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70③

ゆづくんの部屋は、彼の言葉とは裏腹に綺麗に片付いていた。壁際の木目の本棚には教科書や漫画がぴったりと収まり、もう一方の壁際にあるベッドには、上手に畳まれた青いかけ布団が、どこか慎ましげに置かれていた。


「めっちゃ綺麗じゃん、ゆづくんの部屋。そういう職業の人なのか?」


「そういうのじゃないですけど、一応気をつけてはいます」


「エイちゃんも、ちょっとは気をつけたらマシになるんじゃないの?」


「まあ、ちょっと気をつけてみようかな。片付いた部屋って、良いもんだな、うん」


「何を当たり前のことを」


「再確認は大事なことだよ。帰ったらちょっと掃除してみようって気になったよ」


エイちゃんが感心したように頷くと、わたしたちは敷かれていた水色のカーペットに座った。カーペットは、ふわふわとしていて触り心地が良かった。


「じゃあ、飲み食いしようか。俺は、一杯目ビールでいこうかな。依斗とゆづくんは何飲む?」


「わたしは、オレンジジュースにしようかな」


「僕もオレンジジュースで」


「なんだよ、酒は俺だけか」


「一応、わたしたち未成年だし」


「一応、ね。一応」


エイちゃんが、わたしの前にビールの缶を置いた


「アルハラじゃん」


「うっせ。お前も高校時代は散々飲んでたくせに」


「え、イト、意外にワルだね」


ゆづくんが冗談めかしに笑った。


「なあ、ゆづくん。人に言っといてなんだよなあ、こいつ」


「イトは、そういうとこ真面目な人かと思ってたなあ。幻滅したなあ」


「うるさいなあ、もう。そんなこと言うなら、今日は飲んじゃうもんね」


「よっしゃ、そうこなくっちゃ」


わたしは、自分の前に置かれた缶ビールを持った。缶を握ると、その冷気がじんわりと手のひらに広がっていった。その感覚が心地良い。


「じゃあ、乾杯するか」


ゆづくんが飲み物を準備し終えたのを見計らって、エイちゃんがビールの缶を掲げる。それにわたしとゆづくんも応じた。


「かんぱーい」


エイちゃんの掛け声と共に、わたしたちはそれぞれの飲み物を軽く当て合った。ジョッキを当てたような小気味良い音は鳴らなかったが、それによって和やかな空気感が作り出されてはいた。乾杯の後、わたしは缶を傾けてビールを飲んだ。口に苦味が広がったが、それをすぐに喉へ流し込むと、すっと清涼感が抜けていった。わたしは思わず、ぷはあ、と漏らしてしまう。正面に座るエイちゃんも、同じような声を出していた。


「なんだよ、依斗。美味しそうに飲むじゃん」


「ビールは、実は結構好きなんだよね」


「最初からそう言えば良かったのに」


「ちょっと、意地張っちゃったね」


わたしが笑うと、エイちゃんも応じた。わたしたちはなんとなく、もう一度乾杯をした。


乾杯の後、わたしたちはテーブルの上にお菓子を広げた。ポテトチップスに、レーズンサンドに、ビーフジャーキー。各々が好き勝手に選んだ統一感のないお菓子が、どんどんと広げられていく。わたしたちはそれをつまみながら、ぼちぼち話し始めた。


「いやあ、今日のゆづくんの曲、良かったな。さすがに、ナンナンに目をつけるだけあって、良い曲だったよ」


「ありがとうございます」


エイちゃんが率直な意見として褒めているのだと気付いたのか、ゆづくんは照れつつも嬉しそうに笑っていた。


「あれさ、曲名の「Spring string」はやっぱり、ナンナンの「Spring story」を意識してんの?」


「やっぱり、そう思いますよね」


「そりゃそうだろ。ナンナンファンなら全員そう思うよ」


「やっぱり、意識してるの?」


「あの曲、歌詞は僕がナンナンにハマった日と今の僕の状況を歌ってて。だから、曲の中に何らかのナンナンのエッセンスを入れたくて、下手くそだから歌詞とかメロディに入れられずに、曲名に入れちゃった感じで」


ゆづくんは言いながら、恥ずかしそうに笑った。


「へえ、そういうだったんだ。歌詞がナンナンについて歌ってるっていうのはわからなかったな」


「ちょっと、歌詞見せてもらって良いか?」


エイちゃんが言うと、ゆづくんはかばんからA4の紙を取り出し、それをテーブルに置いた。


「一応、これが歌詞なんですけど」


ゆづくんが置いた紙には、几帳面な字で書かれた歌詞が載っていた。わたしとエイちゃんはそれに注目する。ゆづくんが初めて作った曲にどういう思いを込めたのか、それを汲み取っておきたかった。




Spring string




星空の下、君を呼び込み


街へ下って行くのさ


それからはまた、浮かぶ月見て


そして手を振りさようなら




星空の下、君はもういない


夜は静かに更けていく


それからはまた抜けたコーラを


飲み干してほらさようなら




ゆらゆら


春が宙をゆうに舞う


ぱらぱら


時が流れても


ゆめゆめ


君を忘れない


ゆらゆら


君が宙をゆうに舞う


ぱらぱら




忘れない日々の


遠い音が


浮かんでちぎれた


はるか遠く




「良い歌詞だね、これ。情景が綺麗だし、語感も良い」


わたしが率直に感想を言うと、ゆづくんは照れ臭そうに笑った。


「なんか、じっくり歌詞見られるのは恥ずかしいな」


「確かに、歌詞を知り合いに見せるのって、恥ずかしそうだね」


「特に、この歌詞は実体験もちょっとあるから、特に恥ずかしくて。Aメロの星空の下のくだりは、実際に僕が星空の下でナンナンを聴いてたっていう話だから」


ゆづくんは言いながら、早口になっていた。


「実家は高台にあって、嫌なことがあると、高架下のお気に入りの場所に行って、ナンナンを聴いてたんだ。そしたら、ちょっと気持ちが楽になったからさ。その体験を軸に歌詞を書き始めたんだ」


「そうだったんだ。でも、気持ちはわかる気がするな。ナンナンの音って、ばちばちのオルタナなのに、どっか優しさがあるっていうか。聴いてると落ち着くんだよね」


ゆづくんはわたしの話を聞きながら、うんうんと頷いていた。


「高校時代の僕にとって、ナンナン聴くのとギター弾くのだけが楽しみだったから。初めての自分の歌には、ナンナンへの感謝を入れたくて。忘れないよって」


ゆづくんがそう語ると、部屋の中に静かな空気が流れた。誰が何を言ったわけではなかったが、おそらくわたしたちの脳裏には、共通の人物が浮かんでいるような気がした。


わたしは一口、ビールを飲む。苦味が、喉を抜けていく。


「解散したんだよな、ナンナン。未だに信じられないけど、柏葉が死んでさ……」


エイちゃんが、そう言ってビールを飲んだ。缶をテーブルに置く。その口は固く結ばれていた。その言葉の余韻が部屋に響き、しばらくの間静寂が訪れた。


「ナンナンって、あの四人で完璧だったから。柏葉のギターがないと、あの音にならないんだよな」


エイちゃんは言って、またビールを流し込んだ。飲みながら、今は亡きNumber‘s Numberのギタリスト、柏葉裕介に思いを馳せているのだろう。


Number‘s Numberは、三年前の一二月に解散した。ギタリストの柏葉裕介が亡くなったのだ。サウンドの核を失ったバンドはそのまま解散。他のメンバーはソロアーティストやスタジオミュージシャンとして活動を続けている。


「あの時は、本当にショックでした。今でもたまに思い出します。ギター始めたのも、柏葉さんの影響が大きいし」


ゆづくんの表情にも、陰りが見える。亡くなった当時のことを思い出しているのだろう。柏葉の死は、当時のわたしも相当堪えた記憶がある。


「ただでも、柏葉は死んでも録音されたギターは消えないから。今は、それを聴いて柏葉が生きてたんだって、感じるしかないよな」


「そう、ですね」


ゆづくんがゆっくりと頷く。


「本当に、柏葉のギターは一度聴いたら忘れられないよね。あの鋭さとキラキラ感は、オンリーワンだと思う」


わたしは、柏葉のギターサウンドを思い出す。鋭く、一度聴いたら忘れられないギターサウンドと、激しさの奥に優しさのにじむキラキラとしたフレーズ。本当に、唯一無二のギタリストだったと思う。


「でも今思うと、あのギターも苦しみの中で生み出されたのかもしれないな。死ぬ直前の柏葉は、本当に痩せてたし」


「そうだったのかもしれないですね。本当に、感謝しないと」


ゆづくんは、口を堅く結んだ。そしてその後、おそらくは無意識なのだろうが、彼はそっと手を合わせていた。さながら祈りをささげるように、目を閉じて手を合わせていたのだ。その仕草にわたしが驚くとともに、柏葉への純粋な経緯を感じる。わたしはゆづくんのその姿勢に、同意したく思った。


わたしは、ミュージシャンを含めすべてのアーティストを尊敬している。命を削って作品を生み出し、それによって死後も「自分」をこの世に残す。それは決して、簡単なことではないだろう。きっと、苦労も絶えない。それにも関わらず作品を生み出し、人々の希望であり続ける彼らには、本当に頭が上がらない。


「でも僕は、実は柏葉さんのことが羨ましかったりもします。最高潮のまま、人生の良いところで死んで、死後も誰かに愛される。僕もできることなら、彼のような死を迎えたいなって、思ったりもします」


ゆづくんはしっかりとした口調で、淀みなく言葉を繋いでいった。それにわたしは、どきりとした。彼の口から明確に「死」という言葉が出たことに、わたしは動揺したのだ。心臓が揺れ、嫌な汁が溢れる感覚がある。


「おい、ゆづくん。柏葉みたいに死ぬってことは、あと数年で死ぬってことなんだぞ。柏葉は、二七歳で死んだ。それで良いのかよ?」


ゆづくんの発言を受けて、すぐさまエイちゃんがそう指摘をした。わたしは一つ唾を飲む。静かな部屋の中、そうしてわたしは神妙な面持ちのゆづくんを見つめた。


「僕の考えですけど、生きていくのは本当に大変です。疲れます。人の黒い部分に傷つくし、気も使わなくちゃいけない。意図がうまく伝わらないこともあるし、恥ずかしい思いをすることもある。おまけに、僕には才能もないから、大学を出ればきっと、好きでもない仕事をして苦しい思いをすると思います。だから僕は、できれば早く死んでしまいたい。苦しまないまま、それこそ柏葉のように証だけ残して、濃く短く散っていきたい。そう思うんです。何がつらいとかは明確にないし、今は二人といれて楽しいですけど……」


ゆづくんの声は、はっきりと輪郭を伴っていた。大きくはないがしっかりと意思の乗った、力強い声だった。しかし言い終えると、「僕の考えだけど」と小さな声で付け加えた。そう言って俯いた表情には、影が落ちている。


ゆづくんの言葉に、わたしたちはしばらく何も言えなかった。おそらく意図してはいないのだろうが、彼の発言と同じような意味の発言を、かつてしていた人物に心当たりがあるのだ。脳裏に、控えめに笑う都留の顔が浮かぶ。


三年前のことを思い出す。わたしの兄、糸魚川都留との、最後の日の記憶だ。

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