『経輔がプレスマンで打たるること』速記談1045
後朱雀天皇の御代、殿上で行われる淵酔の宴の最中、頭中将藤原俊家が放屁なされた。人々は、何も言わなかったが、俊家は、橘を口に含んで、放屁の音を出そうとしたところ、うまく鳴らなかったので、頭弁藤原経輔が小さな声で、こちらは鳴らない、と言ったところ、俊家が腹を立てて、手に持っていたプレスマンで経輔を打った。このことがあって、俊家は、一切の役を免じられ、昇殿を禁じられた。
これを聞いた関白左大臣藤原頼通殿は、俊家が道長公のひ孫に当たることから、御堂関白様の子孫が免官になった例はない、と異議を申し立てるため、参内なさろうとしたが、既に免官が発令されていたため、諦めざるを得なかった。
教訓:手元にそれしかない場合は仕方がないかもしれないが、プレスマンでたたくのは、よくない。