19話 すれ違い
「どういうことですか!? カンナ先輩!」
フルはカンナの研究室で怒りを含む大声を上げていた。
「どういう、こと、も、何、も。その、まま」
カンナはフルに少し冷たく返す。
「私、用事、ある、から」
カンナは一言告げるとフルを振り返ることなく研究室から出て行った。
カンナが研究室から出る1ヶ月前のことフルとカンナはいつものように研究室に入り浸っていた。フルたちは今までの数々の調査からヘリアンカの日記こそがカギであると目を付けたのだった。その日記があるウルクという都市だった。フルは一刻も早くウルクに行くべきだと考えていた。
しかし、それをカンナに告げると返ってきたのはフルの予想とは大きく外れたものだった。
「日記は、重要、だ、けど、急ぐ、ことは、ない。日記は、逃げない、から」
フルはカンナがすぐにでも出発しようと言うだろうと考えていただけに拍子抜けしてしまった。フルは確かに今すぐにウルクへ行かなくてもウルクにある博物館に収蔵されている日記はどこへも行かないと思いカンナの言うことを素直に受け入れた。もしかしたらカンナは授業の課題で追われていて博物館へ行く余裕がないのかもしれないと考えた。
「そうですね。急ぎではないのでカンナ先輩の都合が良いときに行きましょう!」
「うん」
フルはその二週間後に再びカンナに話しかけた。
「カンナ先輩! そろそろウルクへ行きませんか?」
2週間経ったのだ。カンナが忙しかったとしても落ち着いてもいい頃だとフルは考えた。
「いや、今は、ま、だ、行か、ない」
「どうしてですか?」
「今、少し、忙し、い」
まだ忙しかったのかとフルは落胆した。しかし、忙しい先輩に迷惑をかけるわけにはいかない。もう少ししてからまた声をかけようと思った。
そして先ほどフルは最初に声を掛けてから1ヶ月経ったためウルクへ行こうと話したのだが、カンナはまたもや微妙な返事をするのだった。
「まだ忙しいんですか?」
「うん。忙し、い」
1ヶ月経ってもまだ忙しいとは一体カンナは何をやっているのだろうか。フルには想像も付かない大きなプロジェクトなのかもしれない。
「カンナ先輩! 私手伝います!」
「え?」
「カンナ先輩が何をやっているのかわかりませんが、私が手伝えば百人力ですよ! 一瞬で終わらせて見せましょう!」
「えっと」
「大丈夫ですよ! こう見えて私テキパキしてるんです。すぐに終わらせてウルクへ行きましょう! それでカンナ先輩は何をやってるんですか?」
フルは学執会がらみの大きなイベントか、それとも他の大学との共同のプロジェクトなのかなどと妄想を膨らませてカンナの次の言葉を待った。
「いらない」
「え? 何ですか?」
「別に、手伝、わ、なく、て、いい」
「何でそんなこと言うんですか? 気を使ってるんですか?」
「そんな、んじゃ、ない。とに、かく、フル、が、手伝、う、こと、は、ない」
フルはカンナの返答が予想外すぎ呆然とした。それどころかカンナは何か触れられたくないことを隠しているように思えた。もしかするとカンナが忙しいというのは噓でフルと話したくないのだろうかと思案する。
「もしかしてカンナ先輩は私のこと嫌いになりましたか」
フルの言葉を聞いて今まで冷徹だったカンナの声色は感情的になった。
「そんな、わけ、ない!」
「ならどうしてですか!」
フルは大きな声で怒鳴り上げる。カンナに向かって怒鳴ったのはこれが初めてだった。長い沈黙が研究室を支配した。お互いに口を閉ざし目も合わせようとしない。時計の針の音だけが規則的に聞こえていた。
長い長い静寂でフルはやっと気づいた。カンナはフルに何かを手伝わせるのが嫌ではないのだと。忙しいというのはカンナの噓で本当は忙しいわけではない。では何故噓を吐いているのか。それはカンナがウルクへ行きたくないからだ。
「カンナ先輩。ウルクへ行きたくないんですね」
沈黙を破ったのはフルだった。
「…」
カンナは何も言わず俯いていた。
「どうして何ですか? 何でウルクへ行きたくないんですか? 話してみてください」
フルはカンナが何か苦しんでいるのなら助けていと思った。
「い、嫌」
カンナからここまで拒絶されたのは初めてだった。何を言ったらいいのかわからずフルはこの場面で最も取ってはいけないだろう行動を取ってしまった。こんなにも自分はカンナの力になりたいと思っているのにどうして伝わらないのか。フルの心のモヤモヤを吐き出すように怒りに任せてさらに怒鳴る。
「どうしてなんですか! 私はカンナ先輩のことを一番に考えてるんですよ!」
フルは息を弾ませながらカンナの目を真っ直ぐ睨み付ける。
「フル、の、そういう、とこ、ろ、嫌い」
カンナの声はフルとは対照的にとても冷たいものだった。
「どういうことですか!? カンナ先輩!」
「どういう、こと、も、何、も。その、まま」
その言葉を残してカンナは研究室を去ったのだった。
フルはどうしてもカンナの態度に納得がいかなかった。温厚で後輩思いで誰にでも優しかったあのカンナが冷徹な視線を向けてくることは違和感しかなかった。
「絶対になにかある。カンナ先輩は私たちに何か隠してるよ。そう思うでしょ?」
教室でフルは目の前の四角い機械を拭いている少年に話す。
「うーん。そうだね。フルの態度はともかく、カンナ先輩らしくないね」
「私の態度はともかくってどういう意味!」
機械を拭いていた少年、エリオットは答える代わりに首を振った。
「私が悪かったのかな」
エリオットはおや、と思った。いつも強気なフルが落ち込んでいるのが珍しかったのだ。普段ならどんとこい!と言った調子で何にでも悠然と構えている。自信に満ちあふれているフルだが、親しい友人と喧嘩してしまうと流石にきついのかもしれない。
「そうだね」
「え!」
フルは自ら自分が悪いと言っていたのにも関わらずエリオットが肯定すると想像していなかったかのような反応をした。おそらく否定してほしかったが故の言葉だったとエリオットは理解していたが、それでも正直に答えた。
「誰にだって聞かれたくない過去はある。もちろん僕にだってね。それを土足でずかずかと入って来られたら嫌じゃん」
「で、でも。私はカンナ先輩のためを思って…」
フルは言い訳がましく言った。その言葉は語尾が小さくなってほとんど聞き取れなかった。
「うん。カンナ先輩のことを思ってのことだと僕はちゃんと分かってるよ。でもそれは僕に伝えても仕方ない。カンナ先輩に伝えないと意味がないんだ。わかるね?」
「うん」
フルはすっかり大人しく素直になっていた。
「自分の思いを伝えるにはその人にちゃんと寄り添わないとダメだ。じゃないとただの独り善がりだ。フルがしたようにね」
「わかってる…」
「今回の場合はカンナ先輩のことを考える必要があった」
フルは黙って頷いた。
「カンナ先輩はきっとフルに意地悪をしたくて黙ってたわけじゃないと思う。それにカンナ先輩だって本気でフルを嫌いになってはないと思う」
「えっと」
フルはカンナに嫌いだと言われたこととたった今エリオットが言ったことを頭の中で比べた。
「でも私、嫌いって言われたし…」
「それはフルのことを嫌いだと言ったわけじゃない。フルの人の心に無遠慮に入ってくるところが嫌いだと言ったんだ」
「そうかな」
少しだけ声が大きくなった。
「うん。そうだと思うよ」
「そうだよね!」
フルの声が一気に大きく明るくなる。
「元気になって何よりだよ」
エリオットはやれやれという感じで苦笑いをした。
「今から私カンナ先輩と仲直りしてくる!」
「うん。言っておいで」
「仲直りしてから改めて聞くことにするよ!」
エリオットはフルの発言を聞いて目を大きく見開いた。今まで何を聞いてたんだと、せっかく教えてやったのにフルは自分を通そうとするのだ。フルらしいと言えばフルらしかった。
エリオットは諦めて頑張れと言っておいた。ただ、このまま行かせて二人の間にどうしようもない溝が出来てしまったら寝覚めが悪い。一応のフォローはしておくことにした。
「カンナ先輩に直接聞くんじゃなくて周りの人に一回聞いてからのほうがいいんはない?」
「うーん」
フルは腕を組んでしばし考えた。
「ヨカチ先輩とかはどう? 同じ学執会だし仲いいんじゃない?」
「確かにヨカチ先輩はいい考えかも! ありがとうエリオ!」
そう言うとフルは教室を駆け抜けて行った。エリオットは本当にこれで良かったのか分からなかったがフルとカンナの二人なら大丈夫だと心で感じていた。
「失礼します!」
フルは勢いよく学執会の扉を開ける。ヨカチに会いに来たのだ。フルはエリオットにアドバンスを貰ってすぐに行動した。すぐに動けることはフルの自覚する長所のひとつだった。
「いない。って、あんたは!?」
ヨカチの代わりにそこに居たのはなんとラスターだった。フルはラスターが苦手だった。人の話は全く聞かないし、自分の思うように事実を捻じ曲げるし、乱暴だし、はっきり言って嫌いだった。
「おお! フルではないか! 俺様に会いに来たんだろ!?」
会いに来たのはヨカチであってラスターでは断じてない。ちなみにフルはラスターに会いに行きたいと思ったことなど一度もなかった。
「こんなところで時間を無駄にするわけにはいかないのでもう行きますね。さようなら」
早口でまくし立てるとフルは目にも止まらぬ速さでUターンをして部屋から出た。
「そんなに照れなくてもいいじゃねえか! ほんとにお前は可愛いな!」
その後をさも当然という顔をしてラスターが付いてくる。フルからしたら立派なストーカー行為だ。最初は気にせず無視を決め込んでいたフルであったが我慢できずにとうとうラスターに口を開いてしまった。
「ラスターさんは私に何か用ですか?」
「用も何も俺様が俺様の女を守って何がおかしいんだ?」
ラスターはきょとんとした顔を見せる。本当に心から不思議がっているようだった。
その顔に寒気を覚えつつもフルは華麗にスルーする。
「そういうフルこそ何の用で学執会まで来たんだ?」
むっとしたフルは嫌味を込めた声でラスターに返す。
「私は貴方と違ってストーカーしてる暇はないんです。ヨカチ先輩に用があっただけですよ。もういいですよね。うざいので付いて来ないでください」
「ヨカチか。それならきっとあの場所に居るんじゃないか?」
ラスターはフルの話を聞いてなかったかのように全く気にしない。本当に聞いてなかったのかもしれなかった。
「ラスターさんヨカチ先輩の居る場所知ってるんですか?」
「まあな! 俺様はあいつと親しいからな! そうだ、俺様とあいつの馴れ初めを聞かせてやろう。涙無くして聞けない最高な出会いだったんだぜ!」
「そういうのマジでどうでもいいいので早く教えてください」
フルとラスターのやり取りはその後も続いた。
二人はヨカチが居るという場所までたどり着いた。そこは屋上だった。
「この大学は屋上行けたんですね。知らなかった」
「知らないのも無理ないだろう。本当はだめだからな」
「そうなんですか?」
フルはヨカチが規則違反をしているというイメージが全くなかった。
「いや、あいつは違うぞ。学執会の活動の一環として大学全体の観察をしている。ま、建前だけどな。あいつは俺様と同じで高いところが好きなのさ」
「なるほど。あれ? ラスターさんは学執会ではないですよね? 学執会以外の人に立ち入り禁止である屋上の鍵を渡してくれるもんなんですか?」
「俺様はヨカチの持っている鍵を勝手に型を取って複製しただけだ! 実は俺様はこういうこともできるんだぜ!」
ラスターは誇らしげに語っているがただの犯罪じゃないかとフルは内心呆れた。
「いるじゃねえか」
ラスターが指を指した方向にヨカチが居た。ヨカチは下の学生を見ているというよりもっと遠くの空を見ているようだった。
「ヨカチ先輩!」
「ん? お前はフリィーペンか」
「はい! お久ぶりです!」
ヨカチとは一緒に遺跡に入った仲だ。人を寄せ付けないようなクールな印象を受けるが実は優しい一面があるのをフルは知っている。
「何か用があるのだろう?」
「はい。カンナ先輩のことなんです。ヨカチ先輩はカンナ先輩がどうしてウルクに行きたくないか知っていますか?」
フルは単刀直入に聞いた。周りくどいのは嫌いだった。
ヨカチは少し考えたあとゆっくりと口を開いた。
「それは俺の口から言うべきことではない。本人に聞け」
「カンナ先輩にはもう聞きました。それで教えてくれなかったのでヨカチ先輩なら何か知っているのかと思ったんです」
「なら、なおさら俺が言えることはない。用はそれだけか?」
「…はい」
「はっはっは!そう気を落とすことはないぜ、フル! それなら俺が聞いてきてやるよ! ちょっと待っとけ!」
そう言うや否や階段を駆け下りて行った。それを横目に見ていたヨカチが言う。
「止めなくていいのか?」
「はい。止めても無駄というか、私に止められないというか」
「そうか。大変だな」
ヨカチの顔にはお気の毒にと書いてあった。きっとヨカチもラスターの自分本位な性格に振り回されていたのだろう。
「本当ですよ。ともかく、ありがとうございます。やっぱり本人にもう一度聞いてみます」
「それが良いだろう」
フルはありがとうございましたと深々と礼をして屋上を後にした。
フルはカンナの研究室の扉をおそるおそる開けた。そこにはカンナが一人でいた。
「カンナ先輩先ほどはすみませんでした」
フルは開口一番に謝罪した。それに対してカンナは冷たい目をフルに向けるだけだった。
「あれから考えたんですけどやっぱりどうしてもカンナ先輩がウルクへ行きたくない理由を聞いておきたいんです」
「それ、だけ?」
カンナは冷たく言い放つ。
「え?」
「さっき、ラスター、って、人、が来、た」
まさか、ラスターが面倒ごとを起こしたのかとフルは身構える。
「その、ひ、とが、フル、が、ヨカチ、の、とこ、ろへ、行った、と、言って、た。ど、ういう、こ、と」
カンナの言葉からは明確な怒りが感じ取れた。
「それはその、カンナ先輩が言いたくないなら他の人に聞けばいいんじゃないかと思って…」
フルはしどろもどろになりながらも答える。
「どうして、そんな、こと、する、の!」
カンナは大きな声を出した。カンナが怒鳴っているところを見るのは今日で初めてだった。
「どうしてってそれはカンナ先輩の力になりたいためです!」
フルはカンナに伝わるように目を真に捉えた。しかし、カンナは話にならないという様子でフルの方を見ず研究室を出て行く。
「カンナ先輩! 待って!」
フルの言葉は虚しく空を切り、返事はなかった。
「カンナ先輩!」
大きな声でカンナを呼び止める。
カンナは歩みを止めた。フルはやっと思いが伝わったのかと少し安堵する。カンナはくるりとフルの方を向くとフルの目を見て言った。
「もう、来な、いで」
フルはカンナが何を言ったのか理解するのに数分かかった。その間にカンナの姿はもう無く、ここにはフルが立ち尽くしているだけだった。フルの目には涙が浮かんでいた。しかし、フルはカンナの目からも涙がこぼれそうだったことには気付かなかった。
エリオットは急いで学執会の部屋へと向かった。
「ヨカチさん!」
「言わなくていい」
ヨカチには何が起きたのか手に取るようにわかった。ラスターが何かやらかして、その結果フルとカンナが仲たがいしたのだろうと。カンナの士気が下がっていると活動にも支障が出る。
エリオットを見ると顔が青ざめていた。
「心配するな。任せておけ」
エリオットの肩をぽんと叩いてヨカチはドアを開けた。




