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「昔いた、おかめ盗賊を覚えとりますか?
妹は、そいつらに切られたんです。喉元をね……。
結局、お上は犯人の特定はできんかったんですがね、でも状況がそれしか考えられなかった。
あ、妹は住み込みの女中として奉公に出てまして、その先でのことでした。
あの晩はひどい雨風で、まるで嵐みたいだった。俺は泊り晩で番屋にいたんですがね。
ああ、申し遅れました。俺は源助と言います。実はあの町で岡っ引きをしてたんですわ。でも、妹の死をきっかけに辞めて、今じゃこうして犯人捜しの旅をしてまして。ほんと、人生どうなるかなんてわからんもんです」
銀次は髪結いとしての癖で、知らずに手先が自然と動いていた。
呼吸が浅くなっていくのがわかる。指先が冷たい。緊張で喉の渇きも覚えるが、それよりも頭がやけに冷えているような気がしてきた。
背中につたう汗は、いつもの暑さからくるものでは無いとわかっている。
大丈夫、気が付いてはいないはずと願いながら。
「あの晩、どこにいやしたか?」
「え?」
源助の言葉に思わず銀次は手を止めてしまった。
こんな短い会話で疑われたのだろうか?と、ゴクリと唾を飲み込み、額から一筋の汗が流れた。
「ああ、すいやせん。言い方が悪かったですね。いえね、あの頃の事で何か覚えてねえかと思いまして。会う人、会う人、みんなに聞いてるんです。
家ん中に居ても、外で何か物音がしなかったかとか。朝方にでも人の出入りを見なかったかとか。どんな些細なことでもいいんですが、何か覚えてませんか?」
「ああ、いやぁ。ちょうどおかめ盗賊で騒がしかった頃、うちの妹が熱を出してまして。それでずっと付きっ切りで看病してたもんですから、なんにもわからんです。すいやせん」
「ああ、そうでしたか。あの頃だと妹さんはまだ幼かったはずですもんね。子供はよく熱を出すから。俺の妹の鈴も子供の頃はよく熱をだして……」
源助は湧き上がってくる思い出を語り続けた。
同郷とも呼べる人間であり、置かれた立場が偶然にも似ている。そんな存在を前に、押さえていたものが溢れだしたのかもしれない。
止めどなく口をついて出てくる言葉に、自分で笑ったりしながら話し続ける。
銀次はそれを聞いていながら、頭の中で処理出来ずにいた。
それでも無意識に手は動いている。
「旦那? だんな?」
源助の声がした。どうやら意識を飛ばしていたらしいことに気が付き、慌てて返事を返した。
「あ、すいやせん。こっちに気を取られちまってました。
さ、出来ました。こんなもんでいかがでしょう?」
銀次は手鏡を源助に持たせると、もう一つの鏡を持ち、合わせ鏡にして後ろ頭も映して見せた。
「いやあ、いい。すっきりして気持ちがいいや。その若さで大した腕だ。
どうもありがとうございます」
髷を触ったり、襟足に手を伸ばしたりして、久しぶりの髪結いの出来を堪能しているようだった。
懐から巾着を出し金子を支払うと、「この巾着もね、鈴さんから買ったんです。針仕事の腕も立派だ」そう言って顔をほころばせていた。
孫と言ってもおかしくないような年齢の男だ、純粋に鈴を妹の代わりに思い可愛がっているのだろうと理解はできるが、何か腹立たしいものを感じていた。
「そういや、髪結いはずっと? 宮浦でも髪結いを?」
「へえ、宮浦で髪結いの弟子についてそれからずっとです。
……、それがなにか?」
「え? いや、若いのに大した腕だって思いやしてね。そうですか、じゃあ髪結い歴も随分と長いんですね。そりゃあ上達もするってもだ」
そう言って源助は笑った。
無駄なことは言っていない。言っちゃいけないと、少し冷静を取り戻した銀次は頭の中で繰り返していた。
「着物の直しが終わるまではこの町にいるつもりですから、町中で見かけたときは声でもかけてくだせえ。じゃあ」
「へい。ありがとうございました」
源助が湯屋を出ていくと、銀次は力が抜けたようにその場に座り込んだ。
しばらくこの町にいると言っていたが、偶然にも会ったときには見て見ないふりをしようと思った。
自分たちがおかめ盗賊だったとばれる前になんとか逃げ出したいが、親父をおいていくわけにはいかない。鈴もいる。
随分と鈴に肩入れしている源助と、なついている様子の鈴のことを考えるとどうしたものかと考えてしまう。
親父に相談してもきっと、じっとしていろと言われるのだろうと思い、今日のところはまっすぐ家に帰ることにした。
そして、鈴には深く関わるなと忠告しようと思うのだった。
「どういうこと? おじさんに関わるなって、私なにかいけないことした?」
夕飯を食いながら昼間のことを話し、源助には深く関わるなと忠告したらこの有様だ。いつもは聞き分けの良い、従順な妹だったのに。
ほんの短い間に鈴は源助になつき、心を許してしまっている。
「おめえはあの人の妹さんと同じ名だってことで親近感を持ってるかもしれねえが、それも嘘かもしれねえ。宮浦の出だってことも、本当かどうかもわかんねえんだ。そんな簡単に人を信じるんじゃねえ」
「そ、そんなことない。あのおじさんはきっと良い人よ。お兄ちゃんも会えばわかるわ」
「……、会ったよ。今日、湯屋に来たんだ。おめえが俺のことを話したんだってな。あの人の髪を結った」
「なら! なら、わかったでしょう? 悪い人じゃないって」
銀次は箸を置いて鈴に向き合った。真正面から真剣なまなざしで訴える。
「鈴。これは兄ちゃんからの頼みだ。もう、あの人と関わらんでくれ。
得体が知れない男を、お前に近づけたくはないんだ。頼む」
あぐらをかいた膝の上に両手を置き、銀次は鈴に頭を下げた。
真剣な顔つきでこんな風に頼みごとをする兄を見たことのない鈴は、驚きのあまり言葉を無くしてしまった。
二人の間に無言の時間が流れ、息を吸うのも忘れるほどに張り詰めた空気が漂っていた。
頭を下げ続ける銀次を見て、先に声をかけたのは鈴の方だった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい。もうやめて。ごめんなさい」
ちゃぶ台越しに向かい合い、鈴は銀次の姿を見てはらはらと涙をこぼしていた。なぜ涙が出たのかはわかっている。
怖かったのだ。
真剣に頭を下げる銀次が、自分が知っているその人ではない気がして。
血が繋がらなくても兄として、兄と思い暮らしてきたその人ではない感覚が怖かったのだ。
まるで知らない別の人のようで。ただただ、怖かった。
「鈴、すまねえ。おめえを泣かした兄ちゃんを許してくれ」
鈴の元まで来た銀次は、その頭を撫でた。そして肩を叩き、背をさする。
泣きじゃくる妹を抱きしめなだめたのは、もうどれくらい前だろうか。
年頃になった鈴を、銀次は抱きしめてやることが出来ずにいたのだ。
血が通わぬ兄弟だと、考えないようにしていてもどこかで思いだしてしまう。
忘れることなど出来はしないのだと、わかっていたことなのだ。
その晩、久しぶりに雨が降り出した……。