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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
6章 再びここへ帰る

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77話 天網恢恢

「こんなことになるなんて…」


ガナラクイが目の前の出来事を見て力なく呟く。


「最悪な光景だな」


 トゥサイが横でガナラクイの言葉に返答する。トゥサイ、トセーニャ、ガナラクイ、フローレスの四人は今、スタルキュラに潜入し首都であるベムハヘノルに来ていた。その目的はカイザンヌを直接叩くことにあった。

 首尾よく潜入することが出来たトゥサイたちを待ち構えていたのは目を塞ぎたくなるような現実だった。反カイザンヌ派の処刑だ。スタルキュラ各地で処刑は行われ処刑された人数は総勢100万人を超えると思われた。


「トゥサイ、私たちは間に合わなかったのだな」


 フローレスがトゥサイに向けて話す。トゥサイたちがスタルキュラに潜入したときには既にカイザンヌによる大虐殺が行われてしまっていた。罪のない人たちが処刑されている現実はトゥサイたちの心を確かに蝕んでいた。

 そしてトゥサイたちの目の前で今、処刑が行われるところだった。見せしめの意味もあるのだろう。処刑は広間にて行われようとしている。


「今から暴動でも起こして助けましょう! まだ間に合います!」


ガナラクイは必死にトゥサイに懇願した。


「ガナラクイ。お前の言いたいこともお前の気持ちも良くわかる」


トゥサイはガナラクイの肩に手を置いた。


「だが、今俺たちが動いて何になる。目の前の人たちを必ず救える保障さえないんだ」


「それは…」


ガナラクイはトゥサイの言葉に口ごもる。


「それでも助けられる可能性はあります!」


「そうだ。仮に助けられたとしよう。その後どうする」


「え、それはもちろん、カイザンヌを叩きます」


「そう。俺たちの当初の目的はカイザンヌを打ち倒すこと。そのためにスタルキュラに来た」


トゥサイはガナラクイの目をしっかりと見て言った。


「もしお前の言う通り助けることが出来たとしても確実に騒ぎになる。カイザンヌに俺たちの存在が知られることになる。そうなれば奴は安全なところに逃げようとするだろう。そうなればもう打つ手はない」


ガナラクイは黙った。


「いいか、この作戦はあくまで奇襲にすぎない。悟られた瞬間に俺たちの負けは確定する」


「だからって目の前の人を見捨てることは…」


「ならお前はこれからカイザンヌによって殺される何万人を見捨てるのか?」


「そんなことはありません、しかし」


「目の前の人間を助けた上でカイザンヌを倒せると考えているんじゃないだろうな。それはあまりにも無謀だ。お前はこれからカイザンヌによって殺されるかもしれない何万人という命を賭けてまで目の前の人間を救うことが正しいと思うのか」


ガナルクイが何かを言う前にトセーニャが間に入る。


「ヤニハラ、もうその辺でいいだろう。ガナルクイ、何もヤニハラが目の前を黙って見捨てることを是としているわけでは決してない」


「分かっています。すみませんでした。目が覚めました。私たちが今一番にすべきことはカイザンヌを倒すこと」


「そうだ」


トゥサイが短く言った。


トゥサイたちは広間を後にした。


「カイザンヌの居場所は把握しているだろうなヤニハラ」


「当たり前だ。事前にヘヴェリから情報を貰っている」


「ヘヴェリ殿か。帰ったら礼を言わねばならんな」


「ああ」


 トゥサイはここには居ないヘヴェリへ想いを馳せる。ヘヴェリの他にもお礼を言わなければならない人物はたくさんいることに気づいた。


「それで奴はどこに」


フローレスが尋ねる。


「カイザンヌは首都であるベムハヘノルの総統府にいる」


「なるほど。それで首都に来ているのか」


「そうだ。このまま総統府へ向かうぞ」


 トゥサイたちは衛兵たちとの交戦を必要最小限にするため裏口から忍び込んだ。ヘヴェリたちにより総統府内部の地図も送られていたのだった。

 

「この廊下を抜ければカイザンヌの部屋か」


フローレスが言う。


「ここまでは順調ですね」


ガナラクイがフローレスに合わせる。


「しかし手応えが無さすぎるのが少し気になるな」


「ああ)


トゥサイたちは互いに警戒しながら廊下を進んだ。


「ようやくお出ましですか」


 トゥサイたちの前に一人の人物が立ちふさがる。その人物は仮面をつけており、声も中性的であったため性別が判断できなかった。


「誰だか知らんが俺たちは先を急いでる。邪魔するな」


そうトゥサイは吐き捨てて仮面の人物の横を走り抜けようとした。


「死ね」


その瞬間、仮面の人物はいつ手にしたのか分からない右手にあるナイフでトゥサイの心臓目掛けて突き刺そうとする。

 しかし、仮面の攻撃はカンという甲高い音と共にフローレスの剣技によって弾かれた。


「フローレス、助かった」


「礼には及ばん」


トゥサイとフローレスがお互いに顔を見合わせる。


「貴様が誰かは知らないが、私たちの敵だというなら容赦はしない」


 フローレスが声高に宣言し剣を構える。


「全員殺せとエザック様から仰せつかっているますので」


「エザックだと!」


トゥサイの顔が一瞬強張る。


「奴は投獄されていたはずだ。まさか、お前はエザックと共に捕縛していたラジェンという人物か」


「私を知っていますか。英雄に名前を憶えてもらえるなんて光栄ですね」


トゥサイが仮面の人物であるラジェンを睨みつける。


「おいトゥサイ。無駄話をしている暇はない」


フローレスがトゥサイを窘める。そして間髪いれずにラジェンに切りかかった。ラジェンは咄嗟のことでフローレスの剣を防御するのに手いっぱいだ。

 その隙を見逃さずトゥサイとガナルクイそしてトセーニャはラジェンの横を走り抜けた。


「フローレス、ここは任せる。死ぬなよ」


「当然だ。お前たちこそ必ずカイザンヌを」


「ああ」


 トゥサイと短く会話を交わしたあとこの場にはフローレスとラジェンだけになった。


「お前はトゥサイが言うように捕まっていたはずではなかったのか」


フローレスは相手の動きを探るため剣を構えたまま会話をして隙を伺う。


「あの程度の牢獄から抜け出すのは造作もありませんよ」


「そうか。帰ったら刑務所長に伝えておこう」


「帰るのは骨だけですがね」


「言ってくれる」


 ふ、とラジェンは不敵な笑みを浮かべた。


 「フリス・アンドルフだ」

   

 「何の真似です」


 「貴様という悪を斬る者の名だ。私だけ一方的に名を知っているのは悪いと思ってな」


 「律儀なことですね。しかしお生憎、これから死ぬ者の名前を覚える趣味はありません」


 「そうか。それは失礼した」


 先に動いたのはラジェンだった。右手の短剣を構えながら低い姿勢で突進してくる。その動きをしっかりと察知していたフローレスは間合いに入られる前に後ろに跳躍した。

 フローレスは瞬時の判断によりラジェンの短剣が届かない位置へとポジショニングすることができた。この間合いならばリーチがあるフローレスのほうが有利なのは確実だった。

しかしフローレスの脳内に小さな違和感が駆け巡る。


「ナイフ!」


 フローレスはラジェンが手にしているのがナイフではなく短剣であることに気が付く。先ほどトゥサイを攻撃する際に使っていたのはナイフだ。しかし今のラジェンに握られているのはナイフより少し長い短剣であった。


「遅い!」


 フローレスがその事実に気づいたときには既にラジェンの左手はナイフを投げる動作に入っていた。

 フローレスの目にスローモーションのようにナイフがゆっくりと向かってくる。もちろんフローレス自身の動きもスローに感じられた。

今から剣を振っても叩き落すには時間が足りない。フローレスは剣を振ることを諦める。


「んん!」


フローレスの腕にナイフが深々と突き刺さっていた。


「直前で防御しましたか」


 剣が間に合わないと分かるとフローレスは心臓に刺さるのを避けるため剣を握っていない利き手を盾にした。致命傷こそ避けれたものの片腕が上がらなくなってしまった。


「惜しかったですね。もう少し気づくのが早ければ防がれていたかもしれませんね」


「そうかもしれんな」


ラジェンはじりじりとフローレスにじり寄る。


「果たしてこのまま怪我をした腕でどこまで持ちますかね」


 「この程度ハンデにもならん」


フローレスは腕から血を流しながら剣を再び構える。


「ところで貴様がナイフを投げたときどうして攻撃してこなかった」


ラジェンはフローレスの言葉を聞いてふっと鼻で笑う。


「そんなの切られるからに決まってるじゃないですか。私は貴方の心臓を狙ってナイフを投げました。しかし、貴方は腕の犠牲でナイフを防いだ。それだけなら追撃していたでしょうね」


フローレスはラジェンの真意を慮るような視線を向ける。


「それだけならか」


「ええ。貴方は私のナイフを腕に受けて防御した。けれど防御というのは名ばかりで腕を一本捨てるほどのダメージを受けたんです。それなのに貴方は剣の構えを微塵も崩さなかった」


「ほう」

 

フローレスは感心したような声を出しながらも構えを取ったままの姿勢を維持している。


「それですよ。その構えです。貴方はその構えを保ったままだった。そのまま私が攻撃していれば私を切ることができた。違いますか」


「存外馬鹿ではないようだな」


「ええ」


 会話を交わしている最中もラジェンはじりじりとフローレスに歩み寄る。ラジェンはついにフローレスの間合いにあと一歩で入るところまで詰め寄っていた。


「しかし、貴様はこれ以上一歩も近寄れないのではないか」



「確かにこのまま無策で切りかかれば私の首が飛ぶでしょうね」


「ならどうする」


フローレスは挑発するような声を出す。


「こうすればいいだけです」


 ラジェンはそう言うと短剣を上に投げた。そして目にも止まらぬ速さでナイフを両手に持ってフローレスへと投げつけた。

 両方同じ場所に投げれば防がれてしまう可能性がある。そのため刺されば致命傷となる心臓へと一本を投げる。もう一本は当たれば動きを大きく制限できる足へとナイフは放たれた。

 そんなラジェンの予想外の行動にフローレスは目を見開いた。


「あぁ!」


フローレスは声を出し圧倒的な剣捌きでナイフの一本を叩き落とす。


「ん」


弾けなかったもう一本がフローレスの足に刺さる。ラジェンは上に投げていた短剣を綺麗に掴んだ。


「誰がナイフは一本だけだと言いました? 一本は防がれてしまいましたが二本同時に防ぐのは無理だったようですね」

 

得意げな顔でラジェンは話す。


「少し驚いただけだ」


フローレスは痛みに苦悶の表情を見せる。


「かなり痛そうですね」


「お陰さまでな」


フローレスは痛む足に力を入れる。剣の構えは微塵も崩れていない。


「推測だがお前が投げナイフを使うのは剣技が私に劣っているからじゃないのか」


「強がりを言う余裕があるようですね。ですが、ナイフはまだあります。貴方に捌ききれますかね」


「同じ手はくわん。二度は無い」


「そうですか」


 ラジェンはナイフを再び構えると投げる動作をする。それを見たフローレスはすかさず前にステップを踏むために足に力を入れた。

 ところがラジェンはナイフを投げずそのまま手を離す。ナイフが落ちていく合間にラジェンは腰から二本目の短剣を手にして刃をフローレス目掛けて振り上げた。両手に握られた二本の短剣がフローレスに襲い掛かる。


「くっ」


 フローレスは身を一瞬で引いて間一髪で致命傷を避けた。ラジェンのナイフはフローレスの頬をかすめたにすぎなかった。


「まだだぁ!」


 ラジェンはそのまま短剣を流れるように踏み込んで下へと切りつける。フローレスは苦虫を嚙み潰したような顔で急いで一歩後ろに下がる。またしてもラジェンの刃はフローレスの横腹を薄く切り裂く程度となった。


「やはりお前の剣は大したことないな」


フローレスの挑発でラジェンの顔が変わる。


「クソが! さっさと死ねよ!」


 ラジェンはフローレスの言葉に激昂し短剣を持ってさらに突撃してくる。フローレスは痛む足で半歩後ろに下がることで一本目の短剣を避ける。

 しかし二本目の短剣がラジェンの手になかった。短剣はすでにラジェンの手を離れ宙にあり、ラジェンの空いた手は懐のナイフが握られていた。


「勝った!」


 ラジェンはエザックの側近として様々な任務をこなして来た。その中でも特に重要だったのは護衛と暗殺だった。

 エザックには敵が多くラジェンは戦うことが多かった。ラジェンはもともと戦闘訓練を受けていたがそれだけで手練れと闘うことはできなかった。

 そこでラジェンが編み出したのは武器の投擲と素早い武器の交換だった。敵は当然ながらラジェンの攻撃に注目している。短剣を持って接近すればそれで切りかかってくると思う。

 そこを突く。ラジェンは敵の想定外にある武器の投擲を用いて一撃で敵を殺める。

 もしその攻撃が防がれたとしても問題ない。短剣を敢えて捨てる。敵はその武器を自ら捨てるという普通はありえない。そこで敵は一瞬思考が止まる。そこをラジェンは腰から武器を取り出して切りつける。

 この二段構えによってラジェンは敵を屠ってきた。けれどフローレスはそのどちらもダメージを受けながら防いでみせた。ラジェンが戦ってきたどの敵よりも強いことは確実だった。

 その結果ラジェンは隠していた第三のナイフを懐から取り出した。このナイフには非常に強力な毒が塗ってあり掠りでもすればあの世行きは確実だ。

 ではなぜそのナイフを使わないのか。その理由は毒にあった。ナイフに塗られた毒は貴重なものでエザックの力を持ってしても簡単に手に入るものではなかった。そのため易々と使うわけにはいかなかったのだ。

ラジェンの二段構えを突破されたときのみに使われるそのナイフは一回も使われることなくもはやお守りのようなものになっていた。そのナイフをラジェンは投げる。ラジェンが毒ナイフを投げることは即ち勝利を意味していた。


「はっ!」


フローレスの剣がラジェンの腕を切り飛ばした。


「何だとっつ!」


 ラジェンが驚きと苦痛の両方を浮かべた醜い顔になる。フローレスはラジェンの腕を切った勢いそのままにラジェンもう片方の手を切り落とした。


「うわぁあああ!」


 ラジェンが痛みのあまり咆哮する。ラジェンは飛び出るかと思うほど大きく目を見開き、その目は血走っていた。

 

 「終わりだ」


 フローレスが短く告げる。


 「あぁあぁぁ」


 ラジェンは何故自分の手が切られるような状況に陥ったかを考えた。行動が間違いだったのか。そんなはずはない。全て正解だったはずだ。いや、本当にそうなのか。

 ラジェンの一回目のナイフ投げは腕を犠牲にして防御した。これは敵の意表を突いたことで与えたダメージだ。

 意表を突いたにも関わらず殺しきることができなかったのは何故だ。それは敵の反応速度がラジェンの想像を超えていたから。

 二度目の投擲。今度は二本を投げた。敵は一本しか対応することができず足にダメージを受けた。敵の足には今も深々とナイフが刺さっている。立っているだけでも信じられない痛みが襲うはずだ。

 ラジェンは考える。敵は一本しか防御できなかった。それは即ち一本なら防御することができたということだ。ラジェンは二回目の投擲の前に距離を詰めている。つまり一回目より二回目のほうはが距離が近く防ぐのが難しいはずだった。

 それを防いだのだ。ラジェンの頭に敵であるフローレスの声が響いた。

「同じ手はくわん。二度はない」

 その通りだった。一回目に見せた投擲も二回目には対応していた。ダメージを受けたのはその数が二本になっていたからだ。距離が縮まっていたが敵はラジェンがナイフを投げる可能性があることを知っている、そして有り得ないほどの超反応、この二つの事柄で見事に対応したのだ。

 そして腕を切られることになった三回目。毒ナイフの投擲。これは敵であるフローレスから見れば毒が塗られていたという違いしかない。毒などは当たらなければ意味がない。とどのつまりフローレスからすれば一回目の投擲と変わりなかったのだ。

ラジェンは知らず知らずのうちに同じ行動をしていた。完全に見切られていた。

 その結論にたどり着いたときフローレスはラジェンの顔に剣先を向けていた。


「何か言い残すことはあるか」


 ラジェンの腕と手首から留まることなく血が溢れていた。ここで首を刎ねられなかったとしてももう助からないと悟った。


「エザック様が必ずお前たちを殺すだろう。そのときを楽しみに待って…」


 フローレスはラジェンの首を切った。


「エザックさまぁ」


 声はしなかったがラジェンの口はエザックと言っているようだった。首がごろんと鈍い音を立てて転がる。

ふう、とフローレスは安堵のため息を吐く。強敵だった。フローレスが死んでいてもおかしくはなかった。

 フローレスは落ちているナイフを見る。


「最後に投げようとしていたナイフには何か塗られているのか」


 もし最初からこのナイフを使われていたら首が転がるのは自分だったかもしれないとフローレスは思う。

 足はもう一歩も歩けないと血と痛みで主張してくる。腕も同様に血が流れていた。しかしフローレスには進むべき理由があり進むだけの覚悟があった。

 

「戦闘では役に立たたないだろうが弾避けくらいにはなる」


悲鳴を上げる身体を気力で動かしフローレスはトゥサイたちを追った。

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