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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
2章 女神のレイライン

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27話 夢を見る眠れない君と

 「理事長! これは名誉なことですよ!」


 「うむ。分かっているとも」


豪華な部屋に二人の男が向かい合って話している。ここは理事長室。キタレイ大学の理事長のための部屋だ。

 部屋には学生が表象されたときの賞状や盾やトロフィーが壁一面に飾られている。綺麗に並べられており埃一つないことから理事長の細かい性格が現れていた。


 「しかし、何も考えずに二つ返事するわけにはいかん」


 煌びやかな室内と打って変わって、重苦しい空気が支配していた。理事長は深くため息をつくと話を続けた。


「確かにHRTにわが校の生徒を派遣できるというのはキタレイ大学の功績のみならず学生の成長にも繋がるというのはわかる。だが危険がゼロではないのだ。レイラン君だってこの前の事件は記憶に新しいだろう」


「はい。そうですが。この機会を逃すのは痛手です。わが校にも実績は必要です」


レイランと呼ばれた50代の男は理事長の言葉に必死に返答する。


「それはそうなのだが」


レイランという男と話している理事長の名はブタクザヤ・エザックという。この男はキタレイ大学の理事長である。大学で一番の権力者であり、この学校で最も位が高い。


「理事長、もう一度言いますがこれはチャンスなのです。我がキタレイ大学に巡ってきた数少ないチャンスです。これを逃すともう機会はありません」


「分かっておる」


「しかもこれは国からの要請ですぞ。ここで生徒を派遣することで国とのパイプも作れます。このコネクションは確実に我が校の助けになります」


理事長を熱く説得しているこの男はカインザン・レイラン。理事長とは旧知の中である人物でキタレイ大学の事務長だ。他の教授に話せないような権力絡みの愚痴を話す相手として重宝している。口が固いため外に漏れる心配がなく常に相手を配慮してくれるため相談役としてぴったりなのだ。

 それだけではなくレイランとエザックは相性が良かった。大学以外の話でも妙に馬が合い家庭菜園という共通の趣味を持つ者同士で話が合った。


「分かってはいるのだが…」


「理事長! あなたが生徒のことを一番に考えているのは痛いほどわかります! ですが理事長! 生徒のことと同様に大学のことも考えてください! 大学に実績が入れば寄付なども増えるでしょう。これは生徒を守ることにも繋がるんです!」


「それはそうだが」


レイランの言葉を濁すことしかできないエザックは考え込むように黙り込む。数分の沈黙が訪れたあとエザックが口を開ける。


「前向きに検討するとしよう」


「是非そうしてください!」


「分かっていると思うがこのことは極秘の任務なのだ。他言無用で頼む」


「はい。分かってますとも。では私はこれで失礼します」


「ああ。ご足労ありがとう」


レイランが出ていくと理事長室はすぐに静寂に包まれた。


「はぁ。全く疲れる」


誰にでもなく独り言をエザックは呟いた。


「学校を運営するのも楽ではない。だが、それ以上に厄介なことも残っているからな。誰かに愚痴らなければやっていられない。お前もそう思うだろ? ラジェン?」



「そうでございますね」


急に静寂を打ち破り壁から仮面をつけた人物が現れた。


「お前も護衛ご苦労だったな」


「いえ、私はエザック様の命ある限り任務を遂行します。しかしご安心ください。私が居る限りエザック様に死が降りかかることはありません」


仮面のせいで性別が分からないこの人物ははっきりとした口調で答えた。


「そうか。よろしく頼む」


「はっ」


それだけ言うとすぐに姿を消してしまった。


「そろそろ我々も動くときが来たのかもしれないな」


そう言って目を細めるエザックに何が写っているのか推し量ることは誰にも出来そうになかった。


「オズバルグよく来てくれたな」


レイランを部屋へと呼んだ次の日にエザックはある人物を呼んだ。オズバルグだ。


「いえ、理事長に呼ばれたとなれば参上しないわけにはいかないでしょう。しかし、理事長はこういったことは無視すると思っていましたよ」


「いや、私も最初はそのつもりだったのだがな」


レイランに前向きに検討すると言った手前何もしないわけにはいかない。実はヘリアンカ研究チームを国が発足することになり今回キタレイ大学にも声が掛かったのだ。


「オズバルグならヘリアンカ研究に適任だと思って今日は呼んだのだ。君なら生徒も安心して任せられる」


「ありがとうございます。学生は私の教え子のカンナとフル・フィリーペン、そして教員からはサーシャ・バルダックを同行しようと思います」


エザックはそれを聞いて明るくなった。


「そうしてくれるか! それなら一番安心できる」


「ええ。それが最善だと考えています。実際、大学に対する信頼も件の事件の影響で低下しています。ここで実績を作り信用を回復する必要があります」


「そうだな。ではそういう方向で調整してもらえるか?」


「ええ。任せてください。しっかり調査し、論文をばんばん書き上げますよ」


「それは頼もしいな」


お互いに微笑み合ったのちオズバルグは失礼と言って部屋を出て行った。



オズバルグが部屋に入る少し前に理事長室を除いている人影があった。


「これは大ニュースではないか。ヘリアンカ研究か。これをフルに伝えれば俺様の評価は爆上がりに違いないぜ!」


その人影とはラスターだった。ラスターはヘリアンカ研究が国で行われること、その研究チームにキタレイ大学から人員を派遣する手はずになっていることを知った。


「情報は鮮度が命だぜ!」


ラスターの理論に従って二人の会話を最後まで聞くことはなくフルの元へと向かった。


理事長室の壁の一部が人型の輪郭が浮かび上がる。


「エザック様…」


「ラジェン、分かっている。大柄の男が一人この部屋を覗いていたことだろう?」


「はい。気づいておられましたか」


ラジェンと呼ばれる仮面の人物はエザックに語りかける。


「あんな風に堂々と中を覗いていたのでは誰だって気づく。オズバルグはドアを背にしていたため気づかなかったかもしれぬがな」


「始末しますか?」


「いや、放っておけ」


「いいのですか?」


「そうだな。当初の予定とは違うが、せっかく向こうから来たのだ。せいぜい利用させてもらうことにするか」


「承知しました。では私が何か動きましょうか?」


「その必要はない。あの学生が働きかけてくれる。我々はそれを待てばいい。ただ待てばいいのだ」


「畏まりました」


最後にそう言うと仮面の人物は壁と同化し透明になった。


「何度見てもお前の魔道具の効果はすごいな。本当に見えなくなる。たまに一人かと錯覚するよ」


はあっと大きなため息を吐いて続ける。


「想定通りにはいかないものだな。しかし、それが人生というものだ。一度きりの人生。楽しんでいこうじゃないか」


エザックだけしか見えない理事長室で声高に笑うのだった。


「おい! フルよ!」


「…」


ラスターはカンナの研究室を訪れていた。フルならここに居ると考えていた。


「おい! 恥ずかしいからと無視することはないぜ! この部屋には俺様とフルの二人だけじゃないか!」


「…」


フルはラスターのことを無視して手にしている文献を熱心に読んでいる。まるでラスターなんて存在しないかのような振る舞いだ。


「もしや、集中しすぎて俺様の声が全く聞こえてないのか?」


うーんと考え込むラスターだったが考えても名案が思い付かなかった。


「フ! ル!」


「…」


名前だけを大声でしかも耳元で呼んだ。フルはビクッと肩を震わせたがラスターのほうを見ることはなかった。


「耳栓をしているのか? 俺様の声が小さいわけがないからな」


「…」


「一度でも俺に気づけばフルならば飛びついてくるだろうが…」


「…」


その時急にラスターの両手がフルの頬と触れる。両手で顔を挟むようにして無理やりフルの顔を文献から引き剝がすとラスターの目線と合うように目を持って行った。


「おい! フル! 俺様だぜ! 飛び込んで来い!」


ラスターと目が強制的に合ったフルの顔は信じられないようなものを見る顔だった。飛びこんでこいというラスターの顔に飛び込んできたのはフル自身ではなくフルの平手打ちだった。

 バシンと気持ちがいいほど音が鳴ったその平手打ちはラスターの顔を正確に捉えていた。


「何するんですか! 私が文献読んでるの分からないんですか! 貴方の目は節穴なんですか! 脳はあるんですか!」


酷い言いように流石のフルも言い過ぎたかと思ったがラスターは特に効いていないようだった。


「やっと俺様の方を向いたか。寂しかったからってそんなに大声を出さなくても俺様は逃げないぜ!」


いつも通り過ぎるラスターに怒りよりも諦めの気持ちが勝りフルは机に突っ伏した。


「はー。本当にラスターさんは邪魔しかしませんね。この研究室出禁にしてもいいかカンナ先輩に今度お願いしよ」


「邪魔ではないぜ! フルに伝えたいことがあってな!」


フルはお前の存在自体が邪魔だろうと心の中で思いつつもラスターの言う情報が気になった。オドアケル人のこともあってラスターの情報だからと無視するわけにはいかない。前回みたいに有益なことが聞けるかもしれない。


「理事長室で聞いたんだがよ! いま国でヘリアンカの研究チームが発足するという話は知っているか?」


「ヘリアンカ調査チーム?」


ヘリアンカについて研究しているフルとしてはその単語は聞き逃すことができないものだった。


「そうだ。その研究チームのメンバーにキタレイ大学からも派遣するらしいぞ!」


「本当ですか!?」


「ああ! 俺様のこの耳でしっかり聞いたから間違いないぜ!」


本当のことなら是非ともフルは参加したいところだ。国が発足したチームらしいので研究予算やメンバーも優秀なものだろう。このチームに参加できればヘリアンカについてもっと近づけるかもしれない。


「私その研究チームに入りたいです!」


「そういうと思ってたぜ!」


入りたいという思いが全身を駆け抜けてたとき一人の顔が頭に浮かんだ。


「カンナ先輩…」


ヘリアンカの研究はフルが一人で行ってきたものではない。隣にはいつもカンナが居てくれた。研究チームに入るならカンナと一緒じゃないと嫌だと心が叫んでいる。


「カンナ先輩に知らせてきます! ラスターさん、ありがとうございました!」


「おう! いいてことだ!」


フルはカンナに伝えに文献を机に広げたまま急いで研究室を飛び出た。


「カンナ先輩!」


「どう、した、の? フル?」


フルは廊下を歩いていたカンナを見つけると息が上がった声でカンナを呼び止めた。カンナが論文を探しに図書館に向かっていたのは知っていたのですぐに追いつけた。


「ヘリアンカの研究チームが発足されるらしいです! このキタレイ大学にも声が掛かっているみたいなんです! 教授に私たちをチームに入れてもらえるように頼みにいきましょう!」


「えっと、状況、が、分からない、ん、だけど」


「とにかく説明は後で! 善は急げです! 行きましょう!」


「え? え?」


困惑するカンナの腕をぐいぐい引っ張りながらフルは早足で廊下を歩いていった。


「オズバルグ先生! ヘリアンカの研究チームが発足されるんですよね!」


「どうして君がそのことを知っているんだ? 私はカンナにしかまだ話してなかったはずだが」


カンナを引き連れてオズバルグの元へたどり着いたフルは開口一番に研究チームについて尋ねた。


「そんなことはどうだっていいんです! 私たちをそのチームに加えてください!」


「ヘリアンカ研究チームの話はフルさんにも話そうと思っていたのだが…。どうやらこの情報がどこから漏れたのか聞かなくてはならなくなったな。」


オズバルグは口調を強くした。


「そんなに重要なことですか?」


「そうだ。この話は理事長から直々に伝えられたものだ。この話は機密事項となっているのだ。まだ世間に公表もされていない。どこで話が漏れたのか特定しなければならない。そしてその者にはそれ相応の処分を下さねば」


ここでラスターの名前を出さなければオズバルグを説得することはできそうもなかった。しかし、名前を密告することはは友達を売る行為に他ならない。フルは情報をくれたラスターに恩義があるのだ。

 それにラスターはフルにとって大事な友達…。


「いや、あの人は友達ではないか。いつも邪魔ばかりしてきたし、今回のことだってノックも無しに研究室に入って来て私の作業を妨害してくるし、害悪でしかないな。うん」


「何をぶつぶつ言っているんだい? フルさん?」


「いえいえ、こっちの話です。すみません」


「それはいいんだが、結局誰なのかね?」


「ラスターさんです!」


フルは何の迷いもなく雲一つない澄み渡る青空のような笑顔で堂々と答えた。


「…事情は分かったよ。彼には相応の処罰を与えるとしよう」


「はい。よろしくお願いします」


フルは淡々と答える。


「オズバルグ教授! 私たちはどうしても研究チームに入りたいんです!」


「分かっているよ。元々この話はフルさんにもするつもりだったからね。もちろん歓迎しようではないか!」


「本当ですか! ありがとうございます!」


「カンナには既に伝えてあったな?」


カンナは嬉しそうに大きく頷いた。


「ええ!」


フルはカンナがオズバルクからとっくに聞いていたことに驚く。フルの知らないうちに話は進んでいたようだ。


「カンナ先輩は知ってたんですか!」


「うん。知って、たよ」


「教えてくれたってよかったのに!」


「言うの、遅く、なっ、ちゃった。ご、めんね」


「まあいいですよ!」


フルは研究チームに加入させてもらえることになり大変ご機嫌だったため大抵の事は笑って受け流せた。


「そいういえばラスターさんは理事長室で聞いたと言ってたんですよね。学校を代表してチームに加わるんですから理事長にも挨拶に行ったほうがいいですよね?」


「そう、かも、しれない。理事長、と、直接、会ったこ、とは、ない、けど、学校の、運、営とい、う点でお世話、になって、いるこ、とには変わ、りないし」


「そうですよね! そうと決まれば今すぐにでも理事長室へ行きましょう! オズバルグ先生ではまた!」


「え? え?」


 いきなりの発言におろおろしているカンナをフルは腕を引っ張りながら理事長室へとガンガン突き進んで行った。


「どうぞ」


 フルが理事長室のドアをノックすると柔らかそうな声が返ってきた



「失礼します!」


「しつ、れい、し、ます…」


「初めまして! 私、フル・フィリーペンと申します! 実はヘリアンカの研究チームが発足すると聞きまして私たちが加入させてもらえることになりましたので挨拶に伺わせていただきました!」


「ははは。プロジェクトに参加するのに私のところまでわざわざ挨拶に来たのは君たちが初めてだよ」


「そうでしたか! 初めてになれて嬉しいです! 何事も一番なのは良いことですからね! 初めて賞ということで理事長から何か支援していただけませんか?」


「フル! 何を、言って、るの!」


 挨拶するだけだと聞いていたカンナは突然のフルの暴走にどきりとした。理事長は学校のトップとしてこのプロジェクトに支援してくれているはずだ。それなのにさらに個人的な支援をお願いするなんて失礼極まりない。しかも今日初めて会ったばかりの人にだ。


「うーん、いいよ」


「ダメですよねーって、え?」


「うん。だからいいよ。オズバルグ君にも私から言っておくよ」


フルはカンナと顔を見合わせた。


「カンナ先輩、私の頬っぺたつねってみてください。お願いします」


「えい!」


「イタイタイタイ!」


思いっきりつねられて頬っぺたが赤く腫れてしまった。


「現実だと確かめられました。ありがとうございました。言ってみるものですね」


「うん」


二人のやり取りをじっと見ていたエザックが二人を見る。


「もういいかな?」


「あ、はい。すみません」


「とりあえず私から君たちが研究チームへ出発する前に何か用意しておこうじゃないか」


「はい! ありがとうございます!」


「それはそうとこの話はどこから聞いたのかな? オズバルグからかな?」


フルはその問いに満面の笑みで答えた。


「ラスターさんです!」



理事長室を出てフルとカンナは今度こそ研究室に戻ることにした。


「本当、に、これ、で、良かった、の、かな?」


「ラスターさんのことですね。オズバルグ先生にも理事長にも名前出しちゃいましたけどまあ何とかなるでしょ」


「ラスターさんなら何とかすると思うので大丈夫ですよ! きっと!)


カンナはうーんと唸っていたがフルほどラスターと親しいわけではないのでフルの大丈夫という言葉を信じることにした。


フルたちがが理事長室を出た後エザックはその顔を妖しく歪ませた。


「思惑通り釣れたねぇ」


「学生を入れてしまって本当に問題無いのですか?」


「大丈夫だって。もともと入れる予定だったわけだし。でもうちの組織から入れるっていいうことからは少し変わったけどむしろこっちのほうが良いかもしれないし。何かあったらラジェンに任せるよ」


「畏まりました」


「うん。…ようやく世界が動き出すときが来たようだね。これからが楽しみだ」


うーんと伸びをしてエザックはヘリアンカ研究チームの資料に目を通し始める。その時にはもうラジェンの姿は部屋の景色と同化し、さっぱり見えなくなっていた。

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