21.動き出したキャラクター
数日後、エヴァンは再び小説を書き始めた。
ラッキーが続いて来ただけの男、レイモンド。
エヴァンは頬杖をついて天井を仰ぐ。
「……似てるんだよなぁ」
そう。他ならない──自分に。
「意図せず女から歩み寄られ、腕っぷしだけしか取り柄のない甘えた男」
そう考えた時、エヴァンは自分の内面に潜り込み、ようやく冷たくなっている自分を見つけた。自信がなく、自分から何かを生み出すことが出来ないでいた自分を。
「レイモンドにだって、隠された過去のひとつやふたつ、あるはずだ」
自分が男であると言う負い目で、ヒロインの描写ばかりに心砕いていた。
そろそろ彼にスポットライトを当てようではないか。
「そうだ。戦乱に生きて、きっと何かを見失っていて……」
思いつくまま、画用紙に殴り描きをして行く。
「めちゃくちゃな軽率さの影には、そうならざるを得なくなった過去が……」
初めて描く、レイモンドの肖像。その隣に、微笑むクリスティーヌを描いて行く。
どちらも架空の人物だが、どこかにいそうな二人だ。
するすると周囲に花々を描いて行く。
花の表面を描いた時、アンナの肌の滑らかさを思い出した。
「……彼はなぜ、クリスティーヌと共にいたがるのか……」
エヴァンは初めて妻と肌を重ね合わせ、小説の中のレイモンドの体験に追いついたため、新たな感覚を得ていた。一度あのようないい思いをしてしまうと、自分でも驚くほど彼女に深入りし固執するようになる。
自分のものだ、と考えるようになる。
傲慢な考え方だが自分に置き換えると、何となくレイモンドの裏にある闇が見えて来る。自信のなさや葛藤が、恋人に向かっている。それは決して悪い感情ではない。何か次のステップに入るための助走と言えるのかもしれない。
エヴァンはそれらを原稿に書き入れて行く。どこからも拾ったことのない、自らが生み出した情報を。
「レイモンドは戦いに疲弊して……それからクリスティーヌと出会う。身分の高い、自由な女性に」
あの薄っぺらいレイモンドが、膨らんで行く。
「憧れが愛情になって、その思いが暴走して奇妙な固執へ変貌して……」
一気に書いて、エヴァンはふうと息を吐いた。
「……驚いた」
自分の中からほとばしる感情に、エヴァンは自分でもびっくりした。
「レイモンドが、人間になったぞ」
とても新鮮な感じがする。小説の中に一気に風が吹き込んだような──
「まさかこれが、切り張りではない小説?」
自分で考え、経験を与え、命を授け、キャラクター自らが動き出したのだ。
「俗に言う〝キャラを動かす〟とは、こういうことだったのか……」
新鮮な体験に、エヴァンは今までになく興奮した。
すると、どうしても誰かに見せたくなる。
「……アンナは」
言いかけて、エヴァンは首を横に振った。
「いかん。彼女が来てから、いっつもこうだ」
エヴァンは原稿用紙に向き合う。
自分の中の闇と戦うように。
アンナはどこかすっきりした顔のエヴァンを眺め、食事中に小首を傾げた。
「あら?何だかエヴァン……表情が変わったわね」
エヴァンはこともなげに言う。
「そうかな」
「ええ。とてもすっきりした表情よ。棘がなくなった感じ」
二人はいつものように食堂で食事をする。この時間も、もはや日常の光景に変わりつつある。
「図鑑の仕事は終わったの?」
「ああ。そろそろペンドリー出版に連絡しようと思ってね」
「ねえ。出版社ってどんなところなの?一度行ってみたいわ」
エヴァンは頷いた。
「君は行ったことがないか。結婚したこともあるし、一度連れて行ってもいいかもしれないな。ブライアンに5巻の相談もあるし」
アンナの目がきらりと光る。
「あら……5巻がもう出来たの?」
「まあ、大体。こんな方向性でいいのか、一度聞いた方がいいと思って」
「ねえエヴァン。それ、私読みたい」
エヴァンは面食らう。
「いいけど、かなり雑だぞ。ほぼ箇条書きに近い、手直し前の第一稿だからな」
「だからこそ、よ。せっかく小説家の妻になったんだから、あなたの仕事の軌跡を追ってみたいの」
愛する彼女の頼みは、やはり断りづらい。
「じゃあ、一度行ってみるか」
「えへへ。嬉しい」
「コリン、ブライアンに連絡を」
「かしこまりました」
アンナの瞳が、夢見る乙女に変わって行く。
「楽しみ!もしかしたら、また大先生に出会えるかも!」
「……この前メリアス先生に出会って大変なことになっていたけど、大丈夫か?」
エヴァンがどこか不安げに問う。アンナは少し恥ずかしそうに口を尖らせた。