六 横須賀米軍基地
六
次の聴取は遺体を最初に発見した囚人、道玄坂だ。しかし彼は昼の清掃当番に出ているという。そこで私たちは、獅子戸が従事していた野外奉仕活動の場所であった、元米海軍基地の横須賀基地跡地を見て回ることにした。獅子戸が実際にいた現場を見るだけだという、蝶野刑事の申請依頼は、ヨコスカプリズン監視局から門前払いをくらった。
「日本国法に基づく正式な捜査申請だぞ。これを拒否することは、捜査への妨害とも受け取れるぞ」と蝶野刑事はフーコーに詰め寄った。しかし、フーコーは壊れたラジオみたいに「ご希望には添えません」と繰り返すだけだった。
蝶野刑事は、ニッポンの警察のメンツにも関わるということで、警視庁の先輩刑事に泣きついた。その結果、横須賀基地の軍事関連施設には入所せず、ゲート入ってすぐの軍部関係者親族居住エリアまでの立ち入りは許可された。蝶野刑事は、してやったぞと誇らしそうな顔をしていた。私は、彼が偉いのか偉くないのか、よく分からなくなってしまった。警察組織には上にも下にもいる人間がいて、立場によって腰が高くなったり低くなったりするのがよく分かる。
ここでなんと申請許可を得たのが、蝶野刑事だけということが分かり、蝶野刑事はユースケと私の分の申請許可を得るために再度同じ手続きを行う羽目になった。蝶野刑事はヨコスカプリズンの監視局と警視庁に挟まれて、すこぶる困ったように慌てふためいていた。
このいざこざの間に、私は刑務所の食堂で横須賀海上自衛隊カレーをいただいたが、カツがのっていて美味しかった。ついでにニューヨーク・チーズケーキまで平らげてしまった。アメリカンチェリーのシロップ漬けがのっていて、美味しい。先程まで実際に人が亡くなったことに心を痛めていたのに、食欲はある。人間はどこまでも利己的だな、と私は改めて思い返した。そういえば獅子戸は身寄りがいなかったらしい。私は無機質な刑務所の生活を想像しながら、チーズケーキの最後の一口を頬張った。
蝶野刑事の頑張りにより三人の見学許可がようやく下り、昼食も終えた私たちは、ヨコスカ・プリズンの隣にある横須賀元米海軍基地に向かった。
基地に向かう最中、送迎車を待つ間、蝶野刑事とユースケは、林と滝川の聴取を振り返っていた。
「笹川はどう思う、俺は有力な情報が得られたとは微塵も思わない。第一、物的証拠や証言が得たいのに、アイツらは熱いハートの部分しか語らなかった。これじゃ、状況証拠も間接事実も繋がらないぜ。アイツらの気持ちは分かり、獅子戸の人物像も掴めたが、それだけで終わった感が否めないな」
ユースケが答える。
「仕方ないさ。実際問題、彼らは事件に繋がるような状況は何も見ていないのだろう。獅子戸への敬意があって、兄貴の仇を取りたいなら、知っていることは全部話すだろうしな。彼らの話を傾聴する姿勢は示せたし、ある程度信頼は得た。後々、何か思い出して協力してくれるかもしれない」
「あの人たち、これからどうなっちゃうのかな」
私は思わず呟いてしまった。
「いくら情念があっても、罪人は罪人だ。獅子戸への敬意を胸に、刑期を全うするだろ」
蝶野刑事が冷たく言い放った。私は、なんだか落ち込んでしまった。
その時だった。
「これは、これは、日本の警察の皆さん。奇遇ですね」
後ろからいきなり声がした。AI探偵のラルフとドクター・タカマツが後ろに立っていた。ラルフの登場は、ハリウッド男優さながらだった。対照的にドクター・タカマツは相変わらず下を向いて、根暗な雰囲気を醸し出していた。
「皆さんも横須賀元米軍基地を見学ですか。勉強熱心で感心ですね」
蝶野刑事が明らかに不機嫌な顔で言い返した。
「アメリカ様が何をしてるんだ。こんなところで。俺たちは大事な捜査の途中だ」
「いえ、横須賀基地の機密データバンクにはアクセスし放題なのですが、ドクター・タカマツが実際の場を感じておくことが重要なのだと私に示唆してくれました。私どもはほぼ事件を解決しているので、時間を持て余していましてね。この時間も、私どもには米議会で採択された国民の皆様の血税が払われているわけです。私の人間性の獲得、その発展にこのフィールドワークが役に立つ、ひいては米国の利益に還元されるという好循環が発生するわけです」
ラルフはとても饒舌だった。事件が解決したからか、いつにもまして饒舌な語り草のように思う。というか、今事件は解決した、と言った……?
その気持ちは蝶野刑事も一緒だったようだ
「待て、お前。事件は解決したってなん……」
「おや、迎えが来たようですよ」
タイミングよく送迎車が来た。六人乗りの水陸両用車で、私たち五人は相向かいになるように座った。当然のごとく窓は付いておらず、米軍基地の視覚的情報を遮断している。
蝶野刑事は、車が出発するなり、ラルフに噛み付いた(物理的にではない)。
「事件が解決したってどういうことだ、ラルフ」
「そう、カッカなさらず。ミスター・蝶野。文字通りの意味です。日本語の行間や空気を読む余地のないセリフです」
「てことは犯人が分かったということか」
「はい、すでに米国にも報告済みです」
「日本の警視庁には情報共有はないのか」
「その点については、私の領分ではありません。蝶野刑事、お得意の縦割り行政で、日本の警察を通してアメリカ本国にお伺いをたてたらどうですか」
「っ。このやろう」蝶野刑事は怒りのあまり顔が真っ赤になっていた。
「空気が澱んで来ましたね。私に酸素は必要ありませんが。あ、これは私の定番のジョークです。ここで流れを変えてみせましょう。日本の皆さん、オアシスルームには入られました? あそこは非常に整備された癒しの空間でした。図書室や中央制御されたコンピュータも使用でき、社会的に価値のある資格やスキルの取得に効果的なプログラムが用意されています。あそこに入室できれば、心から社会復帰への希望を抱くこと間違いなしでしょう」
「お前、あの部屋に入ったのか。どうやって入室許可が出たんだ」蝶野刑事の顔がいよいよ赤くなってきた。
「米国に申請をしたところ、簡単に入室許可が出ましたよ。私だけに特別と。ドクター・タカマツはプログラミングに忙しかったので、私だけでしたが。さすがの私も再度の徹底的な消毒と全身のスキャニングにはびっくりしました。私の人口皮膚がピリピリしましたからね。これだけの厳重管理、敬意を表します」
「オアシスルームへの入室にまた消毒が必要なのか」ユースケが興味深そうに尋ねた。
「そのようですね。ロボットの私もたじたじです。ところで皆さん、面白い話をいたしましょう。皆さんはグアンタナモ刑務所を知っていますか。それに比べると、ヨコスカプリズンは何と秩序の保たれたことか。米大統領ドミンゴも感動しています。ここが成功を収めた暁には、グアンタナモ刑務所にも最新鋭の監視システムが導入される予定です」
ラルフのウンチクに、皆押し黙った。蝶野刑事は、彼の話を聞かず、タブレットを操作していたので、恐らく警察本部に米国への申し入れを試みているに違いない。ユースケは、お昼を食べた後なので、眠そうにしていた。私は、とりあえずニコニコしていた。
ラルフは話を続ける。
「米国には、現在、八十三箇所の刑務所が存在します。日本には、三十箇所あります。その中で最古の刑務所は、一七七八年に建設されたボストンでの―」
「ラルフ」
蝶野刑事、ユースケ、私の全員がびっくりした。ドクター・タカマツが喋ったのだ。
「ラルフ、そんなに……彼らと仲良くする必要はないよ」
「失礼しました。ドクター・タカマツ」
そして、ラルフは静音モードに入った。ドクター・タカマツの声は、意外とハイトーンな少年の声であった。
(仲良かったかな、私たち?)
それきり車内は静かになった。私は、ニコニコする必要もなくなったので、事件のメモの整理を行った。
車は陸を十分、海上を十分くらい走った。刑務所のある孤島から、本土の施設に到着したようだ。横須賀の元米海軍基地跡地。米軍基地には正門ゲートから入れず、裏側の居住エリアゲートの方へ回って入る。基地として機能を捨てたはずなのに、まだ秘密が多い施設であった。
居住エリアにて降車した私たちを迎えたのは、案内ロボットのレーガンであった。レーガンは、フーコーと全く同じ声で案内を始めた。こちらは米大俳優であったマットデイモンに似せて作られているらしい。案内ロボットの姿は、もはや製作者の趣味としか思えなくなってきた。
「ようこそ。おいでくださいました。こちらは横須賀元米海軍基地。以前は東洋の安全保障の要として、太平洋の平和の維持に貢献していました。あ、皆さん、自由行動は禁止です。私から半径二メートル以上離れますと、一分の警告後、軍事用ドローンが飛んできます。蜂の巣になりたくなければ、くれぐれもご注意ください。私は皆さんのハチミツを収集するようには設計されておりませんので。Haha」
なんて物騒なロボットなんだ。これをプログラミングした人は、相当意地が悪いに違いない。
そんな時、遠くに囚人たちが顔から足まで覆う防護服を身につけて行進していくのが見えた。行先は、旧式の護衛艦や潜水艦が泊っているドッグのようだった。
「おお、皆さんラッキーですね。あの囚人たちは今から原子力潜水艦ドナルド・トランプの内部解体を行なう、特別編成部隊です。模範生の中でも特にグレードが高く、リテラシーを身につけ、高度な専門知識を備えた囚人のエリート集団です。彼らのおかげで、過去との決別と未来への布石が築かれていきます」
ユースケが口を開いた。
「獅子戸はどんな作業に従事していたんだ」
「Shishidoですか、今データベースにアクセスしています。ローディング、ローディング。おお、彼は四年前から、護衛艦ひるがお、原子力潜水艦しゃくなげ、の解体作業に参加していますね。彼は素晴らしい。ボイラー整備に、溶接技巧も持ち合わせ、態度も勤勉誠実。現場でとても良い成績をあげています」
ラルフもレーガンに問いかけた。
「あの防護服はなんですか。どこのデータベースにも記録されていないようですが」
「ああ、あれが導入されたのは最近のことなんですよ。何でも安全衛生検査のためのサンプリング回収で、南東ドッグの波止場や旧式の潜水艦などから放射能汚染やアスベスト、PFOSなど多くの有害物が検出され、一部エリアでは安全基準値を超えていたのです。これは安全衛生上、由々しき問題でした。私たちは直ぐに米監査局に報告し、国際基準に沿った防護対策を取りました。その対策の一部が、あの防護服です。囚人にも特別講習を何回も受けさせていますので、今や東京湾よりもクリーンな環境となったと言えるでしょう。Haha」
「東京湾の汚染とこちらの汚染は、質が違いますので、単純比較はできないでしょう」とラルフ。
「そんなことよりちょっといいかな」
続けて何か言おうとしたラルフを遮って、ユースケが再度レーガンに質問をした。ラルフは不服そうに眉を吊り上げた。どうも二人の間には競争意識があるらしい。ユースケはラルフの様子などおかまいなしに話し続ける。
「レーガンさん、ここで何か凶器になるようなものは見つかりますか。たとえばサバイバルナイフとか」
「ナイフなどの危険物はすでに監視局が回収済みです。もし囚人がナイフ等の武器を見つけても、刑務所への厳重なセキュリティシステム下では持ち運びは不可能でしょう。この場所ではサバイバルナイフの柄が見つかることがたまにありますね。これは米兵の置き土産です。米兵の一部は以前、第十一次中東戦争の際に、反戦行為の一環として、ナイフの刃の部分を横須賀の海に投げ捨て、柄の部分だけを持って任務に当たるということをやっていたようです。米軍の上層部はこれを辞めさせようと怒り心頭でしたが、SNSで当該行為の支持が集まり、ムーブメントになりました。今では、ナイフの柄に☮マークをつけてキーホルダーまで売っているのですよ」
「ふーん、刃と柄を取り外して残された米兵の置き土産ね。帰りに俺たちもそのキーホルダーとやらをお土産に買っていこうか」
ユースケが冗談めいて言った。
レーガンが続ける。
「さて、皆さん、あと見学できるエリアとしては、戦艦三笠くらいしかありませんよ。こちらは以前は公園に配置されていたのですが、観光資源の集約化を図るためにこちらに移されてきたものです。いかがいたしましょう」
「俺たちはそろそろ戻ろうか。道玄坂の聴取もできるようになったろ」蝶野刑事が答える。
「彼に話を聞いても無駄だと思いますよ」
ラルフは何かを知っているような口ぶりだった。
蝶野刑事がラルフを睨みつけて言った。
「それを決めるのは俺たちだ。オマエさんたちの領分ではない」
「そうですね、ではまた」
ラルフとドクター・タカマツ、レーガンは、戦艦三笠の見学に向かった。私たち三人は来た道をまっすぐ戻るように、寄り道をしたらドローンに襲われるとレーガンに脅されたので、素直に従うことにした。
蝶野刑事、ユースケ、私はまた送迎場所まで向かった。それまで晴れていたお天気が、急に曇り空になり始めた。
私は我慢の限界に達し、ユースケたちに言った。
「ごめん、ちょっと御手洗に」
ユースケが答える。
「それなら、戻ったところ居住エリアのゲート前にあったぞ」
「分かった、ちょと待っててね。私を置いてかないでね!」
「分かってるよ、はよ行ってこい」
私は、急いでトイレに向かった。トイレは送迎場所から少し離れているようで私は持ち前の健脚を発揮して大股で歩いた。
何とかトイレが間に合った私であるが、トイレを出てユースケたちが待っている場所に向かう途中、ゲリラ豪雨にみまわれた。私は急いで、近くの屋根付きのバス停に逃げ込んだ。そこには、送迎車を待っているラルフとドクター・タカマツがいた。彼らも突然のゲリラ豪雨の犠牲者らしかった。うう、なんだか気まずいな。
ラルフが話しかけてきた。
「Oh、ミス笹川、貴女も突然の天からの贈り物を受け取ってしまいましたね」彼はやけに詩的な表現をしてきた。
私は、緊張を隠せない。なぜなら、蝶野刑事の影口いわく、彼らは同じ目的を持っていても信頼できない敵側、らしいからだ。
「急でしたね、ミスター、ラルフ、さん。防水の方は大丈夫なんですか。」
「ご心配には及ばず。ミス、笹川。ボディ自体は、たとえ水深三百メートル区域に入っても支障がないようにできています。しかし、やはりスーツが濡れてしまうと不格好ですからね。このスーツはブランド物ではないですが、経費で購入したものなので大切に使わないと。その点では、とても人間的と言えるでしょう」
そう言ってラルフは、どこから持ってきたのであろうハンドタオルを差し出した。
「風邪を引いてしまっては、充分な活動は出来ません。ミス、笹川。未成年保護の観点からも、レディーへの気配りという点からも、どうぞお使いください」
「わぁ、ありがとうございます。では、遠慮なく」
ラルフから受け取ったハンドタオルは、ホワイトムスクの香りがした。案外、良い人なのかもしれない。
「ドクター・タカマツもどうぞ」
ラルフからタオルを受け取ったタカマツは、思いのほかずぶ濡れであった。もしかしたらゲリラ豪雨からの避難が遅かった、言い換えると引きこもり少年らしく足が遅いのかもしれない、と私は推測した。
タカマツが、タオルで顔を拭いて、前髪をかきあげた時だった。
「What's on earth」
「ん、何か仰いましたか。ミス、笹川」
「いえ、何でもありません。すみません。ユースケ達が待ってるので私はこれで、タオルありがとうございました」
持っていたタオルをラルフに渡して、私は小走りでその場を立ち去った。思わず出た言葉が、最近習った英語表現で本当に良かった。
それにしても、何たるイケメン―。急なイケメンの登場に私はとてもびっくりして、意味もなくドキドキしてしまった。
ドクター・タカマツの顔は、真っ白な肌に端正な顔立ち、鼻が高く、目は大きく、繊細な造形をしていた。まるでどこかで見た韓国の人気アイドルのようだった。本当に大した意味はないが、無駄にドキドキしてしまう。
私はできるだけ急いでユースケと蝶野刑事のもとへ戻った。ユースケからは、何をそんなに慌てているのか心配されたが、私はあいまいな返事をして、事件に集中するように気持ちを切り替えた。




