61話 立ち込める暗雲
フルはイガシリでの祭りで太古から伝わる演劇を見たあとなぜかサトに呼ばれていた。何故かスタルたちには宴会を楽しむように言い、フルにだけ自分についてくるようにと言ったのだった。
「あの、サトさん。どうして私だけ呼ぶんですか? 私何かしました!?」
フルはスタルたちには声をかけずフルにだけついて来いというサトの言葉に緊張した恐る恐るサトの後をついて行く。
もしかすると慣れない土地でフルの知らないうちにこの地方のタブーであるいけないこと、例えばとても失礼なことをしてしまったのではないかと内心焦りまくっていた。
不敬罪は最悪なら死刑になることもあると聞く。さすがに古代ではあるまいし、すぐ死刑なんてことにはならないだろうが、サトたちの反感を買うとこれからイガシリでの活動に支障をきたす。それにマトミになんて顔向けすればいいのか。マトミの親戚に失礼を働いたとなると、いくら温厚なマトミといえどもフルのことを嫌いになるかもしれない。
「マトミお姉さまに嫌われたら、ショックで倒れそう」
フルは顔から血の気が引いていくのをひしひしと感じながら、冷や汗と共にサトの次の言葉を待った。
「それでサトさん。私何かしたのでしょうか? もしや大変失礼なことでも…」
サトは特に怒った様子はなく何を言っているのかと逆に不思議そうな顔をしていた。
「どうしたんですか、フルさん?」
フルの想像と全く違うサトの反応にフルは拍子抜けしてしまった。
「あれ? 私が知らないうちに変なことをしてサトさんを怒らせたわけじゃないんですか?」
「違いますよ。変なことと言ったら今まさにフルさんがしてますが」
「ということは、おしおきと称して暗がりに連れ込まれてどこからともなく現れた屈強な男たちにあんなことやこんなことをされたりとか」
「ないですね」
「じゃあ、失礼すぎる振る舞いに裏で私の処刑が決まっていたり」
「そんなわけないでしょう」
サトはフルの創造力の逞しさに呆れて何も言えないというように大きくため息を吐いた。
「つまり、ですね。私だけがサトさんに連行されることになったのは別に私が何かやらかしたわけではないんすね!?」
フルは顔を真っ赤にして興奮気味に尋ねる。
「そうです。別にここへ来てからフルさんが変なことをしていたり、失礼で目に余る態度を取ったりはないですよ。むしろダルサン叔父さんたちはフルさんのことを褒めていたくらいです」
「本当ですか!」
フルは思わぬ高評価に嬉しくなり目をきらめかせた。
「でも、だとしたら何で私だけなんですか?」
「それは、これからのことはあなたにしか成し得ないからです」
「私にしか成し得ない」
フルは自分だけが特別などという意識はこれっぽっちも持っていない。むしろ自分には足りないことばかりで特別なことなど何もなく、誰かの助けがなければ何かを成すなど到底無理だと感じていたほどだ。
フルもいつかは一人前になり遺跡の調査なども自分一人でできるようになったり、論文などもちゃんと自分の研究成果を上げて発表したいという思いはある。けれども何でも一人でできると思うほど思い上がってはいないつもりだ。
「あの、サトさん。そう言ってくれるのは嬉しいですけど、私なんて周りの方たちと比べると何もできません。何かの間違いではないですか?」
「いいえ、間違いではありません。フルさんでないと、あなたでないとダメなんです」
フルはサトの猛烈なラブコールに胸が熱くなった。
「ほんとに私なんですか! 研究発表の上手さや歴史関連の総合知識量ではスタルさんやジャルカラたちのほうが上ですよ?」
サトはまるで何も分かっていないというように首をゆっくりと横に振る。
「いいえ、フルさん。確かに知識量ではあの二人のほうが優れているのかもしれませんね。でも私が、私たちが必要としているのは知識だとかそんなものではないのです」
「そうなのですか。では一体何を」
サトは急に立ち止まりフルの目を真っ直ぐと見つめた。
「あなたです。フルさん。あなたなんです」
フルの目が熱くなった。
「サ、サトさん。私ここまで猛烈に求められたのは初めてで、なんだか感動しちゃいました。なんか、目にゴミが…」
フルはそっと目を拭うとサトの手をしっかりと握った。
「サトさん! 私まだまだ未熟の若輩者ですが、精一杯サトさんたちの役に立てるように頑張ります!」
サトは急に手を握られて驚いた表情をしていたが、すぐに冷静な顔に戻った。
「ええ、よろしく頼みます。フルさん」
そのときのサトの顔は少し陰がかかっていた。
フルがサトに連れられて歩くこと数十分。フルは見覚えのある場所に来ていた。
「ここはギプト遺跡じゃないですか。私たちが調査させてもらった場所」
「フルさんはここで何か有益なことを得られましたか?」
サトは自然にフルに聞いた。
「ええ。もちろんです。この遺跡でヴァレラガという人物の名前を発見できました。何でもヘリアンカを殺したとか」
サトの表情が少し強張る。その顔は子供が見たら泣き出すような顔をしていたのだが、サトに自分を必要とされ有頂天になっているフルの目には全く映らなかった。
「その名前を聞いて、前にどこかで聞いたことがあったり何か思うことはありませんでしたか?」
「いえ、この遺跡で始めて知った名前ですね」
「自分ではない誰かがヴァレラガという人物のことを知っているような感覚はありませんでしたか?」
フルは重要な質問をされているような気がしてうーんと少し考え込んだ。ヘリアンカが関わっていることは確実なのだが、イガシリに来てからはまだ一度もヘリアンカと話せていない。
そのためヴァレラガという人物についての情報をフルは何も持っていなかった。
「ええ。本当にこの遺跡で見たのが初めての名前ですので、知っているような感覚は全然ないですよ」
サトはそれを聞いて複雑そうな表情を浮かべた。
「そうですか。変な質問をしてすみませんでした」
フルは特に質問の意図がわからず首をかしげた。
「もしかして今の質問ってとても重要なものでしたか? ヴァレラガのことを知っていないとだめとか」
「先ほども言いましたが知識は何も必要ありません」
フルは少しほっとしたのか小さく息をふっと吐いた。
「ではさっきの質問は何なのですか?」
「それは…」
サトは一瞬だけ思案するような仕草を見せたがすぐにフルの目を見据えた。
「ただの個人的興味です。不快に思われたのなら謝ります。すみません」
フルは急に頭を下げ始めたサトの行動に慌てて手をおろおろさせる。
「いえいえ、頭を上げてください! そんなこと言ったら私のほうこそ暗がりに連れ込まれるとか失礼なことを聞いてすみませんでしたぁ!」
フルも頭をペコペコさせる。その様子を見てサトはさっと頭を上げフルの頭の上下運動を止めた。
「フルさんだって謝るほどのことではありません。私は何も気にしていませんよ」
フルはその言葉に落ち着きを取り戻してサトに抱きつく。
「ありがとうございます! サトさん!」
「あの、苦しいのと恥ずかしいので抱きつくのは止めてください」
フルはサトの苦言にはっと手を離す。
「すみません!」
「わかってもらえれば大丈夫ですよ」
サトは再び冷静になると遺跡の入口から奥を見つめた。
「それで私たちはこれから遺跡で何をするのですか? 今から入って調査の続きですか?」
フルは自分で言っていておかしな点に気づいた。調査するなら少なくとも知識は必要だし、人手も多いほうがいいはずだ。それにスタルとジャルカラのほうが調査には慣れていることだろう。
「いいえ、調査ではありませんよ」
「そうですか」
「しかし、遺跡には入ります」
「え? 調査でもないのに遺跡に入るんですか?」
調査でもないのに遺跡に入ってもいいのだろうかと優等生のフルは考える。
「入りたくないんですか?」
フルは迷うことなく答える。
「入りたいです!」
入っていいと言われているのに目的がないからと入らないほどお利口さんなフルではなかったのだった。
「それでどこまで行くんですか? ヴァレラガの名前があった最奥ですか?」
「それは着けばわかります」
「この遺跡も結構あるんですよね。大体でいいのでどこまで行くか教えてくれませんかー? どこまでか分かれば終わりが見えるのでまだ頑張れるんですよ! この遺跡長いから歩きっぱなしだと疲れるんです!」
フルは歩きっぱなしであったことに遺跡に入って少し歩いたところで気づいた。この遺跡は入り組んでいたりなどはしないが、その分全長がとても長く、奥まで歩くだけで相当の体力を消耗するのだ。
「ここです」
フルはサトに合わせて歩みを止めた。サトが止まった場所は特に何もない通路の真ん中だった。
「えっと、サトさん。ここ何もないですよ?」
「…」
サトは無言のままじっと立ち止まっていた。
「サトさん! どうしたんですか? 気分が悪いとか?」
「ごめんなさい」
「え?」
フルは後ろから誰かに急に口と鼻を布で塞がれた。その瞬間フルの意識が薄くなっていくのを感じる。フルは薄れゆく意識の仲で必死に頭を回転させる。後ろからフルたちを付けていた人物がいるのだろう。その人物がフルの口と鼻を塞いできたのだ。何故口と鼻なのか、フルの頭にある可能性が浮かんだ。布に何かを仕込ませてそれを摂取させようとしたのだ。
フルはその何かで今意識が薄れようとしている。このままではサトが危ない。フルは途切れそうな意識をぐっと力を込めてサトのほうを見た。サトは逃げようとしたりせず、同じ場所で一歩も動かずフルのほうを静かに見つめていた。
フルの意識に限界が来た。フルは思過ぎる瞼を上げることができなくなり、膝から崩れ落ちるように倒れ込んだ。意識が完全に途切れようとするその瞬間フルの頭に一つの考えが過る。フルが襲われたにも関わらずサトは逃げる気配がなかった。それはフルが襲われることを知っていたから、つまりこのフルの意識を奪おうとする人物はサトが差し向けた人物ということだ。
この考えにたどり着いたフルが思ったことはサトへの怒りではなかった。サトは襲われないのだ。サトは無事だということに安心したのだった。
「サトさんが無事で良かっ…」
フルの意識は完全に途絶えた。
「ここは」
フルが目を覚ますと見知らぬ場所だった。フルはどうやら仰向けで眠らされていたらしい。
フルが周りを見渡そうとする。しかし首が一切動かない。仕方なく目を動かして周りを伺う。すると複数の男たちがフルを取り囲むようにして立っていた。
「この人たちなに!」
フルは一瞬にして恐怖に飲まれた。この場にいたら危険だ。一刻も離れないといけないと脳が全力で叫んでいた。フルはなんとか逃げようと手足を動かそうとする。しかし全く動くことがない。
「なんで動かない! …そんな」
フルは手足どころか口すら動かないことに気づいた。声を発することができない。今まで声を出していたと思っていたのは全て心の声だった。
「何とか逃げないと」
フルが恐怖で縮み上がる心をなんとか奮わせて現状を打破する方法を考えていたときだった。男の一人が口を開いた。
「それでは儀式を執り行う」
儀式。フルには何が行われているのか全く分からなかった。ただ一つ分かるのはこれからフルの身に起こることが良いことではなさそうだということだけだった。




