33話 戦士
「殿下ご用とは一体なんでしょうか?」
フルは遺跡調査を終え戻ってすぐエフタルから声を掛けられていた。
「うむ。お主に確認したいことと伝えたいことがある」
エフタルは豪華な服に身を包んでおりその口調も相まって実直な雰囲気が立ち込めていた。
「ここでは話しづらいことだ。場所を変えるがよいな?」
「もちろんです。陛下」
フルはただならぬ気配を纏うエフタルに連れられて集落の外れへ離れる。中心部から聞こえる賑やかな声がかすんでほとんど聞こえなかった。
「まず報告からさせてくれ。先刻の古墳を発掘した際に遺骨が見つかった」
「遺骨ですか」
「ああ」
遺骨だと聞いてフルはその意味を考えるように視線をさまよわせる。
「失礼ですが陛下。遺骨など遺跡や古墳であればどこでも見つけられるようなありふれたものでは?」
「確かにそうだな。それがただの遺骨ならな」
「そう申しますと…」
「この遺骨を調べたのだ。するとこの骨の元々の人物は髪が同じ色の者が多数確認された」
エフタルから髪の色と聞いた瞬間ごくわずかであったがフルの顔がこわばる。
「黄緑色なのだよ。ちょうど君と同じような色だ」
自分の髪の色を指摘されたフルは特に動じることもなく静かにエフタルの言葉に耳を傾けている。
「これが報告だ。何か君たちの研究の貢献になればと思ってな」
「それはありがとうございます。しかし、陛下。なぜ私だけに教えてくださるのですか? それほど重要なことならば皆を集めて仰るべきでしょう」
エフタルはフルの口から出た言葉を嚙みしめるようにただ一言うむ、とだけ発する。数分の沈黙の後エフタルは重い口を開けた。
「もちろんこの情報は君の言うとおり皆と共有すべきだと私も考えている。だが私が君にだけ伝えたのには理由がある」
フルの視線はエフタルの次の言葉を待つようにじっとエフタルの目にだけ注がれていた。
「ずばり君との関連性だ。君の髪色と酷似しているのだ。確かにたまたまだと切り捨てることは簡単だ。だが…」
「陛下、もしや私がヘリアンカと何らかの関係があるとお思いなのですか?」
「そういうことになるな」
フルはエフタルを見てゆっくり口を開いた。
「私には父がいません。私は母の手ひとつで育てられました。いわゆる母子家庭ですね」
エフタルは口を挟まずただ黙って聞いている。
「でもその母は本当の母親ではないんです。私は赤ん坊のときスタルシアの寺院に捨てられていたそうです。それを住職に拾ってもらい幼少期をそこで過ごしました。その後、今の母親に引き取られたんです」
「なので、私とヘリアンカの関係と聞かれてもわかりません。私の本当の親が誰かも知りません」
「そうであったか。すまないことを聞いたな…」
エフタルは言いづらそうにしながら目を伏せる。フルの口が開く前にエフタルは絶妙な間を持ってフルに尋ねる。
「別に構いません」
エフタルはフルに申し訳ない気持ちがあったがそれ以上に目の前のフルという少女に何か感じ取っていた。それは直感としか説明しようがないものだった。
「何か隠していることはないか?」
「何もありません陛下」
フルはエフタルの問いにただそう述べると口を固く閉ざした。これ以上何も言うことはないといったように。
「そうか、ならいい。もし何か話したくなったらいつでも来なさい」
「ありがとうございます陛下。ではそろそろ戻っても構いませんか?」
「ああ。ご苦労だったな」
フルはエフタルから解放されると集落へと戻っていく。その姿をエフタルは険しい顔つきでじっと眺めていた。
集落に戻るとエリオットが近づいてきた。
「フル! エフタル陛下に呼ばれたんだって? 何か言われたの? もしかして褒められたとか?」
フルは余程気になっていたのかそわそわしているエリオットに視線を向けると微笑む。
「別に何ともないよ。陛下から私のことを少し聞かれただけ」
「えっ!」
エリオットの目が見開き驚きの顔に変わる。
「もしかして陛下はフルのことが好きになったのかな! フルと結婚しようとしてるってこと?」
フルは突飛すぎるエリオットに呆れてため息をつく。
「そんなわけないでしょ」
「だ、だよね!」
エリオットは機械を弄ってばかりだから変なところに考えが飛ぶなあとフルは思った。作戦を立てたりするのは不向きかもしれないな、と。
「そうそう、フルにお客さんが来てるんだった。向こうで待ってるんだけど知り合い?」
フルがそこへ向かってみると黒いローブを纏う人物が目立たない木の陰で立っていた。フルに気づくと力のこもった早足で近づいてくる。
「私はヘリアンキ自由信徒です。この髪、貴方様でお間違いありません。待っていました」
フルには全く心当たりがなかった。そのローブの人物からは言葉にできない関わってはいけないような不気味さが漂っていた。
「あなたのことは知りません。人違いでしょう。お引き取りを」
フルはそれだけ言うとその場を急いで離れようとする。しかしフルはそこから動くことが出来なかった。ローブの男の腕が伸びている先にはフルの腕があった。
「早く逃げないといけません! 奴らが!」
ローブから伸びる腕に捕まれているせいで逃げることができない。フルはその拘束からなんとか逃れようと腕を力いっぱい振る。しかし健闘虚しく全く緩むことはなかった。
「暴れないでください! 本当に奴らがすぐそこまで来ているんです!」
余程焦っているのかローブの人物は早口でまくしたてるように声を荒げた。その眼は赤く血走り平常とはとうてい思えない。
「私は貴方様を助け…」
乾いた音が空を切り裂きながらローブの男の話を遮った。フルの目にはローブの男の口から赤黒い液が漏れているのが写った。
「ヘリアン…様…」
男の命が終わった。一人の男がフルの目の前で死んだ。フルは音がした方角を睨みつける。そこには馬に乗った集団がこちらへ向かって来ていた。
その集団は統率が取れているように思える揃った動きで逃げることの出来ない大波のようにどんどん迫っていた。よく観察すると銃を肩から下げておりとうてい真っ当な者たちとは思えなかった。
「これは一体」
フルは現状を全く理解できずにいた。今はエフタルたちと遺跡調査に来ていたはずだ。いつも通っている大学とは程遠いが決して戦場に来たわけではない。日常を踏み越えたという感覚は全くない。
しかし現実は残酷でフルが望んでいようがいまいが関わらず銃を持った騎馬隊は今にも迫っている。
フルはローブの男を引きずりながら懸命に逃げようとする。この男の胸には弾丸が貫通した跡がありぽっかりと穴が空いていた。穴から泉のように湧き出る血でフルの靴が染まり始めた。
「とにかくこの場を離れなければ」
フルはちらりと相手のほうを見る。まだかなり距離があるため馬でもすぐには追いつかないはずだ。しかしこれほどの距離を並みの銃では届かせることはできない。
「何か銃に細工をしている? 例えば魔道具とか? この男を狙ったのは何故?」
フルは冷静に頭を働かせる。そして目の前で撃たれぽっかりと穴があいたローブを見つめる。
この男が即死してしまったことはこの穴を見れば誰にでも明らかなことであった。しかし、この状況で事情を把握していたと思われるのはこの男だけなのだ。
フルはこのローブの男を捨てて逃げ出すことを考えた。しかし、撤退するためには頭だけでなく体を動かさないことには始まらないという結論に達した。
何故この襲撃が行われているのか一切わからないため唯一の手掛かりのこの男を失うことは避けたいと考える。男を捨て置くことは出来なかった。
「重い…」
男の死体はフルの体にはたいへん重く、この死体を運びながら目前にまで迫っている騎馬隊から逃げるなど無理だと悟った。
フルはローブを掴んでいた手を放し死体を背に集落の中心へと走りだした。一度走り出すえと後ろを気にしている暇はない。とにかく走って生き延びなければならない。フルの体は集落まであと20メートルというところまで近づいていた。
「うぉぉお!」
フルの走る足音をかき消すようにフルの前方から嵐のような怒号が聞こえた。
「まさか、挟まれたのか」
フルがその懸念に至ったのと同時にその声に目を凝らす。するとそこにはヤスィを先頭にオドアケル人たちが鬼気迫る勢いで騎馬隊を目掛けてっ突撃していた。
「援軍だ!」
オドアケルたちも敵と同様に馬に乗り銃を持っていた。敵の数は10人程度だがオドアケルはその3倍の戦士が馬に乗っていた。数では敵を大きく上回っていた。
集落から近い場所へ、というよりほぼ集落に攻めてきたと言ってもおかしくないのだ。ここからオドアケル人の集落まで目と鼻の先であった。このことからこの襲撃はオドアケル人の集落を狙ったものであるとヤスィは判断したのかもしれないとフルは推測する。
「おおおぉ!」
馬の蹄を怒号の嵐がかき消していく。オドアケルの戦士たちは銃を持っていたがそれを使おうとはしなかった。理由は単純明白だ。射程距離にないからだ。
敵の使う銃にはなぜか普通の銃の5倍ほどの距離の敵に命中させることができた。それをフルはこの目で見たのだ。このままでは距離を詰める前に弾丸をぶち込まれておしまいだ。
そう考えていたら敵は威嚇するように何発か銃を撃つとすぐに馬を引いていった。それが数では負けていると理解したためか、男を殺すという目的を果たしたためかは不明だった。撤退していく敵を眺めながらヤスィたちオドアケルの戦士も馬を止めた。
「深追いはするな! ここで警戒態勢を取れ!」
ヤスィがその場にいる戦士たちに命令を伝える。優秀なオドアケルの戦士たちはヤスィに命令されるまでもなく既に警戒態勢を取っていた。その手には銃ではなく頑丈そうな縦を構えていた。
「フル! 無事か!」
ヤスィがフルに声をかける。
「ええ。私は何ともありません。ですが…」
「そうか。無事なら何よりだ」
ヤスィはフルの言葉を最後まで聞くことなく安堵のため息を漏らした。その視線の先には敵の馬が走り逃げ誰もいない草原があった。
フルがヤスィに返答している頃には敵の姿はもう見えなくなっていた。嵐が過ぎ去ったようだった。
敵が完全に引いたと分かるとヤスィは戦士団に撤退と号令をかける。フルは血だまりを見つめた。そこにはまだローブを被った死体が横たわったままだった。
「少し失礼します」
フルはローブの男へと歩きだした。血の池といでもいうべき赤の水たまりはとても大きくなっていた。
「ナテッド、念のため付いて行きなさい」
ヤスィはナテッドを名指ししてフルに同行させる。ナテッドは返事の代わりに力強く頷いた。
「なんと酷い…」
フルが男の元へ着く。男の胸はしっかりと貫通していた。それもかなり大きな穴が空いていた。
「普通の銃ではこんな傷口にはなりません。ナテッドさん、この傷口から何か分かることはありますか?」
馬から降りて無言で男の死体を見たままナテッドは首を横に振る。
「そうですか。ではこの男に見覚えは?」
男の顔を睨みつけるようにナテッドは見た。しかし先ほどの同じように首を横に振るばかりであった。
ナテッドから情報を得られなかったが、それはフルも同じことだった。フルもこの男のことをよく観察したが今までの記憶でこの顔の男は全くなかった。
「この男はここは危険だから早く逃げろと私に忠告していました。どうして彼には敵の襲来がわかったのでしょうか?」
ナテッドは分からないのか無言を貫く。
「もしかすると敵から逃げてきたのかもしれませんね。それなら一応の説明はつく。けれどそう仮定すると別の疑問が生まれます。どうして私に知らせたのかということです」
フルの顔を見ながらナテッドは口を閉じたままだ。
「私に逃げるよう言った彼はとても平常心ではなかったと思います。取り乱していたというか、とにかく必死でした。追われていたからだとすると必死だったのはわかります。けれど私の腕を掴み、私を逃がそうとしていたように思えるのです。追われていたのなら自分だけで逃げればいいはず」
ナテッドはフルから目を逸らし周囲を見渡した。
「まだ疑問点はあります。敵についてです。この傷跡からわかるように一般的な銃ではないと思います。これは威力が出るように施されている、例えば魔道具を組み合わせている可能性はあります。残念ながら私は機械に詳しくありません。もしかすると単に銃の威力を上げるように改造しているだけかもしれません」
フルは男の傷口をなぞるように死体の上を指で滑らした。
「そしてもう一つ。何故、敵はそれほどまでの武器を持っていながら私を撃たなかったのかということです。彼がここで殺されたことからわかるように、一緒にいた私も射程距離には十分入っていたはずです。それなのに私は撃たれなかった」
大きな雲が太陽を隠し始める。暗幕が下りるかの如く徐々に暗くなっていった。
「これはナテッドさんたち皆さんにも言えることです。オドアケルの戦士たちも銃は持っています。しかし、貴方たちの銃はごく普通のもののはず。ならば敵である彼らの銃のほうが射程距離から安全に撃てたはずなのです。さらに銃で応戦するどころか威嚇するように数発を撃ってすぐに退散していきました。確かに数では彼らはナテッドさんたちに劣っていましたが、武器の性能で一方的に勝っているのに何もせず撤退するものでしょうか?」
暗く影を落としている雲から雨が一滴、また一滴と落ちてきた。
「もちろん、ナテッドさんたちが弱いと言いたいわけではないですよ。一般論として勝機があるのに引くものなのかと言いたいだけです。まあ、あれこれ考えても分からないものは仕方ありませんね。ここは割り切るしかないでしょう。あとで族長に聞いてみましょう。もしかしたら何かご存じかもしれません」
先ほどまでぽつぽつと振っていた雨であったが明らかにフルの肩に落ちる雨粒が増えていた。
「雨が降ってきましたね。そろそろ戻りましょうか。ナテッドさん、申し訳ないですがこの死体を集落まで運んでもらえますか?」
ナテッドは嫌な顔ひとつせず死体を担ぐ。その時だった。
「きゃ!」
ナテッドの視界には先ほどまで話していたフルはそこに立っていなかった。フルの代わりには屈強な黒馬に乗った男がフルを担ぎ上げ走り抜けようとしている光景があった。
「離してください!」
フルの口から抵抗する声がナテッドの耳に届いた。フルは今まさに攫われようとしていた。
ナテッドは抱えていた死体をその場に投げ捨てるように置き、急いで愛馬に跨った。
「ハイ!」
ナテッドが大きな声で馬に合図を出す。それを待っていたかのように馬は勢いよく走りだした。しかし、フルを攫った黒馬はもうかなり先まで飛ばしていた。
ナテッドの頭には後悔でいっぱいだった。周囲の警戒を怠った覚えはない。だが現にこうしてフルが敵の魔の手に落ちている。もう少しだけ周囲に目を配っていればと頭を過る。しかしそれらを考えてももう遅い。フルを乗せて黒い馬は走りだしてしまった。ナテッドは馬に集中した。
この馬とナテッドは相当長い付き合いになる。名前はラメントといった。この馬が生まれたときから常にナテッドは傍にいた。ナテッドの所属する戦士団には優秀で頼れる戦士が大勢いる。しかし、ナテッドが最も信頼を置いているのはこの馬であった。
ずっと一緒に過ごして共に戦い多くの死線をくぐり抜けてきた。ラメントの考えていることは何でもわかったし、ナテッドの考えていることもラメントに伝わっている感覚があった。
今、ラメントとナテッドの気持ちは同じだった。ただ、前の馬に追いつきたい。フルを取り返したい。
手綱からラメントが伝わってくる。まだこの馬は走れる。もっと速く走ることができる。もっと風になれる。
「ハイ!」
ナテッドは再び愛馬に合図を出す。ラメントはそれを聞いてぐんぐん加速していく。風を切り景色を置き去りにしていく。ナテッドとラメントはこの瞬間たしかに風になっていた。
あと数メートルで追いつけるという位置にまでナテッドは付いた。フルはぐったりとして目を瞑っている。大人しくさせるため気絶させられたに違いなかった。
ナテッドは両手で持っていた手綱から片手を外す。その手で腰に提げている剣を鞘から繊細に抜いた。
あと少しだけ近づけば剣の間合いに入る。ナテッドの剣は丁寧に手入れが行き届いており雲の陰で光が届かないなかでも光っているように感じるほどだった。
いま。ナテッドの中で目の前の黒馬に乗る人物を間合いに捉えた感触があった。その機を見逃さず剣を振り抜く。その洗練された動きは雨粒さえ切れそうなほどだった。
「くっ」
しかし、ナテッドの動きを読んでいたかのように剣を振ったまさにその瞬間、黒い馬が加速した。ほんの一瞬の加速だったがその効果は絶大だった。ナテッドの剣は空を切る結果に終わる。
剣が空振りに終わったのと同時にナテッドの耳に雨音ではないノイズが聞こえた。それは馬の蹄だった。自分の馬でも、目の前の黒馬でもない。もう少し先からその音は突き刺さるように近づいてくる。
目の前には馬に乗り武装した者の一団が広がっていた。敵の援軍だと直感で理解した。ナテッドはラメントに最後の加速をしてくれと願った。それに呼応するように蹄の音が高く鳴りさらに加速した。
ここしかない。この瞬間を逃せば敵の集団に飲まれる。ナテッドは再び剣を振るう。
シュッという剣が奏でる音とともに赤い鮮血が宙を舞った。ナテッドの剣の切っ先が敵の背中を捉えていた。
浅い。剣から伝わる感触でナテッドは瞬時に理解する。仕留め切れていない、と。
実際その通りで黒馬の男は背中から血を流してはいるものの、馬の速度は落ちるどころかますます速くなっていた。ナテッドは黒馬からどんどん離されていった。
黒馬に代わって現れたのは馬に乗った武装集団だった。彼らの存在はタイムリミットを表していた。
敵の騎馬集団は手慣れた手つきでナテッドに詰め寄る。ナテッドはフルのことを一旦諦めこの者たちを捕えて情報を吐かせることに考えをシフトする。こうなった以上は情報を持ち帰り協力を頼み奪還に挑むべきだ。
幸いナテッドは剣の腕には自信があった。数が多くても負けはしない。
まずはすれ違いざまにナテッドは剣を振るった。プシャッという間の抜けた音とともに敵の腹が裂けた。先ほどとは違い確実に致命傷だった。まず一人だと冷静に現状を把握する。
敵を屠り確かに手ごたえがあったが何か違和感があった。ラメントがやけに興奮していた。敵を切り捨てることなど今まで数えきれないほどあったがここまでラメントが興奮するのは初めてのことだった。
自分の足に何か液体が流れる感触を感じた。雨ではなくもっとどろっとしたもの。そう思い視線を下げるとナテッドの服が真っ赤に染まっていた。返り血を浴びたにしては量が多すぎた。手を下腹部に当てた。血が流れ出ていた。ナテッドはすれ違いざまに敵の一人を切ったが、ナテッドもまた切られたのだ。
自分が着きられたことを自覚したその瞬間、意識が飛びそうになる。すでに集落から遠く離れたところまで来ていた。今更戻ることはとうていできなかった。
幸い馬はどこも切られていなかった。死ぬのなら自分一人だけでいい。ラメントには死んでほしくない。その思いから自分の意志で馬から転がり落ちる。
ここでラメントが生き残れば集落に戻ってフルのことを知らせてくれるはずだ。とても賢い馬だったためナテッドは半ば確信していた。
「すまない」
転がり落ちたナテッドに驚いていたラメントであったが、想いが伝わったのか倒れているナテッドを背にして集落の方角へ走っていった。
頼む。ナテッドは心の中で愛馬へ想いを託すと剣を手に立ち上がる。敵の一人がナテッドに馬で近づいてくる
ナテッドはふらつく体で右手の剣を振り抜いた。その軌道はしっかり馬に乗る男の腹を捉えた。しかし、ナテッドの剣は男の腹に食い込んだだけで振り抜けなかった。肉か骨かはたまた筋肉か、敵を切り裂いてきたその剣は皮肉にも敵によって止められてしまった。
もうナテッドにはその剣を引き抜く力は残っていなかった。血がとめどなく溢れている。もう自分はここで死ぬのだ。そう思うと悲しみだけがナテッドを支配した。
フルを救えなかった無力、自分の身ひとつ守ることができない未熟さ、友との別れ、留まることない思いがナテッドの頭を駆け抜けていく。深い悲しみの中、ナテッドはもう祈ることしかできなかった。ラメントが無事に集落にたどり着けますように。集落の皆に自分の意志が伝わりますように。そしてフルが無事でありますように、と。
ナテッドは足に力が入らなくなってきた。ついに前に倒れるように足の力が抜けた。全てがスローモーションのように見える世界でナテッドは鳥のように宙を舞っていた。その視線の先にはラメントがはるか遠くに見えた。
オドアケルの戦士の首が飛ぶと、馬に乗っていた男たちは黒い馬と同じ方角へと走り去っていった。




