37話 夢幻の女神
周りは楽しく宴会しているという雰囲気のなかフルは豪快ないびきをかいて眠りこけていた。
フルの誘拐騒動が一段落しフルたちはケウト中央軍司令官であるアスタナの手引きで軍の基地へと避難していた。そこで会談するかたちとなった結果フルとカンナは酒をうっかり飲んでしまい、ついつい飲み過ぎてしまった。意外にもカンナは酒に強く平気そうだったが、フルはその代償にべろべろに酔って爆睡していた。
「まったく。歌うだけ歌って寝るなんてね」
エリオットは横で眠るフルを困った顔で睨み付ける。
「しかも最後のほうはよく分からない歌まで歌っちゃってさ」
そういうとエリオットは録音できる携帯式の魔道具を再生する。魔道具からはフルが「あぁ~。このぉ~世界といぅ~大海原を~私はぁ~いーきーてーいーる~」というフルが作詞作曲したであろうでたらめな歌が録音されていた。
「起きたら聞かせてやろう」
エリオットは真横で爆睡するフルの顔を見ながら小さく悪だくみした。
「まさ、か、フル、が、お酒、でこんな、に、寝る、なんて」
フルと同じく酒を飲んでいたカンナは全く酔った気配はなくはきはきしていた。
「カンナ先輩はお酒に強いんですね。やっぱりキバラキの血が関係しているんですか?」
エリオットの脳内では鬼族であるキバラキには酒に強いというイメージが無意識で構築されていたので興味本位で尋ねてみる。
「ごめ、ん。それは、わから、ない。で、も、お父さん、もお母さん、も、お酒強かったから、遺伝かも」
「ああ。そういうことですか」
エリオットは鬼=酒に強いという図式が立証されなかったので少し残念そうに返答する。エリオットの魔道具からはまだフルの訳のわからない曲が流れていた。
「あのなぁ、わいはこんな意味のわからん曲なんかどうでもええんじゃ! あいつがまだシラフのときに歌ってたやつ聞かせろや!」
「わかったよ」
エリオットは露骨に嫌そうな顔をしつつも魔道具を手に取る。先ほどまで流れていたフルの意味不明な曲が止まり、ジャルカラがエリオットに頼んだ曲が流れだした。
——ストゥアーヴィーモン……アーンリーアー。デーマスケレドゥアーカバー……
「これやこれ。よし、あいつが寝てる間にわいらはこの曲を読解するぞ! おい、コスシ、ステルプ読解せい!」
いきなり人任せにするジャルカラに当の本人であるコスシとステルプは異端者を見るような目つきでジャルカラを見た。その二人だけでなくその場にいるエリオットやカンナやケーダも同じようにジャルカラを見つめあろうことか先生であるオズバルグまでも同様の目線を向けていた。
「仕方ねぇ。やってやるぜい。幸いにもフルさんの発音は聞き取りやすいしこれなら余裕かもしれないぜえ」
コスシはステルプとアイコンタクトを取る。ステルプはコスシを見てこくりと深く頷いた。その二人を黙って見ていたオズバルグは満足そうに小さく相槌をした。
「だいたい分かったがまだ細かいところまで分からないな。この先がちょっとわからないぜえ」
コスシとステルプが曲を読解している間にカンナは曲の歌詞を書き写していた。
「カンナさん、すげえな。もしかすると俺たちよりできるんじゃないのお!」
コスシが調子のいいことを言って茶化す。
「期待させ、て、ごめん、なさい。これ、は聞き取れた、だけ。意味、は、わからない」
カンナは申し訳なさそうにコスシから顔をそむける。
「わいの脳を持ってしてもこれ以上の読解は無理や」
ジャルカラは悔しそうに顔をしかめる。その顔を見たエリオットは「お前は何もしてないじゃないか」と内心で思った。
「みんな良くがんばったね」
そこで今まで黙って静観していたオズバルグが口を挟んだ。
「フルさんが歌ったのはスタルシアで昔から伝わっている歌だね。かなり昔からあるからもう過去の歴史に埋もれてしまったかと思っていたんだがまさか生徒の口から聞くことになるとはね」
「オズバルグ先生はこの歌を知っていたんですか?」
エリオットは誰もが聞きたかったであろうことを率先して聞いた。
「知ってはいたが実物を聞いたのは今回で初めてだ。でもだいたいの意味はわかった」
エリオットたちは尊敬のまなざしでオズバルグを見る。
「歌の解説に入る前に、君たちを称えないとね。よく君たちでこの歌をここまで解読できたね。大学で教える身としては大変誇らしいことだよ」
オズバルグの言葉には嘘偽りない正当さが感じられた。
「それでこの歌の意味だったね。それはこういう意味だよ」
オズバルグは歌の意味を語り出した。
「大賢者アンリレ。自由信徒の母。
大賢者アンリレ。我らの英雄。
大賢者アンリレ。知恵の女神。
アンリレよ、君は長き時を戦った。次は私たちがあなたの後を引き継ぐ。
安らかにお眠りください。
お疲れ様で御座いました。」
オズバルグが意味を完全に言い終えると先ほどまで騒がしかった室内が静まりかえっていた。
オズバルグたちが歌の解読に勤しんでいる頃フルはぐっすりと眠っていた。
「ここは、どこ?」
フルは気づくと見知らぬ場所で立っていることに気づいた。フルが最後に思い出せる記憶はジャルカラに乗せられて酒を飲んだところまでであった。ジャルカラの顔を思い出したせいでだんだんと腹が立ってきていた。
「フル」
フルは急に名前を呼ばれて驚いて辺りを見渡す。しかし周りには誰もいなかった。
「フル…」
もう一度声がした。また周りを見てみるがやはり誰もいなかった。
「私を呼ぶのは誰なの!」
フルを呼ぶこの声はフルが今まで会った誰とも違う声であった。しかしながらどこかで聞いたような懐かしい響きがあった。
「フル!」
三度目の声は今までよりくっきりとフルの耳に聞こえた。フルが瞬きした次の瞬間フルの目の前に一人の少女が現れた。
「あなた誰!」
いきなり目の前に現れた少女を警戒してフルは後ろに下がる。
「そう警戒しないで」
フルの目の前に出現した少女がフルに言う。その少女は綺麗な茶色をした腰まである髪をしており透き通るような肌をしていた。歴史の教科書にでも出てくるような一目で古いと分かるような衣装に身を包んでいた。
「私はヘリアンカ」
「ヘリアンカって言ったの!」
フルは何度目かの驚愕を受ける。目の前に急に少女が現れただけでも驚くべきことであるのにそれがヘリアンカだというのだからさらに驚きだ。
「ヘリアンカってあのヘリアンカ様ですか?」
フルは驚きのあまり質問の意味をなしていない質問をしてしまう。
「はい。貴方の思うヘリアンカで間違いありませんよ」
「まじか…。いやまじですか」
敬語で接さなければならないと思い言い直したがその言葉そのものがふさわしくないと言った後で思った。
「そんなに畏まらないで。私はあなたをずっと見ていました」
「ずっとですか?」
「ええ。あなたに直接触れることはできずともあなたを心で感じていましたよ」
フルはヘリアンカの突然の告白に胸が高鳴った。
「あの、失礼なのですが本当にヘリアンカ様なのでしょうか…」
「ええ。本当ですよ。なんでしたら何か答えましょうか?」
「では、僭越ながら。その昔カラクリ師たちは黄金の兜をしていたと文献に書かれています。この兜はいったい何なのですか?」
フルはかねてから疑問に思っていたことを尋ねる。
「兜ですか。ええ。確かにカラクリ師たちは兜を被っていました」
フルは次の一言が何か固唾を飲んで待つ。
「金色の兜は元々私がカラクリ師に伝えたものなのです。あの兜には生物の体内を見たり、物質の分子構造を解析したりすることができる力があります。それらの力はヒスイの針を突き刺すことで、先端から出る霊力を制御して物質を操作することができるのです」
兜について文献では不思議な力を有していると書かれているものはあってもその肝心の中身まで書かれているものは少なかった。しかし、兜のことを語ることができるとなると本物のヘリアンカだとフルは確信を持った。
「そんな兜だったんですね!」
「ええ。なんだかヴァレラガが懐かしいですね」
「ヴァレラガ?」
フルは耳慣れない単語が出てきて少し戸惑う。
「はい。初めて会ったのは私が5歳くらいのときでした。そのときのことは今でも鮮明に覚えています」
「もしや、その人のことが好きだったんですか?」
「彼は代々カラクリ師を排出する名家の出身でよく一緒に過ごしたものです」
フルの問いは華麗にスルーされた。
「そうだ! 楽しくおしゃべりしている場合じゃないんです!」
フルは思い出したかのようにヘリアンカに詰め寄る。
「実は私がどうしてここにいるのか全く思い出せないんです。昨日はみんなでお酒を飲んでいたはずなんですが、気づいたらここに」
フルは悲しそうな顔を見せる。
「もしや、これがお酒の力でしょうか。お酒に飲まれて記憶もおぼつかないようになってしまうなんて。ヘリアンカ様ぁ、私はもう合コンとか行けません…」
「ゴウコン? というものが何かは存じ上げませんがフル、ここはどこでもないのですよ」
「どこでもない? どういう意味ですか?」
フルはヘリアンカの言った意味がわからず首をかしげる。
「フル、信じられないかもしれませんがよく聞いてください」
もったいつけるようにヘリアンカは一呼吸溜める。
「これはフルの夢の中なのです!」
「ええええええ!」
フルは自分の顔を思い切りつねってみた。しっかり痛かった。
「痛いですよ! これは本当に夢なんですか!」
「ええ。確かに夢です。ですがこれは限りなく現実に近い夢なんです」
「え?」
「ただの夢ではないのですよ。普通の夢と同じだと夢での出来事を忘れられると困りますからね」
ヘリアンカは得意げに夢のことを説明する。
「そのために現実に近づけなければならないのです」
ドヤ顔で話すヘリアンカを見ているとフルは思わずぷっと噴き出してしまった。
「どうかしましたか、フル?」
「すみません、私のイメージしていたヘリアンカ様と実物が違っていたのでつい親近感がわいてしまって」
「文献がどう伝わっているのか私にはわかりませんが私は元からこんな性格ですよ!」
「なんだか私にはヘリアンカ様がもっと固い人だと思っていました」
「そんなふうに思っていたんですか! 私のことを文献に書いていた人はなんて書いていたんでしょうね」
「なんて書かれてるかは見ないほうがいいかもしれませんね…」
フルは今まで読んできた数々の文献を思い浮かべながら顔を引きつりながら返答する。
「しかし、ヘリアンカ様。どうして私の夢に出てきてくださったんですか?」
「そうそうよくぞ聞いてくれました!それはですね!」
ヘリアンカはケーキが楽しみではしゃぐ子供のように純粋な笑顔でフルに向き直る。
「フル、あなたは私を研究していますよね!」
「どうしてご存じなんですか!」
フルは一言も研究について話していないのになぜヘリアンカが知っているのか不思議だった。
「あなたのことなら何でも知ってるんですよ! 生まれた時からずーっと見てきましたからね! もしかしたらあなた自身よりフルのことを知っているかもしれませんよ!」
茶目っ気たっぷりに話すヘリアンカに親近感を覚えたフルは長年付き添ってきた友人のように感じていた。
「それはストーカーみたいですよ、ヘリアンカ様!」
「たしかにそうですね」
ふふふ、と笑うヘリアンカにつられてフルもくすっと笑う。
「それはともかく、フル! あなたの研究を進めるためにはカラクリ師から情報を得たほうが近道になりますよ!」
「カラクリ師ですか?」
フルはカラクリ師とはどういう人であったかを考える。
「たしか、魔道具に精通してる人たちですよね?」
「現代ではそのようですが、私の時代は錬金術師のような存在ですね。オドアケル人のことなら彼らカラクリ師に聞くのが一番です!」
「そうなんですね! わかりました! カラクリ師を尋ねることにします!」
「はい! そうしてください!」
満面の笑みを浮かべるヘリアンカは何かに気づいたように目線を一瞬フルからそらす。
「フル、そろそろ夢も終わりのようです」
ヘリアンカは寂しげにほほ笑む。
「え! もうお別れですか! まだまだ話したいことがだくさんあるのに!」
「大丈夫です。また会えます」
「必ずですか?」
「はい。必ずです」
力強く肯定するヘリアンカを見てフルは安堵する。安心したら気が抜けたのかフルの意識がどんどん薄れていった。そしてヘリアンカの姿が霧がかっていく。
「フル、起き、たの!」
「ほぇ?」
フルが目を開けるとカンナの姿が飛び込んできた。フル跳ね上がるように布団から起きると外をみる。もうすっかり朝日が昇っていた。酒を飲んでそのまま寝てしまったのだと自覚した。
「ヘリアンカ様…」
フルはヘリアンカと会ったことを起きた今も鮮明に思い出せる。夢であったが本当に起こったことだったのだ。頬をつねってみるとやっぱり痛かった。
「おお、起きたかフルさん」
フルが頬をつねっている間にカンナがオズバルグを連れてきた。
「フルさんが眠っている間に皆でフルさんが歌っていた歌を考察していたんだよ」
オズバルグはフルが歌っていた歌の内容を簡単に説明した。
「アンリレ…。ヘリアンカ様なら知っているかしら。そうだ! オズバルグ先生。カラクリ師に知り合いはいませんか?」
「カラクリ師か。それはどうしてかな?」
「カラクリ師に興味があるというか…。今の研究に繋がるものがある気がして…」
フルは正直にヘリアンカに教えてもらったと言っても信じてもらえないだろうと言うのはやめた。
「そうか。…わかった。何事も経験だね。私のカラクリ師の知り合いを紹介しよう。彼なら適任だろう」
「ありがとうございます!」
「では早速つぎの調査の順番をカラクリ師に会うことを踏まえて考え直すとしよう」
「はい! よろしくお願いします!」
フルは晴れ渡った顔でオズバルグに元気よく返事した。
時は少し遡りフルが爆睡していたころ、トセーニャは帰還しようと列車に揺られていた。
「お前がトセーニャだな」
窓際の席に腰を落とし遠くの景色に思いを馳せていたトセーニャに向かって何者かの声がした。
「確かにそうだが貴殿は誰なのですかね?」
トセーニャは警戒した。しかし、その警戒を相手に悟られないよう普段よりもさらに冷静な口調で答える。
「私が名乗る必要はない。私はただエザック様の言伝をお前に宣告しに来ただけだ」
窓から目を離さずトセーニャはその聞いたことのない声に想像を巡らせる。
「こっちを向いたらどうなんだ? トセーニャ」
その男とも女ともとれる中性的な声をした者はトセーニャにこっちを向くように促す。相手を刺激するのは得策ではないと感じたトセーニャは窓から目線を移しゆっくりと振り返った。
それはトセーニャが見たことのない人物だった。それは男とも女とも言い切れない中性的な雰囲気を身に纏っていた。
「この人はまさか…」
トセーニャの頭には一つの仮説が浮かんでいた。今はキタレイ大学の理事長をしているエザック。大学の理事長などは彼の表の顔に過ぎない。裏では誰かに命を狙われてもおかしくないようなことをしているのはトセーニャも知っている。
そんなエザックには優秀な付き人がいるという噂をトセーニャは聞いたことがあったのだ。目の前のこの人物はただ立っているだけなのに隙が見当たらない。本格的な戦闘になったらトゥサイとの小競り合いのあとである自分が不利であることは明白だとトセーニャは感じていた。
エザックの付き人か確かめたかったが余計なことを口にだし戦闘になるのだけは避けたい。
「私は貴殿のことを知りません。何用なのですか」
トセーニャは緊張のなか落ち着いて声をだした。
「それはお前が一番分かっているだろう。トセーニャ。お前はエポルシアからの待機命令を破った。何故だ」
エザックの護衛と思しき目の前の人物ゆっくりと丁寧に質問してきた。しかしその言い方の裏に殺意のようなものが込められているのをトセーニャはしっかりと感じていた。答え次第で戦闘は避けられない。
「答えろトセーニャ! お前たち自由信徒軍はエポルシア人民共和国に属しているのだ。ならばなぜ国の命令に背くのだ!」
答えないトセーニャにその人物は声を大きくした。
「貴殿は神についてはどうお考えですか」
「神だと…」
「私には神が一番なのです。国なんか比べるべくもありません! エポルシア人民共和国? そんなもの神の前では無意味なのですよ! 私は私の遂行なる意志に従ったまで!」
問いかけを発した人物は急に語り出したトセーニャに不気味そうな顔を向ける。そしてトセーニャを睨みつけるように威嚇して口を開いた。
「お前の意志などどうでもいい。命令に逆らうな。次はない…」
そうトセーニャに突きつけると窓から颯爽と去っていった。その人物が完全に列車から遠ざかるのを目視したトセーニャは安堵のため息を漏らした。
「面倒な奴に目を付けられたな」
トセーニャは再び窓の外へと目を向けた。




