98①
「まあ、めぼしいサークルはやっぱりなかなかないよね」
人の波を避けるように、わたしたちは空き講堂の席に腰掛けていた。黒板の正面にある二つの席で、わたしたちは向かい合って座る。
サークル勧誘の二日目が行われている今日、午前中に大量のチラシを受け取ったわたしと石原君は、それを適当に吟味しながら、惣菜パンをかじっていた。
写真をたくさん貼り付けて元気な印象を受けるチラシから、文字だけのシンプルなチラシまで、そのスタイルは様々だったが、どれも共通して、それらに興味を持つことはできなかった。それは石原君も同じなようで、もらったチラシの束を見ながら浮かない顔をしていた。
「こんだけ数があれば、ちょっとくらい見に行ってみようっていう気になると思ったんだけどね」
「石原君、ギター以外になんか趣味とかはないの?」
「うーん、まあ寝ることかな」
「じゃあ、睡眠サークルとかがあれば検討した?」
「あったら、ね。もしかしたら検討してたかもね」
言ってから、石原君は小さな一口でクリームパンをかじった。しかし、その一口ではクリームのある部分には到達しなかったようで、咀嚼しながら少し残念そうな顔をしていた。
「イトは、なんか良いサークルあった?」
「わたしも、あんまりかな。わたしも、特にこれといった趣味はないし」
「じゃあ、あんなに苦労して人混みの中歩いたのに、収穫なしか。悲しいなあ」
「そういうことだね」
「そもそもあんま期待はしてなかったけども」
「まあだから、やっぱりサークルは入らなくて良いって結論が出ただけ、無駄じゃなかったと思うしかないね」
「イト、ポジティブだね」
「まあ、物は言いようだよ」
わたしは言ってから、あんパンをかじった。しかし、その一口ではつぶあんの部分まで到達せず、わたしはなんとも言えない気分になる。
「でも僕、バンドはやりたいんだよね。高校の時はギター買ったはいいけど周りに楽器やってる人いなくて、バンドはできなかったから。大学では絶対やりたいんだよね」
石原君は言って、またクリームパンをかじった。すると、次の一口でようやくパンとクリームのハーモニーを感じられたようで、彼はやや満足げだった。
「でも、サークル入るなりして出会う人の総数を増やさないと、楽器やってる人に出会いようもなくない?」
「そうなんだよね。イトの知り合いにさ、なんか楽器やってる人いない? うまさは問わないし、なんの楽器でも良いからさ」
「うーんと、いたかな……」
石原君に言われて、わたしは該当する人物いないか考えてみた。すると、すぐにとある人物が思い浮かんだ。
「あ、いたわ。ドラムやってる知り合い。他大学だけど」
「え、本当? 良かったら、紹介してもらえない?」
石原君は身を乗り出して、わたしに迫った。その勢いに断ることもできず、わたしは知り合いに連絡をつけることを約束した。
そしてどういうわけか全員の予定が合い、その日の夕方に会う算段がついたのだった。
◯
時間よりも早く集合場所のファミリーレストランに着いたわたしたちは、一足先に注文を終え、二人席に座ってジュースを飲んでいた。わたしはオレンジジュースを、石原君はメロンソーダをそれぞれ飲みながら、「ドラムをやっている知り合い」を待っていた。その知り合いからは先ほど、「あともうちょいで着く」とメールがあった。
「わざわざわたしの地元まで来てもらって申し訳ないね」
正面でストローに口をつける石原君に、わたしは小さく頭を下げる。彼の咥えるストローは、通ったメロンソーダで緑色になっていた。
「いや、全然。紹介してもらってる身だし。大学から三〇分なら、そんな遠くないし」
「何もないでしょ、わたしの地元」
「うーん、まあでも、あるもんはあるなとは思ったよ」
「パチンコ屋と居酒屋はあるね」
「まあ、カラオケとファミレスと楽器屋があるから、とりあえずオッケーだと思うけどね」
石原君は笑って、またストローを緑色にした。
「そういえば、石原君って、一人暮らし?」
「そうだね」
「地元は?」
「静岡だね。つっても東の方の片田舎だけど」
「へえ、なるほどね」
「イトは、ずっとこの辺なの?」
「そうだね。引っ越しはしたことなくて」
「へえ、それは良いね」
「段ボールいっぱいの煩わしさを知らずに生きてきたよ」
「まあ、あれは、わかると思うけど良いもんじゃないね」
「だろうね。本当に煩わしいんだろうなと思うよ」
他愛もない会話をしつつ、それぞれ飲み物を飲んでいると、入り口のドアが開いた。来たかなと思って見ると、見慣れた黄土色のコートを着た男が、店員と話していた。そしてわたしが手を振ると、少し目を凝らしてはこちらを指差し、てくてくと歩いてくるのであった。
「来たね」
「お、楽しみ」
石原君は楽しそうに笑った。
「お前、また髪切ったのか」
わたしたちのところに来るなり、「知り合い」はそう言って笑ってみせた。それに呆気にとられたのか、石原君は口を結んでいた。
「久しぶりに会って、第一声それ?」
「いや、すっげえ短くなってるから。なんか眼鏡もかけてるし。一瞬別人かと思ったわ。ギリわかったけど」
「いいじゃん、べつに。大学デビューだよ。イメチェン、イメチェン」
「まあ、良いけど。もう注文したんだっけ?」
「したよ。エイちゃんも適当に頼んじゃって」
「ほいよ」
そう言って座ると、知り合い、エイちゃんはメニュー表を開いた。そしてそれをめくりながら数秒間見ると、すぐに呼び出しボタンを押して、注文を済ませた。着ていた黄土色のコートは、注文が終わって少ししてからやっと脱いだ。
「で、そのナンナン好きなギター少年っていうのは、君か?」
「はい、よろしくお願いします」
「へえ」
エイちゃんは、石原君をじっと見た。
「名前は?」
「石原結弦といいます」
「おっけ、じゃあ、ゆづくんって呼ぶわ。俺は今宮瑛人ね。よろしく」
「よろしくお願いします」
エイちゃんはそれから、人懐っこい笑みを浮かべた。それに石原君も安心したのか、彼もエイちゃんに笑い返していた。
「二人はどういう知り合いで?」
石原君に尋ねられて、わたしは彼とエイちゃんを交互に見た。
「まあ、共通の知り合いを通して知り合った友人同士って感じ?」
「まあ、そんな感じ。あと、そう見えないかもしんないけど、一応俺が依斗の一個上な」
エイちゃんが言うと、石原君はわかりやすく驚いた表情を見せた。
「え、それなのにイト、敬語とかは使わないんだ?」
「付き合い長いし、最初っからエイちゃんも敬語とかは良いからって言ってたし」
「堅苦しいのは嫌だからさ。ゆづくんも、べつに言葉遣いは好きにして良いよ」
「エイちゃん、一浪だしね。実質同い年みたいなもんだよ」
「うっせ。それは言わなくて良いだろ」
わたしたちのやりとりに、石原君は曖昧な笑みを浮かべた。エイちゃんにどういう言葉遣いをすべきか、迷っているのかもしれない。
「で、本題に入るけど、ゆづくんはバンドやりたいけど、軽音サークル入るのはめんどいんだっけ?」
「そんな感じです」
「なるほどね」
「会っていきなりバンドやりませんかっていうのも失礼な話ですけど、検討してもらえるとありがたいです」
「いや、それは全然良いよ。良いんだけど、俺、そんな上手くないけどそれは大丈夫?受験で一年くらい触ってないから、どれくらい叩けるかわからんし」
「それは全然大丈夫です。俺も大してギター上手くないんで。とりあえず、今のところはバンドごっこができれば満足です」
「オッケー、じゃあとりあえずやってみようか。ナンナン好きのギター少年に悪い奴なわけがない」
そう言って、エイちゃんは自分の正面、わたしの隣に座る石原君に向けて手を伸ばした。石原君はそれを握る。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
予想はしていたが、びっくりするくらい簡単に話がまとまった。握手を交わす二人を見て、嬉しくなる。しかし、石原君の頭上には「98日」の文字が容赦なく浮かんでいて、わたしの気持ちはすぐに暗くなってしまう。たとえバンドを結成できても、その活動期間は最長で98日しかないのだ。
「ゆづくんは、ボーカル任せても大丈夫?」
「ギタボってことですか? やってみたい気持ちはありますね。静田さんに憧れてギター始めたところがあるので」
「お、良いね。静田、あいつは憧れるよな。じゃあ、あとはベースがいれば一旦バンドできるな」
「そうですね」
そこまで話が進んだところで、二人分の料理が運ばれてきた。わたしの頼んだおろしハンバーグと、石原君の頼んだミックスグリルが、テーブルに置かれていく。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って去っていった若い女性店員の頭上には、「67年」の文字が浮かんでいた。わたしたちは、エイちゃんに一言断りを入れて食からべ始める。
「しかし、ベースはどうしようかなあ」
食べ物を待つエイちゃんが、顎のあたりに手を当てて考え出す。
「一応、知り合いにベースやってる奴もいるにはいるんだけど、ここまできたらナンナン好きな奴が良いんだよな。音楽性の違いで解散ってのは嫌だしな」
「エイちゃんも石原君も言うほど上級者じゃないのに、音楽性の違いもクソもある?」
「まあそうだけど、やっぱナンナン好きが良いのには違いないんだよ、俺は。ゆづくんに会おうと思ったのも、正直ナンナン好きだったからであって」
「その辺、石原君はどうなの? やっぱナンナン好きが良い?」
「贅沢は言ってられないけど、できればその方が良いなとは思うよ」
「やっぱり、そうだよな」
エイちゃんはまた、顎のあたりに手を当てた。そしてしばらくまた考える様子を見せると、やがてわたしの方に目線を合わせ、じっと見つめ始めた。何か思い浮かんだのだろうか。
「なあ、ゆづくん。そこにナンナン好きの女がいるなあ?」
エイちゃんに言われ、石原君は苦笑いを浮かべた。
「まあ、いますけど……」
「ハンバーグならあげないよ?」
「ハンバーグはいらねえんだよ」
エイちゃんはそう言うと、小さく息を吐いてわたしの方に身を乗り出した。
「依斗、お前ベースやったりしない?」
エイちゃんがそんなことを言い出すので、わたしは念のため首を傾げてみせた。そして隣の石原君を見てみると、彼もまたわたしに期待の眼差しを向けていた。頭上には相変わらず「98日」を浮かべながら。
「いいよ。二人の頼みなら、やるよ」
わたしがそう言うと、石原君とエイちゃんは大きく目を見開いた。




