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ヴァクトル  作者: 皐月/やしろみよと
2章 女神のレイライン

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13話 鮮血の踊り子

 黙って右隣に座る人の持つカードを引く。目線をそのままカードに向ける。揃った数字は無い。そして左隣に座る人に自分のカードを向ける。フルは1時間前からずっとこの動きの繰り返しをしていた。引いては確認し、同じ数字があれば捨てる。これはフルだけではない。

 この列車にいる仲間も同じ動きを淡々とこなす。仲間とはカンナとエリオットとクラレットの3人だ。一行はアーセ山に着くまでの時間、トランプをしながら過ごしていた。大富豪、神経衰弱を合わせて2時間ほど行った後ババ抜きを楽しんでいた。いや、楽しんでいたのは最初の10分程だけだった。今や、誰もが無感情でカードを引いているだけの儀式となり果てていた。つまりはこの儀式をしている全員がこう思っていたのだ。


 「飽きたー!」


 フルが列車の中にも関わらず大きな声で叫ぶ。


 「フル、列車で大きな声を出すのは良くないよ」


 フルの大声に反応してエリオットがたしなめる。もちろんフルの声に反応したのはエリオットだけではない。同じ車両にいた乗客の注目を浴びたことは間違いなかった。

 

 「兄さん、そんなはしたない人を相手することありませんよ」


 フルはエリオットの言葉により不機嫌な顔をしたが、それ以上に不機嫌な顔をしている人物がいた。エリオットの義妹のクラレットである。その顔を見たフルは不機嫌だったことも忘れてすぐに背筋が冷たくなる。


 「クラ!そんな言い方は良くないよ。これでも僕の友達なんだから」


 「だからこそです。友達は選ぶべきです」


 エリオットのフルを擁護する発言にクラレットはますます機嫌を悪くした。それを横目にカンナはため息を吐く。本当にこんなチームワークで大丈夫なのかと頭を抱えるのであった。


 死んだ目でトランプをしていた一向はアーセ山に到着した。


 「ここからロープウェイに乗るんですよね?」



「そ、う。この、まま、まっす、ぐ進む」

 

 フルは窮屈な列車から解放されて大はしゃぎで外に飛び出した。その元気さにカンナたちはやれやれと肩をすくめた。


 アーセ山の標高は4650メートルもあり、ヴァクトゥル大陸でも屈指の高さを誇る。さらにアーセ山にはパワースポットとしても知られており登山客にも人気がある。

 そのパワーの効能は様々あると言われている。例えば超能力に目覚めたり、肩こりが直るなんてことは序の口だ。明日のテストで満点を取れたり、意中のあの子に好かれるなんてものも。極めつけは未来を見ることができるなんて到底信じられないようなものまである。

 つまりは何でもありなのだ。だが、実際アーセ山に登ってみると目の前に広がる大いなる自然とその自然が放つ神秘さが魔法のような力が本当にあるのではないかと思わせてくれる。

 そして忘れてはならないのはアーセ山にはある種族が住んでいるのだ。その種族の見た目も人々がアーセ山に幻想を抱く理由の一つだろう。

 

 フルたちはロープウェイに乗り込むと窓を覗き込んだ。自分たちが今までいた場所がどんどん小さくなっていく。


 「なんだか、わくわくするわ」


 フルの独り言にクラレットは相槌の代わりとして冷ややかな目を向ける。


 「そうだね。なんだか、こうして上から見ると僕たちが暮らしていた世界がいかにちっぽけだったのかに気づかされるよ」


 その独り言をエリオットが拾う。それを横目に聞いていたクラレットは顔をぱっときらめかせてエリオットに向き直る。


 「さすが兄さんです! 頭に何も入ってない者とは言うことが違いますね!」


 フルの方をちらっと一瞬見ながら言った。


 「クラ! そんな言い方良くないよ。それに僕が言ったことなんて大したことないよ」


 「兄さんにとっては大したことがなくても、私にとってはとても大事なことなんです!」


 フルは突っ込むのを諦めて窓へと視線を戻した。ロープウェイは4人を乗せたままどんどん上に上がっていった。



「なにあれ!」


  フルはロープウェイから出ると否や叫び出した。これにはエリオットも反応せず口をぽかんと開けて空を見上げていた。


 「空を飛んでる人たちがいる!」


 そこには羽根を持つ人が鳥のように空を飛びまわっていた。その幻想的な舞にフルたちは一瞬で心を奪われた。


 「あれは何なの?」


 「あの、人た、ちは、天空人」


「天空人?」


「ピト族、の、背中、に羽、が、生えた、よ、うな、人種」


「あーなるほどですね。よく考えたら私、天空人に会ったことありました!」


フルはカンナに説明を求めたくせに、実は天空人を知っていたと暴露した。せっかくフルのために解説したカンナはバツが悪くなり顔をしかめた。


「ま、まずは宿に行きましょう、ね?」


カンナの怒りを敏感にキャッチしたフルはこれ以上の追求を避けるように話題を宿へと変えた。他のメンバーは列車での長旅の疲れもあって反対する者はおらずそのまま宿を目指した。


無事に宿に着いた一行は暖簾をくぐり抜けて中へと入る。


「なんか雰囲気いい感じですね」


エリオットが呟いた。


「この宿は外観も素晴らしいし、兄さんが泊まるのに相応しい宿ですね」


エリオットの言葉を逃すまいとクラレットが間髪入れずに口に出す。実際にクラレットの言う通り宿の外観は素晴らしいもので、『世界の行きたい宿100』に掲載されているほどだ。

この『世界の行きたい宿』は入念に調査された正確な情報とその宿の周りの名所まで完備した一冊の完成度の高さからファンが多い書籍だ。

それによるとフルたちが泊まる宿『双翼亭』は「白を基調とし大きな2つの羽根飾りが特徴の素晴らしい外観。加えてサービスは一級品。双子の天空人の従業員、男の子のキーユと女の子のイアの接客はとても丁寧だ。さらに標高が高いからこそ味わえる露天風呂からの絶景は必見」と書かれている。


「「いらっしゃいませ!」」


フルたちが双翼亭に入ると大きな声が二つ重なってエントランスに響いた。声を出した人物は両方とも天空人だ。二人の外見はとてもよく似ている。ショートカットの髪にくりんと大きな眼。同じ旅館の浴衣を着て瓜二つだ。

違うことと言えば声だ。片方は高い声く、もう片方は声が少し低い。つまりその二人は可愛らしい女の子と男の子なのだ。


「我が旅館、双翼亭へようこそお越しくださいました」


男の方の従業員が挨拶をする。


「4名様ですね」


女の方の従業員がフルたちを見て確認した。


「はい! そうです! よろしくお願いします」


フルは元気いっぱいに答えた。


部屋に入ると想像以上のものが広がっていた。埃一つないピカピカの床。その上にふかふかの座布団にしわ一つない布団が敷かれていた。風呂も広くフルはかなりこの部屋をいたく気に入った。そして隣に居たカンナもフルと同じ表情をしていた。


「あっち、の、ふたり、は、大丈夫、か、な?」


カンナが心配そうにフルに尋ねる。


「大丈夫でしょ」


フルは適当に返事をした。カンナが言っていたあっちの二人とはこの部屋にいないエリオットとクラレットのことである。それはフルがこの部屋に入る少し前に遡る。


「それなら部屋はお金もかかるしみんな一緒の部屋でいいよね? どうせエリオは寝込みを襲うほどの度胸はないでしょ」


「双翼亭」はガイドブックに載るほど旅行者に人気の宿だ。当然宿泊費も一般的な宿に比べると少々お高い。

アーセ山でのヘリアンカの調査はカンナの研究という名目で来ているが大学から資金援助があるわけではない。よってこの宿代もフルたちが個人的に払わなければならない。大学生であるフルたちは一人一部屋で泊まれるほどの金銭は持ち合わせていなかった。それどころか、2部屋借りるほどのお金すら持っていなかった。


「いいよ。僕は外で野宿するよ。こんなことになるかもとポカポカくんを持ってきたんだ」


「なにそれ!?」


エリオットがリュックから筒状のランタンのようなモノを取り出す。


「これは普段は光源として使える僕が作った魔道具なんだ」


「そんなものがあるなら、教えてくれても良かったのに!」


フルは前回の遺跡探査を思い出した。あの時は普通のライトを使ったが、エリオットのことだ。ライトとしての機能以外に何かあるに違いない。そういう便利そうなものは先に言っておいてほしいものだ。他にも便利グッズを持っている可能性がある。これは詳しく聞く必要がありそうだとフルは考えていると、エリオットが話を続けた。


「うん、でもこれは失敗作なんだ」


 「どういうこと?」


 「これは市販されているライトの4倍以上の光量を出せるんだ」


 「それはすごいじゃない!」


 「いや、違うんだ。4倍の光量を出せる代わりに熱がすごいんだ」


 「熱?」


 「えっと、つまり、熱すぎて持てないんだ」


 エリオットが作ったのは光量がすごいのだが熱のせいで持てないライトというこらしい。持てないということは携帯できないということに他ならない。それはライトとして致命的な欠点だ。もはやライトと言えるのだろうかとフルは考えた。


 「そ、れを、暖房、代わ、りに、す、る、って、こと?」


 黙って二人の会話を聞いていたカンナが口をはさむ。


 「はい! そういうことです。光源として使えなくても熱源としては使えるので」


 「それで名前がポカポカくんなのね」


 フルはライトにしてはポカポカなどと変な名前だったことに納得した。


「さすが兄さんです。失敗を前向きに捉えて別の視点から新たな役割を与える。兄さんはすごいです」


 クラレットが兄をキラキラと輝かせて尊敬の目で見つめる。


「でも、心配ありません。お金ならあります。1部屋分ですが。もちろん、私と兄さんが同室です」


 クラレットが鞄のポケットをぱんと自信たっぷりに叩いた。おそらくクラレットはエリオットが自分以外の人物と同じ部屋で過ごすこがとんでもなく嫌なのだろうなと、フルはすぐに察っせられたが黙っていた。余計なことを口走ってやぶ蛇になるのはごめんだった。


 「それならいいわね。私はカンナ先輩と泊まるわ。それでいいですよね、カンナ先輩?」


 「うん、問題、ない」


 フルとカンナはお互い顔を見合って笑顔を向けた。エリオットはクラレットに向き直る。


 「気を遣わせてごめんよ、クラ。でもそのお金はどこから?」


 「兄さんが謝ることは何もありません! これは父が毎月送ってくれていたものを少しずつ貯めていたものなのでやましいことはありませんよ」


 エリオットは一人野宿することをクラレットに気を遣わせたと考えているようだが、クラレットの正体を知っているフルは単に同じ部屋に泊まりたかっただけだとすぐにわかった。

先ほどからクラレットが尋常では無い目つきでフルのことを睨んできていた。やはり何も言わないほうが命のためだとフルは思った。


 夜。それは闇が全てを包む時刻。夜空に輝く星に見守られながら人々は深い眠りに落ちる。フルは口を大きく開けながらいくら揺すっても起きないだろうと思うほど爆睡している。隣の布団で寝ているカンナはスヤスヤと寝息を立てて気持ちよさそうな表情をしている。

 別の部屋で寝ているエリオットも同じく瞼を閉じてぐっすりと眠っている。しかし、その横の布団はもぬけの殻だった。


 「計画通りいくぞ」


 スキンヘッドの屈強な男が小さくしかし力強く言う。


 「ああ、わかってる。今日を逃すわけにはいけねぇ」


 その男の言葉を聞いて後ろから別の男が声を出した。ここは『双翼亭』の裏。人出は真夜中なので全くと言っていいほどない。加えてここは宿の裏手。こんな場所に好んで来る人など闇を生きる者しかいない。

 二人の男は盗っ人だった。宿を専門に狙った泥棒だ。この『双翼亭』は高級な宿である。ここに泊まれる客は裕福な者が多かった。泊まっている間に狙われていると思わない客たちから荷物を盗むことは簡単だった。

旅行で来ている者が多いとはいえ、その身なりは大したもので身に着けている装飾品のダイヤや宝石は高く売れた。リスクに比べて遥かにリターンが大きい仕事だった。

 今宵はこの宿に資産家で有名なある人物が泊まる情報を得ていた。彼らにとって格好のカモであった。


「いくぞ」


 スキンヘッドの男が小さく促した。


 「あなたたち私と兄さんが泊まる宿にどんな用ですか?」


 一人の少女が二人の男を後ろから声を掛けてきた。彼らは今日の日のために入念に準備をし、周りにも十分気を付けていた。先ほど見た時はこんな少女はいなかった。


 「もう一度、だけチャンスをあげます。あたな方はこの宿に何の用ですか?」


 彼女の声は微塵も感情が伴っていなかった。ひどく機械で無機質なものだ。男は考える。このまま実行に移すか、それとも引き上げるか。

資産家がこの場所に留まるのは明日まで。明日には帰る予定だと調べはついていた。今日を逃せばもうチャンスはない。


「チャンスって言われてもねえ。おじさんたちはちょっと道に迷っただけだ」


 スキンヘッドではなく肩に蛇のタトゥーがある男が答える。残念ながらそのタトゥーはこの暗さでは誰も見えない。


 「道に迷ったですか。それでは私が大通りまで案内してあげますよ」


 少女が後ろを向いて歩き始めた。この女が何者か知らないがこれは絶好の機会だと男たちは思った。二人の視線が闇の中を交差した。通常ならばこの闇で目の動きなど分かる訳がないのだが、二人にはその動きすら必要なかった。

 彼らは数々の仕事をこなしてきたいわば相棒だった。お互いの考えは手に取るように分かる。そのおかげでこの道で生き残ってきたのだ。

 殺しはしたくなかったが、今回は仕方ないことだ。その理由は後始末がいたく面倒というとても利己的なものだったが、殺人を犯したくないという思いは本物だった。

しかし、迷いはなかった。見られたからにはここでやらなければならないのだ。スキンヘッドの男が懐からナイフを出し少女に突進する。


「運が悪かったなお嬢ちゃん。恨むなら俺たちと出会った自分の運命を恨むんだな!」


 男は誰に言うでもなく、むしろ自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


 「ぶふぇ」


 男は何が起きたのか理解できなかった。気づいた時には床に仰向けで吹き飛ばされていた。


 「何が!?」


 タトゥーの男はしっかりと見えていた。少女によって相棒は吹き飛ばされたのだ。ナイフを持って突進し、突き刺さるというその瞬間だった。目にも止まらぬ早さで少女は振り返り華麗に裏拳を男の顔にぶち込んでいた。

 

 「やはり、そういう輩でしたか。私たちの邪魔をしようとしたその罪、死をもって償ってもらいます」


 仰向けになりながら男は考えていた。殴られた顔をさする。拳が頬にぶつかった衝撃は人の手のそれではなかった。まるで硬い金属で殴打されたような凄まじい衝撃だった。信じられないような痛みが襲う。あごが砕けているのかもしれない。

 そんなことを考えている間にドサッと何かが倒れる音がした。相棒の腕だった。

 

 「うわぁああ!」


 腕を切り落とされたタトゥーの男は獣の咆哮のように叫ぶ。叫びながら残った腕でナイフを取り出し女に向かって振り回した。

 女はそれを躱し右腕の義手に付いている刃物で切り付ける。鮮やかな緋色が飛び散る。まるで舞台の上で舞う踊り子のように可憐な身のこなしだった。

その舞があまりに美しく床に伏している男は現状も忘れて見惚れてしまう。返り血を一滴も浴びることなく踊り終えたその姿は少女の美しさの何よりの証明だった。その少女が自分を空虚な目で見つめていた。男の意識はそこで途切れ、二度と目覚めることはなかった。


クラレットは右腕の刃にこびりついた赤いものを丁寧に拭き取る。辺りは静寂が包み込みいつもの夜に戻った。


「明日寝過ごすなんてことになったら兄さんとの時間がなくなってしまう。早く宿に戻ろう」


クラレットは部屋に帰ろうと表通りへと歩いていく。


「すごいね! 君!」


 唐突の出来事にクラレットは警戒した。先ほどまで二人の男と自分しかいなかった空間に知らない人物が突如現れたのだ。

先ほどの男たちのことは宿に入るとき見かけ読唇術で彼らが部屋を襲うと計画していることを知った。不安要素は排除しておくに限る。万が一にも兄であるエリオットに何かあった場合死んでも死にきれない。

そのためエリオットが寝たのを見計らい裏手へと出た。そこで男たちが実行に移すのを待ち伏せていたのだ。

接触してきたこの男は先ほどの仲間なのだろうか。そうだとするとおかしな点がある。まず、気配だ。クラレットは気配を読み取る力はあると自負している。兄に危険が及ばないか一緒にいるときは常に気を配らせているのだ。

男がナイフを持って突進してくることはすぐに察知できたが、この男の気配は全く読めなかった。ここまで実力差がある者と手を組むとは考えづらい。

さらにもし先ほどの仲間であったならば声をかけずに襲ってくるはずだ。クラレットは全くその存在に気付かなかったのだから攻撃されたら防ぐ手段は何もなかった。しかし、話しかけてきたということは完全な敵意があると考えるのは間違いかもしれない。

どのみち用心するに越したことはないとクラレットは結論付けた。


「あなたは何ですか? 私に何か?」


 「いやぁ、さっきの悪党と闘う姿があまりにも華があったから。ついつい声を掛けちゃったよ」


 先の戦闘を見られていた。戦闘と言うには一方的であったが通報されては敵わない。ここでこいつも消すべきかとクラレットは頭を巡らせる。


 「おお。怖い怖い。そんな冷たい目を向けないでくれよ」


 男は余裕たっぷりにおどけてみせた。


「やはり、危険は排除するべき」


 クラレットが意を決して男に向き直る。この男の存在は危険だと脳がクラレットに語りかける。クラレットはここでこいつを見逃せばエリオットに危害が加わる可能性があると判断した。


 「お、やる気だな! こういうのはどうだ? 俺に勝てたら何も見なかったことにしよう。ただし、俺が勝った場合は言うことを聞いてもらう」


 もともとやるつもりだったクラレットにとって男の提案は無意味なものだった。


 「ただし、殺すのはNGだぜ。この会話は録音されててもし俺が死んだら信頼のおける友人に音声が行くようになってる」


 この会話を第三者に聞かれると自分が兄の思い描くような義妹ではないと兄に知られてしまう可能性がある。それはクラレットにとって死ぬよりも辛いことだった。相手の条件を飲むしかない。


 「仕方ない。死ね」


 「おいおい、お嬢さん! 俺の言うこと聞いてた!?」


クラレットの延長戦はここに幕を開けた。 


エリオットは夢から目覚め、朝の陽ざしを体いっぱいに浴びた。右を向くとエリオットの妹であるクラレットが眠っている。可愛い寝顔だ。自分の義妹ながら天使のような寝顔だと思うのはひいき目ではないはずだ。

 クラレットを起こさないように布団から立ち上がる。


 「やあ! いい朝だね!」


 全く身に覚えのない縄でぐるぐる巻きにされた男が満面の笑みをエリオットに向けていた。


 「うわああ!」


 エリオットの恐怖の叫びは部屋いっぱいに響き渡った。


 「クラ、これはどいうことなの」


 男に話を聞くとクラレットに捕まったと言うばかり。核心をなかなか話そうとせずはぐらかされる。


 「お早うございます、兄さん。この男は宿の周りに不審な人物が居たので捕らえておいたのです」


 「ええ! 何時の話?」


 「えっと。兄さんが寝てしまった後少し外の空気を吸いたくなって。それで外にでたらこいつが居たんです」


 苦し紛れの言い訳だったが本当のことを話すことはできない。


 「大丈夫? 怪我はない?」

する

 怒られると思って身構えていたクラレットだったが、兄からの第一声が自分を心配する声だったことに嬉しくなる。


 「心配させてごめんなさい。私は大丈夫です」


 「良かった。クラにもしものことがあったらどうしようと思ったよ」


 話を続けようとした時に部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。そしてドンドンと激しいノックがする。


 「エリオ! 何ごと!?」


 フルの声だった。エリオットの驚愕の声を聞いて駆けつけてくれたらしかった。エリオットはドアを開けてフルとカンナを部屋へ招いた。


 「え! こ、の、人は!?」


 縄で縛られた男を見て一番にカンナがびっくりした顔をした。


 「カンナ先輩この人知ってるんですか?」


 「うん。この、人は、今回の、調査、に、同行、し、てもら、う予定、の…」


 そこまでカンナが言いかけたところで男が急に会話に入る。


 「自己紹介がまだだったね! 僕はヴァラガ・テュレン。君たちの調査について行く予定だ。以後よろしく」


 「今、ヴァラガって言った!?」


テュレンと名乗る男の自己紹介にフルが凄い顔で食いついた。


「うん? 僕と会ったことがある?」


 「もしかしてマトミお姉さまの姉弟?」


 「おお! 姉貴を知ってるのか! それなら話は早いな! 僕はマトミの弟だ。ひょっとすると君は今姉貴のとこにホームステイしてるっていうフルちゃんかい?」


 「はい! そうです!」


 「おお! こんなところで出会えるなんて何という偶然! これも何かの縁だろう。これからよろしく頼むよ、フルちゃん!」


 「こちらこそです! テュレンさん!」


その後一行はテュレンとの話に花を咲かせた。嫌味のないカラッとした話し方にすぐテュレンはなじみ元からさながらこの調査に加わっていたかのようだった。ただ一人を除いて。

 

 「でもどうして縄なんかで縛られていたんですか?」


 「ああ、それはね。このお嬢さんに不審者だと縛られてしまったんだよ。まあ、宿の周りをうろついていたし怪しい者だと思われても仕方ないよね」


 「義妹がすみません」


 エリオットが丁寧に頭を下げた。


 「いやいや、気にしないでくれ! 不審な行動をしていた僕が悪いんだ。むしろお嬢さんを褒めてあげてほしい。不審者相手に臆せず立ち向かえるなんて素晴らしいことだよ!」


 クラレットは昨晩のことを思い出していた。勝負を持ちかけられたクラレットは殺す気でテュレンを相手した。最初の3分程は拮抗していた。クラレットは義手に仕込んだ短剣で放つ剣撃を全て避けられていた。

 だが、それはテュレンは避けることで精一杯だったということ。このままでは埒が明かないと思ったクラレットはさらにギアを一段階上げた。相手の一挙手一投足に神経を尖らせ腕を振る速度を上げる。

 しかしながらテュレンはその動きにも付いてきたのだ。加えて避けるだけだったスタイルを止め鞘に収められている短剣を抜いた。攻撃しないまでもその短剣で上手く受け流されていた。テュレンへと向けられた力がするすると別の方向へと流される。

 そうして数十秒が過ぎたとき急に短剣がテュレンの手からはじけた。それは自分から負けを認めたかのようだった。

 あの時のテュレンはまだ何か隠しているとクラレットは確信していた。兄を含めた皆はテュレンをもう信用しているようだがクラレットだけは疑心暗鬼だった。それにはテュレンに見られたクラレットの姿を暴露しないかという不安もある。だが、それ以上にこの男には何かがあるとクラレットの心は本能のレベルで感じとった。

 一抹の不安を抱えたままクラレットは皆を見つめていた。


 


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