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ー7-

「泣くほど旨えか?」


 男の言葉に銀次はハッとした。

 気が付けば泣きながらも、夢中で目の前の飯を食っていた。

 いつも腹を空かせ、空腹かどうかも分からなくっていたが、今は満腹だとハッキリわかった。

 男の問いに黙って頷くと、「そりゃあ、良かった。俺の作った飯が口にあって良かったよ」そう言い、ほほ笑みながら銀次を見つめる。

 煮つけの汁も飲み干した銀次の皿を、満足そうに見ながら男は銀次に問いかける。


「おめえ、帰る場所はあるんか?」

「……、大橋の下が俺の寝ぐらだ」

「そうか、そこがおめえの寝ぐらか。そこに大事なもんはあるんか?」

「盗まれるから、あそこには何も置いてねえ」

「そうか、そうか。おめえ、以外に頭が良いな。なら、こうしよう。

 これから、おめえは俺の子分だ。ここで寝泊まりして、俺の手伝いをしろ」

「ここで? 手伝いって、なにを? おれ、何もできねえよ」

「仕事はこれから覚えればいい。だが、おめえの手は奇跡に近いもんがある。

 おめえの財布を抜く手つきは並みじゃねえ。あれは天性のもんだ。

 その手先の器用さがあれば、どんなことでも出来るはずだ」


「親父! こいつはまだガキですぜ? しかも小生意気とくる。皆がなんて言うか?」

「小生意気なのは、おめえらだって最初はそうだったろうが。それくれえじゃなきゃ、やってけねえよ。それに、この手先を仕込んで行けば、どんな穴も開けられるはずだ。そうすりゃあ、俺らも大分楽できるってもんだ」

「それは、まあ……」

「俺の決めたことに歯向かうヤツは面と向かって言ってくりゃあいい。

 なあ、そうだろう?」


 男の顔は口角を上げ、一見穏やかそうに見える。だが、その瞳の奥に笑みはひとかけらもなく、向かいに座る銀次の背を何かがつたうほどのものだった。

 凄んでいるわけでもない男の圧に、周りの男達はたじろぎ始めた。


「坊主、大丈夫だ。今日からおめえは俺の子分だからな。もう心配はいらねえ。これからは飯の心配も、寝床の不安もいらん。ここがおめえの家だ」


 男の言葉を素直に信じることは出来なかった。子供ながらに死と隣合わせの暮らしだったのだ、それも仕方のないことだろう。


「そうだ。おめえの名を決めにゃならんな。誰が付けたきゃわからん意味のない名前なんぞ、捨ててしまえ。そうだなあ、何がいいかな?」


 男は腕を組み、目を瞑って考えていた。そして閃いたように目を開くと、


「今日からおめえの名は銀次だ。いいな? 銀次」


 銀次に名が付いた瞬間だった。

 そうして男は銀次の頭をくしゃりとなでると、「次は風呂だな。さすがにくせえぞ」そう言ってワハハと、豪快に笑うのだった。


「今日からここにいるもんはみんな、兄だと思え。そして俺は今日からおめえの親父だ。いいか?」


 突然の親子宣言だった。あまりにも突飛過ぎて銀次の頭がついて行かない。


「おめえの死んだ本当の親はなあ、もうなんもしてくれねえ。

 おめえに腹いっぱい飯を食わしてやることも、雨風をしのぐ寝床を用意してやることも出来ねえ。おめえが死ぬ恐怖と闘いながら生きていることも知らずに、あの世で呑気に過ごしてるさ。

 だが、俺は違う。俺はおめえに生きる標を与えてやることが出来る。独り立ちできるまで、おめえをちゃんと世話してやれるんだ。

 それでも本当の親に義理を果たしてえ気持ちがあるなら、このまま去るのも有りだ。おめえが決めたんなら、俺は止めねえよ。

 さあ。どうする?」


 銀次には与市の言葉の意味を半分も理解できていなかった。

 それでも飯が食えて、橋の下で凍えて眠る必要がないことは、子供の銀次にとってはうますぎる話しだった。

 嫌ならまた逃げ出せばいい。それくらいのつもりでいたのだ。


 この日から銀次は何も知らぬまま闇の世界に足を踏み入れることになった。

 親父と呼ぶ男の元で、善悪の判断も出来ぬままに。

 

 銀次の人生で大きな転換期であった。





 銀次を拾った与市は盗賊の頭だった。

 上方から下り、江戸の町に着いた頃には名の売れた盗賊になっていた。

 上方ではおかめの面を付けて寝込みを襲う押し込み強盗を得意とし、『おかめ盗賊』と呼ばれていた。

 だがこのおかめ盗賊たちは、金は盗んでも命は取らないことから、庶民の間では評判は決して悪くは無かったのだった。

 狙うは大店のみ。小店で細々と商いをしているものには手を出さない。

 それは貧富の差を嫉む者からしたら、小気味よいものだったのだろう。おかめ盗賊が押し入った翌日の瓦版は、飛ぶように売れていたという。

 


 銀次は子供の頃に与市に拾われ、善悪の判断もつかぬままに盗賊の片棒を担がされた。その手に悪事を教え込まされ、与市たちに必要だとされる喜びすらも感じながら、その身を自身の手で汚し続けていった。

 幼い頃に親を亡くし、たらい回しにされながら疎まれた日々を過ごした幼子は、事の良し悪しを教えられることも無く生きるしかなかった。

 逃げ方すらも知らずに生き続ける日々は、生き地獄だったのかもしれない。

 そんな時、与市に拾われ導かれたことは、むしろ銀次にとっては命拾いだったのだろう。手先の器用さを武器に、教えられることを貪欲に吸収し、銀次はいつしか与市の信頼を得ることになる。

 与市の下には何人かの仲間がいた。権八を筆頭に、太一、長松、銀次に弥吉、そして北に行った七之助。

 死んだ者もいた。逃げる者もいた。だが、逃げ消えることを許さない連中は、どこまでも後を追い、口を封じてきた。


 それぞれが日中は仕事を持ち、町人として生活を続ける。その中で次の目星をつけるため、情報を集めていく。

庭師として邸の中に入り込み家の中を観察したり、店の女中と良い仲になり中の事を聞き出したりと、そうやって目星をつけていく。

 銀次は早くに髪結いに弟子入りをし、手に職を付けていった。

 手先の器用な銀次はすぐに、剃刀を持たせてもらえるまでになっていた。

 髪結い所には客が集まる。金のない貧しい者と違い、身分の高い者は身なりも整えないといけない。頻繁に足を運び、金を落としていく。そして会話の中からポツリ、ポツリと口を開き旨い話を聞かせてくれるのだ。

 まだ見習いとはいえ、親方のそばで雑用をする銀次の耳にも上手い話は飛び込んでくる。どんな話も持ち帰り、それを皆で吟味するのだった。



 そして、あの夜だった。


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