月明かりの下で
クシェルとのおしゃべり回
「こっちへ座って。話をしよう」
クシェルは優しくシーナを長椅子に導いた。
木製の長椅子はまさに教会にあるイメージ通りのものだ。シーナは促されるままに、硬い座面に腰を下ろした。
「まずは、私が把握している状況を説明しよう。ここは聖ジズ・アレキサンドラ教会。リュークスの中央区画にある。今しがたの話だけれど、教会の前で君が倒れていたのを助けた。覚えている?」
「いえ、全く。その、助けてくれてありがとう。えっと、でもあの…手を……」
繋がれたままの手を視線で示した。
「あぁ、ごめん。嫌だった?」
「へ?いや、ヤダとかじゃないけど」
(なにその返し。普通、初対面で、しかも異性の手を握ったままおしゃべりしないでしょ!)
なんかずれてると思ったが、クシェルはなんとも思っていない様子で手を離した。
シーナばかりあたふたしているようで、気恥ずかしくなってくる。
「何があったか、覚えていることはある?」
「えっと、知らない人に頭を殴られて気絶したみたいってことは覚えてるんだけど…」
「それは…怖い思いをしたね。殴られたところはもう痛くない?」
「うん、全然大丈夫」
(柔道やって、やっぱり少しは丈夫になってたのかな?捻挫とか打ち身とかしたもんな〜。まぁ、あんまり真面目にはやってなかったけど)
そういえば、殴られる直前も受け身の体勢から床を転がって初撃を避けたことを思い出した。野菜泥棒にもフィルにも無意識に技をかけたし、その時を思い返すとまるで体が自分のものではなかったかのような不思議な気分だった。
「そうだ!私、孤児院みたいなところでお世話になっているんだけど、ここの近くかな?マリアさんって人が多分責任者のとこ」
「…いや、知らないな」
もしかしたらマリアや子どもたちも、あの黒服たちに襲われて大変な思いをしているんじゃないだろうか。そう思うと不安と心配がせり上がってきて、ぎゅっと胸を掴んだ。
(マリアさんといるとお母さんみたいに優しくて安心するし、子どもたちもこの世界で出会った数少ない知り合いだもの。もしみんなに何かあったら…)
すぐにでも無事を確認しに行きたくて落ち着かなくなった。もし私みたいに知らないところに放置されてたらと思うと…。でも、1人では私まで迷子になりそうだ。
シーナは姿勢を正してクシェルに向き直った。
「クシェル、お願いがあるの。私、心配だから一先ずお世話になってるみんなのところに戻りたい。でも、ここがどこかもわかってなくて…。1人じゃ戻るのも無理そうだから、一緒に来てくれない?」
お願いします!と頭を下げた。
クシェルは静かに考えているようだ。少しの間があった後、突然パンパン!と大きく手を叩いた。
驚いて顔を上げると、クシェルが扉の方に向かって言った。
「マリアという人が運営している孤児院を探して。見つかり次第報告するように」
見ると、先程案内してくれた女性が立っていた。
クシェルの言葉に無言で頭を下げると、音もなく出て行く。
「これで大丈夫。君のいた孤児院がリュークス内にあれば、きっと見つかる。そうしたら、馬車で送ってあげよう」
「あ、ありがとう」
(クシェルって偉い人なのかな?教会の偉い人っておじいちゃんなイメージだったけど)
これも異世界知識だなと考えを脇に追いやった。
とにかく、探してくれるのは有難い。
「そういえばリュークスっていうのがこの街の名前なの?」
気軽に聞いたのだが、また「おや?」という顔をされてしまった。
「リュークスは確かにこの都市の名前だ。東の国境に接してるから有名なはずだけど、聞いたことなかった?」
なんと答えたらいいか詰まってしまった。
(やっぱり異世界から来たこと、説明した方がいいかな。帰り方を聞くにも事情を説明しなきゃいけないもんね。変人扱いは嫌だけど………よし!)
「あの、今から言うことは変に思うだろうけど、本当のことだから真面目に聞いてくれる?」
「…なに?」
「えっと、だからね…」
シーナは決意が鈍りそうになるのを叱咤して、クシェルの目を正面から見つめた。
「私…別の世界から来たの」
………
静か過ぎて、唾を飲み込む音すら気になる。
どんな反応をされるか、ビクビクしながら様子を伺っていたが、しばらく経ってもクシェルは全く動かない。完全にフリーズしていた。
(うぅ、すごく困らせちゃってるよ!どうしよう!)
この状況に耐えきれなくなってシーナが声をあげようとしたその時、ぽつりとクシェルが呟いた。
「…もしかしたら、あり得るのか」
「え?なに?」
よく聞こえなくて聞き返したら、我に返ったようにクシェルがこちらを見た。
先程より真剣な眼差しだ。自然とシーナの背筋も伸びる。
「シーナ、別の世界というのはどんなところ?」
「えっと、なんて言えばいいかわかんないけど、基本的にはここみたいに大地があって、空があって、人間がいる世界だよ。
この世界と違うところは…科学技術が発達してて、家には夜でも明るい電気がついていて、蛇口をひねればいつでも飲める水がでて、スイッチを押せば火が出るコンロで料理ができるところかな。あとは車とか飛行機とか…とにかく物と人で溢れてる世界だよ」
暖かいお風呂もあるよ!などと次から次へと言葉が出てきた。日本の生活を自慢するというより、話すうちに恋しさが勝って止まらなくなったのだ。
あれもこれもと話しているうちに、気づいたら涙が滲んできた。
(私、こんなに泣き虫じゃなかったんだけどな。こっち来てから、よく泣いてる気がする)
涙がこぼれないように必死に瞬きして、鼻をすすっていると、
「…君のいた場所が、想像できないくらいこことは違うことはわかった」
クシェルが真面目な様子で言った。否定されず、受け止めてくれたことにものすごく安堵した。
「よ、よかった〜!変なやつって嫌われたらやだなって思ってたから、ちゃんと聞いてくれて嬉しいよ!」
「もし本当にシーナが別の世界から来たとするなら、どうやって来たか覚えている?」
覚えていたら苦労はない。きっと帰り方もわかるだろう。そうじゃないから困っているのだ。
シーナはため息をついた。
「私にもわからないの。寝てて、気づいたらこっちだったからさ。でも、なんとしても帰りたい…!」
やっぱりまた涙が出てきた。気づかないようにしていたけれど、完全にホームシックだ。泣いたって仕方ないのはわかっているのに、結局泣いてしまった自分が情けなく思えて乱暴に涙を拭った。
「…もしかしたらだけど、国境の結界が世界の境目になっているのかもしれない」
予期しなかった言葉に勢いよく顔を上げた。
「なにそれ?世界の境目?」
「いや、確証はない。ただ、この国が外の世界から隔絶されていることは事実だ」
なにを言っているかわからなくて、シーナは首を捻った。
「隔絶って…えっと、この国が森の奥とか山のてっぺんとか、秘境?にあるから国の外がどうなってるかわからないとかそういう話?」
「確かに四方を山に囲まれた地形は秘境に近いのかもしれないが、そういう話じゃない。…実際に見た方が理解できるんじゃないかな。今から一緒に行ってみない?」
「へ?今から?」
シーナはステンドグラスから差し込む月明かりを見た。こんな夜更けに、しかもマリアたちの安否もわかっていないのに出かけている場合だろうか。
迷っていると、クシェルが優しく微笑んで両手で手を握ってきた。安心させるように、親指の腹で手の甲を撫でてくる。
「大丈夫。小一時間ほどで国境に着く。馬車だから、あっという間だ」
だから行こうと誘われれば断る理由はない気がした。
こくりと頷けば、クシェルが手を引いて立たせてくれる。その動きの優雅なことと言ったら!
(ひえ〜!これ無意識にやってるんだったら相当なたらしだよ、この人!)
意識的だったら嫌だなぁなんて能天気なことを考えていたら、掴まれた手を離してというタイミングを逃してしまった。だから、仲良く手を繋いだまま馬車に乗り込んだ。
(これ、ファンクラブの人とかにあとで体育館裏に呼び出されるやつだよ!体育館ないけど!)
途中のしんみり空気はどこへやら…
次回、夜に馬車でランデブーですw




