起点‐1
日の國。極東に浮かぶ島が、そう国名として開国という名乗りを上げてから早二十数年。一足飛びに近代化が進み、あらゆる文明の華が開いた。
活版印刷が主として取り入れられたおかげで、それまで大量生産の難しかった書物も国内に多く流通することになる。今まで広まらなかった無名の作家達の作品が多く出版され、数多の空想、思想や理念、はたまた海外の叙事詩が形となり国民の感情を揺さぶり、昂ぶらせた。
『じゃあ、本がたくさんつくられるようになったから、じいちゃんはゆうめいな作家になったんだ』
『……まぁ、そんなところかなぁ』
俺の書いた中身が良かったから、って本当は言いたいんだけどなぁ。ニコニコと、楽しそうに皺の寄った紙束を撫でる少年を横目に、無精ひげを生やした男が付け加えるように独り言ちる。
暖かな日差しが降り注ぐ午後の縁側。ゆったりとした時間が流れる空間で、流した着物の袂に手を入れ腕を組んで目を伏せる枯草色がよく似合う男と、その男の名が書かれた原稿用紙をぱたぱたと振りながら、少年は群青色の、雲一つない晴れた今の空のような瞳を輝かせる。いつもは書斎に引きこもってばかりの、じいちゃんと呼ぶ男とこうして縁側に座りお話をしている時が、少年はなによりも好きだった。胡坐をかく男の脚に頭をのせるように寝転ぶと、万年筆とか筆を持ち続けたタコだらけのゴツゴツとした手が、まるで近所に棲みついている猫を撫でるかのようにわしゃわしゃと撫で回してくれる。あたたかい手。とろとろと瞼がおもくて落っこちてくる。完全におろしてしまうと、ぽかぽかとした光が赤色になってぼんやり、見える。前に、これはなにとじいちゃんに聞いたら「それはお前の血の色」と教えてくれた。
「じいちゃ……ねむ、い」
「……俺の脚が痺れる前に起こしてやるから、今は寝ていなさい」
「うん……ごはんまでには起こして…よ」
「ちゃっかりしてんなぁ……誰に似たんだか」
またぐしゃぐしゃと撫でられて、ふは、ってじいちゃんの聞きなれたヘンなな笑い声がする。
眠くて、なにも考えられなくなってきた少年はそのまま眠った。
それが、じいちゃん……後に禁書と呼ばれる本の作者、夙秋永との最後の記憶である。