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エイちゃんから「今日、カラオケでも行かん?」とメールを受けたのは、部屋で一人ベースを弾いている時だった。
ベースを買ってから2週間近くが経ったわけだが、わたしは相変わらず苦戦していて、簡単な曲しか弾けずに焦りを感じていた。Number‘s Numberの曲が一つでもできれば満足できるのかもしれないが、未だなかなかできなかった。エイちゃんからメールを受け取ったのは、彼らの代表曲「Spring story」の練習をしている時だった。
メールを見た時、ベースの技術を上達させて、一刻も早くゆづくんのバンド活動をサポートしたいという気持ちが芽生えはしたが、息抜きも必要だと思い、エイちゃんの誘いに乗った。
そして、着替えて最寄り駅の近くにあるカラオケ店でエイちゃんを待ちながら、イヤホンでNumber‘s Numberの『ロックンロール』を聴いていた。
「ういーっす」
曲がちょうど終わったところで、エイちゃんがわたしに声をかけてきた。わたしはイヤホンを取り、スマートフォンをポケットにしまう。
「久しぶり」
「最後に会ったのは、ゆづくん紹介してもらった時か?」
「そうだね。あれから、ちゃんとゆづくんと連絡取ってる?」
「何回か電話はしたな。あいつ、良い奴だよな。人の良さが電話にも滲み出てる」
「ああ、なんかわかる気がする」
「大学の連中とも一通り遊んではみたけど、結局あいつが一番気が合いそうだ」
「一通り遊んだから、今日は高校時代の女と会ってみたと?」
「女って、やめろよ。そういうんじゃないだろ、俺ら」
「冗談だよ」
「冗談きついぜ」
そうしてわたしたちは、汚くて小さいカラオケボックスに入っていった。そして適当に受付を済ませ、ドリンクバーでジュースを入れ、厚い扉を開けて部屋に入った。エアコンをつけると、少しかびくさい臭いがした。
「臭くね?」
「臭い」
「消すか」
「消して」
そして結局、エアコンを消した。
「どっち先歌う?」
「エイちゃんから歌っていいよ」
「オッケー」
それからわたしたちは、特に話すでもなく、お互い好きな曲を入れて歌った。
高校時代から、エイちゃんとはよくカラオケに行っていたので、彼の歌う曲はだいたい把握していた。彼はNumber‘s Numberとその近辺のバンドしか歌わない。選曲の傾向は非常にわかりやすかった。
「それにしても依斗、お前変わったよな」
「そんな変わった?」
「変わってるだろ。まず髪型。そして、メガネ」
エイちゃんは言いながら座って、ジンジャーエールを飲んだ。その頭に浮かぶ数字はシャキッとしたゴシック体の「56年」で、わたしはわけもなく安心する。
「だから、この間言ったじゃん。イメチェンだって。大学デビュー」
「なんでそんなことしようと思ったんだよ。失恋でもしたか?」
「全然」
「じゃあ、なんでだよ」
「都留がいた頃、わたしは髪を伸ばしてて、コンタクトだった。それだけのことだよ」
わたしがそう言うと、エイちゃんはすぐに悲しげな顔になった。それで頭上の「56年」の文字がぐにゃりと歪んだ。わたしは唇を噛む。
「そういうエイちゃんだって、あの頃はピアス開けてなかったじゃん。今は開けてるけど」
「まあ、そうだけど」
「それと、一緒だよ」
わたしはそこまで言うと、リモコンを操作して、曲を送信した。Number‘s Numberの『ロックンロール』だ。それから画面に、その曲名と「作詞作曲 静田シズオ」の文字が表示され、イントロの派手でキラキラとしたギターリフが流れる。いつ聴いても、秀逸だと思う。底無しに明るくて、底無しに切ないのだ。
「なあ、依斗」
「俺はあと何年生きる?」
「56年」
わたしが言うと、エイちゃんは苦笑いを浮かべた。
「なんとも言えねえ数字だな」
エイちゃんが言ってから、私は「ロックンロール」のAメロを歌った。
◯
「今日は付き合ってくれてありがとうな」
カラオケの後に行ったファミレスを出て、エイちゃんが湿っぽくそう言った。わたしたちは昼過ぎに集まったが、一通り遊ぶと辺りはすっかり暗くなっており、街灯にも光がともっていた。
「全然。わたしも楽しかったし」
「なら、良かった。カラオケの時とか、ちょっと変な感じになっちゃったから」
「気にするなんて、エイちゃんらしくもない。べつにあれくらい、どうってことはないでしょ」
わたしがそう返すと、エイちゃんは笑った。その口角はちゃんと上がっていて、頭上の「56年」は変わらずはっきりと浮かんでいた。
「まあ、それもそうだな」
「しんどくなったら、帰ってあったかくして寝る。これ、常識」
「肝に銘じとく」
それからわたしたちは、駅の駐輪場に向けて歩いた。わたしは徒歩で来ていたが、せっかくなのでエイちゃんに着いていこうと思ったのだ。ゆっくりと、裏の道を歩いていく。
「この間電話した時、ゆづくんがスタジオ行きたいって言ってたな。いつとかどことかは、特に言ってなかったけど」
「それ、この間会った時も言ってたな。行きたいんだろうね」
「だろうな。だってあいつ、高校時代からギターやってんのに、ろくにバンドらしいことできてなかったんだろ? そりゃ、早くやりたいよな」
「行ってあげないとね」
「あげないとって、なんだか上からだな」
「べつに上からとかそういうつもりじゃないよ。そうしたいっていう人がいて、自分がそれに協力できるなら、喜んで協力したいっていう。そういう気持ち」
「相変わらずの博愛精神だな。よくもまあ、そんなに他人本位の考えができるな」
「人間が好きなんだよ、多分。わたしはね」
「立派だと思うわ、その精神性」
しばらく話しながら歩いていると、やがて駐輪場に着いた。そして、エイちゃんは自分の自転車を見つけると、鍵を解いてヘルメットを被り、スクーターに跨った。
「じゃ、また今度。スタジオ行こうな」
「それまでに、なんとか聴かせられるレベルにはしておくよ」
「あいよ。期待しとくわ」
「じゃあねー」
わたしが言うと、エイちゃんは手を振って、走り去っていった。スクーターのガチャガチャとしたエンジン音が、だんだんと遠くなっていく。そしてその姿が完全に見えなくなると、わたしは踵を返して、そっと駅を去った。




