24.文芸創作サロン
二週間後。
シェンブロ夫妻はアンナの書いた小説を複数印刷し、馬車に乗せた。ブライアンから受け取ったカードの住所はバレーヌ伯爵家であった。エヴァンもアンナもその伯爵とは何の面識もないが、いざ屋敷に入ってみると二人の馴染みの顔が見えることに気づく。
「シェンブロ卿、よく会いますね」
近づいて来たのはメリアス女史だった。以前の素朴な服とは違い、今日は髪も結い上げてファッションに気合が入っている。彼女は問う。
「シェンブロ卿も創作をなさるのですか?」
シェンブロ夫妻は互いに苦笑いを交わした。
「いや、妻が興味があると言うので……私は付き添いで」
「まあ、そうでしたの!奥様が……」
「そうなんです。稚拙な作品ですけど、最近書いてみたくなって」
「分かります。何よりも〝書いてみたい〟という気持ちが創作には大切ですものね」
ブライアンが遅れてやって来た。
「エヴァン様、奥様の付き添いですかな?」
どこか白々しい彼の言葉に、エヴァンはにやりと笑い返す。
「ああ、そのつもりだ」
「奥様は小説をお書きになったのですか?」
「所定の数、用意してある。で……手筈が分からないのだが何をするんだ?」
「とりあえずこちらへ」
ブライアンはエヴァンに椅子を進めるや否や、アンナの書いた小説を彼からさっと取り上げる。
「あっ、こら……!」
「〝海辺の約束〟……という題ですね」
「はい。海辺の町を舞台にした成長と恋の物語です」
ブライアンはどこか必死の形相で読み込んでいる。しばらくすると、うんうんと頷いた。
「予想通りだ。非常に瑞々しい」
「そうですか?何せ初めてなもので、手ごたえがありません……」
「装飾がなく、のびのびとした文章ですね。ストーリーはだいぶ平坦ですが、この素晴らしい文章のおかげで何だか懐かしい思い出を引き出されるようです」
「エヴァンにもそう言われたわ。〝懐かしい〟小説だって」
「これは個性ですよ。れっきとした個性。平易な文章で読者の感情を引き出すことは、誰しも出来るわけではないんですよ」
「そ、そうですか?」
エヴァンは隣で静かにそれを聞きながら、少し新人作家アンナに嫉妬した。
エヴァンは文章に装飾過多な傾向があるからだ。文章を引き算出来ればいいのに、欲張っていくつも重ねてしまう癖がある。
(……分かっている。自分に自信がないからだ)
平易な文ほど実力が現れる。語彙のセンス、選ぶ素材の良し悪し、展開の巧みさ。そういったものが如実に出てしまうのだ。文を重ねれば重ねるほど、粗を塗り潰せるし誤魔化しが効く。
「ではこの小説で創作サロンに参加しましょう。エヴァン様も議場に参加されますか?」
「システムが今いち分からないのだが……」
「そうでしたね。ご説明いたしましょう。まず、今日の創作サロンの講師はメリアス先生です。全員で互いの短編を読み合います。それから創作者の議論や講師の指導がスタートします」
「講師に関しては異論はないが、素人同士で語り合う意義は何だ?」
ブライアンはにやりと笑った。
「何をおっしゃいます。素人はつまり一般の読者ですから、目線も素人です。その素人目線が重要なのですよ。編集者として非常に参考になる意見が多いのです」
「市場に一番近い目線であるということか……」
「その通りです。正直、出版を生業としている者から見たら〝プロ目線〟などというものは最終的には何の役にも立たない。売り上げが正義の業界からすると、一番大事なのは素人目線です。ここは文芸の流行り廃りが如実に出る現場なのですよ。どの立場にせよ、本に関わる人々には必ず何らかの学びがあるはずです」
文学サロンは創作したい作者だけでなく、編集者の役にも立っているようだ。
「さあ、始まりますよ」
「行こう、アンナ」
アンナは緊張の面持ちで夫と歩き出す。
ロの字型に並べられたテーブルに夫妻は並んで着き、ブライアンはメリアスの隣に陣取った。
それぞれ印字したものを回し、十人の作品十作が各々の手元に回った。
それらをアンナから貰って読み込みながら、エヴァンは汗をかく。
どれもなかなかの熱量だ。上手下手、好き嫌い、読み手としては言いたいことは色々あるが、自分が失ってしまったあの情熱がたぎっている。
(これが創作サロンか……)
その瞬間、エヴァンの頭から「素人の趣味の集まり」という発想は捨て去られた。
予想が外れていなければ、ここは恐らく〝自作への熱量〟が試される場。
と、アンナが肘でこちらを小突いて来る。
「ね、エヴァン。どの話もとっても素敵よ。本当にみんな出版経験がないのかしら?信じられない」
「まあ……色んな作者がいるだろうから。書きたいけど出版はちょっと遠慮願いたいなんて人もいるんじゃないか?」
「こんな素晴らしい世界があったのね……もっと早くに出会いたかったわ」
エヴァンはブライアンを見る。
自分には特に用意しなかった場を、アンナに提供した意図は何なのだろう。
「皆様、もう全て読み終わりましたか?」
中年の男、バレーヌ伯爵が声をかける。
全員頷いた。
「それでは、まずはラングレー夫人のお書きになった〝街の灯〟をお互いに批評していくことと致しましょう。ご意見ある方は挙手で」
エヴァンとアンナは目を丸くする。発言が挙手制であるとは初めて聞いた。
ぱっ、と数人の手が上がる。
「はい、リエール伯爵」
「誤字脱字の訂正を致します。四ページの〝解決〟の綴り間違い。十ページ目に〝火が消えた〟とあるのに十一ページ目で〝火を吹き消し〟とある部分、描写に矛盾が生じています」
「ありがとうございました。では次に挙手のアルブ伯爵」
「この港の東側に停泊している船が二人に影を、とありますが、この場合夕方なので影は逆方向に出ます。時間をずらすか西側に訂正を」
「ありがとうございました。では次の方」
いきなり矛盾点を指摘し合うその熱量に、シェンブロ夫妻は成す術なく口を開けるばかりだった。