70②
「曲、作ってきたんだけど」
各々楽器のセッティングを終えたところで、ゆづくんが自分のかばんをいじりながらそう言ってきた。
「この間言ってたやつ、できたんだ」
「ゆづくん、すごいな」
「まあ、初めて作った曲だから完成度はどうかわかんないけど。これがスコアで」
そう言って、ゆづくんはバンドスコアが書かれたノートを見せてきた。それに注目する。ベースパートが難しかったらどうしようという、心配があったのだ。
几帳面な字で書かれたページの一番上には、「Spring string」と書かれていた。曲名だろうか。Number‘s Numberの『Spring story』を思わせる字面だ。意識したのかもしれない。
肝心のベースパートの難易度だが、ありがたいことに、ものすごく簡単なアレンジになっていた。ゆづくんも、初心者のわたしに配慮してくれたのだろうか。わたしはひとまず安心して、そっと胸を撫で下ろした。
「二人は,このアレンジできそう?」
「まあ、見た感じかなり簡単だしな」
「わたしも、多分できると思う」
「良かった。急な要望で悪いんだけど、今日は、この曲やっても良いかな?」
「いいね、やってみよう。ゆづくんに作曲能力があったなんて、驚いたな」
「なんか、やってみたら意外に完成したので」
「すげえよ、どんな曲か楽しみだわ」
「じゃあ、これから、ちょっとだけ一人でギターとボーカルやるので、少し聴いててもらって良いですか? その後、みんなで合わせたいなって思ってます」
「おう」
「うん、聴かせてよ」
わたしとエイちゃんは、そう返した。それにゆづくんは頷いて、大きく息を吸った。自分の曲の初披露で緊張しているのか、先ほどよりも表情が引き締まっていた。
「じゃあ、いきます」
ゆづくんは合図の後、大きく息を吸った。そして、ピックに手をかけ、ダウンストロークでイントロを鳴らし始めた。
ゆづくんの曲は、それこそ春の爽やかな空気を思わせる、明るくも儚い曲調だった。ミドルテンポの静かなギターロックは、スタジオに優しく、それでいて鮮明に響き渡る。
ゆづくんのふわりと柔らかい声と、歪んだギターの対比。そして鏡越しに見える緊張しながらも幸せそうな表情は、わたしにどこか懐かしい感触を思い起こさせた。この表情は、どこかで見覚えがあるような気がした。
最後のコードを弾き終えると、ゆづくんはストロークをし終えた格好のまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。スタジオに余韻が残る。わたしとエイちゃんはしばらく黙って、ゆづくんの姿に注目していた。
「どうでした、かね?」
ゆづくんが言うので、わたしは拍手をしながら、静かに唇を噛んだ。良い曲だと率直に思うと同時に、彼の姿が、とある過去の記憶と重なってしまっていた。
◯
スタジオを出て、わたしたちは三人並んで歩いていた。大学から駅へ向かう太い歩道で、辺りには東京らしくビルが立ち並んでいる。わたしはスタジオの前にあった自動販売機で買ったミルクティーのペットボトルを片手に、他二人は手には何も持たず、とぼとぼとゆっくり歩いていた。
「まあ、初めてだったし、なかなかうまくはいかねえよ。な、ゆづくん。元気出せよ」
「いや、僕の自分の曲やりたいっていう一存で変な感じになっちゃったから。申し訳なかったです」
「いやあ、ゆづくんの曲は良かった。そんで、俺は本物のドラムが叩けた。それだけで俺は満足だ」
「わたしも、この間言ってたゆづくんの曲が聴けて、嬉しかったよ。むしろ、うまく合わせられなくてごめんね」
わたしたちが言うと、ゆづくんは小さく息を吐いた。そしてわたしを見ると、そっと表情を綻ばせた。その作ったような笑顔もまた、脳裏に焼き付いた表情と、重なった。
「次回はこうならないように練習してくるので、応援よろしくお願いします」
ゆづくんは声色を明るくして、宣言するような調子で言った。
「応援をよろしくお願いされた」
「応援っていうか、それを言うならみんなでがんばろう、だろ。俺たちもバンドメンバーなわけだし」
「みんなでがんばろう、だと図々しいかと思って」
「図々しかねえよ。今日うまく演奏が噛み合わなかったのは、俺や依斗が下手だったからってのもあるし」
「じゃあ、みんなでがんばろう」
「それで良いんだよ」
スタジオにてゆづくんが自曲を歌った後、実際に三人で音を合わせてみた。しかし、やってみるとセッションというのは想像以上に難しく、ボーカルの音量が小さすぎたり、逆にドラムが大きすぎたり、あとは技術的な問題でリズムが合わなかったりと、問題は山積みだった。わたしもセッションしながら、何度もその難しさを実感した。周囲のリズムに合わせようとすると手元が乱れ、手元を意識するとリズムがずれてしまう。これは、まだまだ練習が必要だとは、強く思った。バンド活動は甘くないのだ。
「じゃあ、せっかく三人集まったんだし、もし良ければこの後どっか行かない?」
ゆづくんが、わたしたちの方を見ながら、そう提案してくれる。声色はいつもの朗らかなものに戻っていて、安心する。
「良いね。どこ行く?」
「俺、ゆづくん家行ってみたいな。一人暮らしなんだろ? 大学の近くだったら、こっから歩いて行ける?」
エイちゃんが言うと、ゆづくんは驚いた表情を見せた。
「え、うち? こうなるなら、掃除しとけば良かったな……」
「良いんだよ、そんなの。ゆづくんなら、そこそこ綺麗にしてそうだし」
「大丈夫。エイちゃんの部屋に比べたら、絶対マシだから」
「うっせ。部屋は自分でどこに何があるかわかってれば良いんだよ」
「それにしてもあれは、物多すぎでしょ。本棚とか、雪崩起きそうだったし」
「うっせうっせ。雪崩起きたことなんてねえっつの」
「イトがそんなに言うなら、瑛人さん家も行ったみたいな。怖いもの見たさで」
「いやいや、そんな怖いもんじゃねえよ。心外だ」
「エイちゃんの部屋が汚いのは客観的事実だよ」
「わかった、見てろよ。お前らが次来る時までに、綺麗にしてやるよ」
「できるかなあ? あの状態から」
「うっせ。やってやるよ」
「まあじゃあ、今日はとりあえずうちに来てよ。大したものは出せないけど」
「じゃあ、お邪魔させてもらうよ」
「楽しみだな、ゆづくん家」
それからわたしたちは、大学近くのコンビニで買い出しをした。わたしとゆづくんがお菓子やジュースを選んでいると、エイちゃんは張り切ってビールやハイボールを買い物カゴに入れ始めた。それにゆづくんは、わかりやすく驚いていた。
「大学生は成年擬制が働くって、ゆづくん知ってたか?」
「え、そうなんですか?」
「エイちゃんそれ、アルハラって言うんだよ」
「まだ飲ませてねえからセーフだろ。これからの人生、酒も飲めた方が楽しいぜ、きっと」
エイちゃんが言うので、わたしは思わずゆづくんの頭上を見てしまった。そこには当然と言うべきか、「70日」の文字が浮かんでいる。わたしはズキンと、胸が鈍く痛む感覚を味わう。
「まあ、買うだけ買えば良いんじゃない。誰が飲むかはその時決めれば」
「おう。じゃあ買っとくわ」
エイちゃんは持っていた缶を入れつつ、表情を伺うようにわたしを見る。付き合いの長い彼なら、あるいはわたしが感じた胸の痛みの原因を推測するかもしれないとは思った。
コンビニを出ると、わたしたちはゆづくんの案内で彼の住むアパートへ向かった。その道中のゆづくんは楽しげで、わたしの胸は断続的に、鈍く痛んだ。
「着いたよ。ここだよ」
ゆづくんが指差す先には、白い横長の二階建てアパートが、ひっそりと佇んでいた。




