五 事情聴取
五
私たち三人は面会室に移動した。来客用のドアから部屋に入る。面会室は、刑事ドラマでよく見る通気孔が空いた透明なボードが中央に設置され、面会者と囚人の世界を区別していた。ドア付近にフーコーが立ち、部屋の奥から私、蝶野刑事、ドア側にユースケが座っていた。面会室は緊張した空気が漂っていた。
ボードの向こう側の面会室のドアが開く。フーコーが警備ロボットと通信を行い、囚人二人が入ってきた。席についたのは、滝川・ジェームスと林・流聖多だ。滝川は見た目が三十代くらいで、天然パーマ、肌は少し茶色が濃く、彫りが深い。高い鼻に青緑色のふちが特徴的な眼鏡をかけており、少しぽっちゃりした体型だった。一方、林の方は同じく三十代くらいだが、どこにでもいる日本人顔で、ストレートヘア、ほっそりした体型だ。
二人ともどこにでもいる普通の人の出で立ちである。しかし、彼らが着ているオレンジ色の囚人服が、彼らが犯罪者であることを如実に表していた。
蝶野刑事が沈黙を破った。
「今日、ここに君たちを呼んだ理由は、フーコーから聞かされているだろう。昨日の朝、獅子戸が死体で発見された。監視カメラには、深夜一時頃に獅子戸の部屋の前を通る君たちが映っていた。昨夜のことを教えてほしい。ここで何を証言しても、更生プログラムの模範度には影響しないことを約束する」
二人は沈黙を続ける。
蝶野刑事は、毅然と語りかける。
「ここでの会話は捜査協力の一部であるために、刑務所の管理プログラムよりも優先事項となる。つまりムショよりも上位だ。会話の録音や、この面談室の都合上、監視カメラでの記録は残ってしまうが、それが君たちのここでの暮らしにマイナスな影響を与えないことを約束しよう。つまり、良い子ぶる必要はないということだ。率直な実体験を語ってもらって構わない」
蝶野刑事の言っていることは、受刑者二人のことを安心させるように聞こえる。しかし、裏を返すと真実を語らないと警察が黙っていないということを暗に伝えていた。蝶野刑事の言葉には、二人へのプレッシャーをひしひしと感じた。
蝶野刑事は会話を止めなかった。
「答えにくいならば、質問形式でいこうか。昨夜、獅子戸の部屋の前を通ったな。あれは定期のシャワーの後、部屋に戻るために通ったという理解でいいのか」
重たい口を開いたのは、林だった。
「別に、今更、模範度を気にする必要はないのさ。模範度を気にしていたら、滝川と俺はすでに獅子戸のいた南棟にいたさ。刑事さんの質問への答えは、イエスだ。俺と滝川は隣室で、シャワーの時間帯も同じ組に割り当てられている」
「君たちの部屋は」
「南西棟、俺が三三四、滝川が三三五」
ユースケが刑務所の見取り図を見ながら、疑問を呈する。
「そうすると、わざわざ獅子戸の部屋の前を通るよりも、反対の通路から行った方が近道だよな」
滝川、林が息を飲むのが見て取れた。
「それは……」と言いかけて滝川は黙ってしまった。
沈黙が続く。ユースケや蝶野刑事も口を開かない。相手から回答を引き出す際には、質問をしている側も口を挟まない。沈黙が会話上の戦略なのかもしれない、と私は息をのんだ。
林が口を開いた。
「獅子戸さんを拝みたかったからだ」
「拝みたかった?」蝶野刑事の声はいつもよりハイトーンだ。
「そう、人間回復運動のリーダーを」
「人間、回復、運動?」
林はまくし立てる様に説明した。
「この刑務所は、人間性を奪っていく高度なシステムになっている。全てをコンピュータによって管理され、全てをロボットとドローンによって指示される。刑期もそうだが、食事、風呂、排泄まで。監視官は高みの見物で、もはや奴らが日本にいるかさえ分からない。とにかく科学的に正しいと言われている更正プログラムで、徹底的に人格改造と模範生になるための洗脳が行われる。そこに感情なんてものはないさ。俺たちは確かに罪人かもしれないが、少なくとも人間だ。無機質な物に人間という有機物が入るとどうなるか、想像したことがあるだろうか。刑事さん方。水と油は交わらないのに、油になれと強制される気持ちが分かるか」
ユースケが答える。
「水と油はそれぞれに役割があるために、交わらないようにできている」
林が続ける。
「俺は頭が足りないが、バカでも分かることだ。しかし、上のお偉い方はそんなことも分からない。そんななかで獅子戸さんは、人間であろうとした。人間の中の人間さ。獅子戸さんは、最初は粗行が悪く北棟にいた。しかし、北棟にいた奴らへの更正プログラムがどんなに酷いものか。獅子戸さんは、北棟、西、東棟の囚人の声を集めて、刑務所監視官に直訴しようとしていた。そのために自ら模範生になる必要があった。模範生になって、その中でも特待生になれば、年に一度開かれる、米下院議員のヨコスカプリズン現地訪問でのスピーチ役に選ばれる。そこで集めた俺たちの声、つまりは署名と嘆願書を渡すはずだったんだ」
滝川が口を挟む。
「そのために、獅子戸さんは英語まで勉強していた。俺含めこのムショには英語ができる連中が多い。英語の自助会、他言語の交流会や聖書読書会もある。獅子戸さんは全ての会に出て、一人一人の話に向き合っていた。彼は、ネルソン・マンデラや瀬長異亀次郎にも匹敵する人物だと、俺は心からそう思う」
私は、高校の世界史の授業を思い出した。ネルソン・マンデラは確か南アフリカの大統領で、イギリスのアパルトヘイト(人種隔離政策)に異を唱えた人だ。刑務所の中でも良き指導者だったと、世界史の先生が熱弁していた気がする。もう一人の、セナガ……亀、何とかは知らないので、あとで調べてみよう。
林の語りが熱くなってきた。
「獅子戸さんは、オアシスルームから出てきたばっかりだった。三ヶ月ぶりに出てきたんだ。確か獅子戸さんの五回目の入室だったと思う。俺たちは、獅子戸さんを尊敬していて、獅子戸さんに自分を重ねることで、人間である自分を保っていた。だから、シャワーを出た後、部屋に戻るふりをして、獅子戸さんの部屋の前を通った。獅子戸さんには近づけなかったが、獅子戸さんは俺たちを見て、頼もしい顔で大きく頷いた。言葉を交わさなくても分かる。俺たちは安心と勇気をもらったんだ」
蝶野刑事が尋ねる。
「オアシスルームってのは何だ」
林が答えた。
「特待の模範生で、野外奉公活動を終え、良い成績を残した人が入ることができる部屋だ。噂の限りだが、数ヶ月そこで本を読んだり、害のないテレビや映画を見たり、外部のボランティアと手紙で交流することができたりするらしい。実際に社会に出た後の健全な生活を体験する、まさに天国のような部屋だそうだ。飯もマジで美味いらしいぞ」
林が一息して、話を続けた。
「獅子戸さんはオアシスルームを出て、米下院議員のムショ訪問に備えていた。今回は米下院議員の中でも、ヒューマニストと名高いヘイリー・タカノが訪問予定だったからな。しかし、今回の事件でヘイリー議員の訪問は中止となった」
あまり口を挟まなかった滝川が、隣の林を見て、意を決したように話し始めた。
「殺されたんだよ、ムショの奴らに。あの鉄くずどもに。きっとどこかで計画がバレたんだ。それで急遽ヘイリー議員の訪日を止めるために、わざと事件を起こしたんだ。獅子戸さんの存在も邪魔になって、消したんだよ。一石二鳥だよ」
林は、滝川の顔を見つめて苦しそうにするだけで何も言わなかった。
ユースケが口を挟んだ。
「そのように考える根拠はあるのか」
滝川は苦しそうに口を噤んだ。代わりに林が答える。
「根拠はない。けれどもそう思わないとやっていけない。犯人を見つけて、真実を導き出すのは刑事さん方の仕事だろ」
「それはそうだな」ユースケが答えた。
「最後に獅子戸を見た時に変わった様子はなかったか。部屋の様子とか、獅子戸自身の行動とか、思い出せること何でもいい。そこまで慕っていたら、何か違和感とかはないのか」
蝶野刑事が、事情聴取に話を戻そうとした。
「獅子戸さんを見たのは一瞬だったからな。共用通路において囚人は真っ直ぐ顔をあげて、一定の速度で、背筋を伸ばして歩かなければいけない。俺たちは、顔を傾けないように、視線を出来るだけ横に向けて獅子戸さんを見ただけだ。それでも獅子戸さんの大きな存在を感じた。獅子戸さんの最後の姿を俺たちは一生忘れない。恐らくそれは同志みんな同じ思いのはずだ。獅子戸さんの房は、思いを同じくする囚人が、行動に制限があるなかでもよく拝みに来ていた。そんな時、獅子戸さんはいつも格子側に顔を向けて微笑んでたよ。俺は今でもその顔を覚えている」
林は一通り思いを吐露すると俯いてしまった。林も滝川も悲しげな顔をしたままであった。ユースケと蝶野刑事はいくつか関連の質問をした。そのうちに面会の制限時間になってしまい、フーコーが面会を終了するよう促した。
ユースケ、蝶野刑事と私の三人は、面談室を後にした。林と滝川は、警備ロボットに誘導されて、房に戻っていった。
ユースケと蝶野刑事は唸りながら、今得た情報を整理しようと試みた。
「どう思う、蝶野。俺はやはり自殺路線が濃厚かと思っている。社会革命の思想家や運動家のなかで自殺をして神格化されたやつもいる」
「だがその逆もあるぜ。リーダー格のやつは反発を買いやすい。運動家ならなおさらだ。それは運動の敵側からの恨みも買うが、身内から逆恨みされる場合もある。運動のやり方が気に食わないとか、手段が目的化するとか難癖をつけてくる奴も大勢いただろうな」
「ふむ、動機はいくつか考えられるところだな。まだ全てが繋がらない。物的証拠の検証も緻密にやる必要がある」
「そうだな、仕事はまだまだあるな」
「時間外勤務確定だな」
「バカ言え。出来高払いだ。ワカコには図書カードだな」
私は蝶野刑事のジョークを真に受けてしまった。
「図書カードなんて古い!」
「ピーポ君のイラスト入りだぜ」
「ますます古い!!」
ユースケは私たちのやり取りを微笑ましく聞いていた。私と蝶野刑事の掛け合いが一通り終わると、気を取り直したように言った。
「さあ、そろそろ次に行こう」




