ー32-
与市の朝飯を平らげた源助は、出された茶を飲み一息ついていた。
落ち着き冷静になってみれば、やはり聞かないわけには行かない。
何故ここに連れて来られたのか? そして、あそこにいる死体は誰なのかを。
そんな源助の心の声が聞こえたのだろうか。口火を切ったのは与市だった。
「朝早くから付き合わせちまって、すいやせんでしたねえ。
今日、旦那に来てもらったのは、この俺をしょっ引いてもらいてえなと思いましてね。その相談なんですわ」
与市の口から出た言葉は、源助が想定していなかったことだった。
いくつか考えた。まずは、見逃して欲しいと。
他には銀次たち子分は関係が無い、責任は自分独りで負い死んで詫びる。
目の前に金を積んで見なかったことにしてもらう。
そして、口封じに源助の命を狙う、などだった。
それなのに、まさか自首を言い出すとは思いもしなかった。
「いや、しょっ引くも何も。俺はもう十手持ちの岡っ引きじゃねえ。そんな権限はねえよ。それに、あそこで横になってるのは一体誰だい?」
「ああ、なるほど。そうですかい。こりゃあまいったな。
旦那に頼めねえとなると、どなたかいませんかね? おかめ盗賊を覚えてる役人さんを」
それを聞いて源助の頭に真っ先に浮かんだのは、高木同心だった。
だが、もう年を重ね引退をしているはずだ。どうしたものかと考えていたら。
「それと、あそこに寝てるのは、今巷を騒がせてる黒狼の頭です。
そして、あいつの息の根を止めたのが俺です。俺が親の責任で終らせたんです」
与市の声には寂しさと、安心したような落ち着きのある声だった。
だが、どうしたことか。まるで世間話でもするように落ち着き払ったその態度、声色。どれ一つ取っても理解が出来ない。
「あんたが? ひとりで?」
源助の問いにこくりと頷いた与市は、今までの経緯を話し始めるのだった。
「そうかい。こいつが妹の鈴を……」
「へえ。直接手にかけたのは太一だ。だが、盗賊の頭としてあいつを人殺しにしちまった責任は俺にある。物は盗んでも人の命だけは取っちゃならんと、それだけを言い聞かせてたんだが。
あいつも悩んだことだろうさ。そこで悔いてくれりゃあ良かったんだが。
どう転んだんだか、一人殺すも二人殺すも同じだって錯覚しちまったのかもしれねえ。それとも俺に憧れたのか? 黒狼なんて賊を作っちまって、子分を使うことに酔っちまったんだろうな。それもこれも、全て俺の責任だ」
「それで、お上に? だが、今しょっ引かれたら命は無い。磔獄門だぞ。いいのか?」
「いいも何も、それだけのことをしてきたんだ。覚悟は出来てるさ。
今更、逃げも隠れもしねえよ。どうせ生い先短けえ命だ、俺が全部背負ってあの世へ行くさ。それで罪を許してもらえるんなら、こんなありがてえことはない」
やはりそうか。と、源助はため息を漏らす。
自分が責任を取る代わりに、他の者を逃がしてくれと言うのかと。
「で? 他の奴らはどうする? おめえの命と引き換えに逃がしてくれってか?」
源助の問いに与市は首を振って答えた。
「いいや、それは俺の知ったこっちゃねえよ。
俺は死ぬが、その先は自分で考えればいい。どうせあんたはお上に垂れ込むんだろう? そうしなきゃ死んだ妹さんも、浮かばれねえもんな。
だから、あいつらのこの先は自分で考えればいい。
死ぬのが惜しけりゃ、今までみてえに逃げ続ければいい。
悔いて生き続けるんなら、罪を償えばいい。そうだろう?」
目の見えない与市の視線が源助の瞳を見つめる。
そこに居るのはただの飯屋の老主人ではない。かつて世を賑わせた、おかめ盗賊の頭の顔があった。
そしてその言葉の奥には「あんたなら上手い事やってくれるんじゃねえのか?」と、問われているようだった。
「おめえなら、俺の思いを理解してくれるだろう?」と、そう言われているような気にもなる。
「わかったよ。この町じゃあ奉行所がねえ。いっそ宮浦に戻ってお上に行った方がいい。あそこなら俺の雇い主がいる。もうとっくに引退はしてるだろうが、なんとかなるさ」
「そう言ってくれると思っとりやした。ありがとうさんで。恩に着ます」
与市は源助に向かい、深々と頭を下げた。
与市の心根を知った源助は、逃げることは無いと確信すると、一旦宿屋に戻り銀次と鈴に会う事にした。
そして、一緒に宮浦に戻らないかと声をかけた。
「俺は与市を連れて宮浦に戻る。話しだと、他の連中も宮浦にいるんだろう?
本人たっての希望で早々にこの町を発つつもりだ。だが、鈴さんはもう少し休んだ方がいい。そこそこの長旅になる。道中気をつけて来るんだぜ」
俺も一緒に行く。と言う銀次の言葉を、鈴のためにと思い留まらせた。
この二人は逃げない。そう信じてのことだった。
与市が滝見里を発つ日、銀次は一人、見送りに姿を見せた。
源助から話しは聞いた。だが、与市本人の口から聞いたわけではない。納得のいかないこともある。それでも親父の思いを無下にはできない。
「親父。道中気をつけて。俺も妹を連れてすぐに向かいます」
「銀次、わざわざすまなかったな。急くことはねえ、ゆっくりで良い。どうせしばらくは牢屋暮らしだ。次に会うのは俺の磔の場だろうからな。
……、これが今生の別れだ。妹を大事に、しっかり生きろ。
おめえなら大丈夫だ。幸せになるんだぜ」
与市の見えない目は、しっかりと銀次を捉え離さない。
手を伸ばし銀次の頭を撫でつける。まるで親が子の頭を撫でるように。
泣くまいとの思いとは裏腹に、銀次の顔は涙で濡れていた。
頭に置かれた与市の手を握り、自分の心臓にあてる。
「親父、ありがとう。幸せになります。お世話になりました」
握りしめた与市の手は、暖かく、そして小さい。
拾われた頃は大きく、力強かったのに。
誰にも、何にも負けぬと思っていたあの頃の手は、小さくしわくちゃの手になってしまっていた。
銀次は、この手を、この手の温もりを生涯忘れまいと誓う。
「じゃあな。達者でいろよ」
そう言い、笑って与市は旅立って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで、銀次は立ち尽くしていた。