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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
6章 再びここへ帰る

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75話 悪辣の演説

 季節は冬。極寒の風が吹き兵士たちの体力を奪っていく。血塗られた戦場で力尽きていく負け犬の身体はその冬の風も相まって冷たく固まっていた。

 トゥサイがヘヴェリと連絡を取ってから3か月が過ぎていた。カイザンヌの猛攻によりヘリアン・ウルルが襲撃され多数の犠牲者を出し、トゥサイたちは後退を余儀なくされた。そして拠点をスタルシアへと移していた。


「どうする、トゥサイ。カイザンヌの侵攻に列強も耐えられなくなってきてるぞ。このまま潰れるのも時間の問題だぞ」


 スタルシアでのヘリアン・ウルルの拠点にある参謀室で大柄な男がトゥサイに声を掛けた。列強軍はカイザンヌ率いるスタルキュラの冬季攻勢を必死に耐え抜いていた。しかし、テロなどの対応などに追われている列強軍は勢いのあるスタルキュラ軍に為すがままであり劣勢を強いられた。


「そんなこと誰でも分かってる」


トゥサイは声をかけてきた大柄な男であるヘヴェリにぶっきらぼうに返す。


「何か打つ手はあるのか」


ヘヴェリの問いかけにトゥサイは黙り込んだ。そしてトゥサイだけでなくその場にいたフローレスやトセーニャでさえ声を出す者はいなかった。


「打つ手はないってのか」


ヘヴェリは拳を固く握りしめ机に向かって拳を振り下ろした。その大きな音がヘヴェリの悔しさを表すのには十分だった。


「いや、手ならある…」


トゥサイがヘヴェリの拳を見ながら言う。


「なんだと」


 ヘヴェリは振り下ろした拳をすぐに引っ込めトゥサイの次の一言を待った。そしてトセーニャとフローレスもトゥサイの言葉を聞き逃すまいと耳を傾けていた。


「オシュルク民共和国だ」


「オシュルクだと? たしか、そこはテロの標的にあってとてもじゃないが頼れるような状況にないはずじゃないのか?」


 ヘヴェリの考えはトセーニャたちも同じだったのか、言葉さえ発しないがヘヴェリの疑問を聞いてトゥサイの言葉を待った。


「ああ。確かにお前の言う通りオシュルク民共和国はテロの被害にあっていた。しかし、今はテロの制圧の兆しが見えたとの情報が入っている」


「本当か!」


あまりの衝撃にヘヴェリの目が大きく見開かれる。


「ああ。完全に鎮圧できれば軍を立て直し増援を期待できる」


ヘヴェリの目に光が宿る。


「それなら、この冬季攻勢を耐え抜けるかもしれん」


「ああ」


そこへ一人の男がトゥサイたちのいる参謀本部へと走りながら入ってきた。


「速報です。オシュルク民共和国からの速報です」


トゥサイたちは一斉に顔を見合わせた。


「話せ」


トゥサイが手早く言う。


「オシュルク民共和国がテロを完全に鎮圧させたとのことです。只今、軍の再編成をしていおり近く各戦線に増援を出せるとのことです」


「こいつは…」


「ああ。これならば」


トゥサイとヘヴェリが短く頷いた。


「なら私たちが動く用意をしておく必要があるな」


フローレスの一言に全員が同意し目で同意の合図を送った。


「報告ご苦労だった。戻れ」


「はっ」


男が足早に去っていく。


「今すぐこの情報を各戦線に流すべきだ」


ヘヴェリが興奮気味で提案する。


「この際だからはっきり言うが、俺たちはかなり押されている状況だ。正直いつ戦線が崩壊してもおかしくない」


トゥサイはヘヴェリの言葉に口を挟まずに耳だけを傾ける。


「度重なる侵攻で兵もかなりやられた。しかも現存の兵たちの疲労もかなり溜まっている。士気の面から見ても敵より劣るだだろう」


 ヘヴェリの言ったことに反論する者は誰もいなかった。


「だからこそ、少しでも早くこの情報を届けるべきだ。増援の情報は落ちた士気を上げるためには必要なはずだ」


トゥサイはゆっくりと考えてヘヴェリへと向き合う。


「ヘヴェリ、お前の言っていることは分かる。だが、よく考えてほしい。俺たちがここまで敵に遅れを取っているのは敵が強いだけじゃない」


「各地でのテロだろ」


トゥサイは短く頷く。


「そうだ。テロの始末に追われている。だが、そのテロはどうして起きたのか。それは敵を国に入れてしまっている。もしくは列強の中にカイザンヌ派の奴らが紛れ込んでいるからだと思わないか」


「そう考えるのが自然だとは思うが」


ヘヴェリは語気を弱める。


「なら列強軍の中にカイザンヌ派の奴らが混じってないとどうして言える?」


「なに、お前は軍の内部にスパイがいるとでも言いたいのか!」


「そうだ」


「そんなはずがないだろう! 皆、自分たちの国を、家族を守るために命をかけて戦ってるんだ! それなのにお前は彼らを疑うっていうのか!」


 トゥサイはヘヴェリの言葉に反論しなかった。そんなトゥサイの態度をヘヴェリは肯定だと受け取った。


「お前! 今も戦場で必死に耐えてくれている兵たちを何だと思ってるんだ!」


 ヘヴェリは怒りのあまりトゥサイの胸ぐらを掴みにかかる。部屋にはヘヴェリの怒声が響いた。


「お前だって戦場を見てきたんじゃないのか! お前は軍人のプライドを捨ててしまったのか!」


「軍人のプライド?」


今まで黙ってヘヴェリにされるがままだったトゥサイが強く言葉を発した。そしてヘヴェリの胸ぐらを掴み返す。


「そんなものでこの戦いを終わらせられるなら安いもんだ!」


 ヘヴェリとトゥサイがお互いににらみ合う。


「二人ともそこまでにしておこう」


今まで黙って静観していたトセーニャが間に入る。トゥサイとヘヴェリは渋々と言った顔つきで一歩離れた。


「ヘヴェリ殿の言うことは分かる。しかし、ヤニハラが言うこともまた否定しきれない」


トセーニャはトゥサイの方を少しだけ見てヘヴェリに向き直る。


「それに、ヤニハラだって気持ちはあなたと同じはずだ。長年ヤニハラと共にしたあなたがそれを分からないはずがないだろう」


ヘヴェリは怒りの顔を崩さないままトセーニャと顔を合わせている。


「加えて、列強は窮地にいると言ってもいい。こんな時こそ最悪の事態を考慮するべきではないか?」


ヘヴェリはトセーニャの言葉に怒り顔を解き、不機嫌そうに下を向いた。


「そうだな。…分かってる。少し頭に血が上った。トゥサイ、悪かった」


ヘヴェリはトゥサイと目を合わせる。


「いや、いい」


トゥサイはヘヴェリが落ち着きを取り戻したのを確認して話を続ける。


「話を戻すが俺は内部に敵が潜んでいる可能性が高いと見ている」


「つまり、ヤニハラはすぐに援軍の情報を流せば敵にも知られて対応されると言いたいんだな」


トゥサイは鋭い眼光でトセーニャに頷く。


「ああ、そうだ。この冬季の侵攻を抑えられなければ俺たちは確実に負ける。ここが正念場なんだ」


「それはここにいる全員が分かっていることだろう」


トセーニャが相槌をうつ。


「敵に情報が渡ってしまい、こちらの動きを読まれ援軍に対応されれば完全に詰みだ。そうなればもう本当に打つ手がない」


トセーニャが考えこむように手を顎に当てる。


「そうは言ってもヘヴェリ殿の言うように戦場での士気が低く、戦線が崩壊するのも時間の問題だ」


「ああ。だからこそ一刻も早く援軍を向かわせるようにオシュルクに頼むしかない。そして直前まで情報は伏せておく」


 トセーニャはトゥサイの顔を見る。


「つまり、オシュルクの援軍が来る前に戦線が崩壊してしまった場合は敗北が決定するということか」


「そうだ」


トゥサイの言葉には誰もが口を閉ざした。


「賭けになるな」


「ああ」


「ヘリアンカ様、どうか我らに加護を…」


 祈りが届いたのかオシュルク民共和国の援軍が到着するまで戦線はなんとか維持された。直前まで情報を伏せていただけあり、援軍が敵に知られることはなく徐々に敵を押し返している状況だった。

 一方的に侵攻されるだけだった列強軍は援軍の登場に大いに活気づき敵の激しい侵攻をついに耐え抜いた。


「やったな」


ヘヴェリがとトゥサイに向き合う。


「ああ。敵も消耗し撤退したようだ」


トゥサイがヘヴェリに返答する。


「ああ。オシュルクの軍が間に合ってくれて本当に良かった」


「しかしトゥサイ。敵の撤退も一時的なものだろう。すぐにまた侵攻してくるぞ」


「ああ。今こそ俺たちが動くときだ。この好機を逃すことはできない」


「そうだな」


トゥサイとヘヴェリはお互いに頷き合う。


「お、どうやらそろそろ始まるようだぞ」


ヘヴェリはモニターの画面に目を向けた。オシュルクの援軍によって何とか持ちこたえた列強。対して冬季侵攻で思うような成果を出せなかったスタルキュラはこのままではまずいと思ったのかカイザンヌが急遽スピーチをするという情報が入った。

スタルシアで再編成されたヘリアン・ウルルには盗聴など敵国の情報を得るための情報網が敷かれていた。そしてこれからカイザンヌがスピーチを始めようとしているのであった。


「兵士たちよ、我らの戦いは困難を極めている。しかし我らは信念を持って敵国を打ち倒す」


「何が信念だ」


画面の中からカイザンヌの声が部屋に響く。モニターに写されたカイザンヌは豪華な衣装に身を包み威厳のある佇まいをしていた。


「今、我らが目の前にしているのはただの戦いではない。これは我らの国の未来をかけた戦いなのだ。世界を正すための正義の戦いだ」


「侵攻してきた奴がどの口で言ってるんだよ」


ヘヴェリは画面のカイザンヌを睨みつける。


「戦場での苦しみや犠牲は我らにとって痛ましいものである。しかし、その痛みと犠牲こそが我らの意志を強くし、敵を打ち倒す力となる。我らの流した血と汗がこの戦争で打ち勝つための血となり肉となる。我らに勝利と平和を約束してくれる」


「平和だと! 平和を一番乱しているのはお前じゃないか!」


ヘヴェリが今にも画面を叩き割りそうな勢いで怒鳴る。


「兵士たちよ、我らの前に立ちはだかる敵国は、卑劣さと欺瞞に満ちた存在である。奴らは我々を苦しめるために手段を選ばない。しかし、我らはその卑劣な戦術に決してくじけない。誇り高く立ち向かう」


「テロを起こしておいて、その言いぐさは無いだろう! 卑劣なのはお前だ! カイザンヌ!」


ヘヴェリの声はより一層強まる。


「奴らの手によって引き起こされる破壊と混乱は許されるものではない。民間人を巻き込む非道な攻撃、嘘と欺瞞による情報戦。奴らは人間性を否定し、我らの意志を踏みにじるものに他ならない」


「それもこれも全部お前がやってることじゃないのか!」


声を荒げるヘヴェリだがトゥサイは静かに画面を睨みつけている。


「しかし、敵の卑劣な行為に屈することはない。我らの意志と結束がその欺瞞を打ち砕き、真の勝利をもたらす。我らの目的はただの勝利だけではない。正義のために戦い、この世界を正しくするのだ」


ヘヴェリが拳を固く握りしめる。

カイザンヌのスピーチは止まらない。


「兵士たちよ、今こそ我らが立ち上がる時だ。我らの信念が、世界に変革をもたらす。この苦しみと犠牲は無駄ではない。この聖戦が世界を正しく導くための礎となる。そして今ここにいる兵士たちは、我らの国の誇りである」


カイザンヌの言葉で敵国の兵が歓声を上げている。トゥサイは黙ったまま画面を見つめている。


「この戦争が終結すれば、我らは再び平和な日々を取り戻す。そして、世界は新たな時代へと入り、永遠の安寧と平和が約束されるのだ」


「そんなもの平和とは呼ばねえんだよ! それはただの支配だ!」


静かに見つめるトゥサイに対してヘヴェリは画面を怒鳴りつけている。


「兵士たちよ、我らの意志が新しい時代を創り出すのだ。我らの国のために、世界を正しくするために共に戦おうではないか!」


そう言い終えるとカイザンヌのスピーチは終了した。画面からは部屋いっぱいに響き渡るほどの敵兵の歓声が流れる。それはいつまでも鳴りやまないのではないかと思えるほどであった。

苛立ちが頂点に達したヘヴェリはついに口を閉ざした。そして拳に力を入れた。その瞬間今まで黙っていたトゥサイが画面めがけて拳を振り抜いた。


「お前…」


敵兵の歓声が止んだ代わりに画面が割れる音が部屋いっぱいに響く。ヘヴェリはあまりのことに呆気にとられた。

そして何事もなかったかのようにトゥサイはヘヴェリに話かける。


「カイザンヌがこのようなスピーチをするということは敵も焦っている証拠だ。この機を逃すことはできない。動くぞ」


「ああ。分かってる」


トゥサイは皆を集める。トセーニャたちも先ほどのカイザンヌのスピーチを聞いていたのか皆顔がどこか怒りに満ちていた。


「これは敵が焦っているとみて間違いない。このチャンスに一気にスタルキュラに潜入する」


トセーニャたちはトゥサイがそう言うことが分かっていたかのように力強く頷く。


「よし、俺も行くぞ」


ヘヴェリがトゥサイに返答する。


「いや、お前はここに残ってくれ」


「どういうことだ!」


ヘヴェリは困惑の表情を浮かべる。


「お前にはここに残ってほしい。全員でスタルキュラに向かえばヘリアン・ウルルの指揮は誰が取るんだ。お前しか頼れない。ヘヴェリ、頼む」


「トゥサイ…。分かった。俺はお前の期待に応えるために残る。その代わりしっかりカイザンヌを討ち取ってこい」


「ああ。分かってる」


「熱い友情ですな」


二人のやり取りを見ていたトセーニャが呟く。


「しかし、ヤニハラ。ヘヴェリ殿にヘリアン・ウルルを任せるとして、誰がスタルキュラに潜入するんだ」


 「俺とトセーニャ、フローレスそしてガナルクイにも来てもらう」


「ほう彼女にもスタルキュラ潜入を同行させるのか」


「ああ。ガナルクイの強さは俺が知ってる。今回の戦いにもきっと力になってくれるはずだ」


「ヤニハラがそこまで言うのならいいだろう。ではヘヴェリ殿あとは頼む」


「ああ」


 ヘヴェリとトセーニャは固い握手を交わした。


そして一週間後。ヘヴェリの元に一報が届いた。トゥサイたちが無事にスタルキュラに潜入したとのことだった。


「頼むぞトゥサイ…」


ヘヴェリは遠く離れた戦友に思いを馳せた。


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