27.大切なアンナの世界
様々な出版社の編集者に囲まれ、アンナは質問に答え続けていた。
サロンに参加していたメンバーはそれをどこか羨まし気に一瞥し、帰って行く。
エヴァンはブライアンとメリアスと共に、アンナが数々の編集者から解放されるのを待っていた。
軽食をつまみながら三人は話し込む。
「やはり光るものを見出されたようですね。しかし、あれほど食いつかれるとは思いませんでした」
そう言うブライアンを、エヴァンはしげしげと見つめる。
「……ブライアンは行かないのか?」
「そうですね。奥様の作品は読んだところ、うちの出版社のカラーではないので見送らせていただきます」
「なるほど。私やメリアス先生のような作品を出すようなペンドリー出版で、ああいう作品は出し辛いか」
「……シェンブロ卿の作品?」
メリアスが疑問をぶつけて来たが、あえてエヴァンはスルーした。
「あの連中はどこの出版社だ?」
「私の知る範囲ですが、児童文学と女性雑誌の編集者が多くいますね」
メリアスはアンナを眺め、頬杖をついた。
「ああ、懐かしいわ。私も初めて出版社に声を掛けられた時は、舞い上がったものよ」
エヴァンが問う。
「メリアス先生は拾い上げなのですか?」
「私の場合は賞に応募して落選したけど、別の編集者の方が目をかけて下さったの。色々ご指導していただいて今の私があるわ」
「賞か……」
持ち込みで連載の芽を得たエヴァンには、どこか魅力ある響きだった。
賞は出してから選考、発表までが長い。エヴァンの場合は直に質問などをしたかったし、率直な感想が欲しくて持ち込みをした。はやる気持ちを抑えられなかっただけとも言えるが。
遠くにいるアンナを眺める。出版社側からアプローチしてくれるというのは、どんな気分なのだろう。
アンナが解放され、帰って来る。エヴァンは立ち上がって出迎えた。
「アンナ、どうだった?」
夫の質問に、彼女は恥ずかしそうに肩をすくめる。
「色んな出版社とお話させていただきました。でも、急なことだから絞り切れなくて」
エヴァンはほくそ笑む。
「……ということは、アンナには出版の意思があると」
アンナは緊張に身を固くした。
「あの……いいのかしら」
エヴァンは呆気に取られた。
「何が?」
「妻が小説を書いて公に出版することを、あなたはどう思っているのかなって」
「どうって……いいことだと思うぞ」
「本当!?」
アンナは飛び上がらんばかりに喜んだ。エヴァンは驚く。
「君は何を怯えてたんだ?」
「だって……男の人って妻が目立つのを嫌がるものじゃない?」
「私をその辺の男と一緒にして貰っちゃ困る。むしろ著名な妻を持てたら鼻が高い」
「エヴァン……」
アンナがうっとりと夫の腕に抱きつくのを眺めてから、ブライアンとメリアスは目配せし合った。
「さて、我々はお邪魔ですから帰りますか」
「そうですね。私も講評の連続で疲れました」
四人はそれぞれの家路に着き、めいめいの馬車に乗って別れた。
屋敷に帰って来たシェンブロ夫妻は、食事の席で今日の文学サロンについて話し合う。
「初めて参加したけど、とても奇妙な場だったわね。なぜみんなお互いを〝やり込めよう〟と思っているのかしら」
「自信のなさの裏返しじゃないか?誰かを下げれば自分が上がると思っているんだろう」
「作品の矛盾や感想を言い合う場かと思ったら、難癖つける場だったなんて」
「そういうことは学者の世界においても多々ある。みんなで互いをより良くしようというのが議論の目的であるはずなのに、議論が自分を高く見せる手段と勘違いしている手合いは多い。特にうだつの上がらないおじさんは……」
「そうなの。私の知らない世界ってまだまだたくさんあるのね」
「いや、そんなことは知らなくていいことだ。だって──」
エヴァンは、妻ではなくひとりの女性小説家に向かって言う。
「君の中の世界が崩れると困る」
アンナはきょとんとしてから、にっこりと笑った。
「そうかしら。小説を書くには何でも広く知ることが重要のような気がするけど」
「私もそう思って書いて来た。けれど最近になって思うんだ。知識など、あとからいくらでもつけられる。大事なのは自分の世界を守り、膨らませることだ」
言いながら、エヴァンの中でむくむくと言い知れない怒りのようなものが湧いて来る。
自分の世界を得ようとするたび、ひっきりなしに壊されて来た、自身の地獄のような幼少期。
大事なものを「下らない」と一笑に付される毎日。
目の前で宝物を燃やされ、やりたくないことに向き合わされ、その「やりたくないこと」のみで評価される日々。
それらに対する怒りが、急に沸き起こって来たのだ。
(……頭痛がする)
がしゃん、とエヴァンは食器を取り落とした。
「エヴァン?」
景色がぐるりと反転する。執事が飛び出し、エヴァンが椅子からまろび落ちるのを受け止める。
アンナのひんやりと柔らかい手が、遠のく意識の中、額に当てられた。
「熱はないみたい。ねえ、エヴァン、エヴァン、聞こえる?」
「お医者様を……!」
エヴァンは目を閉じ、世界は暗転した。