【ちょうどその頃】1
遅くなりました!
今回、クシェル編です。
「なんて素晴らしい!本当に結界に穴を開けてしまうなんて!」
馬車から、クシェルはシーナの様子を伺っていた。
突然霧が吹き出したことに警戒して戻ってきたのだ。
霧はどんどん濃くなっていく。すでに肉眼でシーナの姿は捕らえられないが、気配は感じ取れていた。
「しかも、まさか"穢れ持ち"とは!信じられる?」
向かいに座った女性に問いかける。女性は頭からつま先まで真っ黒な衣装で身を包み、まるで影のようだ。
ただ、布の間から覗く紫の目がとても印象的だった。
女性が静かに首を振った時、霧が渦巻きだした。
「ん?始まったか!」
新しいおもちゃでも見つけたように目を輝かせて、クシェルは身を乗り出した。
霧の中からオレンジの猿が無数に生まれ落ちた。そして、だんだん薄くなってきた霧の向こうでシーナの気配が突然飲み込まれて、代わりに巨大な猿が姿を現した。
「グオオオッ!」
「「「キー!キー!」」」
猿たちの雄叫びが辺りに響き渡った。
黒服の女性がクシェルを見やる。馬車の窓にかけた手が震えていた。
「はっははは!あはははははっ!」
クシェルは震えながら笑っていた。
目は危険な光を放ちながら。
それはとても…狂気じみていた。
「…!」
猿がこちらの気配に気づいたようだ。女性はすぐに気がついて御者側の壁を叩く。
すると、なんの返事もなく馬車は結界とは反対方向に走り出した。
「!何してるの?!彼らに付いて行かないと!シーナを誰かに取られちゃうかもしれない!」
キッと睨まれても、女性は動じない。しばし2人は睨み合った。…カタコトと馬車が走る音が2人の間を通り過ぎる。
「…ふふっ。そうだね、悪かった。ちょっと熱くなりすぎたみたいだ」
クシェルは1人で呟いて、席に腰を落ち着けた。
「ふふふっ!彼女、本当に異世界に帰るつもりだったのかな?ふふっ!そんなこと、結界とは何にも関係がないのにね!そういえば、霧のことを教えてあげなかったんだけど恨まれてるかな〜?これからも彼女に協力してもらわないといけないから、仲良くしたいんだけどな〜」
うきうきしながら女性に話しかける。女性は相槌も打たずに静かに座っている。
「あっ、もしかして君も霧のこと知らない?聖典によると、あれは光の神の敵なんだって。光を通さない霧の中では形を持たない穢れたちが核を求めて漂っている。そこにもし、核になれる穢れが飛び込んだらどうなるか。ふふっ!ちょっと興味があったんだけど、あんまり霧の量が多くなかったのかな。大した魔物は生まれなかったね。途中で結界を元に戻しちゃってたみたいだもの。惜しかったね〜。あ!でもあの大猿はなかなかの大物だよ。あれはシーナ自身が核になってるから…あ〜!この後どうなるのか楽しみ!君もそう思うだろう?!」
興奮して早口にまくし立てるクシェルの言葉を理解しているのかいないのか、女性はこくりと頷いた。
そんな反応の薄さを気にした風もなく、クシェルはその後もペラペラとしゃべり続ける。
「ん?シーナの前と全然違うって?それは私の演技力を褒めてくれてるの?ありがとう。これでも外面はいいんだよ。知ってるでしょ?」
女性は声を発していないが、クシェルには関係ないようだ。
ふと、女性が窓の外に目をやった。
遠くで地響きがする。大猿たちが移動しているのだ。
「南に向かっているようだね。おそらく、シーナから穢れを吸い切るまではあの大猿も消えないだろうから、兵士どもが討伐しようとしてもそう簡単にはやられない。問題は吸い出した後、シーナが目を覚ました時に私が助け出してあげなきゃ!彼女を、間違っても王族どもの手に渡すわけにはいかない」
途端に剣呑な目つきになったクシェルは、女性に口元だけで笑ってみせた。
「私は今、この街にいないことになっている。…そうだな〜、今日の昼ぐらいにこの街に到着する予定だから、それまでシーナを誰にも取られないように見張って。何かあればすぐに報告するように」
女性はぺこりと頭を下げると、途端に形を失ってズルズルと溶けるように影の中へ消えていった。
その様子に満足すると、クシェルは頬杖をついて外を見やった。
「シーナ、君は大きな力を持っている割に人が良すぎる。初対面の男を信用しすぎで腹がたつよ。そんな平和ボケじゃすぐに死んでしまうから、私がちゃんと導いてあげるからね」
最初の報告では、スラムの孤児院に契約者がいるということだけだった。新しい契約者はここ10年1人も現れていない。アレキサンドラが亡くなって以降、竜族と人間の距離が遠くなってしまっていた。
さらに、王族と教会が対立し、元々わずかしかいない契約者同士がまとまることもなく、お互いの勢力拡大に勤しむ日々が続いていた。
(それもこれも、あいつのせいだ!あいつがいなければ、この国は平和だったのに!)
でも、シーナに会ってみて感じた。彼女は只の契約者じゃない。
「ふふっ!アレキサンドラの生まれ変わりか?なんて、それじゃ説明つかないけどね」
クシェルは暗い笑顔のまま、馬車に揺られながら夜の街を抜けていった。
続けてもう一話アップします!




