18.天才の来訪
エヴァンはアンナを伴って応接間へと歩いて行く。
執事が扉を開けた先に座っていたのは、美しい女性。
彼女はすぐに立ち上がった。
「シェンブロ卿、初めまして。私は作家のアデーレ・メリアスと申します」
髪を結うということをしないメリアス女史。素朴な服装とその真っすぐな茜色の髪は、彼女の性格をそのまま表しているようにエヴァンは思った。
「〝異国の花園〟の作者……ですか」
「あら、ご存知なんですね。ならば話が早いです。ちょっとお願いがあって伺ったのですが」
エヴァンは妻と共に応接間の椅子に腰かけた。
「……聞きましょう」
「シェンブロ植物園を見学、または取材させていただくことは可能ですか?小説の描写に必要なのです」
先程〝異国の花園〟を読んだ身、または同業者として、断わるわけには行かなかった。
「構いません。今日はちょうど大学も休みです」
「ありがとうございます。謝礼はお支払いしますわ」
アンナはメリアスを、じいっと憧れの眼差しで見つめて動かない。
エヴァンはその様子を横目に見やる。
(やはり、天才を見る目は違うな)
その眼差しは、エヴァンの絵に向けられたものと同じ眼差しだった。
「アンナ。君も来るか?」
メリアスの視線がアンナに注がれる。アンナは我に返ると慌てて笑顔を作った。
「はい。是非、先生と同行させていただきたいです!」
メリアスはくすくすと笑った。
「よろしくお願いしますね、奥様」
今日の植物園は誰もいない。
庭師が剪定を終えた後のようで、切られた枝の束が温室の外にごろごろと転がっている。
「〝インノケンティウス〟という花を見たいな、と思いまして」
インノケンティウスは砂漠から持ち込まれたサボテンの一種だ。今はガラスの温室でひっそりと暮らしている。ちょうど花を咲かせる時期なのだ。
メリアスはまだ花の気配のないインノケンティウスを眺めた。
「あら、お花は咲いてませんのね」
「……絵ならありますが」
エヴァンの申し出に、メリアスは目を見開いた。
「まあ。見せていただけるんですか?」
「コリン、持って来たか?」
主人の呼びかけに老執事は答えた。
「はい。こちらに」
「花が見たいとおっしゃるかと思い、執事にスケッチを持たせておいたのです」
老執事が取り出して見せた花の絵の束に、メリアスの表情が一変する。
「……素敵!これ、公爵がお描きになったの?」
「現在ペンドリー出版にて、新種を集めた植物図鑑を執筆中なのです。これはその原本」
「いいことを聞いたわ。それを買えば、新種のことが分かるのね?」
「……恐らく」
インノケンティウスの淡い桃色の花の絵が取り出される。メリアスはしげしげとそれを眺めた。
「そう。このとげとげしいサボテンに、こんな可憐な花が咲くのですね」
「本来は砂漠の奥地に咲くものなので、現地の住民にも知られずに咲いていました。それを持ち帰ったんです」
メリアスは更に興奮して目を瞬かせた。
「……シェンブロ卿が見つけた花なの……!?」
「そうですが」
「あなたもプラントハンターの一員だったんですね。意外」
「……よく言われます」
「シェンブロ卿がペンドリー出版と懇意なら話が早いです。今回のシリーズも大長編になりそうで、資料がもっと必要なんです。またお話をうかがいに来てもいいですか?」
「もちろんです」
エヴァンはうっすら笑って頷くと、気になっていることを尋ねた。
「ところで……メリアス先生は現地を旅して〝異国の花園〟をお書きになったのですか?」
メリアスは公爵が意外なことを気にしたので、驚いて首を横に振った。
「いいえ。全て空想です」
「私が旅した場所と、そっくりな場所がいくつも出て来ました」
メリアスはにっこりと笑う。
「そうおっしゃっていただけると、書いた甲斐がありますね。学者様に、荒唐無稽だと言われるかと冷や冷やしましたもの」
「空想であそこまでの現実感が書けるのには、何かコツでもあるのですか」
「そうですね……」
メリアスは幻想的なガラスの温室を見上げた。
「信じることです。自分の空想を」
エヴァンはそう言ったメリアスの真っすぐな視線に、何か畏怖の対象を垣間見た気がしてごくりと喉を鳴らした。
「信じる……?」
「ええ。自分を信じれば信じるほど、作品の信憑性は増します」
「では、取材など必要ないのでは」
「ですから、自らを信じられるように、本物を見ておくんです。空想を補強するのです」
エヴァンは、メリアスに試されているように思った。
まるで自分の弱点を突かれたような気がしたのだ。
果たして自分は、自分を信じられているだろうか。
エヴァンは心の奥底で、何かぞっとするような自分の冷たさに足を突っ込んだような気がした。
それは気づいてはならない、自身の闇の部分。
「シェンブロ卿?」
エヴァンはようやく我に返った。
「は、はい」
「お忙しいところありがとうございます、シェンブロ卿。またお話に詰まったら参りますね」
「……いつでもどうぞ」
とはいえ、同業者として作者の役に立てるのは素直に嬉しい。
少し微笑みながら元来た道を戻ろうとメリアスと共に踵を返すと、そこにはむすっと頬を膨らませたアンナがいた。
エヴァンはその表情に驚き、同時に嫌な予感がする。
「……アンナ?」
アンナはのしのしと、先に屋敷へ歩き出してしまった。なぜか怒っている。
「どうしたんだ?あいつ……」
エヴァンが呟くと、メリアスは隣で笑って言った。
「きっと奥様は、シェンブロ卿に放っておかれたと思っているのではないでしょうか」
「……そんな馬鹿な。おい、アンナ!」
エヴァンは慌てて妻を追いかけて行った。