25.主題と読者
サロン内でしばし矛盾点と誤字脱字の指摘が続き、一旦話は引いた。
〝街の灯〟に関しての意見交換会が行われる。
「男女が結ばれる話の割に、余りロマンチズムを感じられないところが気になります」
「もう少し心理描写を増やすべきだと思うのですが、いかがでしょうか」
〝街の灯〟の作者、ラングレー夫人が答える。
「この情景を書くことによって読者には伝わっていると思います。心理描写をくどくどとするのは、余り好きではありません」
「でも、伝わりにくかったということは、やはり心理描写を増やすべきでは」
「まぁ……そうですね。確かに伝わらないことには〝小説〟ではありませんのでそこは自戒したいと思います」
「あと、この小説の伝えたい部分は何ですか?くっつくだけなら小説にしなくてもいいですよね。やはり心や時間の流れと言うものを意識して書かなければ、作品足り得ないのでは?」
「……肝に銘じます」
「何か急に恋が始まってるんですが、もう少し過去を掘り下げて欲しいです」
「それなら十ページ目に書いてあります。匂わせる程度ですが」
「この匂わせ、気づく読者がどれだけいらっしゃいます?」
アンナとエヴァンはごくりと息を呑んだ。
厳しすぎる。これではまるで書いたことに対する懲罰ではないか。商業作家とは違い、印税を貰えるわけでもないのにここまで言われなければならないのか。
アンナはこそっとエヴァンに耳打ちする。
「何だか怖いわ」
「ああ……でも、君もかつては私に同じようなことを」
「……そうだったかしら?」
最後にメリアスが総評した。
「〝街の灯〟は、個人的にはとても好きな作品でした。確かに後半唐突な部分が目立ちましたが、前半の景色の描写は目に浮かぶようでしたね。多分この風景は、作者様が見たことのある風景を書いたと思うのですが」
大作家に乗せられてラングレー夫人は顔をほころばせた。
「そう、そうなんです。その景色の中でキャラクターに恋愛をさせてみたくなって」
「そういうところはちゃんと伝わりましたよ。やはり、ご自身の感性を大切にすると、読者にもそれが伝わります。これからも書き続けて下さいね」
「はい!ありがとうございます」
アンナは再びエヴァンにこそっと耳打ちした。
「素人でドンパチやってから大作家がフォローしてくれる、という流れなのかしら」
「そうらしいな。議論というのは同じレベルの者で行うのが鉄則だ。教師は間違った流れを押さえ込むか、総括するのが仕事というのは学者の世界でも変わらない」
「そうなのね……初めて見る世界だわ」
「それにしても、文学サロンという優雅な名前からは予想もつかないくらいの言葉の殴り合いだな」
「ちょっと不安になって来たわ」
その時だった。
「では次の作品に参りましょう。シェンブロ夫人の〝海辺の約束〟について議論したいと思います」
バレーヌ伯爵が進行し、いよいよアンナの小説が議論の場に引きずり出されることとなった。
アンナは緊張し、いつ何が来てもいいように臨戦態勢を整える。
「まずは誤字脱字と矛盾点の指摘を」
じっと構えていたが──意外にも、全員それらを指摘するまでは至らなかった。
アンナはほっとする。徹底して小説を見直して来たのが良かったらしい。
「ありませんか?では次に作品内容について議論したいと思います」
アンナは再び背中に定規が入る。ふわっと何人かが手を挙げた。
「はい。では、カルネ夫人」
「全体を通してなのですけど、意図的に装飾語を排除してますよね?それについての意図を聞かせていただきたいのですが」
アンナは答えた。
「はい。田舎の幼馴染同士の恋愛を描くのに、余計な言葉ばかりを乗せると素朴さが失われると思いまして」
「ではそういった作品だから、端的な言い回しばかりを使ったと」
「そう……ですね。恥ずかしながら文章にまだ自分のスタイルがありませんので、素直に書くことだけに腐心しました」
「分かりました、ありがとうございます」
別の作者が尋ねる。
「私はこの作品に小説らしさを感じません。もっと大きな事件みたいなものが必要だと思います。緩急といいますか、読者を楽しませる要素がまるでない」
アンナとエヴァンは聞き慣れた言い分に引っかかるが、ぱっとメリアスが入って来る。
「アルブ伯爵、お待ちください。ええと、作者がこの小説の〝狙い〟をどこに据えたかで、その議論の方向性は変わって来ます」
エヴァンは「なるほど」と小さく呟く。
「シェンブロ夫人、この小説は何を狙って──または何をテーマに据えたのかお聞かせ願えないでしょうか」
アンナはエヴァンと目配せしてから、はっきりと言う。
「私がこの作品で書きたかったのは、素朴な幸福です。田舎で何もなくても、この二人が二人なりの幸福を見つけ出すまでをじっくりと書きたいと思いました」
「ありがとうございます。とすると、大きな事件はそんなに必要ないということになりますね」
「はい。日常の積み重ねによって、幸福を見出すというのが本作の主題ですので」
主題。
エヴァンは目を見開いた。素人の場合、先程のラングレー夫人のように、目にした物事を創作に落とし込むことでいっぱいいっぱいになって、そこにまではなかなか気が回らないものだ。アンナは既に、それを書くレベルに到達していたらしい。
主題と言うテーマがサロン内に転がって来たことで、議論に一気に火がついた。
「ということは、この作品には読者を楽しませると言う観点はないのですね?」
アルブ伯爵の問いにアンナが答える。
「はい、そうですね。どちらかというと読者にこの者の主題を〝見つけて〟もらいたいと思っています」
「では、読者はどうでもいいと?」
「……えーっと、どうでもいいわけではありません。読んで何かを感じていただければこれ以上の幸福はありません」
「読者はそこまでじっくり読んでくれないと思いますが」
アンナは埒のあかなさに、彼にこうぶつけた。
「……あえて質問させていただきますが、小説って、読者だけのものなのですか?」
場が静まり返った。アルブ伯爵は慌てて反論する。
「そ、そりゃそうでしょう。読まれない小説など、存在意義がない」
「読まれなくても確実に読んでる人がいますよ。それは作者です」
「……詭弁だ」
「詭弁でしょうか?伯爵は読まれない小説は存在意義がないとおっしゃいましたけど、少なくとも作者の私にとっては存在意義があります。逆説的に言えば大勢に読まれる作品であっても、作者が存在意義を認められない小説であるならばこういった場で発表する価値はないと私は断言出来ます。そのあたりはいかがでしょうか、皆さん」
アルブ伯爵が息を呑み、空気が冷える。
エヴァンはアンナの泰然とした応答に見惚れ、ひとつ武者震いをした。