き取りください」
蝶野刑事が道玄坂をまっすぐ見て問うた。
「道玄坂、おまえはそれでいいのか。獅子戸がなぜ死んだのか。獅子戸を慕っていたんだろう。本当にこのシナリオでいいのか」
今まで沈黙を守ってきた道玄坂が、ぽつりと呟いた。それを私は見逃さなかった。
「俺は……早くここを出たいだけだ。次の行先が地獄だとしても、人間がいれば、それでいい」
ラルフに連れられて、道玄坂は部屋を出ていった。ドクター・タカマツが二人の後ろに続く。彼がドアを閉める瞬間、私やユースケに顔を向け、会釈をしてドアを閉めた。私たちはフーコーの案内で、刑務所の出口へ向かった。蝶野刑事が、監視局に出所申請を行い、約三十分待たされてようやく外に出られた。外はすでに夜になっていた。そういえば、刑務所の囚人収容施設には、窓が無かったことに改めて気づいた。
私は夜の横須賀の空気を思いっきり肺に吸い込んだ。その時に見上げた空には、月や星が見えず曇り空が広がっていた。




