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2.放置される新妻

 次の日。


 悲しくも、二人の間には何事も起こらず朝になった。


 アンナは朝食のため出向いた食堂で、驚くべき事実をコリンから告げられる。


「奥様。エヴァン様は締め切り間近の案件を複数抱えておられまして、朝食はお摂りにならないと」


 アンナはひとり寂しく朝食を食べる。


 食器の音が、しみじみと壁に響いた。


(こういうものなのよ、結婚なんて)


 彼女は自分に言い聞かせる。


(まあいいわ。幸い、私には読書という趣味があるもの)


 アンナは執事に尋ねた。


「コリン。昨日頼んだものだけど……」

「はい。今日のお昼頃にはお手元に届けます」


 アンナはほっとした。これで暇を潰せる。


「あと、もうひとつお願いしたいことがあるの」

「何なりと」

「私の部屋に、本棚が欲しいわ。私は本をかなり読むから、壁一面本棚にしたいの」

「左様ですか。大工に連絡を取ります」

「そうしてくれると助かるわ」


 アンナはようやく気分が高揚して来た。


(そうよ、自分を楽しませるのは究極、自分しかいない。エヴァンのことはしばらく放っておいて、私は私でやって行こう)


 彼女もまた、エヴァンと似て紙面に没頭することを人生最上の喜びとしていた。




 昼になると、ようやく手元に頼んでいた本が届いた。


「これよ、これ……ブリジット・オルムステッド先生の新刊!」


 それは、国中の女性が心待ちにしている恋愛小説。


 紙をめくればそこには、めくるめく夢が詰まっている。


「うふふ。三巻ではようやく二人はお互いの気持ちに気づいて、仲を深め合ったのよね……」


 アンナは〝令嬢クリスティーヌの婚姻〟を三巻まで読み込んでいた。


 オルムステッドは片思いの恋愛劇を得意としていた。すれ違いを繰り返したヒロインとヒーローが、最終巻で結ばれる類のストーリーラインが彼女の持ち味なのである。


 そんな彼女が珍しく三巻で二人を結ばせたのだから、話題性が高い最新刊なのであった。


 三巻までの内容はこうだ。


 戦乱をくぐり抜け、互いの家の格の違いを知りながら惹かれ合った二人は、瓦礫の中気持ちを確認し合って結ばれる。


 なのでそこから二人を戦乱や悲劇が遠ざけるとか、一度別れてから復縁させるのではないかとか、オルムステッドファンの女性たちの間では専らの噂になっていたのだ。


 アンナはワクワクしながら最新刊である四巻をめくる。


 しかし──


 彼女は首を傾げた。


 そこには小さな廃墟を見つけ、仲睦まじく暮らす二人の描写があった。束の間の平和ということなのだろうか。本来ならば日常回と言うのは人気が出やすいのだろうが……


「なぜかしら」


 アンナは考え込んだ。


「これじゃない……」


 何と言えばいいのだろうか。


「うーん。何かキスハグばっかりしてるけど、そうじゃないんだなぁ……もっとこう、内面描写というか、リアリティというか、何かが足りない」


 オルムステッド女史は男女間の勘違い・すれ違いを書かせたら一級なのだが、意外にも「男女の睦み合い」のようなものはほとんど書いたことがなかったのではなかったか。


 あの人気作家でも、意外な不得意分野があるものだ。


「どうしよう。この巻で読むのやめようかしら。うーん、でもせっかくいいキャラクターたちだったし〝婚姻〟って題名に書いてあるから今後の展開も見てみたいし、打ち切られても寂しいから、期待を込めて続けて買うべきかしら……」


 その時、扉が叩かれた。


「奥様、来客がございます」


 アンナは慌ててデスクから立ち上がった。


「ど、どなたかしら」

「ペンドリー出版のブライアン様です。エヴァン様が大変お世話になっている編集者の方でいらっしゃいます」

「ブライアン様なら昨日もお会いしたわ。ご挨拶しないと」


 アンナはそそくさと玄関へ歩いて行く。


 ちょうどブライアンが開かれた戸から入って来るところであった。


「ブライアン様、いつもお世話になっております」

「おお、奥様。こちらこそシェンブロ公爵にはお世話になっております」


 ブライアンはそう言いながらアンナの方を向いて帽子を取ると、早速執事に導かれてエヴァンの書斎に入って行った。




 エヴァンは相変わらず挨拶もなくデスクに向かい続けていた。


「こんにちは、オルムステッド先生」


 ブライアンが軽口を叩くと、ようやくエヴァンは苦笑いで振り向いた。


「やめてくれよ、そのペンネームで呼ぶのは」

「はっはっは。どうですかな、新婚生活は」


 エヴァンは「新婚……」と呟いてから、顔をしかめた。


「まずい。朝からアンナに挨拶もしていない」

「おやおや。先が思いやられますな」

「まあいい。大人しそうな女だったからな、きっと大丈夫だろう」


 ブライアンは公爵を注意深く眺めると、小さくため息を吐いた。


「そういう性格がね、最近のあなたの小説に影を落としていると感じることはありませんか?」


 エヴァンは振り返った。


「何を言う。四巻はまずまずの売れ行きだそうじゃないか」

「先生、四巻はね、三巻の出来が良かったから売れただけなんですよ」

「?」

「ええと、ちょっとお見せしたいものがありまして」


 ブライアンはそう言うと、鞄の中からどっさり手紙の束を取り出した。


「何だ?」

「ファンレターです。お忙しいところ恐縮ですが、今すぐにお目通しいただけないでしょうか」


 エヴァンは開封済のファンレターを受け取ると、中身を取り出して目を通した。


〝クリスティーヌの心情描写が物足りません。レイモンドと素晴らしい毎日を過ごしているはずなのに、彼女の気持ちが伝わってこないのです〟


〝ストーリーの中にこの日常回を入れ込んだ意図が伝わって来ません。読者が求めているだろうから書いたということだけは伝わってきます。サービスしますよ、という。四巻はそれだけでしかなく、クリスティーヌの喜びが伝わって来ません〟


〝レイモンドのお世話回はまだ続きそうですか?私はクリスティーヌの家事が読みたいのではなく、彼女がいかに愛されているかを読みたいのですが〟


 エヴァンはファンレターを眺め、四巻の内容が明らかに不評だったことを知る。


 ブライアンは静かに言った。


「……読者に代弁していただきましたが、私も同じような感想を抱いております」


 エヴァンは眉間を押さえ、じっと何事か考え込んでいる。

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私あの時、不幸でよかったです。
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