四 死体現場
四
遺体が発見された場所は、南棟二階三〇七棟である。
刑務所の構造は円形で、中央に完全コンピュータ制御の監視室が設けられている。囚人は、網羅的に設置されている何千もの監視カメラ、サーモグラフィーチェック、個体識別タグによって個別にコンピュータ管理され、共同通路は高性能の最新軍事用ドローンによって二十四時間監視状態に置かれている。囚人の身体は、完全に国家に差し出されている状態なのだ。
私たちはフーコーの案内で事件現場に向かった。
私たちが南棟入口に近づく前に蝶野刑事が話しかけた。
「遺体は二時間前にすでに回収され、死体検案を行っている。そのうちに死体検案書と詳しい解剖の結果が送られてくるだろう」
ユースケが蝶野刑事に言った。
「ワカコには仏さんとの対面は早すぎるからな」
「それはそうだ。遺体のレポートを見たらぶったまげると思う」
フーコーも口を出てきた。
「私としては、未成年への教育観念上、国家機密上、社会一般倫理上、どの点からもワカコ氏の捜査への参加は正直なところ推奨できません。幸い、南棟は模範囚を収容している場所です。模範度では、南、東、北、西の順で並んでおりまして、南棟以外に近づかなければ理論上、絶対安全です。つまり、三〇七棟のみを捜査いただき、他の場所には絶対に近づかないでください。どこか移動したい場合は、私を通して中央局の許可申請をしてください」
「たく、細けえな」
蝶野刑事が毒つく。どうも蝶野刑事はフーコーとは一方的な犬猿の仲のようだ。私は、この先がおもいやられるな、とこっそりため息をついた。
私たちは事件現場である囚人部屋の前に到着した。ユースケ、蝶野刑事が先に部屋に入ろうとする。するとそこから三人の人物が出てきた。背の高いドチャクソイケメンの男性、私くらいの男の子とフーコーとよく似た別の案内ロボットだ。
「誰だ、お前たちは。誰の許可を得て、ここに来ている」
蝶野刑事が驚きからか、より大きな声でまくし立てた。
「貴方たちこそ、どちら様ですか。私達は任務中です」
ドチャクソイケメンの高身長男性は落ち着いた様子で答えた。男性にしてはよく通る凛とした声であった。髪は真っ直ぐな光沢のある黒髪を後ろにまとめ、アジア人と欧米人のハーフのようだった。目鼻も彫りが深い。全身に纏う雰囲気が、ギリシャ彫刻のような高貴さがあった。一言で表現すると、バチくそのスーパーロイヤルストレートフラッシュイケメンin ギャラクシーって感じだろうか。私は、米国のどこを探してもこんなグレートルッキングガイはいないのではないかと思う。
「任務中だぁ、あぁア!?」
対照的に蝶野刑事は湘南のおっさんヤンキーみたいになっていた。一方は美のシンボルのような男性、他方は湘南のおっさん。美というのは相対的なものなのだ、と私は悲しくなる。部屋の空気感も険悪になってきた。
場を納めようとロボットなのに空気を読んだフーコーが二人の間に割って入ってきた。
「申し訳ございません。蝶野様、笹川様。こちらは米国法務委員会防犯サイバー特別特殊部隊、公式AI探偵の...」
「ラルフです。私は、第五十六代米大統領ジョアンナ・ドミニコより命を受け、今回の事件を担当することとなりました。以後、お見知りおきを」
「AI探偵? てことは、お前は、人間じゃねぇってことか」
「その質問が、イエスかノーの二択を想定してのことであれば、答えはノー。失礼。日本語では、はい、と答えるべきでしたね。はい、私は母体から産道を通って生まれてきてはおりませんので、厳密には人間ではありません。人間の造形に近づけるために、人工臓器や人工皮膚を用い、脳と同じアルゴリズムを備えたプログラミングを持っておりますので、この世の存在の中ではかなり人間に近い存在ではありますが」
「つまりはロボットか。米国は遂に自立型ロボットにまで司法権を与えたのか」
ラルフの登場に驚いていたのは、蝶野刑事だけではなく、ユースケも同様のようだ。ユースケは、ラルフを好奇の目で真っ直ぐ見つめている。
ラルフがよくとおる声で続ける。
「私は自発的に思考し、かなりの独立性を持って行動しますが、最終的な動作制御はこちらのドクター・タカマツに委ねられています。私の生みの親です」
ラルフの後ろに隠れていた、私より少し背が低い男の子がちょこんと会釈した。彼も私と同じどこにでもいる、日本の中学生か高校生くらいの背格好だ。私たちを見ることなく、手元の小型PCパッドを操作している。猫背で下向きなので、前髪が顔にかかって表情が全く見えなかった。髪は少し茶髪で少し天然パーマのようだ。
「ドクター・タカマツと、言語コミュニケーションを取りたい場合は、私、ラルフを通してください。ドクターは、AI構築とプログラミングに彼の貴重な時間を割いています。ドクター・タカマツの頭脳はおしゃべりのためではなく、創造と未来のためにあるのです。彼の口は科学の発展の進歩のためにあるのです。つまり、会話は厳禁。くれぐれも彼の邪魔はしないでいただきたい」
「それは、もしかして、コミュ障なのでは?」私は思わず呟いてしまった。ドクター・タカマツはその言葉にビクついた様子だったが、すぐにラルフが訂正に入った。
「ドクター・タカマツは、マサチューセッツ工科大学の名誉教授です。史上最年少の十三歳で教授に就任し、今は米国法務委員会防犯サイバー特別特殊部隊の特命委員を担っています。米国の犯罪捜査の革命を一手に担う奇跡の存在です。まさにギフテッドの名にふさわしい。彼にとって、俗人との交流は最もいち早く切り捨てるものなのです」
「というふうに言えとプログラミングされているわけかい」
蝶野刑事はここでも喧嘩腰を隠さない。
「これ以上、この会話は無意味です。日本の警察も独自で捜査をするとは聞いておりました。私達は米国のミッションで動いています。刑事さんたちも、二〇七一年に両国が同意した、日米地位協定援用特別事項第十四条、司法権、捜査権、裁判権の譲渡はご存知でしょう、我々は我々の任務を遂行するのみです。さ、ベンジャミン。現場検証は終わりましたので、次の捜査現場に向かいましょう」
ベンジャミンと呼ばれたロボットは、フーコーと同様の案内ロボットだ。姿形は、かの大俳優ウィル・スミスにどことなく似ているな、とユースケが呟いていた。ここにはイケメンばかりが集うようだ。
「かしこまりました。ミスター・ラルフ。蝶野様、笹川様、もし私共に御用がございましたら、フーコーにその旨お伝えください。私たち案内ロボットは通信で繋がっておりますから。」
「米国はいつだって先取りだな」
蝶野刑事は悪態をつく。
「規制線が貼られていないだけマシだとお思いください」
ラルフが人間らしい嫌味を言って、こちらに背を向けた。後にドクター・タカマツ、ベンジャミンと続く。タカマツはこちらに会釈を数回して去っていった。
気を取り直して、私たちは事件現場の調査に入った。囚人部屋は、いわゆる牢獄そのものであった。プライベートはまるで確保されていない、動物の檻のようだ。人の手首さえも通らない格子状に巡った檻。簡易ベッドと水洗トイレが設置されているだけの簡素な空間。天井と壁はむき出しのコンクリートに覆われていた。私物を置くことは許されていないのだという。刑務と奉仕活動に服した後の休憩場所としての機能しか持ち合わせていなかった。
遺体があった場所に人体を形取ったロープが置かれ、血痕は黒く乾いていた。遺体は正面を共通通路向きにして、格子にもたれかかるようにして倒れていたらしい。膝から崩れおちていたようで、右腕だけを格子に挟んで上に持ち上げていたそうだ。私は遺体を見ずに済んで良かったと、心の底から安心した。血痕は小学校六年生から始まっている生理で見慣れているので、まだ何とかなる。
フーコーが説明する。
「こちらが遺体の発見された場所です。鑑識の方々が撮影した写真データを持っておりますので、笹川様と蝶野様のタブレットに転送いたします。また、被害者の基本情報もお送りいたしますね」
ユースケと、蝶野刑事が所有するタブレット端末にデータが送られた。蝶野刑事が情報を読み上げる。
「被害者は、獅子戸健介。三十七歳。罪状は、自殺幇助と死体遺棄。過去に何度も同じ罪で捕まっている。今回の量刑八年で、刑期六年目。ヨコスカプリズンにお世話になるのは、四回目ってことか。なんでも世の中の死にたい奴らを集めて、集団自殺を楽に行うグループのリーダーだったようだ。生きるのが辛いという奴らを集めて、解放の手伝いをするというのがタレコミだ。優しいんだか、何なのか。獅子戸の写真だけ見ると好青年に見えるけどな。体系も筋肉質で、目鼻立ちははっきりしている。短髪でスっとした印象がある。これはモテる顔だな。性格も温厚で、趣味は読書。三島由紀夫作品が一番好きだったらしい」
「三島由紀夫ってあの金閣寺燃やして、右翼だから自殺した人?」
ユースケが苦笑しながら私の質問に答える。
「『金閣寺』という小説で寺を燃やす人の話を書いた。まあ燃やしたようなもんか。そうだ、戦後すぐの日本で九条破棄と憲法改正を自衛隊に呼びかけて割腹自殺したんだ」
蝶野刑事が獅子戸の情報を付け加えていく。
「人望に厚く、他の囚人からもかなり慕われていたらしい。先にムショを出た人たちとも手紙でやり取りをしていて、人脈が広い人物だ。出所した人のその後まで心配して交流をしていたらしい。もちろん脱獄の計画や闇取引の準備とかではないことは、ヨコスカプリズンの監視局も把握済みだ。なんてったって手紙のやり取りはすべて監視されているからな。そのような後ろめたい情報は出てこない。人に恨まれるような経緯はねえな。こりゃ他殺ではなく自殺か―」
ユースケが画面を見ながら蝶野刑事に話しかける。
「先入観を持つなって過去にも言っただろ、蝶野。それにしてヨコスカプリズンで、獅子戸の模範ランクはAAA、最上級の模範囚が、遺体で発見されるなんて、報われないな」
二人は情報を元に現場検証を始めた。
「蝶野、画像と情報を整理して、争点をまとめよう。ワカコも助手として、これから俺たちが言うことをメモっとけ」
「はい、であります!」私は、未成年用のメモ型タブレットを取り出した。 いよいよ探偵インターンの始まりである。
「二〇八二年、四月十九日朝六時一〇分、獅子戸の房を訪ねた囚人が、彼が死んでいるのを発見。警備ドローンに通報。獅子戸の死因は刺殺による多量出血死。腹部に切れ込みを入れるように刺され、両手も大量に出血していた。凶器はサバイバルナイフ。格子に上半身を預けるようにして膝から崩れ落ち硬直していた。死亡推定時刻は、朝五時から六時の間だと思われている。獅子戸の腹をカッ捌くようにナイフは、右脇腹を一突きで突き刺し右から左へ動く限りに切られていた。どうもこのナイフ、歪んだ形をしているようだ。分解して再度構築したような跡がある。そして何故か獅子戸の口内からは喉内膜の切り傷と喀血の痕跡が見られた。これは死体検案時に詳細を調べるよう医者に言ってある。ナイフは肺に届いていないので、喀血の理由は他にあるはずだ。喀血は鮮やかな血色と黒々とした血色のものが混在しているようで、どうも引っかかる。既住歴に呼吸器疾患があるが、それが喀血と関連性があるかも含めて調べてもらっている」
「いー聞きたくない」私は震え上がった。この仕事、私には絶対向いていない。
私を無視して、ユースケは続ける。
「当時、囚人部屋の鍵はもちろんかかっていたよな」
「ああ。オートロック式で、コンピュータ制御されていた。何か異常を察して、中央制御室に認可されない限り、開かないようになっている」
「監視カメラは?」
「監視カメラは、獅子戸の囚人部屋に一台。共通通路に一台。これが奇妙なんだ。獅子戸の部屋のカメラは、部屋の奥右方に設置され、中から通路に向かって外を移すようになっていた。獅子戸は何故か夜中一時頃からカメラに背を向けるようにして格子のところに立っていた。夜通し彼は共通通路を見つめる形で格子側に立っていたんだ。そして朝方、死ぬ間際、警備ロボットの巡回時間に格子のほうに崩れ落ち、死亡が確認できた。通路側のカメラは、通路を縦に移すようになっている。獅子戸の格子は、画面右最奥に小さく映っており、かろうじて獅子戸が立っていることは分かるが、彼に何が起きたのかは残念ながらよく分からない」
「獅子戸が、何故か、夜通し立っていた……か。その夜に獅子戸の部屋の前を通った者はいたのか」
「人間が三人、巡回警備ロボットが複数回、警備ドローンが常にって感じだな。警備ドローンには残念ながらドライブレコーダーは搭載していなかったようだな。制圧用の麻酔小銃はついてるくせにな」
「ふん、どうせ第七次中東戦争の軍事用ドローンのお下がりか何かなんだろ、見た事ある形式だ。殺傷能力にだけは長けている。警備ロボットも、元々軍事用だ。制圧のための掃射ライフルが内蔵されているようだ。ヨコスカはアメリカ製武器の使い捨てお下がりの良い買い取り場だろ」
「なんとまあ。やばいところだな。しかし、よくこんな厳重な場所で、仏さんがあがったもんだ。他殺だとすると、自身も身捨て覚悟だろ。やはり自殺路線の調査が妥当か――」
「状況から推測するに自殺の路線で捜査していくのが妥当だろ。あまり先入観を持つのは良くないが、仮説がないと右往左往してしまう。まずは状況証拠と目撃証言を集めていこう。その部屋の前を通った囚人三人の個人データはあるか」
「ちょっと待て。データベースにアクセスしている。あった、一人目と二人目が、滝川・ジェームスと林・流聖多。彼らは、シャワータイムの最終組で、シャワーを浴び終えた後、深夜十三時十分に獅子戸の格子前を通っている。三人目は、道玄坂・巧。彼は、特別更生強化プログラム対象者だ。これは、囚人の中でも更生度合いが最も低い者たちのことらしい。落ちこぼれってやつだな。この更生強化プログラムは、更生度合いが高い模範生と組ませて、この落ちこぼれを矯正させる目的があった。道玄坂は、このプログラムで獅子戸とパートナーだった。彼は、毎日の慣習の一貫で朝六時に獅子戸への挨拶回りで一度彼の部屋を訪ねている。そこで獅子戸の死体を見つけたという流れだ」
ユースケはタブレットから目を離して、フーコーに言った。
「なるほど。そうすると、次にやることは関係者への聴取か。フーコーさん、まずは滝川氏と林氏への面会を調整していただけるかな」
「かしこまりました。彼らは更生訓練中のため、お時間を調整して参りましょう。お先に御三方を面会室へご案内いたします」
私たち三人は、フーコーの先導で事件現場を後にした。




