76話 叡智の神
————深夜。宮殿の自室にてヘリアンカはスタルキュラによる冬季攻勢を防いだ報告を受ける。
ヘリアンカは少し眉間に皺を浮かべた後、報告書を強く握り手を震わせた。
「なるほど。見た感じ冬季攻勢は防げたみたいですね。被害は大きいですが」
ヘリアンカの言葉に最近側近となった女中が頭を下げる。
「はい。元帥様としてはここから反転攻勢を仕掛ける模様です。そのため現在各戦線にて合計五百万人の兵を使っての突破を試みます」
「——ということは数ヶ月前に私が提供差し上げると各政府首脳陣の話に出たあの兵器を使うのですね」
「反重力物質によって作られたものですよね? 製法と加工共にヘリアンカ様しか存じないはずの」
——ヘリアンカは時を少し遡って数ヶ月前のことを思い出す。
それはヘリアンカがウルクに退避して一週間がすぎた日のことで、ヘリアンカはカラカムイより送られた護衛たちとともに深夜地下道を通ってクリムタンに向かった。
クリムタンの建物ははウルクの郊外にあり、建物は伝統的な移動式住居の宮殿版という感じのもので、綺麗な彩色が施されている。
中に入ると早速出迎えたのがクリムタン議長のウマスだった。
ウマスはヘリアンカを見ると地面に膝をつけて頭を下げた。
「はるばるお越しくださり、誠に光栄ですヘリアンカ様」
「いいえ、気にしないでください。——あと、私のことを存じているはずなんで気を遣わないでください」
「——えぇ」
ウマスはゆっくり立ち上がると優しそうな笑みを浮かべた。
「では、案内いたします」
ヘリアンカはウマスに案内され奥に進んでいった。
ヘリアンカが案内された場所は各国の諜報員が集い情報を共有する秘密の部屋で、各国の諜報員たちはヘリアンカのことを聞いていたからか大袈裟には驚かなかったが、ヘリアンカに待っていたのは罵倒の歓迎。
「ヘリアンカ様が野蛮で不潔な豚同然のエルフィンであるはずがなかろう!」
最初にハングラワーの諜報員からの差別的な罵倒で始まり。
「ヘリアンカ様はピト族だ! 不老のピト族がなぜエルフィンになっているのだ! これはケウト政府が自由信徒を味方につけるための陰謀だ!」
次はバラク・オシュルク大共同体からのケウトへの批判。
それ以外の列強国や中小国からもヘリアンカは批判され、後ろに立っている護衛は今にでも彼らに殴りかかろうしていたが、ヘリアンカは表情を崩さず静止させる。
そしてしばらく罵詈雑言をヘリアンカは耐える。
ヘリアンカはただ微笑むだけで何も返さなかった。それからしばらくして諜報員たちは落ち着いてきたのが静かになっていく。
ヘリアンカは静かになる機会を窺っていたため、頃合いを見て喋った。
「みなさん。落ち着きましたか?」
ヘリアンカは一言口にする。そして続けて話し始めた。
「私がこの身になったのは六千年前、最初の体では魔力によって体が毒され生命活動が不可能となったからです。そこで私は賢者たちの叡智によって当時では魔力や霊力にも対応できたスタルシア人の体に魂を移しました。そして今、カラクリ師の頑張りにより完全に蘇りました。もし、あなた方がこの戦いに勝ち、悠久の太平を望むのでしたら協力致します。如何しますか?」
ヘリアンカは内心どうなるのかがわからず不安だったが、表情に出さ無いように顔に力を入れる。
周りの諜報員は仲間同士でぶつぶつと内容は分からないが相談し合っていた。
そして、しばらくして一人の諜報員が前に出る。
「——我々ハングラワー政府はかつてケウトに苦しめられた過去がある。それを鑑みて貴殿をヘリアンカ様と認めることはできない」
ハングラワーの諜報員はそう口にする。
ヘリアンカはその言葉に衝撃を覚えるが、堪えて優しい微笑みのまま答えた。
「では、どうして欲しいのですか? 恐らくですが私の死後に起きたオドアケル人とテーレー人との争いですか?」
「そうだ! 我々オドアケル人はヘリアンカ様を蘇らせるためにアンリレ率いる流星の民と協力した! さらにヤスィアもオドアケル人で協力した! なのにお前たちケウト政府が我々オドアケル人を弾圧したではないか! 皇帝ハザル! そいつは我が国では愚帝と呼んでいる!」
「おい! 落ち着け!」
周りの諜報員はハングラワーの諜報員を抑えようとするがそれを振り解くとヘリアンカに詰め寄る。
先ほどまでヘリアンカに静止させられていた護衛は一斉にハングラワーの諜報員に飛びかかると取り押さえられた。
諜報員はヘリアンカを見る。
「貴殿がもしヘリアンカ様なら、世界をどうしたい! これまでのように静観するのか、ケウト帝国による大陸への圧政を正当化するのか! 我が国は独立して千二百年、北の脅威に怯えながらも国を守ってきたのだ! せっかく独立したのに、なぜ突然ヘリアンカと名乗る少女の元に再び集わないといけないのだ! あのケウトの言うことなんぞ、信用できるものか!」
ヘリアンカはその言葉でさまざまな気持ちで胸が張り裂けそうになる。
「——貴方の名前はなんですか?」
「——ラタヌだ」
ハングラワーの諜報員ラタヌはそう口にする。
「ラタヌ。なるほど貴方でしたか。しかし貴方はケウトの一兵士とともにエポルシアに向かい、カイザンヌ勢力を排斥することに貢献したと聞きました。そんな貴方がなぜケウトを恨むのですか? 戦場を共にしたのに?」
「——俺個人としてはケウトに恨みはない。だが、政府はまだ恨んでいる! そんな唐突にヘリアンカ様が復活し、大陸諸国で結集しカイザンヌを倒そうとはなるまいだろう! それにケウトは諸国をケウトへの再統合を提案した。ふざけているのか!」
ヘリアンカはそれを聞いて驚く。なぜならヘリアンカには一度もその話を耳にしなかったからだ。
ヘリアンカはしばらく考えた後ゆっくり口を開いた。
「なるほどわかりました。では、こうしましょう」
ヘリアンカは両手を合わせると深く息を吸い、少し考える。
「私をヘリアンカと認めるか認めないかは各々に任せます。ただ、その分私は認めてもらうよう努力します。では、私にお願いがあれば話してください」
ヘリアンカがその言葉をいうと驚いた顔をした護衛の一人が耳に口を近づけ小声で話し始めた。
「へ、ヘリアンカ様! 流石にやりすぎでは? 政府を困らせすぎるとどうなるか……」
「そうでもしないと誰も信じないでしょう? あと、ウマスさんに今から伝言を伝えてきてください」
「え?」
「これよりカラクリ師は再び私の傘下に入るようにと」
「——あの、六千年の歳月は長いんですよ? 6秒とかそんなレベルではないんですよ?」
ヘリアンカは護衛の言葉に若干不貞腐れた顔になるものの、護衛の肩を軽く叩く。
「お願いしますね」
「——分りました。もし処刑されそうになったら助けてくださいよ」
護衛は諦めたような、もしくは嬉しそうな感じでそう告げるとこの場から出て行った。
そしてヘリアンカの視線はラタヌたち各国の諜報部に向けられる。
「さぁ、好きなだけ願いを言ってきてください」
ヘリアンカがその言葉を言った瞬間、三時間ほどヘリアンカが昔作り、そして禁忌の術とした兵器や物質の生産の要請が殺到した。
まとめるとそれは反重力物質と、街一つを滅ぼす爆弾。さらに光学式迷彩や無人機を開発するための技術などヘリアンカが大昔に作り、大陸に発展に貢献しないと判断して自分だけの秘密にしていたものだった。
ヘリアンカはしばらく考えた後、ゆっくり顔を上げた。
「えぇ、そのぐらいなら遅くとも軍の装備や現在の生産状況を考慮して三年でなんとか出来ますね。が、無論三年は遅すぎます。なのでその中であなた方が一番欲しいものを言ってください。まず、何をしたいのかを」
ヘリアンカの言葉に諜報員たちは議論を始めた。
「——冬季の反撃での装備なので——」
「爆弾か? いや、それはもうケウトからの技術提携で生産できるし——」
「光学迷彩はどうだ? スナイパーが欲しがるぞ!」
「それは流石にマニュアルを作るのに時間が掛かってしまう。それまでにほとんどの国が滅びるぞ」
ヘリアンカはこれを見て埒が明かないなと内心思った。
そんな時拘束を解かれ、議論に参加していたラタヌが顔を上げた。
「待て、航空機に反重力物質を取り付けるのはどうだ? さらにステレス性を高めてレーダーに移らなくする……それだったらヘリアンカ様の導きがあれば早いんじゃないか!?」
ラタヌは嬉しそうな顔でヘリアンカを見る。
「えぇ、それでしたら試験などを含めて三ヶ月かかりますがいいですよ」
「——では」
ラタヌは他の諜報員たちを見る。そして彼らはしばらく考えた後にヘリアンカを見た——。
そして時を戻して数ヶ月後、ヘリアンカは部屋から出て演説の準備に入る。
女中はヘリアンカの化粧を終えた後、道具を鞄に戻していった。
「けどヘリアンカ様。まさか反重力物質を作るのにカラクリ師を傘下にしただけでなく、資源探しに各国の首脳陣に財布の紐を緩めさせるなんて結構過激なことをするんですね。宰相殿も頭を抱えていましたよ」
女中の言葉にヘリアンカは罰が悪そうな顔をする。
「ですね、あれはやりすぎました。まぁ、私の思惑通り原材料の産出地は変わってなくて安心しました」
「見つかったのと実際に制作・戦闘機の改修にに取り掛かる際にヘリアンカ様が叡智を見せてくれたおかげで、各国はヘリアンカ様復活を認めてくださったのが何よりです。さぁ、お時間ですよ」
「えぇ、では行ってきます」
ヘリアンカは女中にそう告げるとラジオのマイクが置かれた部屋に入る。そこにはヘリアンカの知っている侍女や護衛、さらにからカムイなどの皇族の面々が椅子に座っていた。
ヘリアンカが座る席の前では、放送局の局員が冷や汗を流して起立していた。
そしてヘリアンカを丁重にもてなし椅子に座らせてマイクを近づける。
ヘリアンカは口パクでありがとうと告げた後、マイクに口を近づけた——。
「皆様。このお声が届いているでしょうか? この地は神代に神界よりあなた方を導いて数十万年。戦乱と太平を繰り返してきました。私はこの長く生きる体を使い人々が幸せに生きるべく努めて参りましたが、六千年前にくしくも力尽きてしまいました。しかし、私はその時彼らはこの世界を任せられるとゆっくり眠りにつきました。しかし、その後の時代は戦乱以外は存在し無い悲劇の時代でありました」
ヘリアンカは少し息を吸う。
「やがてカイザンヌが生まれ、カイザンヌが神のように崇拝するものが現れてしまいました。そう、それはまるで私、ヘリアンカの死後起きた長き戦乱の始まりと似ているのです」
ヘリアンカはマイクを優しく手で掴むと机に身を乗り出した。
「もしここでカイザンヌによって大陸を席巻された後、カイザンヌが死ねばすぐに神格化してさまざまな思想の分派が生まれその派閥同士の争いが止まらなくなるでしょう。私の死後のように。もうこのようなことは断固として阻止せねばなりません」
ヘリアンカは隣に座る仲間たちを見る。そして、優しく微笑み落ち着きを取り戻す。
「私、ヘリアンカは今はエルフィンの姿。それは私の体では魔力が毒となってしまうため身を変えました。これは決して他の民族を贔屓するものではなく、逆に共存するには誰かの体を借りなければなら無いと言うこと。そう、私たち大陸の民と動植物は合わせて大きな一つの生物。人体と同じです。どちらかが欠けたら均衡が崩れる、弱いものなのです!」
最後、ヘリアンカは大きく息を吸った。
「さぁ、皆様。再び集い平穏の時代を取り戻しましょう! 私たちは手と手を取りあって!」
そう大きく声を出した。ヘリアンカは肩で呼吸しながら局員を見る。
「——どうでしたか?」
「いえ、むしろ映像も一緒に流しておいたので、必ずヘリアンカ様の熱意も伝わっているはずです」
「え?」
ヘリアンカは天井にカメラが取り付けられていることに気づくと。それにはただ、笑みを浮かべるしかなかった。
————同時刻スタルシア戦線。
この戦線では将校たちと兵士はヘリアンカの熱意な映像とともに音声を聴き涙を流していた。
最初はヘリアンカと詐称している少女としか見なかったが、あの熱意には偽りが感じられなかった。確かに子供っぽく机に身を乗り出して熱く演説したが、それが寧ろ神話に描かれているヘリアンカらしく、逆に信じてしまったのだ。
ハンバムラはその演説を見て涙を流さなかったが、一つの命令書を見て頷く。
「反物質を取り付けた戦闘機を現在派遣しているか」
「現在五十機側が手元にございます。馬力はスタルキュラのおよそ百倍。さらに近未来型戦車が二十両派遣される模様です」
「——作戦の実行は後三週間後だ。目標はスタルシアの解放。言わばそれぞれの戦線で今回の攻勢で元の国境線まで押し戻す」
ハンバムラはその後司令部からの連絡でこれより大陸諸国の軍は本日より結集されたスタルキュラを除いた国家連合共同体ヴァクトル大陸同盟の軍として作戦を行うことを告げられた。
——数週間後。
スタルキュラ占領下のスタルシアの各都市の上空を未確認の飛行物体が飛び交う。その戦闘機はスタルキュラのレーダーには映らなかった。
それから数十分後、占領下にある各都市の軍事施設から火が上がった。
同時刻大陸同盟軍は敵陣への強行突破を図りかつて森林が豊かだったスタルシアは荒野と変わり果てていった。
西部、ハングラワー砂漠ではスタルキュラの主力機動師団が壊滅し、一ヶ月で国境線まで押し戻されるほどのハイスペースとなり、明けごろまでにスタルキュラはすでに大陸全土を攻撃するだけの力は残されていなかった。
そして本国はオシュルク民共和国による絨毯爆撃で首都含め工業都市は瓦礫の山となっていった。
————スタルキュラ占領下スタルシア王都。
王都はスタルキュラに占領されてからも国土は復興されず民間人はテントでの生活を余儀なくされた。
そのテントに一人記者の男が潜んでいる。
男は毎晩聞こえるスタルキュラ兵に襲われて助けを呼ぶ女子供の声に怒りを隠すことはできなかった。
昨夜はバギーに乗ったスタルキュラ兵三名が配給を受け取りに歩いていた少女を連れ去り、藪に連れ込んだ後回して殺害した。
これは別の年の話だがまたスタルキュラの別の都市では妊婦や子供、老若男女問わずの人が入院している非営利の病院をスタルキュラの一師団の兵士が強襲し、生まれたばかりの子供を地面に叩きつけたり、病人の喉を剣で切り裂きさらに妊婦を暴行した後腹から赤子を取り出すなどで邪智暴虐の限りを尽くしたと男は他の記者仲間から耳にした。
これは今スタルキュラの占領地域一帯で起きていることはまず声がした方向に向かえば服を脱がされ、腹を切り裂かれた遺体が捨てられている。
さらにひどい時には遺体を切断し頭部を煮込んで頭蓋骨にして恋人にインテリアとして送ったり、耳を切断してバッチのようにケースに取り付けて、何人殺したのかをお互い競い合うスタルキュラ兵の情報が入っていた。
男はメモの内容を確認した後今日も瓦礫の中に潜んでスタルキュラ兵を監視する。するとスタルキュラ兵とともに後ろを縄で手を縛られた民間人が何百人も整列させられている。
次の瞬間機関銃の音とともに民間人が倒れているのを男は捕らえ、カメラに収める。
兵士たちは民間人を殺し終えた後近くに掘ってある穴に死体を捨てるとバケツいっぱいの液体を掛けるとしたいからは湯気が出て、まだ生きている人のであろう呻き声が混ざって聞こえた。
男は全てをカメラに収めた。
——その資料を後世に残さなければと。
後に判明したことだがこの戦争でスタルキュラは反体制は毒ガス部屋、人体実験、さらに機銃掃射などで百万人を虐殺した。




