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65②

帰りがけ、ゆづくんに会った。


今日はアルバイトもなく、ちょっと楽器街をぶらついてみようと思っていたところで、ゆづくんに声をかけられた。わたしの肩を叩いた彼は見るからに上機嫌で、それも無理はないだろうと思った。わたしだって、上機嫌だ。


「ゆづくん、なんだか今日は上機嫌だね」


「まあ、そりゃねえ」


「今日はバイトもないし、上機嫌だし、わたしはちょっと楽器街に行こうと思ってるんだ。ゆづくんもどう?」


「良いね、行こうよ」


こうしてわたしたちは、御茶ノ水駅前の楽器街へ向かうことにした。大学の正門を出て、歩いていく。


「本当に再結成するなんてね。夢かと思ったよ」


「わたしも、夢かと思った。でも何回も見ても、再結成って書いてあるからさ。夢じゃなかったね」


「言ってみるもんだよね。言霊ってあるんだね」


「本当ね。これで、ライブも行けるかもしれないね」


「そうだね。これで、いつ死んでも良いと思えるかな。なんちゃって」


ゆづくんは冗談めかしに笑ったが、その頭上には「65日」の文字が浮かんでいる。わたしはそのことを言いべきか悩んだが、やめた。ゆづくんにはそういうことを気にせず、今を存分に生きて欲しい。そう思った。


「なんだか、今はすごく幸せだな。バンドメンバーがいて、ナンナンが活動してて。僕が高校時代に欲しかったものが、全部ある。本当にありがとうね、イト」


「照れるな、素直にお礼言われると」


「ごめん。でも、本当に感謝してるんだ。イトがいなかったら、僕は今、こんなに幸せになってないから。食堂で挙動不審だったイトに声をかけておいて、本当に正解だった」


「ちょっと、挙動不審って」


ゆづくんがいたずらっぽく笑うので、わたしは反論したく思った。


「あれには、深い事情があって」


「確かにあの時は混んでけど、それにしても変だったよ。生き別れの兄弟見つけたみたいな顔してさ」


「ああ、生き別れの兄弟見つけたみたいな顔はあながち間違いではないんだ」


「え、どういうこと?」


「まあ、その話はいいんだ」


「なんだか気になるけど、話したくないなら無理にとは言わないよ」


ゆづくんは少し怪訝な顔をしたが、わたしは笑ってごまかしておいた。頭上の数字のことも、都留のことも、今のゆづくんに話すべきではないだろう。


そうこうしているうちに、わたしたちは御茶ノ水駅前に着いた。そして賑やかな楽器街を歩き、目についた楽器店に入った。オレンジの照明に照らされた種々のギターが、きらきらと輝いている。楽器店に来るたびに、森や書店に行った時に近い落ち着きを感じるのだが、それは多分わたしだけだと思うので、黙っておいた。何かの意図に沿って並ぶものを、やってきた人が見る。そこに、ある種の上品さを感じるのだ。わたしはギターを見回しながら、湧き出す興奮を噛みしめる。


「やっぱり、楽器屋って良い場所だね。行くだけでテンション上がる」


ゆづくんは楽しげにギターを眺めている。目線の先には、彼が使っているのと同じような形の、赤色のテレキャスタータイプのギターがぶら下がっていた。


「昔は、ギターとか全然興味なかったんだけどね。ナンナンを知ってから、のめり込んでいってさ。それまでは特に何かに本気で打ち込んだことなかったから、本当に楽しくて。ギターが僕に生きる意味をくれたっていう感じがしてて。そう言っちゃうと大げさだけどね」


「ゆづくんにとって、音楽って本当に大きな存在なんだね」


「音楽がなかったら、大学入る前に死んでたかも。それくらい大きいかな。これまた大げさな言い方だけどね」


それからも、わたしたちは店内を見て回った。ずらりと並ぶギターやベースはやっぱり壮観で、わたしは淡い高揚感を抱きっぱなしで歩いていた。度々足を止めるゆづくんも本当に楽しげで、わたしたちはそれぞれ楽器店を満喫していた。


「今日も、なんかピック買って帰ろうかな」


ゆづくんが、ピックの売り場で腕を組んでいる。


「好きだね、ピック」


「楽器屋来ると、買っちゃうんだよね。百円っていう値段設定がまた絶妙なんだよね」


「今日は、何を買うの?」


「うーん、どうしようかな」


ゆづくんはしばらく考えると、一つピックを取って「これにしよう」と言った。そのピックには、青い体に赤いナスのような形の顔が乗った、ヘンテコな姿の怪人が描かれていた。体にはところどころ黄色いラインも入っており、なかなか派手なデザインだった。


「なにこれ?」


「多分、なんかの特撮の敵だと思う。よくわからないけど、面白いビジュアルだからこれにしてみるよ」


ゆづくんはそのまま、レジに向かった。そして会計を終えると、てくてくとこちらに歩いてきた。


「じゃあ、行く?」


「行こうか」


わたしたちは楽器店を出た。


御茶ノ水駅前を歩きながら、わたしは隣を歩くゆづくんを見た。前を見据え、楽器店での高揚感を抱いたまま、彼は歩いている。その頭上にはやはり消えない文字が浮かんでいて、死が今も逃さずゆづくんを捉えているのだと認識させられる。死なない人間はいない。死は常に、わたしたちの背後を捉えているのだ。


「ゆづくんと会って話す前はさ。人間ってなんで死ななくちゃいけないんだろうって思ってたんだ」


わたしが言うと、ゆづくんがこちらを向いた。彼の目は、わたしを真っ直ぐ見据えている。


「なんだか、そう考えながら生きるのは辛そうだ」


「辛かったよ。自分の好きな人が死ぬたびに、なんでなんだろうって思って。でも、ゆづくんの話を聞いてたら、人が死ぬのも何か意味があるのかもって思えたから、ちょっと楽になったんだよね」


「そうなんだ。僕、そんなに深い話したかな?」


「してたと思うよ。だから、ゆづくんには感謝してて。ありがとうね」


「う、うん。どういたしまして」


ゆづくんは首を傾げていた。しかし、わたしからのお礼で照れてしまっているのか、頰は少し赤らんでもいた。わたしたちはそうして、人々の往来する御茶ノ水駅前を歩いた。


わたしは交差点に浮かぶ大量の数字を見ながら、ふと、右手をパーカーのポケットに突っ込んだ。すると次の瞬間、ゴシック体で表示されていた数字たちは、一瞬の静寂のあと、すべてポップ体に変わった。それから、人々の頭上には、丸っこくかわいらしい数字が、呑気にころころと浮かんでいた。


わたしはそれがおかしくて、笑いそうになる。わたしが見ていた禍々しい数字たちは、フォントが変わっただけでこんなにも弱々しくなるのか。なんだかばかばかしく思えてくる。わたしは今まで、一体何に苦しめられてきたのだろうか。


人生は案外、思ったよりも単純なものなのかもしれない。生きているか、死んでいるか。たったそれだけのことなのだ。


「じゃあまた」


「じゃあね」


改札口でゆづくんと別れて、わたしはホームに降り立った。そうしてイヤホンを耳にはめ、Number‘s Numberの「色彩」を再生しては、「帰ったらベースを弾こう」と心を躍らせた。ホームから覗く空が青い。







玄関で靴を脱ぎ、わたしは階段を上がった。そして上がって右手にある部屋、つまり都留の部屋に入る。わたしは少しばかり緊張していた。ベースを弾く前に、彼の部屋でとある物を見ようとしていたのだ。


都留の死後、彼が生前使っていた物の多くは捨てられてしまった。しかし、その中で捨てられずに残ったのが、彼の遺した作品だった。両親、特に母は都留の作品を捨てようとしていたが、わたしが大いに反対したので捨てられずに残ったのだ。都留の作品が捨てて燃やされれば、彼そのものが完全に燃え尽きてしまうような気がした。わたしには、それがたまらなく嫌だったのだ。


二年ぶりに入った都留の部屋は、物が少なく閑散と、そして広々としていた。薄暗い部屋の中央には画用紙が無造作に重なっているが、それ以外に物はなく、どこか物悲しい空気が漂っている。わたしは画用紙を拾い上げ、それぞれ見ていった。


都留の通う高校から見下ろせる街の風景、わたしとエイちゃんがこの部屋に並んで立つ後姿、Number‘s Numberの静田がギターを弾きながら歌う姿、そして、都留が最後に遺した『ジカイ』というサイケデリックな自画像。


そのどれもに、都留の思いが反映されていた。都留が何を思ってこの絵を描いていたのかもわかる。都留がこの作品たちをわたしに見せた時の顔も、ちゃんと覚えている。都留の作品が、そこにある。都留はまだ、わたしの中で生きている。


絵をすべて見終えると、わたしはそれらをそっと床に重ねて置いた。一番上には、彼の遺作、『ジカイ』を置いておいた。わたしはもう一度それを見て、「よくもまあこんな物を描いたな」と笑った。都留は今までの画風を捨ててでも、スランプを必死に脱しようとしていたのだなと、彼の努力が時を超えてわかった。わたしは部屋を後にした。


ドアノブに手をかけた時、脳裏には楽しげに笑う都留の顔が思い浮かんでいた。







部屋で一人胡座をかきながら、ベースを弾いていた。ゆづくんから送られてきたギターボーカルの音源を聴きながら、ピックで弦を揺らす。ゆづくんの柔らかい歌声にわたしのベースが重なると、なんとなく完成形のイメージが湧いてくる。わたしはスタジオでの収録を思い浮かべた。


先週のスタジオからほとんど毎日「Spring string」を練習しているから、簡単なアレンジであることも相まって、ほぼ完璧にできるようになっていた。ゆづくんは初心者のわたしに気を使ってくれたのか、コード進行をゆったりとした八分のリズムで弾くだけの簡単なベースアレンジにしてくれていた。わたしはゆづくんの気遣いに感謝しながら、ラスサビのコード進行を弾いていく。最後にDのルート音を鳴らし、曲が終わる。


一通り弾き終えて、わたしはベースをそっと床に置いた。買って間もない水色のベースは、いざ見るとたくましい風貌に見える。長いネックと大きなボディは、わたしをどこか知らないところに連れて行ってくれるような気がした。


ここ何日か弾いてみて、これなら何とか形になりそうだという感じがしていた。ゆづくんの送ってくれた音源に合わせ


て弾いていてもリズム感がなんとなくわかってきたし、指も動くようになってきている。ベースを始めた時はゆづくんの力になれるか不安だったが、今はそうでもない。ベースを弾くのが、とても楽しく感じる。


右手に持っていたピックを見た。ベースを買ってすぐの頃、ゆづくんに貰った、鶴の絵が描かれたピックだ。デフォルメされたつぶらの瞳の鶴が、白い羽を広げて笑っている。かわいい絵だな、と率直に思う。ゆづくんもこれをわたしに選ぶとは、なかなかお目が高いなと思った。


わたしはピックのかわいさを確認すると、床に置いていたベースをもう一度手に取った。そうして、スマートフォンを操作してゆづくんの音源を再生し、イントロ頭のDのルート音を鳴らした。からっと明るく、優しい音だった。

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