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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
2章 女神のレイライン

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31話 虚像の矜持

 フルは食事を取っていた。特別美味しいとは思わなかったのは環境のせいかもしれないし、目の前の人物に起因するかもしれなかった。


 「族長、この子がフル・フリィーペンです。わたしの教え子です」


 フルはオズオバルグたちとヘリアンカの調査に赴きオドアケル人の集落にある族長の家に来ていた。そして昼食の最中であった。

そして目の前にはこの集落の長つまりオドアケル人の族長がいた。フルはオズバルグの提案で族長に色々聞いてはどうかと言われて共に食事することになったのだった。


 「初めまして。紹介にあずかりましたフルです。キタレイ大学で歴史を学んでいます」


 「わしはここの族長のヤスィ・トクじゃ」


「本日は本当にありがとうございます。ヤスィさん」


フルは緊張でガチガチになりながらもなんとか会話を続ける。フルはこれまで大学や古代の遺跡や大きな屋敷で色々な人に出会ったがヤスィほど貫禄がある人に会うのは初めてだった。


「陛下に言われれば断れまいて。で、おぬしは何が聞きたいんだ?」


「ヘリアンカについてです」


「ふむ」


フルはおそるおそる口に出した。それを受けてヤスィは深く考え込む仕草を見せる。


「おぬしの質問に答える前にこれだけは聞いておかねばならぬ。おぬしは何故ヘリアンカ様のことを調べておるのだ?」


「なぜ、ですか」


「なにも調べるなと言っているわけではない。過去の歴史に目を向けその教訓から次の世代へと活かしていく。これは我が集落でも尊重されていることだ」


ヤスィはフルに対して熱心に語り始めた。


「おぬしも大学で歴史学を学んでおるのならわかるだろう。歴史を学ぶことの大切さが。近頃の若いもんは歴史を学んだところで何の意味もないとほざく始末。まるで話にならん」


 ここにはいない誰かに失意したかように、これからの行く末を嘆くように目を下に伏せた。


「だがな、おぬしはそれとは違うはずだ。その証拠にヘリアンカ様に近づこうとわしのところまで来たではないか。その点は認めよう。しかし、情報を渡すかどうかは別の話じゃな。ヘリアンカ様は今は亡き神といえど軽々と口外していいものではない」


フルは予想していなかった状況にどぎまぎした。フルはすぐにでも教えてくれると思っていたのだ。


「もし悪しき者の手に渡ってしまったら。そう考えるだけで胸が震えるわい。おぬしが悪しきものだとは思っておらんが、ヘリアンカ様のことを託すことのできる器の人物であるとも思っておらぬ。今はな」


ヤスィの真剣な眼差しにフルは目を逸らすどころか少したりとも動かすことができなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。


「わしにおぬしがヘリアンカ様のことを語るに相応しい人物であるということを証明してみせよ!」


フルはヤスィの話を確認するために目を離さずに口を開けた。


「それが私にヘなぜリアンカを調べるかを聞いた理由ですか」


「左様だ。返事次第ではもう二度と会うことはないだろうがな」


フルは考えていた。この調査で一番の難関はここだと直感が告げている。ちらとオズオバルグを見る。オズオバルグは優雅にお茶をすすっている。あくまで同行者として付いてきただけでフルを助けてくれる気はないようだ。

 自分の道は自分で切り開けということだろうかとフルは考える。こんな序盤でつまづいていたら何も見つけることなどできない。


「はい。私は歴史が好きなんです。」


「ほう」


フルの言葉に真剣に耳を傾けるヤスィは族長という立場でありながらも一人の強者であった。


「歴史を紐解くと必ずヘリアンカが登場します。それらを調べてきてわかったことがあるんです。ヘリアンカも私たちと同じなのではないかと」


ヤスィの顔が急に険しくなる。目つきが鋭くなり殺気が漏れ始めていた。その圧はフルを震わせる。


「もちろんヘリアンカは神で私たちはただの人間です。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、私は思うのです。ヘリアンカも私たちと同じように嗤ったり悩んだり苦しんだりしていたんじゃないかって」


「それで?」


ヤスィは顔色ひとつ変えずにフルに続きを促す。


「私はそんなヘリアンカを…」


「失礼しまーす! 族長のヤスィさんはおりはりますか!」


 フルが話していた途中で何者かが割り込んでくる。その声にフルの張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れた。


「わいはウルク帝国大学の首席ジャルカラってもんです! ヤスィさんにお話を伺いたく参上しまた! あんたがヤスィさんですか?」


フルはジャルカラの出没に大きくため息をついた。ただでさえ目も合わせたくなかったのにヤスィとの話を妨害されジャルカラに殺意が芽生えていた。


「おい! 今取り込み中なの気づかなかったの! 邪魔だからさっさと出て行って!」


フルはジャルカラに怒鳴りつける。


「は? なんでわいがどかないといけんのや? 三流のお前がどっか行けや。ヤスィさんもキタレイ大学のクソよりウルク帝国大学のわいと話したいに決まってるやろ」


 それを横で聞いていたオズオバルグが目をひそめる。


「ヤスィさんの時間を無駄にすんなよ! ほら時間を無駄にしてすみませんでしたって土下座してさっさと消えろ」


オズオバルグはそっと目を閉じていた。その目の下に静かに怒りが溜まっていくのがフルにはわかった。

しかし、オズオバルグが口を挟まないことを見ると生徒同士のトラブルは自分たちで片付けろということだろうとフルは受け取った。


「この者が失礼を致しました。同じ研究班の学生として謝罪します。私の話はまた後日とさせていただきます。貴重なお時間をいただきありがとうございました」


 フルは今すぐにでもジャルカラを殴り飛ばしたかったが族長の家の中でそんなことをするわけにはいかないとぐっと思いと留まった。フルが手を出さずにヤスィに謝罪できたのは奇跡だった。


「わかった。ではおぬしの返答の続きは後日聞くことにしよう」


そう言うとヤスィはフルからジャルカラに目線を変えた。


「では失礼します」


怒りでプルプルと震える手を悟られないようにそっとヤスィの家を後にした。オズオバルグはそれに続くようにフルと家を出る。


「フルさん。よく耐えました」


オズオバルグが優しく今にも泣きそうなフルに言う。


「あの場で手を上げていたら族長の話を聞くことはおろかこの調査班から外される可能性もあったでしょう。本当によく頑張りましたね」


オズオバルグは全て分かっているようにフルの心に寄り添う。


「はい、オズオバルグ先生…」


フルはオズオバルグの言葉に我慢していた涙があふれてしまった。ポロポロととめどなく溢れてくる涙にフルは情けなさと自分の無力さを痛感した。


「では私はこの件をウルク帝国大学の先生に伝えてきます。後のことは任せなさい」


オズオバルグはフルの方を励ますように優しく叩いた。


「あのようなことは到底許されるべきではない。けれど後から彼を殴ったりしてはいけない」


オズオバルグはフルを諭すようにゆっくりと話す。


「きっとあの行動にも彼なりの理由があったのだろう。だから彼を赦せとまでは言わない。そうは言わないが君が彼と同じようなことをすることはないよ。フルさん、わかるね」


フルは涙を拭いて、はいとだけ呟く。


「いい子だ。では私は行ってきます。ヤスィさんはまた時間を作ってくださると約束してくださった。それまでに自分なりの答えを考えておきなさい」


そう言ってオズオバルグは本部のほうへと歩いていった。

 フルはさっきまでいたヤスィの家を睨みつける。ジャルカラを殴っても何もならないことは頭ではわかっている。分かってはいるのだがフルにはこの怒りの行き場がどこにも無かった。


「絶対に許さない…」


 フルは力ない足取りでカンナたちのところへ戻って行った。


「なんでですか! なんでわいの話を聞いてくれないんですか!」


「おぬしとは話す価値すらない。さっさと去れ」


ジャルカラはフルを追い出したあと調査をしようとヤスィに詰め寄っていた。しかしヤスィは全く相手にせずジャルカラとは話たくもないと全くの塩対応であった。


「なぜわしがおぬしと話したくないか本当にわかっていないのか? もしそうなら本当に未熟なのかそれとも…」


「お願いします! わいに教えてください! お願いします!」


土下座しそうな勢いのジャルカラを虫でも見るような目つきで見下すヤスィはさきほどと同じ態度を崩さない。


「わしと話したいのならそれ相応の対応があるというものだ。それが何か分からんやつとは話すことは何もない。去れ」


 何をやっても取り合ってくれないヤスィを見てジャルカラは懇願することを諦める。


「このクソジジイが…」


去り際に聞こえないくらいの小さな声でジャルカラが悪態を付く。しかしその小さな声はしっかりとヤスィは聞いていた。


「なんでなんや! なんでわいはこうも上手くいかんのや!」


ヤスィの家を出たジャルカラは悲しみと怒りで胸がいっぱいだった。ヤスィの態度からジャルカラがヤスィから話を聞くなど到底できそうもなかった。


「わいは発表のときに皆に迷惑かけとんのや! その分をしっかり取り戻さないといけんのに! なんで、なんでこうなるんや!」


 ジャルカラの目には涙が浮かんでいた。


「なんで、なんでなんや…」


  ジャルカラは幼い頃から何でも人より優れていた。走ったら誰よりも速かった。勉強だって誰よりもできた。記憶力だってずば抜けていたし、喧嘩も強かった。

 そのためジャルカラは無意識的に傲慢な性格になってしまった。しかし、それは表面でのことだった。心の中では皆と仲良くしたいと思っているし、自分にはない長所を持つ人を認めてもいた。

 けれどもジャルカラの肥大化してしいたプライドがそれを表に出すことを許さなかった。自分より少しでも劣っている点を見つけ蔑み見下すことでのみジャルカラの体裁を保つ手段はないと信じていた。

 だがジャルカラはその行為が自分の内面と矛盾していることに気づいていた。気づいていながらもどうすることもできなかった。仲間と協力したいと思っていたが他者を見下すことしかできない。


 「くそぉ! 全部あいつのせいや! あのフルとかいうキタレイ大学のカスがぁ! あのアマ絶対許さん!」


 そしてジャルカラはその自分の矛盾を受け入れることが出来ない。その原因を他者に求めることで自分を慰めるしかなかった。

 ジャルカラの能力と比べて精神面は甚だ未熟であった。


「絶対に、許さん!」


ジャルカラの悲痛な叫びが届くことはなかった。


ジャルカラがヤスィの家に乱入した次の日、フルは改めてヤスィの家を訪れていた。


「失礼します。ヤスィさん。フルです」


 扉を開けて入ってきたフルをヤスィは見つめる。


「よく来たな。まずは腰をかけたまえ」


 昨日のジャルカラの騒動ではオズオバルグ同様に静かな怒りをその瞳にメラメラとたぎらせていたヤスィだが今は穏やかな顔つきだ。


「ヤスィさん、昨日は…」


「何もいうな。おぬしに罪はない。私に聞きたいことがあるのだろう?」


「はい、って教えてくださるんですか?」


フルは昨日を思いだして少し驚いた。昨日は何も教えてもらえず、なぜ自分がヘリアンカを追い求めているのかその理由を話しヤスィを納得させなけらばならなかった。であるのに今回はあっさりと教えてもらえそうな雰囲気がある。


「ああ。昨日の一見で考えが変わったのだ」


 そう言ってヤスィは目を細める。


「あの件は私にも責任の一端があるのではないかと思ってな。彼もきっと理由があって歴史を探究しているのだろう。それを私が語らなかったためにあんなことになってしまたのかもしれない」


フルは神妙な面持ちで黙ってヤスィの次の言葉を待った。


「彼は確かに礼儀がなっておらず今まで見てきたなかで最も精神が未発達だった。だがしかし、あんなことがあっていい理由にはならない」


「…そうですね」


 フルは昨日ジャルカラが乱入したあとのことを思い出していた。

 フルをジャルカラが追い出したあと、ジャルカラもヤスィによって追い出されていた。フルと同様に何も教えてもらうことなく。

 そしてジャルカラはこの場から姿を消した。先生を中心に簡易的な捜索隊が組織されたがジャルカラは結局見つからなかった。

ジャルカラの腕輪が落ちていたことから遭難したのかもしれなかった。この集落があるウルル山では遭難したが最後生きて帰ることはできない。自然の脅威の前には皆等しく無力であった。

 フルはその知らせを聞いたとき胸がすく思いがした。あれだけの酷い仕打ちをしていたのだから自業自得だとさえ思った。だが時間が経つにつれてその考えが風化しジャルカラが少しだけ心配になった。

 いくら酷いやつだったとはいえ遭難して死ぬことはない。確かにフルは殺してやりたいほど憎かったが、本当に死んでほしかったわけではないのだ。


「とはいえ、わしが知っていることはそう多くはないのだ。昨日はおぬしに偉そうなことを言っておいてすまないね」


「いえ…」


「わしが知っているのはわしが勇者ヤスィアの子孫ということだけだ」


「やはりそうだったんですね! お名前を拝見したときからそうじゃないかと思っていたんです!」


 フルはジャルカラのことなどすっかり忘れ目の前の男からの言葉に耳を全力で傾けた。


「ああ。そうだ。わしは勇者ヤスィアの正式な末裔だがヘリアンカに関する情報はあまり持っておらんのだ。本当にすまないね」


「そうですか、いえいいんです」


「せめてもの罪滅ぼしに私の部下をおぬしの遺跡探索を手伝わせよう」


「ありがとうございます!」


 フルの返事を聞いて満足そうにヤスィは頷く。


「おい、ナテッド来なさい」


 ヤスィが呼ぶと部屋に一人の若い男が入って来た。髪が女性と見間違うくらい長くあり色は太い木を思わせるような茶色であった。おまけに身長も高かった。フルの1.5倍はあるのではとフルは思った。


「無口な男だが力があり頼りになるはずだ。こいつを連れていくといい」


ヤスィはナテッドを見ると目だけで頼むと伝えていた。ナテッドもその目を見るだけで伝わったようだった。


「ヤスィさん。ありがとうございます。ナテッドさん初めましてフルといいます。よろしくお願いしますね」


 ナテッドは小さく頷いた。


「カンナ先輩! エリオ! 遺跡へ出発するよ!」


フルはナテッドを連れてカンナたちの元へ帰るとすぐに声を掛けた。


「うん。わかった」


「もちろん。そう言うと思ってたよ」


 カンナとエリオットはフルが言いだすことがわかっていたかのように既に準備万端だった。


「ところでフル、後ろの人は?」


「ああ! 紹介します! 今回の遺跡調査を手伝ってくれることになったナテッドさんです!」


フルの高いテンションと裏腹にナテッドは軽く会釈するだけであった。その洗練された動作を見たカンナとエリオットは只者ではないと一目でわかった。


「こっちの可愛い人がカンナ先輩で、こっちの頼りなさそうなのがエリオットです」


「頼りなさそうってなんだよ!」


 フルの冗談にエリオットが突っ込む。カンナがそれを見てクスッと笑った。フルの中でもうジャルカラの仕打ちより遺跡での冒険に心はシフトしていた。


「では出発します!」


フルたちは遺跡を目指してゆっくりと力強く歩み始めた。




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