39話 消えない想い
突如として発生したアクシデントによってフルの研究は足止めをくらっていた。そのアクシデントとは遺跡を狙ったテロであった。
エフタルは「それぞれ家族の心配で不安だろう。そのため、本日より一時活動を停止してそれぞれ故郷に帰って家族の身の安全を確認するように」と言ったのだった。
「はぁ…」
一旦はエフタルの言葉を素直に聞き入れて受け入れたフルだった。しかし、いざこうして研究が止まったという実感がじわじわとわいてくると心にぽっかりと穴が空いたような気分になっていた。
「フル、そんなに落ち込まないで。また研究は再開されるんだし、少し長めの休憩だと思えば…」
フルの横にいたエリオットが慰めを口にするが、フルの心には全く響かなかったのでフルは肯定か否定か分からないようなうん、とも、ううん、とも取れる曖昧な返事をするばかりだった。
「私も、研究は、した、かった。け、ど。殿下は、私たち、の、ため、に言って、る」
カンナの目から見てもよっぽど気落ちして見えたのか、カンナはエリオットに続いてフルに声を掛ける。
「うん…」
実際にはフルもエフタルが嫌がらせで中止と宣言したわけではないことは分かっていた。さらに言えばエフタルの発言は研究員として派遣されているフルたちのことを思っての発言だということも痛いほど伝わっていた。
だからこそフルは落ち込んでいるのだった。まだテロの完全鎮圧は報告されていない。このまま研究を続ければテロの被害にあう可能性がないとは言い切れない。フルだっていくら研究のためだとはいっても死ぬような目にはあいたくない。
さらに言えば正式な学者のみならず学生までもが参加しているこの研究チームが遺跡を不用意にうろついているせいで、テロを起こす暴徒の鎮圧の邪魔になりかねないことも承知している。
「でも…」
遺跡を調査することの危険性や周りへの甚大な迷惑が掛かるかもしれないこと、それらを全てわかった上でフルは心の中でエフタルの言葉に否定を投げかける。
「でも、ここで研究を止めたら私たちがテロに屈したことになりませんか?」
フルは口に出せないでいた思いの丈をぶちまける。
「私たちの研究はその程度だったのでしょうか! テロという許されない行為の前に私たちは膝を屈してもいいのですか!」
この思いはフルがエフタルの言葉を聞いたときから芽生えていたものだった。エフタルの思いを理解しているだけにフルは面と向かってエフタルには言えなかった。言っていいはずがなかった。
エフタルもフルたちと志を同じくした者だ。どれほどの思いでエフタルが中止の命令を下したのかはフルには自分のことのように分かっているつもりだった。
しかしながら、感じてしまったものは仕方ない。エフタルの前では口に出さないでいた思いも時が経つにつれて、実感が沸くにつれてその思いはどんどん大きくなっていった。そしてその思いは今心の防波堤を乗り越えてフルの口から発せられた。
「カンナ先輩だって、ずっと大学にいるわけじゃない! このままテロが鎮圧するまで待てというんですか! 私はこのメンバーでずっと研究していたい!」
フルの目から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。そのしずくの一粒一粒にフルの泣き顔が逆さに写っていた。
「フル…」
フルの抱えていた思いが想像以上だったのかエリオットはフルにかける言葉が見つからない様子だった。同じくカンナもフルへどのようになぐさめるべきなのか考えているようだった。
「あのな、お前はアホか」
この張り詰めた空気に一石を投じたのは他でもないジャルカラであった。
「お前が感じてることを陛下が感じてないわけないやろ! そういうもんを全部分かっている上でわいらに中止の命令を下したんじゃ!」
ジャルカラはいつにもまして話し方に熱が籠っていた。
「それにお前だけやない! わいらだって全員そんなこと思っとるんじゃ! さも自分だけみたいに泣き出すな、どアホ!」
フルはジャルカラの怒鳴り声にぽかんとした表情を向けた。フルが顔を見渡すと皆同じように深く頷いているのが涙目でもわかった。
みなフルと同じように苦悩したのだ。そして、その上でフルのようにみっともなく喚き散らしたり、泣き言を言ったりしなかった。
それどころかフルをフォローしようとさえしてくれたのだ。フルは急に自分が恥ずかしくなる。
「すみません、でした…」
フルは小さく消え入りそうなほどか細い声で謝罪を告げた。みなフルの身勝手な蛮行を糾弾せず真摯に向き合ってくれた。フルはまた自分は迷惑をかけてしまったのだと嫌な気持ちになる。
しかし、ゆっくりと顔を上げるとそこには失望の色は全くなく、皆フルのことを温かく迎えようとしてくれている。あのジャルカラまでもがそうだった。
「皆さん。本当にすみませんでした。私だけが辛い思いをしているわけなかったのに、それなのに、私は皆さんに…」
「周りを見てみろ、お前のことを責めてるやつなんか一人もおらん。皆お前と同じ気持ちなんじゃ。わいもな」
ジャルカラが気恥ずかしそうに鼻をかきながらフルに話す。
「フル。私、だって、このチーム、と、ずっと、一緒に、いたい」
カンナはフルと同じ気持ちであることを優しく語りかけた。
「それでも、今は、我慢する、べき、ときだと、私は、想う。殿下の、言うこと、が、正しい」
「はい…」
フルは涙でぐちゃぐちゃになった顔でカンナの話を聞く。その顔をよく見るとカンナの目もうっすらと涙が浮かんでいた。
「でも、きっと、また再開できる。必ず、できる、から」
「…はい」
フルの目から見てももうカンナの涙は隠せないほどになっていた。カンナだけではない。周りのエリオットやスタル、あのジャルカラでさえも涙を流していた。
そうだ何も今生の別れってわけではないのだ、とフルは思い、今はただ少し自分を見つめ直す時間ができたのだと考えることにした。
そうすると少しだけ胸が軽くなった気がした。
「お前ら、わいは今よりもっと勉強してパワーアップして、もっと貢献できるようになる! お前らせいぜい足を引っ張るなよ!」
別れ際にジャルカラがフルたちに声をかけた。ジャルカラなりの照れ隠しであることはフルにはお見通しであった。
「そっちこそ!」
フルは大声で伝わるように言いながら手を大きく振った。二人ともお互いが涙を流していることに気づいていたがそのことについては触れる必要はなかった。
「青春だねぇ」
いつの間にか横にいたサーシャが独り言のようにぼそっとこぼした。
「サーシャ先生いつからいたんですか!」
フルは驚きのあまり先ほどの別れの挨拶より大きな声が出てしまった。
「さあね」
はぐらかすサーシャに小さな怒りを覚えながらも恥ずかしいところを見られたとフルは赤面していた。
それを横目で見ていたカンナとエリオットは互いに顔を合わせ微笑んでいた。
他の大学の研究チームの面々と別れたあとフルたちは一旦キタレイ大学へと戻ってきていた。中止になったとはいえ大学には途中報告のレポートを提出しなければならなかった。
「レポートは私とオズバルグ先生でやっておくから君たちは家に帰って顔を見せてきな」
先生たちと一緒に研究室までついてきたフルであったがサーシャの心優しい言葉にさきほどのサーシャの態度をすぐに許してしまった。まずフルには帰らなければならない場所がある。
「フルさん。これを渡しておくよ」
フルが研究室から去る前にオズバルグが何かを差し出した。
「これは何ですか?」
「寺院の許可書だ。リアートにある寺院に郷土資料を保存しているところがあってね。そこへフルさんが読めるように手紙を出しておいた」
フルはオズバルグの仕事の早さに尊敬を覚える。
「きっと研究にも大いに役に立つはずだ。一度訪れてみなさい」
「はい! ありがとうございます!」
フルは許可書を受け取ると元気よく部屋を出た。
「フルはどうするの?」
学執会に顔を出しに行ったカンナと別れてフルはエリオットと正門まで向かっていた。
「まずはリアートまで帰ることにする」
リアートにはマトミがフルの帰りを待っている。
「そっか。僕もケイオスまで帰るよ。クラが心配しているかもしれないからね」
エリオットも家に帰るようだった。エリオットにも待っている人がいるのだ。フルはクラレットが大人しく待っている様子を想像してみる。あのエリオット狂いのクラレットが大人しく待つなんてどうしても想像できなくて笑ってしまう。
しかし、フルは記憶を振り返る中で遺跡研究のときにクラレットの姿を見たような気がした。
「クラレットを見たような…」
「何? フル、どうかした?」
これ以上言うとどこからともなくナイフが飛んできたりしそうなので何でもない、と適当にごまかしておいた。
駅に着くとエリオットとここで別れることになる。
「それじゃ、フル。いろいろあったけど、ひとまずはお疲れ様でしたってことで」
「そうだね」
「それじゃ、僕は行くよ!」
「うん…」
そう言うとエリオット振り返ることもせず颯爽と列車に乗り込んで行った。列車はすぐに走り出し、みるみるうちに見えなくなった。
エリオットがいなくなり寂しくなったなと感じるフルだったが家で待っているはずのマトミのことを思えば寂しさなど吹き飛んだ。
「マトミお姉さま、久しぶりに会うな! 目一杯甘えよう!」
邪なことを考えながらフルは期待で膨らんだ胸でリアートまで帰路を急いだ。
マトミの屋敷に着くと帰ってきたんだとやっと実感することができた。キタレイ大学に帰ってきたときよりも安心感があった。
「この家をみると不思議にも心が安らぐのよね。なんでだろ?」
フルは疑問を頭の隅に追いやりながらチャイムを鳴らす。
「フル! 帰ったのですね!」
「マトミお姉さま!」
少しの間会ってなかっただけなのに何年も会えない恋人かのような気分になった。その衝動に駆られてフルはマトミに抱き着く。
「もう、フルったら」
口ではそんなことを言いながらもマトミのほうもしっかりとフルを抱きしめていた。
「マトミお姉さま、会いたかったです!」
「あら、私もよ!」
マトミはふふ、と上品に笑いながらフルの帰りを心から歓迎していた。
「もうご飯は食べたの?」
あたりはだんだんと暗くなり晩の時間が近づいていることに気づいた。今日一日いろんなことがありすぎてフルは景色に注意など向ける余裕がなかった。落ち着いた今ゆっくりと顔を空へと向けるとまだ残っている夕日がきれいに空を照らしていた。
「久しぶりのお姉さまのご飯とってもおいしいです!」
「それは良かったわ」
フルがおいしさの余り遠慮せずがつがつと食べる様子を見てマトミは満足そうにくすっと笑う。
「聞いてくださいお姉さま! 研究はとっても楽しかったんですよ!」
「あら、そうなの」
「はい! まずエフタル殿下の屋敷で…」
フルはマトミに研究先で起きた様々な冒険を語り明かした。二人の楽しい会話は夜遅くまで続いた。
翌朝、フルが目を覚ますといい匂いが漂っていた。その匂いにつられて長い廊下を渡りキッチンへ行くとマトミが朝ごはんの支度をしていた。
「あら、フル。起きたのね。おはよう」
「はい! おはようございます! この匂いに釣られて起きちゃいました」
フルはにこっとした顔でマトミに話す。
「これは何ですか?」
「とっておきのオニオンスープよ!」
「それは美味しそうです! 早く食べたい!」
「まずは顔を洗ってきてからね」
「はーい!」
フルはぐーぐー鳴るお腹を押さえながら洗面所へと向かった。フルの一日が今日も始まった。
「そういえば、フル。ご家族からこれが届いていたわよ」
「なんでしょう?」
フルはマトミから封筒を受け取った。意外と分厚い封筒だが見た目に反して軽かった。
朝の食事が終わるとフルは自室で封筒を早速開けてみることにした。
フルへ。
お元気ですか? そちらはお変わりありませんか?こちらは変わらず元気にやっています。
フルがヘリアンカ様の研究に勤しんでいると聞きました。母親としてとても誇らしく思います。あのフルが研究をするくらい立派になったかと思うと涙が溢れそうです。手紙が濡れた後があるかもしれませんがこれは涙の跡です。
我が子がいない家というのは寂しいものであなたの写真を眺めながらゆったりと過ごしています。辛くなったらいつでも帰ってきていいからね。
あなたの研究が無事に成功することを祈っています。
フィアレより
追伸。あなたの部屋を整理していたら出てきたフルの写真を同封しています。マトミさんに見てもらってください。くれぐれもマトミさんに失礼のないように。マトミさんにはよろしくとお伝えください。
「お母さん!」
フルはお母さんからの手紙を受け取ると嬉しさと気恥ずかしさで頭の中がいっぱいになってしまった。同封されていた写真を見るとフルが赤ちゃんのときから大学へ入学するまでのものがびっしり詰まっていて恥ずかしすぎてマトミには見せられないなと思った。
フルは手紙を読んでしんみりとしていたが、それどころではないことを思い出した。フルは寺院に向かおうとしているところだった。
「善は急げだ」
フルは身支度を整え早速その寺院を訪れてみることにした。
「マトミお姉さま! 少し出かけてもいいですか?」
マトミに黙って出ていくことはできないので一応了解を得ておくことにする。
「いいですけど、どこに行くの?」
「リアートにある寺院まで行こうかと」
「なるほど。さては手紙に何か書いてあったのね?」
「いえ、手紙ではないのですがオズバルグ先生から寺院の郷土史を読む許可証 を頂いたので」
「なるほど。そういうことなら行ってきなさい。そこで新しい知識を得ることで成長できるものがあるはずね」
「はい!」
「でも研究もいいけど、殿下は家族に会ってこいと言ってたんじゃない? 手紙に寂しいって書いてなかった?」
マトミには何でもお見通しだなとフルは手紙の内容をマトミに話すことにした。とは言っても写真のことは黙っていたが。
「やっぱりね。研究ばかりではなく家族に会うのも大切よ。そこで新しい気づきを得ることができるかもしれないし」
「そうかもしれませんね…」
「そうだ! フル、一度スタルシアまで帰るのはどうかしら? 最近は帰れてないんでしょう?」
「確かにそうですね」
「研究が再開すればゆっくり実家に帰ることはできないかもしれないわよ。良い機会だと思って帰ってみるのも良いと思うわ」
フルは懐かしいスタルシアの情景を思い起こした。帰ってみるのも悪く無いなと思ってしまう。一度思ったからにはもう止められないのがフルだった。
「そうですね! 寺院を訪れたらスタルシアまで帰ることにします」
「それがいいわ」
「ではまずは寺院まで行ってきます!」
「ええ。行ってらっしゃい」
フルはマトミに明るく見送られながらこれまで居た故郷とこれから行く寺院に思いを馳せながら歩みを進めた。
寺院に着くとフルはすぐに許可証を見せた。物騒な世の中なので賊か何かと勘違いされることだけは避けたかった。
許可証の効果は絶大ですぐに中へと案内してもらえた。すごく心構えして入ったのだがこんなにすんなりいくならもっと気楽でも良かったかもなとフルは思った。
部屋に通されるとそこには書物が壁いっぱいに並んでいた。フルより背が高い本棚にびっしりと詰め込まれていた。
「す、すごい」
余りの凄さに語彙力が低下したフルだったが時間が惜しいとさっそく読み始める作業に取り掛かる。
初めはゆっくりとしか読めなかったがだんだんと読むスピードが速くなりかなり読めるようになってきた。
それに加えてフルは呼んだ書物の要点をノートに書き出していたため、重要な箇所をすぐに見分けることができるようになっていた。この力は研究以外にも応用できそうだなとフルは感じた。
フルの想像以上の成長もあって3日もかからずフルが読みたい資料はほとんど読むことができた。しかし、その分3日間寺院に籠りっぱなしっだったのだが。
「やりきったー!」
フルは言いようもない達成感と確実に成長したという自信を手に入れた。もちろん資料からの知識もだ。
満足したフルは寺院を出るとマトミの家へと向かった。
フルがマトミの家に帰ると3日ぶりだからか懐かしさが込み上げてくる。
「お帰り、フル」
マトミが暖かくフルを迎える。
「ただいまです! お姉さま!」
「収獲はあった?」
「はい! ばっちりです!」
「そういえばさっきテュレンが来てたのよね」
「テュレンさんが?」
「テュレンと久々に会ったけどやっぱり家族っていいものよね。フルも一刻でも早くスタルシアへ帰るべきだわ」
「そうですよね。早速スタルシアまで行く準備してきます」
フルは自室へと入る。すると机の上に見知らぬ紙が置いてあった。
「マトミお姉さまー。私の部屋に誰か入りました?」
自室から大声でマトミに聞く。
「誰も入ってないわよー」
マトミの声も大きく返ってきた。
その紙にはスタルシアに秘宝の手掛かり有、とだけ書かれてあった。こんなことをするのはテュレンしかいないとフルは直感でわかった。テュレンの情報力ならばフルが寺院にいることを掴み、フルの居ない間にマトミの屋敷を訪れ、マトミの目を避けてこの部屋へ侵入するくらい造作もないだろうと感じた。
「スタルシアには一体なにが」
フルは家族に会える期待と少しの不安を胸にスタルシアに向けての準備を急いだ。




