大学生、塾講師となる
「息子はできる子なんです。」
私はなぜ、これほど時間を無駄にしているのだろうか。
「どうかうちの息子をお願いします。」
なぜ私はこの子を担当しなければならないのだろうか。
それは私が大学受験予備校で勤めているからだ。
ここは予備校の面談室。
大手大学受験予備校は、地方の中でも比較的大きな都市にその都市周辺の中心となる拠点を構える。
例に漏れず、私が勤めるこの予備校も、この地域の拠点としてビルを借り、そのビルの一階から四階まで借りている。
その地域の予備校の大きさが、その予備校の影響力を示しているといっても過言ではないだろう。
この地域には大手予備校といえる大学受験を扱う企業が4つ存在している。
その内の1つに私はアルバイトとして勤めているというわけだ。
これといった理由もなく、私が通っていたこの予備校で大学受験が終わった後に講師として誘われた。
ある程度の賃金がもらえるだろうという勝手な憶測もあったが。
これが今私がこの予備校に勤めている理由だ。
結局、大学受験を終えたばかりの私は、この大手予備校にすぐ勤めることになった。
そして時は七月。
この予備校に勤めてからはや3ヶ月が経とうとしている。
今、この予備校にて私は入塾面談を行なっている。
「お任せください。息子さんのI君が志望しているゲイ王義塾大学に、うちの予備校に在籍していた生徒は過去何人も合格しています。去年に至っては過去最高の人数が合格しました。安心してください。先ほど説明したように、うちの予備校では映像授業、個人指導の両方を行なっており、I君にあった進路指導を行うことができます。大丈夫です。」
今話しているのが、営業担当であるAさん。今回の4者面談において、親子2人を料理する人間だ。今回Aさんと共に入塾面談をするのは初めてとなる。
今まで共に入塾面談をしてきた営業担当は他の校舎に移動となった。
この予備校では、入塾する際に3人か4人で入塾面談と称するものを行う。
パターンとしては生徒と親1人ずつ、担当講師、教務という4人か、生徒1人に担当講師、教務という形だ。
この入塾面談では、なぜか予備校側の人数が常に対等か多い。
数的有利に立とうとしているのか、はたまたこの予備校の方針でそれに従っているだけなのか、意図は不明だ。
「うちは夫も私も会社で働いているので、息子の面倒をよく見れないんですね。だから、この子をよろしくお願いします。」
「いえいえ。こちらこそ、大切なお子さんを預かる立場ですので、精一杯やらせていただきます。」
既に時間も一時間以上経過している。
いそいそとAさんは親にハンコを押させるための説明を開始した。
振込用紙やら、銀行やら、が親とAさんの間で会話している。
私は一時間以上、ここでほとんど座ったままで、時折Aさんから話を振られて答えるくらいで座ったままであった。
基本的に親とAさん、時々私といった具合で話は進んでいった。
私の生徒となる予定のこの高校三年生は、この面談に来てから一回も口を開いていない。
勉強するのは、この生徒なのに、だ。
ここで、まだ世を知らない純真な私は、この男子生徒に聞きたいことを聞いてしまった。
後から振り返るとこの時の私は何をバカなことを、と思った。
よく喋る母親と言葉巧みにトークするAさんが話を進めていて、私とほとんど年も違わないこの少年が、本当に勉強をしたいのかどうかを聞きたかったのだ。
もし勉強をしたくないのであれば、強制的に勉強をする必要はないと思っていた。
それに勉強をするかしないかに関わらず。もし私の生徒になるのであれば、この面談中に一言も話さなかった彼がどのような心理であるのかを知りたかった気持ちもある。
そこで、私はこう聞いたのだ。
先ほどからI君の意思を聞いていないけれど、君はこの予備校に入りたいの?
と。
風貌は普通、服も特に異常はない、口だけはひらかないI君は最初この質問に答えることはなかった。
彼が答える空白の数秒の間、私は待っていたのだが、そこで私の質問に親が声をあげた。
私は自分が何を言われるのか、何せ入塾面談は数回しか経験してこなかったものなので、緊張しながら親の発言を待っていたがそれは私に向けられたものではなかった。
「Iはゲイ王義塾に入学したいのよね?そうよね?だからここの予備校に入って、お勉強するのよね?そうでしょ、I?」
女性特有の、少々甲高い声で、Iくんが答えるのを促した。
I君はその場で即答した。
「うん」
その時、私は初めてAさんが冷たい視線を向けてくることに気がついた。
いつの間にか彼の契約作業は終わったらしい。
母親に契約書等の諸々をAさんが渡す間、私とI君はお互いにヘビに睨まれたカエルのようにじっとしていた。
母親とAさんが立ち上がって初めて、私とI君は立ち上がって、面談室という監獄から逃げ出そうと試みた。
I君が帰り支度をいそいそとする間、Aさんが何気ない様子を装って母親に話しかけた。
「最後にもう一度言いますがお母様。彼はまだうちのカリキュラム通りに勉強すれば全然間に合います。しかし勿論、合格するかどうかはI君のやる気次第、勉強の進み次第です。」
この何気ない一言に、母親はI君に返事を促した。
「Iにはもちろん勉強のやる気あるわよね?勉強したくてこの予備校に来たのよね?」
I君はこれに声を出さず、首を縦にふることで返事をした。
この返事に満足したかのようにみえた母親は私に、
この子をよろしくね
といった。
私はこの子を担当することに不安を抱きながらも、Aさんの睨みに気づいて
もちろんです、私に任せてください
と、さもベテラン講師のようにいった。
支度が終わった親子をビル一階の受付まで送ると、ありがとうございました、と親が挨拶をしてきた。結局、この日I君から話を聞くことはついぞできなかった。
この予備校は10時にチャイムがなって、10時30分には閉校となる。
そのため、私とAさんは面談室に戻って片付けを行った。
この片付けの時間の間に、私はAさんと話をした。
本心としては、なぜ私がI君の担当になったのか知りたかったのだが、小心者ゆえ当たり障りのない会話を始めた。
そういえば、なぜ私がこのI君を担当することになったのでしょうか
I君の担当はなんとなく、不安なんですよねぇ
するとAさんはI君の担当を俺が決めたわけじゃないから推測になるけど、と前置きした上でこう答えた。
「君が新人だからだよ。」
つまり私は試されていると?
「おそらくね。もちろん一人の生徒を担当するだけでは、君が講師としてどう言った部類の人間かわからないからしばらくは何人か担当することになるよ。そこで『上』に認められれば、この予備校でまた別の道が拓けてきたりするんじゃないかな。」
確かに予備校が講師としての新にが偏差値60以上の期待の生徒を担当させることはないだろう。生徒としては優秀でも、講師として優秀とは限らないからだ。私が校舎長でも新人にはそうする。
だからといって、新人の私が担当する子は偏差値が高くない他の子でもいい筈だが。
この判断にある程度納得できた私は、続けてI君の印象をAさんに聞いた。
すると彼はこう答えた。
「世の中には、お客様として生まれてきた人間がいる。彼がまさにそうさ。」
私には意味がわからなかったので、その真意を聞いた。
「I君をみただろう?親の言ったことに対して、瞬時に応えるように日頃から教育されているのさ。反抗することさえできない。そういう環境で育ったのさ。
そっちの方が親としては楽なのかもしれない。
まあ他人の家の教育方針なんか知ったこっちゃないんだけどさ。
じゃあ日頃から親に従うように教育された人間が、大人になって親がいなくなったらどうなる?
自分で物事を急に判断できるようになるか?
そんなことはないだろう。できないのさ。自分で物事に判断など下せる筈がない。
今まで親に判断を任せるという甘えをしてきたのだから。
今まで誰かに頼って生きてきた人間はその時どうすると思う?
また誰かに頼ろうとするのさ。今まで親に頼ってきたのだから、また誰かに頼れば大丈夫だと思うんだろうね。
そこで今まで自分で判断さえしてこなかった人間はカモにされるのさ。
そう言った意味で、俺は彼をお客様として生まれた人間だと感じるね。」
それは、彼がそう言った環境で育てられたのだから仕方がないのではないか
それにそう思ったのなら、I君にそう伝えて気づかせてあげるべきだった
と主張した。
すると、彼はぽかんと口を開けてこちらをみた。
数秒の空白の後、彼はまるで僕を絶滅危惧種の動物を見るかのように嘲笑ってこう答えた。
「そんなことを気づかせてあげてどうするんだい?
気づかせて、そのあとの面倒は誰が見るんだい?
なあ、教えてくれよ。
君は新人だからわからないかもしれないが、人一人に教育するっていうのは膨大な力が必要なんだ。
少なくとも俺は彼の人生の面倒を介護してあげられるほど、お金をもらっていないし、そんな気力はない。
さっきのことをI君に伝えて、もし親がクレームを入れてきたら、それに対応をするのは俺たちになるだろう。
こっちだって企業なんだよ?営利活動を行なっているんだ。サービスの提供にはそれに見合った見返りをもらうのは当然さ。そこに余計な仕事を増やしてやりたがる人間なんてそうそういないよ。
もしかしたら、生徒の人生を背負ってるんだっていう熱血な人もいるんだろうけど、少なくとも俺はやりたくない。
今の時代、勉強できる環境は基本的に全員与えられている。
子供に与えられた、その環境をどの企業が提供するかでたくさんの予備校や塾が奪い合っているのさ。
映像授業や快適な自習室、豊富な参考書によってね。大学受験業界にも市場があって競争があるのさ。
そんな市場で、彼の人生のためを思って無償で活動する?
バカなことは言わないでくれ。何度もいうがうちは営利企業だ。しかるべきサービス対価にしかるべきお金を払ってもらって成立しているんだ。
それにもしI君が環境のせいで言いなりになっているとしても、彼はもう18歳だ。世間的には18歳という歳は自分で物事をある程度判断できる人間だと見なされるよ。
よしんば言いなりになったとしても、今の時代ならスマホやパソコンを使ってある程度調べることもできるだろう?それを放棄しているのさ、彼は。甘えだよ甘え。
人間なんてさ、そんなもんだよ。性善説で君が動いているかどうかは知らないけどさ。
期待するだけ無駄だよ。
環境が彼をああいう人間にさせているとしてもさ、もう18歳だよ?
その歳くらいには、社会の仕組みとか自分の未来とかに好奇心とか疑問とか持って、行動できてただろう君だって。
I君をああ言った風にした環境を変えることは、俺たちの仕事ではない。
君もI君の性格を一時間見たからわかるだろ?
親の言いなり。自分の意思は話さない。こんにちはとかの挨拶もなし。
親の方は、仕事ばかりで子供をどこかに放りっぱなし。自分の言うことを聞くように教育。
ああいった手合いは自分は子供に対して多くを教育しないくせに、こっちにはサービス以上のものを求めてくる傾向がある。
どちらも厄介な人間たちさ。
君もI君を担当するんだから、ある程度そういうことを踏まえながら、彼と接した方がいいんじゃないかな。
まあ頑張ってくれよ。
じゃあお疲れ様〜。」
そういうと、片付けが終わった彼は面談室を出て行った。
面談室には、Aさんの主張に多少の違和感を感じながらも、どこか納得している自分が取り残された。
大学受験の話を書くことの需要を確認してみるための実験的作品です。
今回は受験でも、予備校の内情という部分にフォーカスを置いてみました。
反応が良ければ、何らかの形で作品を作りたいと思います。
評価、感想よろしくお願いします。