7.アクシデントよりドラマ
翌日、アンナの部屋に本棚を造りつける大工たちがやって来た。
大きな音が屋敷中に響き渡る。エヴァンは鍵つきの引き出しに原稿をしまってから、頭を掻きつつ書斎から出て来た。
「……何だ一体」
「あら、エヴァン」
部屋を追い出されたアンナがエヴァンに歩み寄って来て言った。
「本棚を造って貰うのよ」
「どれくらいの大きさの本棚だ?」
「壁一面」
「!」
エヴァンは驚きに少し咳ばらいをした。
「君も学者なのか?」
「ええ。恋愛小説の学者です」
「そうだったのか……」
「あの、真に受けないでください。冗談です」
その時だった。
使用人たちが本を運んで来たのだ。エヴァンは少し緊張する。
「この本は?」
「これが、私の現在継続して読んでいる小説です」
「……!」
「あなたのような男性には幼い書物に見えるかもしれません。でも、私にとっては大事な宝物なんです」
真新しい本の香りに吸い寄せられるように、エヴァンは一冊の本を手に取る。
〝令嬢クリスティーヌの婚姻・4〟
自らの新刊のお出ましに、エヴァンはどきどきと胸を鳴らす。
やはりこれを買っていた。
妻のアンナが。
内容は読むまでもないが、パラパラと紙面をめくってみる。栞が最終ページに挟まっていた。
エヴァンは低い声で問う。
「どうだった?」
「……はい?」
「どうだった、この……〝令嬢クリスティーヌの婚姻〟は」
アンナは眉をひそめながらも、正直に答えた。
「四巻はちょっとつまらなかったです」
エヴァンはショックを受けた。
「……そ、そうか」
「はい。三巻までは面白かったんですけど、四巻で話が停滞しましたね」
「!」
「これから買い続けるかどうか、ちょっと保留中です」
「……」
エヴァンはうなだれた。
「少し、君と話がしたい」
アンナは首を傾げる。
「私と、話?」
「私の寝室に来てくれ」
「!」
アンナは顔を赤くした。エヴァンは彼女の背後にいる使用人たちに声をかける。
「その本も一緒に、だ」
「……は?」
初めて入るエヴァンの寝室に、アンナは身を固くする。
エヴァンは新しい本の束をベッドに投げ出すと、紐を解き、手に取って並べて行く。
「アデーレ・メリアスの〝藤の庭〟シリーズに、ケイト・レスターの〝シャウムブルクの窓〟、それからブリジット・オルムステッドの〝令嬢クリスティーヌの婚姻〟……」
どれも人気作品だ。この国の乙女ならば、ほとんどが手に取ったことがあるのではないだろうか。
「君はこういう本を読んでいるんだね」
アンナは急に羞恥心に押し潰されそうになった。
「ご、ごめんなさい……断りもなくこんなものを」
「いや、いい。いくらでも存分に買ってくれ。ところで……」
エヴァンは隣にアンナを座らせた。
「オルムステッドの新刊は、どういうところが気に食わなかった?」
アンナは夫の真剣な表情に、ぼうっと顔を赤くしながらも答えた。
「あなたに言っても分からないかもしれませんが……彼女は〝アクシデント〟と〝行為〟に重きを置いて書き過ぎですね」
エヴァンは眼鏡をくいと押し上げた。
「というと……?」
「オルムステッド先生は今まで〝アクシデント〟で我々を楽しませてくれました。私もそれを面白いと思って読んでいました。けれど、先生は今回どうやら〝日常〟に挑戦なさったんです。それは素晴らしいことだとは思うのですが、そうすると先生の弱点が露出しました。オルムステッド先生はどうやら〝アクシデント〟は上手でも〝ドラマ〟が書けなかったようなんです」
「……〝ドラマ〟とは、どんな要素だ?」
「ドラマとは、キャラクターが何に突き動かされ、どのように動くか、または心動かされるかということです。喧嘩、すれ違い、ライバル、戦乱。それらの〝アクシデント〟によってキャラクターがあちこちに流されているだけでは〝ドラマ〟ではありません。同じように告白やハグやキスというのもある意味で〝アクシデント〟ですが、主人公たちがそれに流されているだけでは全く〝ドラマ〟足り得ないのです」
「……!」
「私たち読み手は本来〝ドラマ〟を求めています。その行為がどのように主人公たちに影響を及ぼすのか、彼らがどう影響され変わって行くのか、それが読みたいのです。事件だけを追っているのなら新聞記事で充分です」
エヴァンは絶句し、アンナを凝視している。
アンナはハッと我に返った。
「あああっ、ごめんなさい!私ったら、つい熱く語ってしまいました!」
エヴァンは顔を蒼白にしながら、しかしゆっくりと首を横に振った。
「いや、いいんだ。とても心に刺さりまくった……」
「?」
エヴァンは妻に向き直る。
「さすがは恋愛小説の学者だ。的を射ている」
「エヴァン……?」
「読者は編集者よりも辛辣だ。オブラートに包まない分、ストレートに改善点が伝わって来る」
「あのー」
「君ともっと小説の話がしたい」
アンナの手をエヴァンが握って来る。
アンナは真っ赤になった。
エヴァンは彼女の趣味を否定しなかった。アンナの父親は娘がシェンブロ公爵に嫁ぐと決まるやすぐに「恋愛に興味を持つなどけしからん」と、彼女の本棚から恋愛小説を勝手に抜き取って捨ててしまったと言うのに。
(あの偏屈エヴァンが、まさか私の趣味を肯定してくれるなんて……)
アンナの胸が高鳴った、その時だった。
その手がスッと彼の胸ポケットに戻される。
「……とその前に、忘れないようメモしておこう」
アンナはさすがに苛ついて立ち上がった。
「……もう御用はないですね?」
アンナは口を結ぶと、踵を返しずんずんと部屋を出て行ってしまう。
エヴァンはメモの手を止め、呆然と妻の後ろ姿を見送った。