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「それじゃ、行ってくる。鈴も気をつけてな」
銀次はいつものように仕事場である湯屋へと向かった。
「お兄ちゃんも気をつけてね。いってらっしゃい」
そんな兄の背を見送りながら、鈴もまた後片付けをした後、仕事場である古着屋へと向かうのだった。
昨日の雨風が嘘のように晴れ渡った空を見上げ、いつも通りに出来たと二人の中で安堵の気持ちが広がっていった。
鈴がいつものように古着屋で店番をしながら繕い物をしていると、夕方近くに源助が顔を見せた。
「あ、いらっしゃいませ。お直しの品、もう少しで出来そうなんです。明日中には出来上がると思います」
「ああ、いや。そんなに急がないで大丈夫ですから、ゆっくりでいいですよ。
俺も、もう少しこの町でゆっくりしたいと思ってたんでね」
源助は笑って答えた。
「そろそろ終いの時間じゃねえかと思って寄ってみたんですが」
「え? はい、そろそろ店じまいの頃で……」
「少しばかり話が出来ればなと思ったんですが。帰りながらでも、どうです?」
「はい。もう少ししたら旦那さんに頼みますので、それでよければ」
「ええ、でえじょうぶです。じゃあ、店の外で待ってますから」
源助はそう言い残し、暖簾をくぐると店の外へと出て行った。
鈴は何の話だろうと思いながら「はっ」と思い出す。昨日、関わりになるなと銀次に言われていたことを……。
鈴にとっては気の良いおじさんにしか思えないその人は、銀次が心配するような存在にはどうしても思えなかった。
話をするだけだと言っていた。家への道すがらなら人目もある。
大丈夫。心配はいらないと思い、源助と帰ることにするのだった。
「突然、すいやせんね」
「いえ、大丈夫ですよ。歩きながらで良いんですよね?」
「はい、家に着くまでの用心棒だとでも思ってください」
用心棒の言葉に鈴は思わず笑った。
「用心棒って、もっと若い人がやるものだと思ってました」
「ははは。まあ、普通はそうですね。でも、岡っ引きもやってましたから、これでも腕っぷしは中々なんですよ」
楽しそうに会話が弾む。『ほら、やっぱり大丈夫じゃない。岡っ引きまでやった人だもん。心配いらないのに』と、鈴は心の中で呟いた。
「鈴さん、ちょいとお聞きしてえことがあるんです」
「聞きたいこと?」
「へえ。いやなに、大したことじゃないです。まだ幼かったあんたには覚えてないこともあるはずですし、わかることだけで大丈夫なんで」
源助は真剣な顔つきで話し出す。歩調は自然と並び歩く鈴の歩調に合わさり、ゆっくりになっていく。
「実はね、俺は人探しの旅を続けてるんでさあ。もう十年以上になる。
その間、何の手がかりもないままに、西に東にと歩き、北へも行ったが結局何の実りも得られんかった。いくつかそれなりの情報を得た物もあるんですがね、どれもこれも遅すぎたものか、偽物だった」
「大変でしたね。まだ人探しの旅を?」
「いや、もうここらで終わりにしようかと思ってるんです。綿原で鈴さんに会ったことで、妹の鈴が会わせてくれたんじゃないかって思ってね。
もう、いいよって。そう言ってるような気がしてねえ」
「……、誰を捜してるんですか?」
「妹を殺した下手人です」
「え?」
思わず鈴は息を呑み、言葉を無くした。
その後、道すがら源助は妹、鈴のことを話して聞かせた。
血が繋がらない、歳の離れた妹。不出来な自分に比べ、良く出来た妹。
奉公先で可愛がってもらえていたようで、安心していた矢先のことだったこと。そして、おかめ盗賊の話をして聞かせた。
「鈴さんは子供だったからわからないと思いますが、あの当時おかめ盗賊と名乗る奴らは名を売っていたんです。
『金は盗っても、命は取らず』ってね。瓦版にそう書かれてからは特に町人たちに人気が出てしまった。だからってわけじゃねえでしょうが、中々尻尾を掴めなくてねえ。ほんの些細な事でも、みんな口を割ろうとしない。
困ったもんでしたよ」
苦笑いを浮かべながら思い出したように話す源助を横目で見ながら、鈴は黙って話を聞いていた。
血の繋がりのない妹を大事に思っている姿は、兄の銀次に重なる。
岡っ引きを止めてまで犯人捜しをするあたり、妹を大事にしているのがわかる。そして、なぜだろう? 全てが銀次に繋がってしまうのだった。
「妹はね、とある大店に奉公に出てました。兄の俺に内緒で勝手に仕事を決めて来て、そりゃあ喧嘩しましたよ。まだ早いって、反対だったんでね。
でもまあ、奉公先でうまくいってるようだったし、安心してたんです。
そこの娘さんの子守相手を任されていたようで、使いの帰りに番屋に二人で顔を覗かせに来たこともあるんです。
そうだなあ、四、五歳くらいの可愛らしいお嬢さんでした。
良い仲の相手もいたみたいでね、あんなことさえなかったら、今頃は所帯を持って子もいたんだろうと思うとね、どうにかしてやれんかったんだろうかと。そう思うんですよ」
源助の話をただ黙って聞いていた鈴の奥深い部分が、波をたてるように騒ぎ出すのだった。
「妹、鈴と俺は血が繋がってねえんです。それでも俺は本当の妹だと思って育ててきたんですよ。だから、鈴さんのお兄さんの気持ちもよくわかりやす。
心配する気持ちも、すごくよくわかるんです」
鈴は思わず足を止め、源助を見つめた。
「え?」
驚いたような顔をする鈴に、源助はゆっくりと歩き出し答え始めた。
「鈴さんとお兄さんは、血が繋がってねえんでしょう?」
「な、なんで? 誰かに……?」
「いえ、誰にも聞いてません。ここに来てまだ知り合いもいねえ俺に、そんなこと小耳に入れてくれる相手もいませんや。
血を分けた人間ってのは、どっかしら似てるもんですよ。顔は似てなくても特徴とか、なんて言うか雰囲気みてえなもんとか。
でも、二人はなんも似てねえ。これはもう、岡っ引きをやってたもんの勘とでもいうんでしょうかね。
あ、別にそれをどうとか言うつもりはありませんよ。おれだって妹と血が繋がってねえんだから。他人様のこと言える義理じゃねえ」
思った以上に驚いている鈴に、銀次は気を遣い声をかけた。
血の繋がりが無いことを知らない風ではないが、他人がそれに気が付いていないと思っている感じがした。
夫婦と言うには歳が離れているが、それでも決してないわけじゃない。兄妹などという話を信じない者も多いのではないかと思ったが、どうやらそれは自分の杞憂だったようだと考え直した。
「鈴さん、あんたは自分の親のこと覚えてますか? 自分の家族や、住んでいた家のこと、おかれた環境のこと。
いくら子供って言ったって、薄らぼんやりとでも何かしら覚えてるもんじゃねえですかね。と、俺は思いやすよ」
鈴は夢に見る悪夢の事を思い出していた。
それと同時に、どこか心が温かくなるような優しい人たちのこと。
住んだことのないはずの大きな屋敷のこと。
夢だと思っていたことが、実は違っていたら?
それは夢では無く、本当のことだとしたら?
「お、お客さんは何が言いたいんですか? 私とお兄ちゃんに血の繋がりがなくたって、ちゃんとうまくやってます。
他人様に心配してもらわなくても、ちゃんと。ちゃんとやってるんです」
口にした言葉は棘を含み、声色も怒気を帯びていた。
しかし、それを訂正しようとは思わない。何も知らない、わずかばかり接点のある男にいわれる筋合いなどないのだから。
「気を悪くしたことは誤ります。でも、これだけは聞いてください。
鈴さん。あんたの兄さんは、本当に信じられる人間ですかい?」