31.夫婦の共同作業
数ヶ月後。
エヴァンの〝令嬢クリスティーヌの婚姻・5〟と、アンナの小説が掲載される少女雑誌が、ほぼ同時期に発売となった。
二人は、自分たちの足では滅多に向かわない書店に馬車で乗りつける。
雑誌コーナーに歩いて行き、アンナは本を拾い上げた。
「すごい……この中に、私の小説が」
パラパラとめくって手を止める。
〝海辺の約束〟がそこに掲載されていた。
その頁をまじまじと眺め、アンナは目を丸くする。
挿絵の下に、〝エヴァン〟とサインがある。
「エヴァン、これは?」
彼は微笑む。
「何って……挿絵の依頼がモロー出版から来たから描いたまでだが」
アンナは夫に飛びついた。
「嬉しい!これぞ夫婦の共同作業ね!」
「こらっ……書店で誤解を生むような発言をするなっ」
アンナは無言で足をばたつかせてはしゃいでから、夢見がちに目を閉じた。
「素晴らしいわ……これって現実なのよね?」
「間違いなく現実だ」
アンナは献本を待ち切れなかったので、とりあえず記念にここで一冊買うことに決めた。
エヴァンの小説も発売になっている。
人気作とあって、一角に平積みだ。エヴァンが歩いて行こうとすると、目の前にさっと人影が現れて〝令嬢クリスティーヌの婚姻・5〟の前に立った。
エヴァンは立ち止まる。
数人の少女がこそこそと一角に集まり、その本の立ち読みを始めた。
エヴァンは鼻白むが、少女たちは口々に囁き合う。
「ねっ?衝撃の展開でしょ?」
「嘘!どうなるの、これ」
「予測の出来ない展開はオルムステッド先生の真骨頂よねー」
「買う?」
「買う買う!ついでに四巻も買っちゃう」
「つまらない展開に肩透かし食らったから買うのやめる、ってこの前言ってなかった?」
「五巻を買って四巻を飛ばすわけには……」
「やっぱり五巻の展開を際立たせるために四巻の日常回があったのよ!私の予想した通りだわ!」
きゃっきゃともつれ合いながら、少女たちはそれぞれエヴァンの本を抱えてカウンターに歩いて行った。
(ラストを見てから買うのか……)
少女らの思わぬ買い方に度肝を抜かれたエヴァンだったが、それでも嬉しかった。
誰かに待ち望まれている本。
それを書けたという事実が、彼の心を溶かして行く。
(長い戦いだった)
まさか自身の結婚がこのようにいい方向に作用するとは、思いもしなかった。女心を理解するためにアンナと接触したら返り討ちに遭い、痛い腹を裂かれて臓物ごと引き出され、ぴかぴかに磨き上げられてしまった。そんな気分だ。
アンナがやって来る。
「さっきレジに並んでた女の子、みーんなエヴァンの小説を持ってたわよ」
「ああ、そうみたいだな」
「平積みになってるし、すごく売れるんじゃない?」
「私もそんな気がしている」
アンナも〝令嬢クリスティーヌの婚姻・5〟を手に取り、パラリと巻末から読み始めた。
エヴァンは妻も先程の少女らと同じような読み方をしていたので愕然とする。
アンナは衝撃のラストに目を丸くした。
「え!え!本当に!?前に見せてもらったのと違う展開が……!」
「ああ、本当だ。フィクションだけど、本当」
「これは衝撃だわ!でも、二人ともそうだから……そうか」
「この展開なら、四巻の日常回は無駄にはならなかっただろ?」
「す……凄いわ!オルムステッド先生はやっぱり凄いっ!」
アンナは震える手でぱたん、と本を閉じた。
「これは──買っちゃうわね」
「献本が来るから買わなくていい」
「いいえ!買いたい気分だから買うわ!こういうノリが大事なのよ!〝買わせる〟ってこういうことなのね?勉強になるわ、先生!」
エヴァンはにやりと笑った。
「……そういうことだ」
「私も負けていられないわ。あっと驚くお話も考えてみようかしら」
「アンナのせっかくの個性が死ぬからお勧めしない。元切り張り作家からの忠告だ」
「あー……こうやって作家は創作の沼に沈み込んで行くのね……今になると、あなたの切羽詰まった気持ちがよく分かるわ……」
エヴァンはアンナの購入を待って、二人で書店を出て行く。
屋敷に帰ると二人は本棚に互いの本を収め、幸福そうに微笑み合った。