5,王女と過去とドクライン
不定期更新
お久しぶりです。
「砂糖はいくつかの?」
「三つ」
「三つじゃの。……ほれ、熱いから気を付けて下され」
「……言われなくても分かってるわよ」
カップからは白い湯気と共に独特の香りが立ち上っている。
小さなテーブル越しに王女フレイと油で汚れた白衣を纏った老人、ドクがコーヒーを手にして向かい合っていた。
フレイは受け取ったマグカップを手にしたまま、意識をドクの後ろの部屋に向けていた。
街外れでの警備兵との戦闘から数時間が経ったが、まだアイは目覚めていない。
ちなみに重傷で気を失ったアイをここまで運んだのはフレイの助けに答えてくれた街の商人達だった。
商人たちとしても機械兵のジャンク品を手に入れられるだけでなく、ドクに恩を売れるとなれば協力しない者などおらず、むしろ我先にと駆けつけてくれた。
少しの間、沈黙が流れ、二、三度コーヒーを口にした後ドクが話し始めた。
「安心してくだされ、あの程度の損傷でアイは死ぬことはありません」
「そう。……それで話って何?」
その言葉に対してドクがとって行動は、答えを言うわけでも起こるわけでもなく、フレイの前に膝をついて頭を垂れた。
「フレイ様はお忘れかもしれませんが、元王宮技師総当主レブサ・ドクライン。もう一度あなたに会えるこの日をお待ちしておりました」
「……そう。あなたは私に仕えていた人だったのね。よく待っていてくれたわ、でももう少しだけ力を貸してもらうわよ」
「ほほほ。儂は命ざれずともお仕えするお気持ちですぞ」
笑いながらドクが答える。
フレイもこの時代に目覚めて初めて自分のことを知っている人物に合うことが出来て安心していた。
だが、息をついている暇がないことは理解していた。
ゆるんだ頬と頭を引き締めるとドクに再度質問をする。
「それじゃあ、私が殺される一年くらい前から今まで何があったか話してくれる。それ以前のことも思い出せないことの方が多いから、細かく説明してくれて構わないわ」
「ふむ、計算では記憶の欠損が数年単位に絞り込むつもりでしたが失敗していましたか。では、不遜ながら説明させてもらいます。できる限り必要最小にしますが少々長くなりますのでお覚悟を」
そういって、ドクは語り始めた。
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40年前 王宮
静かな昼下がり。
開かれた窓の向こうには手入れされた花園が広がり、穏やかな今日などはピクニックに絶好の日になりそうだが、人影は一つもなかった。
だが部屋には、マホガニーの机に向かいペンを走らせる女性がひとり。
その手は止まることがなく、両サイドに積まれた資料の山が女性の優秀っぷりを表していた。
突然ノックの音が響き、女性の手がぴたりと止まる。
「フレイ様、失礼します。大会議が迫っているのは分かりますが、一度休憩してはどうですか?」
「カイン。休憩は悪いけど無理よ。今のままじゃあいつらの思惑が通りかねない、あらゆる方法で封殺するために無数の案が必要なの」
ドアが開き、入ってきたのはカインと呼ばれる背広姿の黒髪の青年であった。
押しているカートにはポットと軽い軽食が用意され、すでに休憩の準備はできているのだろうにフレイはあっさりと申し出を断った。
「そうですか。……ではこうしましょうか」
だが、フレイの返答を予想していたのだろう、カインはにこやかに人差し指を立てながら別の提案をする。
「ドクが研究に進展があったと言っておりましたので、視察しに行ってはどうでしょうか? 新たな案が浮かぶかもしれませんよ」
「……はぁ、それもそうね。行かないといってもあなたのことだから、別の方法で連れ出そうとするでしょうし。で、どこの研究室かしら」
「第四セクションに来てくれと言っていました。あ、歩きながらこちらを食べていってください。そのために持ってきたのですから」
カインの作戦勝ちのようだった。
仕方なく立ち上がるフレイだが不満はあまりうかがえない。
むしろ、カインが差し出したサンドウィッチを受け取って食べ始めている。
「……ほんと、起こる気にもなれないくらい徹底してるわね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「あー、もう。ほら、いくわよ!」
カインに口で勝つことをあきらめたフレイは残っていたサンドウィッチを奪うようにつかみ取ると、早足で廊下に出ていく。
カインもお茶の入ったポットのみ持つと颯爽とフレイの後を追うのであった。
「ドク! 何が完成したの、人造人間計画はいいとして、時空装置? 魔力の証明? それとも流動粒子金属体?」
「あー、どれもできてなくて、取りあえず切りのいいとこまでいった感じです」
尾行がないことを確認しながらやってきた第四セクションはいつもと同じように、地下にあるはずなのだが眩しいほどの太陽光に似た光が降り注ぎ快適な温度と湿度が保たれていた。
フレイが部屋に入ってきたことに気付いたのか、一人の青年が返事と共に二人の方にふらふらと歩いてくる。
ヨレヨレの白衣を着た金髪のドクはまだ20になったばかりの若々しい青年の姿をしていた。
研究進度がドクとカインであっていない。嘘を言っている犯人がどちらかなのかは明確だ。
フレイが振り向くとにこやかにポットとティーカップを上げて、休憩でもしないか、とでも言いたげなカインの姿が目に入る。
それが思いやり故の行動だと分かっているから怒ることもできない。
あきらめて、フレイがいつも研究所に置かれている円形のテーブルにつくとドクとカインも同じように座る。
いつの間にか三人の手元にお茶の注がれたティーカップがあるのは、カインの絶技というしかない。なんで召使などしているのかと聞かれそうだが、なんでもできてしまうカインが最も活きる職場がここだったというだけだ。
そこにドクが研究室内にある軽い菓子類を持ってこれば、立派なお茶会が完成した。
「で、他に何かできてないのドク?」
「そうでした、一つ完成したものがありますが、ご覧になりますか?」
「後でいいわ。見てもわからないでしょうし、簡単に説明してくれれば十分よ」
「分かりました。完成したのは魔力式停止機構、名前は”棺桶”です」
「棺桶って縁起悪そうだけど、どんな機能なんだよドク」
「名前の通り棺桶です。フレイ様専用のですが」
その言葉に興味をより強く持ったのだろう、フレイの目が光った。
「棺桶は最悪の場合を想定して作ったものです。フレイ様が何者かに殺された場合、治療が不可能となり死亡が確定したとしても、その事実を書き換え、蘇ることを可能にする機械です。ただし動力源が魔力、王族の血に流れる力が必要となる上に、回復までの期間稼働状態を維持できるだけの魔力が必要となります。この条件に当てはまるのがフレイ様だけなので、結果的にフレイ様専用ということになるわけです」
「フーン。で、再生にはどれくらいの時間がかかるの」
「心停止だけでしたら数年。半分ほど体がなくなれば十年。ここまでの損傷度だと肉体蘇生の保証はできます。しかし、脳がない場合は五十年は見てもらううえに成功率が五十を切り、記憶に弊害も出るかと。つまりは暗殺の際には頭をお守りくだされ」
「あっそ。使えない機械だってことは分かった。孫だけ時間が空けば、次に目覚めたときにはあいつらの天下ってことありえまくるでしょ。そんなのごめんだわ」
そこまでいうと、フレイは手にしていたティーカップを置き、お茶菓子を数枚口に放り込む。
「ほれひゃあ、私は部屋に戻ゆから。んぐ、それと二人とも……気遣いありがとね」
捨て台詞のように感謝の言葉を述べると自室に戻っていった。
フレイが出ていったドアが閉まってから、二人は顔を見合わせると肩をすくめて、照れ屋な王女様だぜ、的なにやけ顔を浮かべる。
ここから部屋に戻る程度であれば、フレイ一人でも十分に安全なので、カインはドクの研究室に置いて行かれる形になったが、カインは別に気にしていない。
毒を混ぜることのできないような特殊ケースに夜食用の菓子も入れてきたので召し仕えとしての役割はひとまず終えているのだ。
「ドク、厳しいこといわれたけど大丈夫か? 泣いたりするなよ?」
業務が終えたことを表すかのように砕けた口調になったカイン。
実際にはこのような態度を見せることが出来るのは、ドクとフレイくらいのものだった。
「うるせえな。……正直なところ国がどうなろうと俺は研究ができて、フレイ様がいれば良いと思っている。もちろん、カイン。お前もな」
「最後のは引くわって言いたいところだけど俺も似たような感じだぜ。んで、本題に入らせてもらうけど、あれはどうなってんだ」
楽しそうに話していたカインの様子が一変する。
ドクも何のことを言っているのかを理解して、手招きをした後、研究室の奥へ進んでいく。
この第4セクション自体何十ものセキュリティのもとで成り立っているのだが、その中でさらに複雑な生体認証とアナログなカギを必要とする厳重な設備を備えた部屋に二人は進む。
「大方の理論は完成してはいるが、まだ実用段階には至らない。いくつか、必要不可欠でありながらも現状では製造不能なものが出てきた」
「お前が手詰まりってのも珍しいな。それって何なんだよ」
カインの催促に答えるようにドクは目の前の巨大な水槽にかかった、視認防止磁気を解除する。
砂嵐のように見えなかった水槽の表面が晴れていき、中に浮かんでいるものの正体が明らかになった。
水槽の中には全裸の男性が浮かんでいた。
全身に数十本もチューブが繋がれ、頭部と心臓があるべき場所には空洞が開いている。
それ以外は人間と同じだが、これは人間ではない。誰も人造人間と言われなければ真実には気付けないだろう。
「一つ目は魔力を増幅し、周囲から吸収変換することのできる心臓。二つ目は人間なら誰しもが持っているが、いまだ証明のできていない、心。まあ、これは最低限ってだけで、欲を言えばほしいものはいくらでも出てくる」
「はぁ脳が心で、心臓が増幅器ねぇ。単純な考えだって言うのは凡人の意見?」
「全の真理
とは単純なものである。だが、高名なものほど真理の渦に飲まれてしまう」
「誰の言葉だよ?」
「byドクライン、俺の言葉だ。心臓を少しいじれば半永久的に大量の魔力を生み出せる循環変換のための機関になり、脳は記憶と複雑な思考回路から感情を生み出す機関”心”として利用できる。……かもしれないというところまで研究は進んでいる」
そこまで話したところでお互いにため息をつく。
内容を聞いたカインも改めて状況を説明したドクも、これ以上正当な方法での開発は難しく手詰まりになったということを理解してしまったのだ。
「まあ、お前ならそのうちできるんじゃねえのか?」
「そういってもらえると励みになる」
それだけの言葉だが十分に励ましと信頼の感じられるやり取り。
そして二人は部屋を後にした。
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「ふうん。つまり私はその“棺桶”に入ってようやく生き返ったわけね」
ドクが話し始めてから、ここに至るまで一時間ほど経っただろう。
中身の残っているドクのコーヒーは冷めきってしまったが、気にする様子はない。
どこか懐かしむような笑みを浮かべながら、ただカップを揺らしているだけだった。
「状態が状態だったために40年近くかかってしまいましたがの」
「……やっぱ殺されちゃったわけか、私。結構気を付けてたつもりだったんだけど。それでどんな風に殺されたかっていう、肝心のところがまだなんだけど」
「貴方らしい最後でした。四大領家の暗殺部隊から職人たちを守るために自ら盾になられて、掃射を一身に受けました」
「そう。職人が狙われたってことは」
「はい。フレイ様が提唱なされた案が大会議で通り、それを潰すために起きたことでした」
それを聞いてフレイはクスリと笑う。
まさか私の死んだ原因が民を守るためで、その原因は私の勝利の結果だったとは。
ドクの言う通り私らしいといえば私らしい。
フレイは僅か間だけ感傷に浸るとすぐに女王の頭に切り替える。
「終わってしまったことを気にしても仕方ないわ。とりあえず今考えるのは、起きてみたら嫌いな人が支配してる世の中になってたから、それを潰してあげようってことだけ。でも一つだけ聞かせて、アイは何者なの?」
「……話の中にあった人造人間。アイはそれの唯一の成功例ですな」
「そう。ならあの能力もドクがしてた研究の結果なのね」
「その通りです。魔力を燃料にして変形する流動粒子金属体を血肉に、人造人間製造の過程でできた骨格と側を箱にしたモノ。人と機械のハザマで生きる、故にiと呼ぶことにしたのです」
「フフ、ドクらしい理由ね」
0と1の間に存在すると仮定された数字。虚数を表すiから取ったのだろう。
何度か聞かされたドクの話の中にそのようなことがあったことをフレイは思い出す。
魔力は本来この世界に存在しない物質ではないのか。無から有を成り立たせる過程の不条理を成り立たせるために用いられた暗黒物質とでもいうべき物質。その話の中で似たものとして虚数を出された。
「さて、儂の話せることはこれくらいですのぉ。もうお休みになられてはどうですか」
「そうね。聞きたいことは聞けたし。内容は信じるしかないんだろうけど。それじゃ、おやすみなさい」
フレイは最後に釘を刺していった。
ドクにつまらない嘘をつかないように、信じるぞと圧力をかけたのだ。
言葉の裏に隠された真意に気付かないほどドクは馬鹿ではない。
だが、フレイが出ていったドアが閉ってから頭を上げたドクの表情は明るいものではない。話すべき真実に口をつぐむ罪悪感からかどこか陰りを見せていた。
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「ドク、姫様が目覚めるのにどの位かかる」
「……計算だと四十二年七か月、誤差は半年と見てる」
「ほぼ半世紀か……長いな」
二人が見つめるポットの中にはフレイが眠っていた。霜のような結晶体が覆っているが辛うじて見えるフレイの姿は見るに堪えないほど損傷が激しかった。右腕は肩口から失われ、全身にピンポン球サイズの穿たれた跡が何か所もある。棺桶のことを意識してかばったのだろう。頭部の傷は二ヶ所で抑えられているが、ひどいものだった。
辛うじて見えた電子パネルには複雑なグラフとパラメーターが表示されているが、それが何を意味するのかカインには到底理解できない代物。
「なあ、例のやつはどうなってるんだ」
「例のって何のことだ、今は覚醒予想の計算で忙しいんだが」
「人造人間の心臓と脳みそのことだよ」
カインの言葉に忙しく動いていたドクの指が止まる。
そこで初めてパネルから目をカインに移す。本当は見ないようにしていたのだ。
口角を上げて笑ってるように見せるカインの姿はフレイにも負けないほど酷いものだった。
全身に裂傷と熱傷を負い、顔面の半分はすでに動いていない。腹部にも大きく抉れるような傷を受け、その影響で右肺はすでに機能を止めている。
主であるフレイの亡骸をここまで運んでこれたのは、主を守る意地と魔力による強引な手段と言わざる得ない。だが、その気力ももう途絶えかけていた。フレイの“棺桶”と違い、ここまでの傷を負った人間を治せる技術はどこにも用意されていない。
何もすることが出来ない、その無力さからドクは目を逸らしたかった。どうせなら守り抜いた主が確実に生き返れることを見せつけるかのようなことをしたい。それがドクにとっての僅かな足掻きだった。
だが、フレイの言葉はそんなドクを振り向かせるのに十分な意味を込めていた。
「お前、何を言ってるのか分かって言ってんだよな」
「ああ。二十年の間研ぎ澄まされてきた思考回路搭載の脳みそに、魔力回路として十分に利用できる心臓の、新鮮二点セットがあるってことだよ」
その言葉にドクは頭を抱える。
確かに人造人間の研究が止まっているのは正道でその二点を作り出すのに途方もない歳月と回数が必要だからだ。だが、それを一瞬で解決できるのが、生身の人間からその部位を利用するという邪道極まりない方法。
「四〇年先なんて、何があるか分からない。そんななかで、爺になったお前と、目覚めたばかりの姫様で、何ができるんだよ」
「……つまり、お前はただ死ぬのは嫌で、実験体になってもフレイ様の剣になりたいというのか?」
「わかってんじゃ、ねえかよ。さすがドクだな」
分かり切った風に言うカインの態度にドクは、負傷も気にせずに胸ぐらをつかんで無理やり立たせる。
「お前ふざけるのも程々にしろよ!! いいか、俺が作ろうとしてるのは自律人型兵器だ! 脳みそだって弄繰り回す、記憶なんてなくなるの前提の行為だ! もし俺が途中で飽きて放り出してみろ、お前はただの殺戮兵器になるかもしれねぇんだぞ! それに」
「お前がいるなら、大丈夫なんだろ?」
「ッ、!」
にへらと笑うカインに返す言葉が詰まる。
あきれてしまうほどの信頼についドクは掴んでいた手から力が抜ける。そのせいでカインは近くの椅子に勢いよく着席、だが来るはずの激痛はもう感じない。
「分かった。これがお前の最後の頼みになるかもしれないんだもんな」
「まだ最後かどうかは分かんねぇだろ」
「たく、研究者ってのは絶対を考えないんもんだんだよ。ほら肩貸してやるからさっさと行くぞ」
ドクも覚悟を決めることが出来たのだろう。カインを引きずるように最奥の研究室へと向かう。
この結果がどうなったかは言うまでもない。だが、このことを知るのはドク一人だけだった。
自分を追い詰めるために。
今週の土曜までにもう一つの小説、神緑神戯を更新することを宣言します。