12.読者の心
女性たちが隣に座り、じっとエヴァンの方を眺めている。
この喫茶店に男はひとりだけだ。エヴァンは付き合わされている感じを醸し出しながら、視線を合わせず遠くを見つめた。
「……皆さんも、アデーレ・メリアス先生の〝藤の庭〟フリークなのですか?」
アンナが相席の女性たちに問う。彼女たちはうんうんと何度も頷いた。
「最新刊、素晴らしかったわね。特に、主人公が女を出さずに知的な会話で相手を惹きつけるところとか」
「メリアス先生って、キャラクターの台詞がいちいち洒落てるのよね。しかもどのキャラクターも個性が強いのに、嫌いになれないし可愛げがあるの」
「分かる!ライバルや悪役も好きになれちゃうのよねー」
さすが聖地巡礼をしている者同士、あっという間に気が合ってしまう。
エヴァンも内容を知っているだけに、頷きそうになる自分の顎を押さえた。
盛り上がっているところに、再び初老の男性が現れる。
「ご注文を承ります」
「あら、もしかしてあなたが店主のニールさん?」
「ああ、その通りです」
「わー!メリアス先生のお父様だわ!」
エヴァンは店主を見上げた。
彼が、小説家の父親。
普通の田舎の農夫といった出で立ちの、日に焼けて痩せた中年の男だった。
「メリアス先生にお伝えして。最新刊もとても楽しかったと」
「メリアス先生は、もうここにお住まいではないのですか?」
ニールはじっと黙って微笑むと、目を閉じた。
「あいつはいつも住まいをあちこち移動させながら書いている。その土地の〝空気〟がなければ、リアリティのある小説が書けないのだと言ってね」
メリアスファン達は揃って熱くなり行く胸を押さえた。
「素敵……!」
「なるほど。メリアス先生の小説がどこかその街の〝香り〟を纏っているのは、移動しながら書いているからなのね!」
エヴァンは頭の中でメモを取る。
「でも、ちょっと寂しくなる時もあるんだ」
ニールが正直なところを吐露し始めた。
「転々とする生活が、果たしてあの子を幸せにするのだろうか、とね。地に足つけるわけには行かないのだろうかと──親の欲目だ」
しかし、アンナはさらりと反応した。
「いいじゃないですか、とても自由で」
ニールは彼女の勢いに、おっかなびっくり頷く。
「女性が身を立てられる方法なんて、ごくわずかだわ。先生はそれを手に入れたんだから、自分に正直に生きられるの。だから正解の生き方です。ここに来る女性たちは、皆メリアス先生のそういった自由な生活から生み出される小説に元気を貰っています」
「……そう言っていただけると、親としても嬉しいですね」
「みんな、先生に憧れているんです。今の話を聞いたら、尚更です」
エヴァンはじっと隣で考える。
他の恋愛小説家の人となりなど考えたことがなかった。よく考えれば、ひとりでに小説が出来るわけではないのだ。
何か背景があって、小説を書いていることもある。
(収入や自由が目的の場合も……)
エヴァンのようにただ作家になりたいと夢見て書いたケースもあるだろうが、自由に放浪するために書いている作家もいるのかもしれない。特に女性は、なれる職業が限られているものだから。
(小説を唯一の収入としている作家もいる……)
エヴァンは、そんな作家たちより果たしていい作品が書けるのかと、急に自信を失くし始めた。
(私の小説に地名を登場させたとして、彼女たちのように〝聖地巡礼〟などしてもらえるのだろうか?)
藤の景色が色あせる。
そんな時だった。
「みなさん〝藤の庭〟を読んでいるのなら、きっと〝令嬢クリスティーヌの婚姻〟も読んでらっしゃるわよね?」
その声に、エヴァンは意識を取り戻した。いつの間にかニールは去り、相席女性のひとりがこちらにそう尋ねて来たのだ。
エヴァンはじっと聞き耳を立てる。
「ええ、もちろんよ!」
「四巻も読んだ?」
「そうね。意外にも、何の変哲もない日常回だったわ」
「やっぱりオルムステッド先生は、話をこじらせてしっちゃかめっちゃかにしてナンボよね。いっつも心情描写が薄いんだから、不得意分野なんか今更書かなくて良かったのに」
エヴァンの胃がキリキリと痛む。
「ああ、でも」
アンナが割って入った。
「オルムステッド先生のことだから、きっと次巻はあっと驚かせるような展開を作ってくれるはずよ。私、先生を信じてる」
エヴァンはひとり、鼻を静かにすすった。女性たちは姦しく続ける。
「そうよ。心情描写が読みたいんだったら、ハナからオルムステッド先生の本なんか読まないわよねぇ」
「あの突拍子もない展開が恋しいわ。ありえない!からのどんでん返しと、伏線回収が天才的なのよね」
「今はロマンチックな恋愛小説が主流だから、あの読者をぶん回しにかかる刺激もたまには必要よね」
「分かるー!オルムステッド先生は生活のスパイスよねっ。あー、早くあの空疎な日常回が終わらないかなー」
悪口のようだが、褒められてもいる。
今回の出来はどうあれ、次巻を熱望されているようだ。
しかしそこに気づくと、エヴァンの肩には更に力が入り始める。読者からの期待に押し潰されそうになって来たのだ。