序章 2
序章終わり
その後、その女性は自分を指差して「マリア」と言って、今度は私を指差して問うような視線を向けるという原始的方法でもって自己紹介した。私も同じように自分を指差して名前を言ったが、苗字はうまく伝わらず、ただ「シーナ」と言ってもらうことには成功した。
それから、マリアはどこからか靴を持ってきて私に履くよう言った。おそらく。履いたら満足そうに一つ頷いていたからそういうことだと思う。
足元も落ち着いたところで、マリアは私の手を引いて建物中を案内してくれた。窓から見た景色同様、この建物も中世ヨーロッパ のような作りだ。
私としては早く日本語の通じる人を呼んでほしかったし、帰る算段をつけたかったが、マリアは優しく微笑んでわからない言葉を続けるのみだ。たぶん伝わってない。
どうしたら私の気持ちが伝わるのか考えながら、暖炉がある居間やガスが通ってないと思われる台所まで行ったあと、2人で玄関から外に出た。
前庭のようなスペースで、先ほど見た子どもたちが走り回っていた。よく見ると、どの子も外国人の顔立ちをしていた。アジア系はいない。
(ここはヨーロッパ のどこかなの?…それにしては生活水準が低いような気がするけど)
辺りをキョロキョロしている私に気づいた子どもたちが、わっと声を上げて駆け寄ってきた。なんだなんだと身構えるのも関係なく、あっという間に揉みくちゃにされて悲鳴をあげた。
「ちょっとムリムリ!引っ張んないでよー!服が伸びちゃうよ〜」
マリアが慌てて子どもたちを止めて、何やら説明していた。その後はひたすら子どもたちが私を指差して「シーナ!シーナ!」と連呼された。そんなに物珍しいのだろうか。私が黒髪黒目でアジア的な顔立ちなところが。
(それにしてもマリアさんの雰囲気といい、子どもがこんなにたくさんいることといい、ここは託児所か何か?)
わいわいと賑やかな面々を見つつ意識を飛ばしていると、突然、馬の嘶きと蹄の音が聞こえた。
子どもたちがぱっと振り返って、口々に興奮の悲鳴を上げて庭の先の門までかけていく。
門の前には、驚いたことに腰に剣を身につけた男が2人、馬に乗って立っていた。特に手前の年かさの男はベテランの兵士のような様子だ。
手前の男が馬から降りると、子どもたちが集まってわいわい言いはじめ、男も巻き込んで笑い声をあげている。
するとマリアがぽんと私の背を叩き、一緒に門の方へ来るように促した。
けれど、私には全くついていけない光景だった。
(映画の撮影…にしては機材が見当たらない。あんな大人がおもちゃの剣を身につけてるのもおかしいよね?それになんで馬?田舎だから?そんなヨーロッパの国まだあるの?)
目覚めた時からの強烈な違和感が、だんだんと恐怖に変わっていくのがわかる。心臓の音がみんなに聞こえるんじゃないかってくらい大きい。
さっきから頭の隅に浮かんではいたが気づかないフリをしていた考えが現実味を帯びて迫ってくる。
(ここは、もしかして…もしかしてだけど…)
私の知る世界ではない
マリアと男が会話している。何を言っているかはもちろんわからないが、男の顔がこちらを向いた。
年齢を重ねた男の顔だ。身につけた服も剣も、違和感なく男に馴染んでいる。
この男も、マリアも、子どもたちも、この建物だって、夢なんかじゃない。ちゃんと存在感がある。映画のセットのような作り物ではなく、ここで生活しているのがわかる。
(そんな物語みたいなことって…ある?)
男は私に何か言っているが全く理解できないし、耳に入ってこない。現実についていけず突っ立っている私に苦笑いしたマリアが口を開いたその時、男の後ろから若い男の声がした。
そこには、馬に乗っていたもう1人の男が仏頂面で立っていた。今は馬を降りて、片手に手綱を握りしめている。
私はこんな時でなかったら、きっと黄色い悲鳴をあげて凝視してしまっただろう。それくらい美形男子だった。明るい金髪はサラサラと風に揺れ、エメラルドグリーンの瞳はきらめき、まだほっそりとした体型の少年の雰囲気を残した男の立ち姿はモデルのようだ。年齢は私より少し年下だろうか。背は私とあまり変わらない。
周りの子どもたちの中でも年齢が上の女の子たちが急に静かになって顔を赤くしたことには気づかず、私は処理落ちしそうになる頭を叱咤して現状を把握しようとしていた。
だから、全く無意識に男たちを無視してしまっていたことに気づかなかったし、イケメン男子が仏頂面なのが自分に腹を立てていたからとも気づかなかった。
イケメンが何か言うと、突然、私の肩を掴んできた。それはマリアの時のような優しいものではなく、敵意ある力強さだ。私は彼の不機嫌な目を見た。
その時、思考の海に沈んでいた私の体は理性とは関係なく、反射的に敵から身を守るための防衛措置として相手の襟を掴むとくるっと反転して投げ飛ばすというーいわゆる背負い投げをしていた。
バンっと激しい音ともに投げ飛ばされたイケメンがくぐもった呻きをあげた。
はたっと気がついて、目の前にあるイケメンの顔を覗き込む。どうやら地面が硬かったし、受身がうまく取れなかったようで気を失っていた。
周りのみんなも何が起こったのか理解できず固まっていたが、いち早く理解した私は罪悪感とか羞恥心とか不安とか、様々な感情がぐちゃまぜになって、居ても立っても居られなくなって叫んだ。
「ご、ごめんなさい!でも急に掴んでくるのもどうかと思うし、まさか無意識に技が出るとは思ってなかったの!…私の言ってることわかる?!」
すがるように見回すと、子どもたちの驚きや恐怖の視線に気がついた。
頭がキャパオーバーで涙がでて、どうしたらいいかわからなくなって、気づいたら走ってベットまで戻っていた。とにかく思い切り泣きたい。そのくらいの権利はあるはずだ。だって、
(ここには私を守ってくれる味方も友達も家族も何もない!なのに、もしかしたら、もう帰れないかもしれないんだから…!)
読んでいただき、ありがとうございます。
シーナさん、スカートで背負い投げしたのはやばいですね。きっと見えちゃいましたよ、パンt…いえ、なんでもありません。