だいじょうぶ わかってた
本当はわかってた。
自分が何をしてほしかったのか
ただ純粋に認められたかっただけ。自分がしていることがすごいことだと。頑張ったんだと
子供に言い聞かせるすごいね、じゃなくて純粋によくできましたってほめられたかっただけ。
よく、母は言う。これ、すごいの?とか、え、これ、大丈夫なの?とかまあ、いいんじゃないとか。
よくわかってる。私の成績とか、実績とかすごいのか基準がわからないからそう言うだけ。
そのあと褒められる言葉に含まれているのは、よくわからないなとかあいまいな気持ち。
本当にすごいかわからないけど、とりあえず空気に乗ってほめる感じ。
わかってる。私も多分そうなる。知ってる。だから、大丈夫。
でも、本当は、純粋に驚いてすごいねってほめてほしい。
わかってる。それが、できるのって多分すごい難しいことなんだろうな。自分の子供が、自分より賢くて、自分ができないこともできちゃう。自分は老いていくのに、成長していく。そんな感覚に陥って、うらやましくて、妬ましくて、茶化すけどやっぱり、ずるいって思っちゃう。自分は後悔ばかりの人生で、目の前にやり直せる、まだ、未来のある子供がいる。
きっと、自分の老いを認めるのはすごいつらい。
でも、子供が、一番自分の成長を見てほしくて、認められたいのは結局自分の両親。
寂しいね。
泣きたいよね。
でも、これもきっと私だけの話。
よそはよそ。うちはうち。
つらいのも風見たいもの。
風は、いつもどこかで吹いているのに、常には存在してなくて、気づかなくて
時々ふと、風が吹いているって気づくでしょ?
気づくのはふと気が向いた時だけ。時々。だから、ね。
追記
続けるって難しいな。今までのんびりぼーっとして、すべてまかせっきりだったからかな。
なんか申し訳ないな。自分に。周りの人に。
今度、生まれてくるときは、人様に迷惑かけない優しい人になりたいな。