55話 鬼の目覚め
カンナは一人考えていた。先日のラジェンとの闘いのことを。カンナは普段から剣を使っているわけではないが咄嗟にラジェンと渡り合えたのは幸運だった。里で剣術を教えてもらっていなかったらきっと殺されていただろう。
次にラジェンと戦えば死ぬかもしれないという恐怖もあったがそれ以上にカンナの中でヨカチを思う気持ちが強まっていた。カンナは講義を終えるとすぐに学執会の部屋へ足早に向かった。
「ヨカチ!」
ヨカチはいつもと変わらない様子で椅子に深く腰掛けていた。
「カンナか」
ヨカチはカンナのことをちらと見るとすぐに視線を手元の資料に戻す。
「私、ヨカチに聞きたいことがある」
いつもと違う雰囲気のカンナにヨカチはカンナをじっと見る。
「なんだ」
カンナはヨカチのことをはっきりさせるため自分の胸の内に秘めていた思いを告げる決心をした。
「私、ヨカチのこと、が、心配」
「どういう意味だ? お前が心配するようなことは何もない」
ヨカチが全く何も反応しないのでカンナは一気に詰め寄る。
「噓! そんなはずない! だって…」
「だって、なんだ?」
カンナは先を続けるのを一瞬躊躇してしまう。もしこの先を、ヨカチがラジェンやエザックと密接な関わりを持っているのではないかと言えばどうなるか。本当にヨカチがエザックたちの仲間だったとすれば、ラジェンたちとヨカチの繋がりを知ったカンナは口封じに殺されるかもしれない。もしかしたら、すでにヨカチにはカンナを殺すように命令が出ているかもしれない。
そう考えれば思うところがカンナにはあった。今日は講義が早く終わったので学執会室には一番に着くと思っていたのにすでにヨカチが居たこと。まさか、カンナが早く来ることを知っていて先に部屋で待ち受けていたのか。そんな考えをすぐに頭から消す。カンナを部屋で待ち受けるなどできるはずがないと。何故なら今日講義が早く終わったのはたまたまで誰にも予想できないからだ。
いや、できるかもしれない。カンナは一つの可能性にたどりつく。エザックはこの学校の理事長だ。学生だけでなく教員にも親しい人は多いだろう。もしエザックがカンナの受けている講義の担当教員に、今日の講義は早めに終わるよう持ちかけていたら。それならばカンナが学執会に早く来ることがヨカチにも簡単に推測できる。つまり、すべてはエザックの手の平の上なのか。
そう考えるとなかなか言い出すことはできなかった。カンナはヨカチのことを信じていたが、そう簡単な問題ではない。もしヨカチがエザックを優先すればカンナの命は失われるだろう。本当にヨカチと闘いになれば単純な力ではカンナのほうが上だと思う。けれどもカンナには大切なヨカチを傷つけることなんて絶対にできなかった。ヨカチを傷つけられない以上戦いになったら傷つくのはカンナだった。
「ヨカチ…」
「なんだ。なんか変だぞ」
カンナが変なのは自分でもわかっていた。それはラジェンとの闘いによるものであるとも自覚していた。一つ間違えていたらカンナの命はラジェンに取られていた。カンナの肩のラジェンにつけられた傷がうずいていた。
「変なのは、ヨカチのほう!」
カンナはついにすべてを告げる決心をする。
「ヨカチは、私たち、に隠し事、してる! 私、ヨカチが、変なこと、に巻き込まれて、いるんじゃ、ないかって、心配、で」
「変なことってなんだ」
カンナの言葉にヨカチは機嫌を悪くする。しかし、カンナは泊まらなかった。
「ラジェンやエザック理事長のこと!」
ラジェンとエザックという単語を聞くとすぐにヨカチは驚いた顔をした。
「なぜお前の口からその二人の名前が出る? 特にラジェンの名前を知っているのはなぜだ!」
ラジェンはエザックに仕えているが、普段は表に出ない人物なのだろうとカンナは推測した。そのためカンナがラジェンの名前を言ったことにヨカチは驚いているのだろう。
「私、ラジェンに、襲われて…」
カンナがラジェンとのいざこざを話そうとするといきなりヨカチがカンナの肩を掴んでくる。
「本当なのか! 本当にラジェンというやつに襲われたのか!」
カンナは涙が出そうになったが、ぐっと堪えてヨカチに証拠を見せることにした。
「おい、こんなときに何やってる!」
カンナが目の前で服を脱ぎだしたことに困惑するヨカチ。しかし、カンナがふざけているわけでも極限状態でヨカチに迫っているわけでもなかった。カンナはラジェンにつけれた肩の傷をヨカチに晒した。
「これは、ラジェン、と、闘ったときの、傷」
カンナは恥ずかしさでいっぱいになりながらも真剣にヨカチに訴える。
「これで、襲われた、のが真実、だって、わかってく、れた?」
ヨカチは何も言わずに黙っていた。すると急にカンナに自分の来ていた上着をかぶせた。
「何も言うな」
カンナはその言葉に涙が出そうだった。ラジェンとのことをヨカチに話しても、ヨカチはカンナを襲ったりしなかった。それどころか優しい態度を示してくれた。そのことがカンナには何よりもうれしかった。
「私、ちょっと、お手洗い、に、行って、くる」
カンナの目には既に涙があふれそうだった。これ以上我慢することはできなかった。あふれ出てくる涙を見せるわけにはいかなかった。カンナよりももっと辛いのはヨカチのはずだからだ。自分より辛い思いをしている人に涙なんか見せられるはずがない。カンナはヨカチに顔を見られないように急いで部屋を後にした。
カンナが涙を拭き終えて部屋へ戻るとヨカチは部屋にいなかった。
「ヨカチ…!」
カンナは部屋を飛び出した。
時はすこし遡りカンナが部屋を出たとき、ヨカチはカンナを見送ったあとエザックの待つ理事長室へと向かっていた。
「決着をつける」
ヨカチはラジェンによって直接カンナが襲われたことに憤っていた。エザックはカンナのことはヨカチに任されていた。ヨカチはそれを上手く利用してカンナを守り抜くはずであった。
しかし、ヨカチが行動に移さないとエザックは判断したのかラジェンを使って直接始末しようとしたに違いない。
ヨカチは勢いよく理事長室に突撃していった。そこにはエザックはおらずラジェンだけが静かに佇んでいた。
「ラジエェン!」
ラジェンの姿を捕えたヨカチはなりふり構わずラジェンに突っ込んでいった。カンナを傷つけられたというヨカチの怒りがラジェンを見たことで爆発したのだ。
「貴様! 許さないぞ!」
ヨカチはラジェンに一気に近づく。普通に突っ込めばラジェンの剣の間合いに入ってしまうのは冷静でないヨカチにもわかっていた。ラジェンが腰の剣に手を添えたその瞬間ヨカチはすぐ後ろに飛んだ。
ラジェンの剣は飛んだヨカチの残像を切り裂くように綺麗な太刀筋を描いて空を切る。そしてそれを待っていたかのようにヨカチは懐から小刀を素早く出し、一気に距離を詰める。
「もらった!」
ヨカチによる渾身の一撃が繰り出される。しかしその奮闘虚しくあっさりとヨカチの攻撃はラジェンに防がれてしまう。
「お前、私に攻撃するということはエザック様を裏切ったということで間違えはないのだな」
ラジェンはヨカチの攻撃を受け止めながらヨカチに冷酷に尋ねる。ヨカチはそれに何も言わずに小刀に込める力を強める。
「なら死ね」
ラジェンはそう言うと、ヨカチの腹を思いっきり殴りつける。あまりにも素早い拳だったためヨカチは対応できず思い切り殴られる。そのままヨカチは倒れるように床にうずくまった。
「最後に言い残すことはあるか?」
ラジェンの問いにヨカチは黙ってラジェンを睨みつけた。
「待って!」
その瞬間理事長室のドアが壁際まで吹き飛んだ。あまりにも大胆に部屋へ入ってきたのはカンナだった。
「どうして来たんだ! 早く逃げろ!」
ヨカチは何とかカンナをこの部屋から逃がそうと力の入らない腹に鞭打って叫んだ。
「黙れ」
ラジェンはヨカチの頭を黙らせるために蹴りつけた。
「っぐ」
ヨカチは口から血を流しながらもカンナを逃がそうとラジェンの足に食らいついた。
「俺がこいつの足を抑える! お前はここにいちゃいけないんだ! 早く離れろ!」
そんなヨカチの叫びを聞きながらもカンナが取った行動は反対だった。
「私は逃げない」
「どうしてだよ!」
「友達、だから」
そう言ってカンナはヨカチのほうを優しく見つめるとすぐに視線をラジェンに返す。
「私の、友達、を傷つける、のは、許さない」
カンナは床に落ちていたヨカチの小刀を拾う。その動きを危険視したのかラジェンはもう一度ヨカチの頭を蹴りつけ、ヨカチの腕を振り解いた。そしてカンナの方を向くと剣を構えた。
その瞬間カンナの目の色が変わった。それは怒りの色だった。カンナの顔は鬼の形相になり目にも止まらぬ速さでラジェンの剣をはじく。あまりの早さにラジェンは対応できなかった。
「こいつ何者だ。動きが速すぎる」
そしてその隙をカンナが見逃すわけがない。カンナはラジェンの腹に思い切り蹴りを入れた。その蹴りはラジェンが闘ったどの敵よりも重いものだった。
「カンナ、この強さは」
ヨカチは何が起こっているのか全く分からず膝をつくラジェンのことを眺めていた。
「まさか、ここでキバラキの血が覚醒したのか?」
カンナはキバラキという種族の少女だった。キバラキは鬼を意味し、その戦いは獅子奮迅たるものとしてヨカチは聞き及んでいた。けれどもカンナは優しい性格で戦いとは無縁だと思っていた。ヨカチはカンナのことを守るべきものであると勝手に思い込んでいたのだ。
「ヨカチ、を、いじめる、のは、許さない!」
強烈な蹴りをくらったラジェンだがすぐに立ち上がろうとする。それをカンナが上から拳で押さえつけた。そのときラジェンの頭が床に激しく当たり、その衝撃音は部屋に大きく響いた。
ラジェンの額が割れていた。しかしラジェンはそれでもカンナに食らいつこうとする。けれどカンナの猛攻は収まらない。カンナは立ち上がろうとするラジェン壁に投げつける。すさまじい音が鳴った。かと思えば一転して部屋に静寂が訪れた。ラジェンは気絶していた。
「なんだ! この物音は!」
カンナが部屋の入口を振り返るとそこにはエザックがいた。
「なんだ、お前たちは! ラジェン! 何をしている!」
エザックはラジェンを呼ぶがその声にこたえることはない。ラジェンは既に意識を失って部屋の片隅で倒れていた。
カンナはエザックがラジェンの名を呼んだことですぐにエザックを敵と認めた。目にも止まらぬ速さでエザックの懐に潜り込む。エザックはその動きに反応できないまま、カンナによって腹に掌底をくらった。エザックは白目を向いてドサッと床に横になった。
こうしてカンナとヨカチの戦いは幕を閉じた。
カンナは落ち着きを取り戻すとヨカチに急いで駆け寄った。
「ヨカチ…大丈夫?」
ヨカチはカンナが心配そうにのぞき込んでくるのを愛おしげに見つめていた。
「大丈夫だ。ありがとう。お前がいなかったら俺は死んでいたな。俺はお前を守るべきだとばかり思っていたがそれは誤りだったようだな。ありがとう、カンナ」
「ヨカチ、が、無事で、よかった」
カンナはヨカチを抱きながら二人とも無事でいたことに大粒の涙を流したのだった。




