巨星墜つ
1572年10月、武田信玄は足利義昭の要請に応じ上洛戦を開始。遠江に入り、三方ヶ原で徳川家康に大打撃を追わせた後、三河入り。野田城を陥落させ、いよいよ美濃で待つ織田信長との一大決戦へ。……と思われた矢先。武田信玄の体調が悪化。武田信玄は
「構わず兵を進めよ。」
と命令を下すも、家臣は密かに甲斐への帰国を目指したのでありました。しかし……。
1573年4月12日、信濃駒場で武田信玄は逝去。辞世の句は
「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」
ここで上洛戦は終了。家臣はそれぞれの持ち場へと帰還する運びとなったのでありましたが……。
山県昌景「……。」
高坂昌信「山県殿。如何為された?」
山県昌景「いや。御館様の遺言を繰り返していた所である。」
馬場信春「『瀬田に旗を掲げよ。』
か?こうなってしまっては仕方が無い。今はその言葉を心にしまい……。」
山県昌景「いや、その事では無い。私が気にしているのは……。」
「3年間、私(武田信玄)の死を隠せ。」
山県昌景「である。御館様は、
『その3年を使い。武田の新たな態勢を整えよ。』
との意味合いであったと思われる。」
内藤昌豊「うむ。」
山県昌景「しかしその後継者である勝頼様に与えた権限は当主では無く……。」
陣代。
山県昌景「勝頼様はあくまで信勝様の繋ぎ。仮に3年経ったとしても信勝様はまだ10歳。勝頼様が引き続き武田を率いる事になる。しかし勝頼様の立場は陣代のまま。これでは家中を1つにまとめる事は出来ぬ。」
馬場信春「確かに。」
山県昌景「この事はまだ良い。この中で勝頼様の事を……。」
高坂昌信「蔑ろにしている者等居らぬ。」
内藤昌豊「高坂がそうなら問題無いな?」
高坂昌信「私がこれまで勝頼様に苦言を呈して来たのは、勝頼様の危うさを思っての事。」
山県昌景「危うさとは?」
高坂昌信「強過ぎる事である。」
馬場信春「悪い事では無いな?」
高坂昌信「これまで通りの侍大将であれば、それで良い。しかし勝頼様は御館様から指名された陣代。強引な用兵が命取りになる事を懸念し、きつく当たっていたのである。」
内藤昌豊「……と言う事は、此度。御館様が勝頼様へ与えた処遇について?」
高坂昌信「異論はありません。」
山県昌景「それを聞いて安心した。」
馬場信春「4人の意見は一致したようだな。」
高坂昌信「と言われますと?」
内藤昌豊「今回、御館様は信勝様を後継者に指名された。この事自体に問題は無い。しかし今、指揮を執るのは勝頼様。このままにしておくわけにはいきません。」