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私の愛する守護人は、天の月に恋してる

作者: 日室千種

ここは暗く寂しい底の国。

常に薄闇が漂う土地は痩せ、獣も人も常に飢え、かつて天の国と同じ祖から分たれたと言われる人々は、青白い肌をして擦り切れた着物を荒縄で結んで俯いて歩く。

獣は夜な夜な徘徊し、人の子を攫うこともあった。

過酷な土地だ。

非力な私は、鮎波(あゆなみ)が守ってくれなければ生きていけない。

鮎波(あゆなみ)にとっては、たまたま拾った哀れな命を惜しんで側に置いただけの縁だ。


鮎波(あゆなみ)は底の国の仮にも王の系譜らしい。この国に珍しい立派な体躯と、艶々とした長い黒髪を持つ青年だ。

有形無実の王家だが、彼自身は高潔な人だ。若者たちを束ねて獣から人を守り、罪なき人が生きるのを助け、底の国の進む道を憂う。真の指導者だ。

彼はたまたま拾った毛色の違う娘にも、寝床と着物を与え、悪夢に苦しむのを慰め、暗闇に怯えるのを抱きしめ、燐光を放つ花や魚を見せて励ました。

命を守るばかりではなく慈しんでくれる鮎波(あゆなみ)に、私はひたむきな恋をした。


けれど鮎波(あゆなみ)はいつしか、天の高みを目指すのだと、飛翔の修練にばかり明け暮れるようになった。


水底から見上げても煌かしい天の月は、女神の宮殿である。そこに座す女神は夜を支配する恐ろしくも美しいお方だ。

宮殿には女神を守る幾千もの女官と幾千もの武官がいるが、女神のそば近くに侍るのは守護武官のみ。

守護武官に選ばれるには、女神の威光に屈せず自力でその御許に到達することが条件と言われている。


女神に選ばれる栄誉は凄まじい。

守護武官はみな、生国によらず高き地位を約束される。

生まれ故郷の実りの薄さを、荒んだ人心を嘆く彼は、きっとこの底の国のため、女神の守護武官となりたいのだ。


水の層で幾たびも閉ざされた底の国の重力は、冷たく張り付いて、絡まりやすい。

月まで辿り着かんと高く、高く飛ぶも、鮎波(あゆなみ)は何度も引き摺り落とされた。

満身創痍になってもまだ上を見つめる彼は、女神の微笑が冷たいのを知らぬのだ。

一途に努力を重ねる青年が一人、志半ばで潰えたとしても、女神の睫毛すら動かないことを知らぬのだ。


「怪我どころか、命を失ってしまう。もう無茶はやめて」

止める声は届かず。

鮎波(あゆなみ)はいつも、私の想いには素知らぬ顔だったと突きつけられて。

私は、想いを実らせることを諦めた。




かわりに、木を育てよう。

光の恵みが弱い底の国では、木は周囲の命を吸う。

食べられる魚すら獲れない非力な私だが、命はひときわ濃い。

思う存分吸って育てや伸びよと、木を育てた。

高く、大きく。

彼を助ける梯子となれと。

けれども天はどこまでも高く、月ははるかに遠い。


唇がひび割れ、頬がこけてきた。

さすがに命が減ってしまった。

木は今やその先端の梢が薄闇に霞んで見えないほどになった。

けれど、これほどの大木を掛けても届かぬ月が憎らしい。憎らしいけれど、どうしても、憎みきれない。


「ああ、虹纏う月よ。

私を哀れと思うなら、どうぞ彼の願いを叶えて――」




『叶えましょう』

光が鳴るような声がした。

そして静かに、月が天から落ちてきた。

ゆららゆらと降りてきて大木の枝に宿った月は、まるで花が咲いたようだ。


驚く私の肩に、彼が温かな手を置いた。

「有難い、あの枝までなら飛翔ができる。

ようやく取ってやれる。

天から降ってきたお前が、泣いて恋しがった、七色の月の冠を」

彼は軽々と飛翔し、輝く月光冠を手に私に求婚した。




天の月に座す女神、私の母は、何ゆえ捨てた娘の祈りに応じたのか。

臆病で、偉大な母に比べられていつも縮こまり泣いてばかりで、ついには政争に巻き込まれて底の国へと追放された。

最後の顔合わせの時でさえ、冴え冴えとした面になんの感情も見えなかったのに。

天に半分残る月は、その輝きを減らしていた。それは確かに、私の祈りに応えてのことだ。ではそれは、母から私への想いなのだろうか。

同じ半分を胸に抱いた今ならわかる。

二つに割れた月は、時満ちればまた全き姿になり、幾度でも輝くだろう。


夫となった彼が、私だけを切なく見つめた。月を見つめていたよりも熱く。

「月を得たお前は、帰天も叶う。

はたまた女神に弓引くとしても、俺は付従おう。

俺はお前の、夫であり守護人だ。

決して、離れぬ」

鮎波(あゆなみ)

想い合う幸せに、私の月冠は暖かく輝き出した。

照らされた木が、眩しげにしながら枝を伸ばし、呼ばれたように集まった人々が、見たことのない明るい顔をして微笑んでいる。


今度こそ、自分で選び取るならば。

もう天には戻るまい。

私は鮎波(あゆなみ)の隣で、底の国を照らす小さな光となろう。


読みにきてくださってありがとうございます!

以前Xで、月の周りに虹が見える写真(月光冠と教えていただきました)にショートショートを添えて投稿していたのですが、今回はそれを加筆修正しました。


鮎って、記月魚とも書くんだなって。

和のお名前は考えるのがとても楽しいですね。


写真とショートショートはこちらから:

https://x.com/chiguhimu/status/1742182960223354888


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― 新着の感想 ―
底の国、という呼び名は初めて知りました。 揺蕩うような雰囲気に情感があり、穏やかな気分で拝読できました。
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