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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
3章 砂の涙

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43話 悪の繁栄

 トゥサイは今カイザンヌによって入れられた地下の独房に入っていた。順調に進んでいくかに思えた。しかしエポルシアでの諜報活動は一筋縄ではいかなかった。アンナや黒の覆面集団であるカイザンヌ親衛隊の出現など初期に想定していなかったイレギュラーがトゥサイを襲った。その結果が無様にも独房に囚われているという状況であった。

 独房の中は薄暗く中に居る者の正気を蝕む。娯楽など一つもなく、そこにあるのは冷たい壁と薄汚れた便所のみ。さらに牢屋の目の前には看守が見張っているため妙なことはできない。

この空間に三日も居れば常人はすぐに狂気に侵されることだろう。

 しかし、トゥサイは違った。彼はエージェントとして過酷な訓練を積んできた。この程度のことでは全く動じない。トゥサイには絶望している暇など微塵もなかった。アンナを救出し、組織にエポルシアそしてカイザンヌの情報を届けるためにも今は下を向いていられない。


「なあ、あんた」


 トゥサイは牢屋の前で目を光らせる見張りの兵士に声を掛けた。


「囚人が私に声をかけるな! お前は黙っていろ!」


 見張りに声を掛けるもトゥサイは聞く耳すら持ってもらえない。しかし、トゥサイにはこの反応は想定の範囲内であった。

 トゥサイの考えは以下のようなものであった。見張られている独房内で兵士に見つからず脱出のための行動を取るのは無理だ。さらにこの牢屋の壁は簡単に壊せるものではないし、そもそも壊すための武器などは欧州されてしまったと。

 そこで中からダメなら外から開けてもらえば良いという考えに至る。つまり看守を唆し錠を開けさせその隙に脱出するのだ。今はまだ看守と打ち解けてはいないためトゥサイの言葉は無下にされた。だが、トゥサイは諜報員となる際に人心掌握術を学んでいる。

 看守は見たところ一般人のようで訓練を積んだ兵士といえどもトゥサイにはちっぽけに見えた。


「少し話そうとしただけじゃないか。そんなにいきり立つことないだろ?」


「黙れ。私はお前のような囚人と話すことなど何もない」


 兵士が自分の声に反応し口を出してきたことからトゥサイはこの作戦で脱出できそうだと確信を得た。


「そんなこと言ったって今俺と話てるじゃん」


「…」


 トゥサイが兵士を煽ると何も返答せず見張りの兵士は鉄柵の向こうからトゥサイを睨みつけた。


「そもそも俺のこと知ってるのか? 何で俺がここに投獄されたのかとか」


 兵士はまた何も返さず先ほどと同じようにトゥサイを睨みつけたままだった。しかし、トゥサイは相手が口を開かない同じ表情の中でも僅かな動きから兵士の思惑を探ることは容易であった。


「その顔、俺のことは何も知らないみたいだな」


 トゥサイの言葉に兵士は首を縦にも横にも振ることはなくやはりじっとトゥサイを睨みつけていた。トゥサイは自分と話をさせるのは難しそうだと思い次の手に打って出た。


「俺と話すのが嫌ならそれでもいいよ。俺は勝手に話すから。独り言だと思って聞いてくれ」


「誰も話していいなど言っていない! 今すぐ口を閉じろ!」


 これ以上話されると業務の邪魔になると思ったのか、それともトゥサイの意図に気づいたのか兵士はトゥサイに黙るように言いつける。しかしながらトゥサイは見張りの命令などお構いなしに一人で話し始めた。


「俺の両親は共に商人でな。俺は物心ついたときから両親の背中を見て育ったよ」


「……」


 急に一人語りを始めたトゥサイに驚きつつも見張りは黙ってしまった。トゥサイはその反応を見て相手の兵士も自分が見張っている者が何者なのか知りたがっているのだろうと推測した。その好奇心を利用しない手はない。

だがこのトゥサイがしている話が全くの作り物であるということには兵士は気づくはずもなかった。


「親父もお袋も仕事熱心だったし、そんな両親を誇りに思っていた。俺自身も商売に興味があったし、いずれは自分の店を持つんだって夢見ていた」


 トゥサイが商売に興味があったという設定は即興で考えたものではない。元から潜入するときの仮の身分として商人としての設定はあったのだ。諜報員として他国に潜む際に自分の身分を偽り別の自分となることはこのような時にも役に立つ。


「でもな、そんなささやかな夢さえも打ち砕かれたんだよ。この国に来てな」


 トゥサイは同情を誘うような声の調子で兵士に語り掛けた。この兵士の男は始めトゥサイと話すことさえ良しとしなかったのだ。命令に忠実で真面目なタイプだとトゥサイは分析していた。このタイプの人間は正義心が強く情に弱い。今回はその点を突くつもりだった。


「……この国の人間なのか?」


 すると兵士はトゥサイの話に遂に口を挟んだ。このタイプの男は話かけていればいずれは落ちるだろうと思っていたが、トゥサイの予想に反して見張りがトゥサイの手に落ちるのは早かった。

 相手の口を開かせることが出来ればもう半分は成功したようなものだ。この調子で話しかけていれば錠を開けさせることもたやすい。


「ああ、そうだ。ある日、俺はある街へ商品を売りに行ったんだ。その街は活気に溢れていてな」


 トゥサイはこの好機を逃さず、流れるように続きを話す。トゥサイは話の中であえて街の名前を出さないことで兵士が自分の想像で補完させるように仕向けた。その方が相手は話に集中しやすくトゥサイの語りを通しやすくなる。


「その街の名はリストか?」


「その通りだ」


 トゥサイの予測通り兵士は自分の頭の中でトゥサイの話に出てきた活気のある街を想像してきた。それをトゥサイが肯定することで相手と同じ情報を持っており、この国で商売をしていたのだと思わせ話の真実味が増す。

 トゥサイはさらに話を続ける。


「いつものように順調に売れてたんだ。そこにあのカイザンヌ親衛隊の連中が現れるまでは」


 そして話の中で身近な存在を出すことリアリティが増す。この兵士は見張りと言えどもカイザンヌの部下であるはずだ。それならばカイザンヌ親衛隊と接点があるはずだった。


「奴らは俺の商品を金も払わずに堂々と取ったんだ。返してくれと懇願したらあいつら何て言ったと思う?」


 トゥサイは先が気になるように疑問形で促すことで兵士をトゥサイの作り物の物語に引き込む。


「俺たちはカイザンヌ親衛隊だ。俺に歯向かうことはカイザンヌ様に歯向かうのと同じだ。まさか、お前はカイザンヌ様に盾突くわけはないよな!って脅しをかけてきやがった」


 トゥサイは涙ながらにありもしない話を訴える。


「何もできなかった。ここであいつらに反抗したら俺の夢もおしまいだ。だが、俺は悔しかった。このような野蛮な行為が許されるはずがないってな」


 兵士の顔を見るとそこには既に怒りの表情はなかった。睨みつけていた目も落ち着きを取り戻していた。


「親衛隊の全員がそのような精神の持ち主なわけではない」


「そんなことは分かってるさ! でも俺が出会ったやつは腐った心を持っていたんだ!」


「なぜ周囲に助けを求めなかった?」


「そりゃ求めたさ。だが周りに居た者たちは誰も助けてくれなかった。当たり前だよな。自分の身を危険にさらしてまでこんなしがない商人を助けるやつはいるはずがない」


 悲しい出来事に胸を打たれているといった様子でトゥサイは下を向いた。


「そのとき俺は思ったんだ。誰も立ち上がらなければ俺たちは一生カイザンヌたちの言いなりだ。それならば俺が立ち向かおうってな」


 トゥサイは声のトーンを一段落として話を続ける。


「でもな。現実はそんなに甘いものじゃない。俺は商人の仲間に声を掛けたが誰も逆らおうとするやつはいなかった。裕福な商人ばかりじゃない。誰もそんなことに金を掛ける余裕なんてない。逆に裕福なやつはカイザンヌ親衛隊に目をつけられるのを恐れたんだろう」


「一人で立ち向かおうとしたのか?」


「それしかなかったんだ。俺には見方はいなかった。俺の商品を取ったやつが所属している親衛隊の基地まで一人で行った。そしてそこで俺は奴らを見つけた。あいつらテントの中で楽しそうにトランプしてやがった。誰がいくら賭けてどのくらい儲かったかなんて叫びながらな」


「そういう輩もいる」


「俺は許せなかった。人から奪っている奴らが楽しそうにしている姿が! 俺はそのテントへ突入すると持っていた銃でそいつを撃った」


「殺したのか?」


「いや、できなかった。今思えばただの商人が人を撃てるわけがなかったんだ。俺が撃った弾はまったく見当違いの方向に行ったよ。そして俺はすぐに逃げた」


「逃げたのか? なら何故お前はここにいる?」


「俺は襲撃のとき覆面を被っていたから自分がばれてないと思ったんだ。しかし甘かった。俺が露天を出しているところに奴らはやってきた。俺がやったんだろうと問い詰めてきたが俺は絶対に首を縦に振らなかった。するとあいつらは最も卑怯な手を使ったんだ」


「最も卑怯な手?」


「俺の両親を人質にされたんだ。お前が認めなければ両親を殺すとな」


「なんと卑劣な!」


 兵士はすっかりトゥサイのペースに乗っていた。トゥサイはそろそろかなと思い始めていた。


「俺には夢があったが、夢よりも両親のほうが大切だ。俺は黙って奴らに従った。そして俺はここに収監された」


 トゥサイは怒りで小刻みに震える拳を演出してみせる。


「そして俺がここに収監されるときにあいつらの一人が言ったんだ。両親は殺しておいたからなって」


「絶対に許さない! ここから出たらあいつらをぶっ殺してやる!」


「そうか……。お前にも辛い過去があるのだな」


 トゥサイはこの兵士から放たれた言葉を聞いて完全にこの作戦が成功したと確信した。兵士の情に訴えかけ同情を誘うことができたのだ。あとは錠を開けてもらうだけだ。


「うっ」


「どうした!」


「すまない、昔のことを思い出したからなのか少し気分がだるい」


 トゥサイはぐったりと床に倒れ辛そうな顔を見せる。


「ここは寒いからなこれを使って少しでも温めるといい」


そう言って兵士は床に倒れているトゥサイを確認すると錠を開け毛布を差し入れようとした。その瞬間目にも止まらぬ速さで起き上がった。見張りが銃を腰のホルダーから抜き出す前にトゥサイは兵士の手を蹴り上げ、その手を掴み床に組み倒した。


「何故だ…」


 トゥサイは兵士の腰のホルダーから銃を抜くと床にうつ伏せの兵士の頭につきつける。


「俺の質問にだけ答えろ。アンナという少女がここに連れてこられているはずだ。どこにいる」


 兵士は驚きの表情が顔に張り付いていたが自分の命がかかっていると感じたからなのか素直に答えた。


「その少女なら向かって右の部屋にいる」


 トゥサイはそれだけ聞くとその兵士の首を手刀で叩きつけ気絶させた。銃などの装備と服をもらう。そして兵士から聞き出した情報の部屋へと急いで走った。

 その部屋にはアンナが確かにいた。しかし、アンナ以外の兵士たちも居た。


「なんだお前?」


 トゥサイは見張りの服装を頂戴しているので一目で脱走者だとはばれていなかった。トゥサイに声を掛けてきた男たちはトランプに興じており床に硬貨がちらばっていることから賭け事を楽しんでいたのだろう。

 アンナはというと服も身もボロボロになっており見るも無残な姿となっていた。


「お前、昨日の夜はいなかったよな? 新入りか? まあいい。お前もやるか?」


 トゥサイはこの兵士たちに対して絶対に許せないほどの怒りを覚えた。


「ああ。俺も混ぜてくれ」


 トゥサイは兵士たちに近づいていく。兵士どもは手にトランプを持ち床に座り込んでいた。

 トゥサイは床に落かれたトランプを手に取ると見せかけて下から一人の兵士の顔をナイフで突き刺した。

 同じくトランプに興じていた兵士たちは何が起きたのかわからず固まっていた。もし動けていたとしても座り込んでいる状況からトゥサイよりも早く動くことは不可能だった。

 兵士が動きだす前にトゥサイはナイフを素早く抜き一人、また一人と鮮やかな手さばきで兵士を処理する。トゥサイは数分もかからずに部屋にいた5人の兵士を片付けた。


「アンナ」


 トゥサイは急いでアンナの生死を確認する。アンナの口に顔を近づけると息遣いの音が聞こえた。アンナはまだ生きていた。安堵するトゥサイであったが問題が残っていた。


「アンナ起きれるか、アンナ!」


 トゥサイが声をかけても揺さぶっても反応を示さないのだ。口を半開きに開け目は虚ろになっていた。

 トゥサイはアンナを立たせることを諦め背負って運ぶことにした。人一人を背負っているのだから戦闘は避けたい。

 なるべく騒ぎを起こさないようにトゥサイは地下から地上へ出た。


「やはり、地上は見張りが多いか」


 トゥサイはここまで来たらもはや強行突破しかないと感じていた。背負っていたアンナは未だに正気を取り戻さない。アンナは服を破って作った紐で器用に背中へと縛り付ける。これで両手が開いたので最低限の動きはできることになる。


「行くか」


 トゥサイは石を拾って自分が向かう方向と反対側へ思いっきり投げる。その石は大きな音を立てて兵士たちの気を引いた。

 兵士の何人かはその音がした方角へ様子を見に行った。それと同時にトゥサイは駆けだした。

 兵士が気づかない死角からナイフを喉に突き立てる。後ろに向かった兵士たちが気づく前に走り抜ける算段だった。しかし運悪く後ろにいた兵士が振り返ってトゥサイを目撃してしまう。


「脱走だ! 殺せ!」


「クソッ」


 トゥサイはときどき振り返り銃で後ろをけん制しながらも真っ直ぐに走る。後ろから追ってくる兵士の数は6人ほど。トゥサイが放った銃弾はそのうちの一人の足に命中した。

 しかしトゥサイはアンナを背負っている分体力が兵士たちより先に底をつくのは明白だった。


「アンナを捨てるか。いや、そんなことはできない」


その時だった。前から大きな音がした。トゥサイに向かって一台のバイクが突っ込んでくる。


「こっちだ!」


「その声はラタヌ!」


 トゥサイは味方の諜報員の存在を確かめる。ラタヌはバイクに乗って手をトゥサイに向かって伸ばしていた。

 トゥサイはその手を掴みバイクへと跨る。残りの銃弾を追ってくる兵士に威嚇射撃する。


「ラタヌ、助かった」


「新しい英雄という噂はどうやら噓だったようだな」


 ラタヌはトゥサイを茶化す。


「まぁ、お前が生きてて良かったよ。後ろの女の子は?」


「彼女はクルガの娘だ」


「なるほどな。大体の事情は把握した」


 バイクの運転をしながらラタヌは答える。トゥサイはその時自分たちが乗っているバイク以外の音が後ろからすることに気が付いた。

 トゥサイが後ろを振り返ると後ろから一台のバイクが追随していた。


「あれは、まさか! トセーニャか!」


バイクに乗っていた人物はトゥサイが良く知る人物だった。何度も敵として顔を合わせている。トゥサイにとって宿敵というにふさわしい存在だった。


「ここでお前が出てくるのか」


 トゥサイは現状を冷静に分析する。相手の方が速い。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。


「ラタヌ! 後ろから敵がバイクで迫っている。もっと飛ばせ!」


「了解!」


 ラタヌは一気にバイクを加速させる。しかしそれでもトセーニャはさらに加速しトゥサイたちにじりじりと迫ってきていた。

 トゥサイは後ろを向きトセーニャのバイクと相対する。銃を構えて狙いを付ける。相手は追ってきているため銃を撃つことはできない。逆にこちらはここで銃を外して完全に追いつかれると負ける。

 残弾は残り少ない。トゥサイは極限の集中力で正確にトセーニャに銃口を向ける。トゥサイの銃にこのバイクに乗る三人の命がかかっていた。


「行くぞ! トセーニャ!」


 トゥサイは雄たけびを上げながらその引き金を引いた。


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