何が起こってるの?!
シーナが素直に人の言うことを信じてしまうのは平和な日本人だからでしょうか?
…日本が平和かどうかは賛否あると思いますが、「お花(桜)がニュースになるような平和な国は日本だけ」と外国人が驚いた話を聞いたことがある気がします。
シューッ!!
目の前をたゆたっていた霧が、突然蒸気のごとく顔面に吹き付けた!
「わぷっ!えほっ!ごほっ!」
あまりの勢いに尻餅をついたと同時に、喉に霧が侵入してきて激しく咳き込んだ。
(なにこれ!目にしみるし臭い!)
何かが腐ったようなすえた臭いがする。
…これはただの霧ではない。
(この臭い…夢でも嗅いだような…)
咳が止まらず、両手で口元を覆った。その時、両手から黒い靄が吸い出されるように立ち昇っていることにようやく気がついた。
「げほっ!な、いつの間に!ごほごほ!」
(気分はさっきほど悪くないし、気がつかなかった〜!これ、このままで大丈夫なやつ?)
いつもの様子と違う。けれど、そもそもこの靄がなんなのかも、なぜ自分の中から出てくるのかもわからないのだから判断しようがない。
それに、クシェルにはまだ靄のことを打ち明けていなかったと思い出したが、そんな場合ではなかった。
そうこうしている間にも、腐った臭いの霧がどんどん吹き込んできているのだ!
シーナは辺りを観察した。
ちょうど目の前に通り道ができたようで、台風の日に窓を開けた時のような具合になっている。
(これって、結界が壊れた隙間から吹き込んできてるの?)
まさか本当に結界が壊れるとは思っていなかったからびっくりしたし、信じられない気持ちだった。
(だって、おかしいよ!ちょっと想像しただけだよ?ガラスが割れるところ…。そりゃ、火だってあっさり出せちゃったから、そういう魔法の力?みたいのがあるのかもしれないけどさ。クシェルの言い方だと、そう簡単には壊れない感じだったのに…)
実は自分が選ばれた人間なんじゃないかって勘違いしそうになる。そんな考えは中学生の頃に卒業したはずだ。
「クシェルー!ごほごほっ!これって成功なの?このままで大丈夫ー?!」
後ろで見守ってくれていたクシェルに聞こえるように叫んだ。
………返事がないので振り向いたけれど、霧で霞んだ視界にクシェルの姿がない。
(あれ?いなくない?!なんで?!)
立ち上がってもう一度あたりを見渡した。視界は悪くなる一方で、崩れた塀辺りまでしか見えなくなっていた。
「クシェルー!!どこー?!」
(なんで返事してくれないの?!意味わかんないんだけど!この後どうすんのよ〜!!)
霧が濃くなるにつれて、臭いもきつくなってきて正直耐えられない!
(とりあえず、早くなんとかしないと!)
結界を壊せることはわかったわけだし、一旦落ち着くためにも穴を塞いでいいんじゃなかろうか。
シーナはパニックになりながら、どうにかこうにか意識を集中させた。
(今度は…窓を閉めるイメージで)
目を閉じて、両手を結界に向かって突き出した。
日本の家で使っていた引き戸タイプの窓を想像する。
現実には見えなかったが、カラカラと窓を引くイメージに合わせて見えない壁がずいずいと反対に向かって伸びていった。シーナの頭の中でピシャリと窓が閉まった瞬間、結界は…なんと元どおりにくっついた!
(うまくいった?)
静かになって目を開けると、噴き出す霧が止まっていた。
よかったと安堵したが、すでに流入したものはあたりを漂っている。臭いも視界も悪いし、喉の痛みも治ったわけではない。
(どうしよう…。霧はそのうち晴れるかな?でも待ってられないよ〜!臭いし!痛いし!…ていうかクシェルがいないとマリアさんのとこにも帰れないじゃん?!)
なんてこった!と文字通り天を仰いだその時、先程から吸い出され続けている黒い靄が、空で無数の玉になっていることに気がついた。
飴玉くらいの黒い粒が霧の間をふわふわ漂っている。
初めて見る様子に、なんだろう?と目を凝らしていると、月明かりに照らされた粒たちがブルブルと震え出した。
(ひぇ!キモいよ〜!なんなの、今度は?!)
激しく振動する粒を中心に霧が渦巻き出した。一つ一つの粒がそれぞれに霧をまとって大きな玉になっていく。玉が霧を吸収しているようだ。
霧が渦巻く勢いで風が舞い、シーナの髪を巻き上げた。
(いったい…何が起こってるの?!)
シーナの困惑を置き去りにして、玉はどんどん大きくなり、とうとう抱えるほどになった。
すると次第に形を変え、色を変え、そしてーーー
「「「キーー!!!」」」
「きゃああ!!」
甲高い鳴き声とともに玉が弾けた!
シーナは咄嗟に悲鳴を上げて、頭を守って蹲る。
シュタタッ!と何かが目の前に降り立った。
おそるおそる顔を上げると、それは…
(さ、さる?)
鮮やかなオレンジ色と、毛先の黄緑が目に痛い猿だった。そうとしか言いようがない。
長い尻尾をふりふりされてるところは可愛いさもあるが、くりくりとした目は愛嬌よりも獰猛さとか禍々しさを感じさせる。ペットにはできないタイプだ。
しかも1匹ではない。無数にある玉一つから1匹ずつ出てくるようだ。
(えっと…靄と霧が合体したら、猿が出てきた?って、なんじゃそりゃ!どういうことなのよ?!)
わけがわからないこと続きで、シーナはキャパオーバーだ。どうしたらいいかわからず、しばし猿と見つめあっているうちに、猿の大群に囲まれてしまった。
「キー!キキー!」
「「「キー!キー!」」」
突然、1匹が鳴き出すと、他の猿たちも呼応するように騒ぎ出した。
「う、うるさーい!急になんなのー?!」
張り合うように声をあげたが、猿たちの興奮した鳴き声に掻き消された。猿たちは騒ぎながら一斉に体を揺らしだす。
それは儀式のようで、円形に並んだ猿たちの動きや声に合わせて、空気が振動するのを感じた。
(うぅ。なんか気持ち悪くなってきた…。あれ?黒い靄がなんか…固まって…?)
腕から立ち昇っていた靄が、次第に重く腕や体に絡みついてきた。
その途端、一気に不快感が襲ってきて両手を地面についてなんとか自分を支えた。
(う…やばっ…火で、靄を払わ…ない…と…)
靄はいつしか粘度を高めて、もはやコールタールのようになってシーナをべったりと包み込んだ。
シーナは意識を集中させようと激しく息をついて抵抗した。けれど、コールタールが光を遮り、口や鼻も覆ってうまく息ができなくなったらあっという間に思考が停止してしまった。
シーナが気絶しそうな自分と戦っている間に、べったりと包んだ黒い靄と残っていた霧が絡み合う。
猿たちが一層大きく鳴いて、激しく身体を揺らした。
シーナを飲み込んだ霧は玉のようになってわずかに浮いた。
猿が出てきた時とは比べものにならないくらい激しい風が吹きすさび、何匹か猿が吹き飛ばされる。
辺りの霧は全て巻き取られていった。
玉はどんどん巨大になって、猿たちの10倍は軽く超えるほどの大玉になったところで変形し、弾けた!
ズシーンンン!!!
…地響きをさせて降り立ったのは、3つに別れた長い尻尾とふさふさの毛皮、鋭い鉤爪、そして可愛さのかけらもないでっぷりとした完全メタボ体型の、やっぱり、どうみても、大猿だった。
「グオオオ!!」
「「「キー!キー!!」」」
猿たちは主人を見つけたように歓喜し、大猿はそれに答えるように雄叫びをあげた。
そして、大猿は内にシーナを抱えたまま、子分たちを引き連れて南へと歩き出した。
地平線から朝の気配が近づいていた。
タイトルに尽きる回でした。
それではまた来週!




