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58①

集合場所のスタジオに着いた時には、既にゆづくんとエイちゃんがいた。二人で和やかに話しながら、わたしのことを待ってくれていた。


「おう、遅えぞ依斗」


「ごめん、遅れた」


「ちゃんと練習してきたか?」


「大丈夫。昨日も、散々練習してきたから、もう完璧。エイちゃんは?」


「俺も、完璧。今すぐにも合わせたいくらいだ。ゆづくんが簡単なアレンジにしてくれて助かったよ」


「本当ね。助かったよ。曲書いてきたんだけどって言われた時、難しかったらどうしようってビビってたけど、スコア見て安心したもん。本当にありがたい」


わたしたちが適当に話していると、ゆづくんは苦笑いをしていた。


「実は、意図的に簡単にしたわけじゃないんけどね」


「え、そうなの?」


「ドラムとベースのことよくわかんなくて、叩いてみたとか弾いてみたの見よう見まねでアレンジ考えたから。僕が把握しきれる範囲のドラムとベースのアレンジがこんな感じだったってだけなんだ。実際、三つの楽器が重なってるのは聴いたことないし」


「え、それベートーベンじゃん。楽器が重なったの聴いたことないって」


「機材の影響でベートーベンってのも、間抜けな話だけどな」


「だから、二人が簡単なことに感謝してるのを見てて、ちょっと恥ずかしい気持ちになってたんだ」


「なんだ、ゆづくん気遣いできる子だと思ったじゃん」


「ただの現代のベートーベンだったんだな」


「僕はいいけど、それじゃあベートーベンに失礼だ」


「まあ、理由は何にせよ、簡単なのはありがたかったよね」


「間違いない。ゆづくんはともかく、俺と依斗はがちがちの初心者だからな」


わたしたちはそんな話をしつつ、ぼちぼちスタジオに入っていった。そして受付で手続きを済ませ、前回と同じくCの部屋に案内された。


厚い扉を開けてCの部屋に入る。スタジオに来るのは二回目だが、わたしはここまでしないと音は防げないのだな、とぼんやり思った。スタジオは、分厚い扉が二重に重なっている。音楽という芸術は、音という直接的な方法で表現される。だから、絵や文字と比べて、心身との距離が近い表現と言えるだろう。感情がその温度感のまま物理的に表現される芸術。それが音楽なのだろう。だから、それを世に送るためには、その直接的な感情を閉じ込める段がいる。防音設備も必要なわけだ。


Cの部屋には、静かで少し張り詰めた空気が流れていた。置かれたドラムやアンプはただそこに佇んで、その存在感をわたしたちに示している。「早くやっちゃいなよ」そう言われているような気がした。


「じゃあ、もろもろセッティングしようか」


「そうだね。それで、終わったら一回合わせてみよう。それで、大丈夫そうだったら録音してみよう」


ゆづくんは言いながら、かばんから黒いリモコン型のレコーダーを取り出した。


「お、すげえ。買ったの?」


「ちょっと、張り切って買っちゃいました」


「いくらしたの?」


「一万くらいですね」


「うお、気合い入ってるな。こりゃ、ますます適当な演奏はできないな」


「まあでも、肩の力抜いてやっていきましょう。力んでも良い演奏できないと思いますし」


ゆづくんは言いながら、黄色い小さな箱状の物にシールドをつないでいた。見ると、そこには「Overdrive」と書かれていた。


「いや、ゆづくんこの間エフェクターなんか持って来てた?」


「あ、これも買いました。イトと楽器屋行った時に、これ見よがしに置いてあって、欲しいなと思って、後日行って買いました。週末録音したいなとも思ってたので」


「嘘、わたし全然エフェクターとかわかんないけど、大丈夫?」


「いや、僕が勝手に買っただけだから、全然」


「なんだよ、ゆづくん気合いバキバキじゃねえか。こりゃ、ますます生半可な演奏はできないな」


「まあでも、肩の力抜いてやっていきましょう。力んでも良い演奏できないと思いますし」


「だから、今日に向けて買ってきたもの散々見せておいて、そりゃねえよ。力入るわ」


「ごめんなさい、気遣いが足りなかった」


ゆづくんが小さく頭を下げた。


「いや、ゆづくんが今日にかけてる思いはよくわかったよ」


「まあ、今日にかけてるっていうか、せっかくスタジオ行くなら色々揃えたいなと思っただけですけど」


「まあ、いいや。とにかく、良い演奏できるように、がんばろうぜ」


「そうですね。がんばりましょう」


そんなこんなで、わたしたちは各々楽器のセッティングを終えた。エイちゃんはドラムの前に座り、ゆづくんはマーシャルのでかいアンプのすぐ左に立ち、わたしもVOXのアンプのすぐ横で、二人を眺めていた。


「じゃあ、一回やってみようか」


ゆづくんの合図に、わたしたちは頷いた。


エイちゃんの裏拍にハイハットを添えたエイトビートの後、ゆづくんが歪んだギターを重ねた。







「すごく良い感じ! みんなすごい!」


演奏が終わった後、ゆづくんはそう言ってはしゃいだ。そうしてわたしの元に駆け寄ってきて、左手を握る。ゆづくんの少し固い指先が、わたしの左手の甲に当たった。冷たくて優しい感触が、弦でひりつく手になんとなく心地良かった。


「特にイト、すごいよ! よくこんな短期間でこんなにできるようになったよね。ねえ、もしかして天才?」


「いや、そんなに言う?」


「だって、すごかったよ。リズムばっちりだった」


ゆづくんは、本当に嬉しそうにしていた。自分の曲がしっかりとバンドアンサンブルになった感動が、抑えきれないのだろう。今まで見た中で、ゆづくんは一番の笑顔を浮かべていた。


「おーい、ゆづくん。ドラムのお兄さんも褒めないと干からびちゃうぞー」


エイちゃんが、わざとらしく頰を膨らませていた。


「ごめんなさい。瑛人さんも最高でした。瑛人さんのお陰で、すごく歌いやすかったです」


「うん、それでよろしい」


エイちゃんはご満悦だった。


「褒めさせてどうすんのよ、褒めさせて」


「いやだって、依斗だけ褒められるのはおもしろくないだろ。俺だって承認欲求はあるさ」


「にしても、今のは承認欲求しかなかったでしょ」


「でも、実際瑛人さんのドラムも最高だったし。本当に、良いメンバーを持ったなって思いました」


「だろ? ゆづくん、良いこと言うなあ」


エイちゃんは、満足げに笑った。それにゆづくんも笑って答えると、スタジオに楽しい空気が流れた。とても幸せな時間だ。わたしはそう思った。


「じゃあ、ちょっと録音してみるか。さっきの感じなら、形になるだろ」


「そうだね。やってみようよ。ゆづくんも、それで良い?」


「もちろん、みんなで最高の演奏をしようよ!」


ゆづくんは声を裏返しながら、そう言って鏡の方に振り返った。気分が上がりすぎて声が裏返ってしまうゆづくんが面白くて、わたしは笑いそうになるが、口を結んで堪えた。鏡越しに写るゆづくんの顔は、少し赤らんでいた。


「じゃあ、録音ボタン押したら、ピースサインで合図します。そしたら、瑛人さんはスコア通り裏拍にハイハットを入れたエイトビートを叩いてください。ドン、ツ、タン、ツ、ドンドン、タンって」


「オッケー。任しとけ」


エイちゃんはスティックを振りながらゆづくんの指示に返事をした。スタジオがしんと静まり返る。いよいよ、録音が始まる。ゆづくんの生きた証を遺す時間が、これから始まるのだ。


わたしは大きく深呼吸をした。大丈夫、さっきの演奏も特に問題なくできた。練習もできる限りやった。ゆづくんの思いを、ちゃんとサポートできる。


わたしの時間は三年前のあの日から止まっていた。髪を切って眼鏡をかけて外見だけ変えても、死という事象に対する怒りは変わらなかった。都留はあの日のまま自分の首を締めていた。しかし、ゆづくんと出会って、その人生を安らかに終えられるよう願って、時計の秒針は動き出した。首を絞める都留の自画像は、いつしかただの絵に変わっていた。


ベースを背負う肩には確かな、物理的な重さが乗っていた。わたしはその重みを確かめる。わたしは、今ここにいる。一つ、深呼吸をする。


ゆづくんは天井を仰いでから、レコーダーのボタンを押した。そしてゆっくりと、右手でピースサインを作った。


エイちゃんが裏拍にハイハットを添えたエイトビートを叩くと、そこにゆづくんが少し歪んで尖ったバッキングギターを重ねた。わたしもそれに、同じテンポでコード進行を重ねる。指板の上で動く手元を見ながら、ドラムとギターに合わせ、右手を細かく縦に振った。


イントロが終わると、ゆづくんがマイクに口を近づけ、ゆっくりと声を出した。




星空の下、君を呼び込み


街へ下って行くのさ


それからはまた、浮かぶ月見て


そして手を振りさようなら




星空の下、君はもういない


夜は静かに更けていく


それからはまた抜けたコーラを


飲み干してほらさようなら




ゆらゆら


春が宙をゆうに舞う


ぱらぱら


時が流れても


ゆめゆめ


君を忘れない


ゆらゆら


君が宙をゆうに舞う


ぱらぱら




忘れない日々の


遠い音が


浮かんでちぎれた


はるか遠く




ゆづくんはギターを弾きながら、しっかりとそう歌い上げた。その声は、彼の人間性をそのまま表したような柔らかく優しげな声で、ミドルテンポのゆったりとした曲調によく合っていた。少し体を揺らしながら歌うゆづくんは本当に幸せそうで、わたしも演奏しながら大いに気持ちを乗せられた。そして、右手を細かく振りながら、ベースを始めて良かったなと何度も思った。ゆづくんの幸せな時間に立ち会えて、生きていて、本当に良かった。


最後のワンコード、Dコードを弾き終えると、ピックを持った右手を振りきり、ゆづくんはしばらくその体勢のまま固まった。そして震えながらの吐息を漏らし、右手を突き上げた。握られた手の間には、この間彼が買っていた、ヘンテコな怪人の姿が描かれていた。


「みんな、ありがとう」


そう言って、ゆづくんはわたしたちの方に振り返った。そしてわたしとエイちゃんが笑いながらレコーダーの方をを指差すと、今の今まで録音停止のボタンを押していなかったことに気がつき、ゆづくんは赤面しながら慌ててボタンを押した。わたしたちはその一連に声を出して笑ってしまって、ゆづくんはさらに赤面した。


「いやあ、ゆづくん、ありがとう。演奏もばっちりだったし、オチもばっちりだった」


「聴くのが楽しみだねえ」


「最後の部分だけ編集でカットしますって。恥ずかしいな、もう」


ゆづくんは赤らんだ頰を膨らませながら、わたしたちを交互に見た。


「まあ、最後のみんなありがとう、は置いといて、良い演奏だったな。本当に。初めてゆづくんと会った時は、こんなにすぐにバンドっぽいことできるとは思わなかったよ」


「それは、僕も思いました。みんなが、早く形にしようってがんばってくれたからだと思います」


「ゆづくん、今日録音したやつ、送っといてくれよな」


「もちろんです。僕も、聴くのが楽しみです」


収録を終えたスタジオにも、依然幸せな空気が流れていた。わたしは思わず笑顔になってしまう。ゆづくんは今ここにいて、ゆづくんの声とギターも、焼き付けることができた。今はとりあえず、これで良いのだと思う。わたしは、右手のピックに書かれた鶴を、そっと握りしめた。


「そういえば、バンド名って決めてなかったね。何が良い?」


「ああ、なんでも良いだろ。チームゆづくんとかで良いんじゃね?」


「瑛人さん、それはないです」


 ゆづくんは真顔で言った。


「うん、ないな。俺も言ってから思った」


「まあ、この曲からとって「Spring string」で良いんじゃないですかね?」


「ああ、それで良いよ。「Spring string」って、語感良いし」


「略称はスプストかな。カッコ良いじゃん」


「スプスト、スプスト。うん。良さげだね」


そうしてわたしたち「Spring string」は、収録後もスタジオでの演奏を楽しんだ。


エイちゃんのエイトビートが炸裂してそれにゆづくんが歌声とコードを重ねると、わたしはその度に幸せな気持ちになった。

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